8.6 ヒーローはメアリースーを知らなかった
「相談できることがあればしてほしいな。
私だってたまにはヒロくんの役に立ちたい」
椎野に声をかけられて安心したのは事実なのだが、それをそのままそっくり受け入れるかはまた別の話である。
関係ない事件に巻き込むのも問題だし、余計な気苦労を負わせるのもはばかられる。
しかし、それと同じくらい意地を張っただけの救援拒否は相手を傷つけるものだ。
俺は悩みながらも、校内で落ち着ける場所ということでパソコン室へ椎野と向かった。
「ねぇ」
「うん、どうした?」
「二人きりで話さなくていいの?」
「ああ、部長はメアリーの事情を知ってるから大丈夫だ」
「……そーゆーことじゃないんだけど」
青柳部長からお茶菓子セットを与えられた椎野は、どこか納得いかないように味わっていた。
しかし、お菓子の美味しさで機嫌が直ったらしく、目元がほころんでいる。
「なぁ、椎野」
「うん、なになに?」
「椎野はメアリーのこと、すごいやつだって言ってたよな」
「そうだね」
なにから話そうか、どこまで話そうかと考えていると、椎野がたしなめるように言った。
「あまり気にして喋ると本当に言いたいことを取りこぼすよ。
こういうときくらい考えなしに言っちゃってもいいんじゃない?」
「……お前もすごいやつだな」
「人生何周目だと思ってるの?」
「ほとんど忘れてるくせに」
「えっへへー!」
その笑顔に救われた気持ちで、俺はメアリーのことを取りとめもなくぶちまけた。
椎野はたびたび質問や相槌を挟みながらもよく聞いてくれて、なんだかすっきりするようだった。
一通り話を終えると、椎野はうーんと考え込むように目を閉じた。
「私もあの子のこと好きになれないかもなぁ、そういう話を聞いちゃうとさらにね」
「ホントか!?」
「ヒロくんを追い詰める系ヒロインの先輩として対抗心感じる」
「やめろそんなカテゴリを作り出すな!」
それはともかく、と椎野は話を切り出す。
「記憶喪失が本当か嘘かは知らないけど、ヒロくん集中狙いなのは……嫉妬、みたいなものだと思う」
「嫉妬? メアリースーが俺の何に嫉妬するっていうんだ」
「ヒロくんに、というか……こっちを見てくれないことに、じゃないかなぁ。
唯一覚えてる相手が自分に対して否定的ってのは苦しいものがあると思う」
そういうものか、と考えてすぐさま気付く。
「だけど椎野。それは俺がメアリーを肯定すればいいって話じゃないよな?」
「そうだよ。無理に好きになられたって嬉しくもなんともないし、納得いかない」
なにか思い出すように目をそむける椎野。
妙に実感こもってることが気にはなったが、それを深く追求するつもりはなかった。
「じゃあ、俺はどうすればいいんだ」
「うーん、そこなんだよねぇ……
メアリー自身が気付ければ一番いいんだけど、誰もがそうじゃないし、無限に時間があるわけでもない」
「俺が直接話しに行ったら……?」
「そんなの反発するだけでしょ、鈍感だなぁ」
うっ、と鋭い指摘が胸に刺さり、なにも言えなくなってしまう。
椎野は少しおかしそうに笑いながらも、二つ目のお菓子に手を伸ばす。
「それにこれはヒロくん主観で考えた場合。
メアリーからしてみれば、積極的になにがしたいってわけでもないと思う。
ヒロくんが協力してくれたところでなにか思い出す保証はないんだよ?」
「助けてほしいって言ってたのに?」
「私だって言ったでしょ。私はあのとき解決を望んでたと思う?」
本人にそんなことを言われてしまっては、こちらから言えることはない。
なんだか黙ってばかりで情けない気持ちになってきた。
「メアリーが嘘ついたってわけでもないと思うんだが……」
「嘘百パー、本当百パーなんてことそうそうないよ」
椎野に相談したことでわかったこともあるが、わからなくなったこともある。
ただなんとなくすっきりした気分になったことは間違いないので、そこは感謝以外の何物でもない。
メアリーがわからなくて、周囲の変化が怖くて、俺がどうすればいいのか見当もつかなくって。
今でもそれは変わらないのだけど――
「メアリーは、どうしたいんだろうな……」
「それを考えてあげることが、メアリーの"助けて"なんじゃないかな」
テーブルの上のお菓子がすべてなくなり、椎野のカップも空になる。
どちらも話が終わりなどと言い出してはいなかったが、今話すことはもうないような気がした。
「一緒に帰る?」
「……いや、ちょっと調べたいことがあるんだ」
俺は椎野との話を聞いて、メアリースーのことを詳しく調べることにした。
あいつのことを怪しんでしまったのは、先立ってメアリースーのことを聞いたからだ。
元ネタがある以上、検索すればなにかは出てくるはず。
俺は椎野にお礼をして、パソコンの電源を立ち上げた。
「そっか……頑張ってね、ヒーロー」
ふわっとした笑顔に夕暮れの色が差す。
声に若干の心残りがあるように聞こえて、とっさに顔を上げたが、椎野は部屋を出て行った後だった。
「……ありがとな」
聞こえないことはわかっていたが、自然と口からこぼれた。
俺は気を取り直してパソコンでメアリースーを検索する。
青柳部長の言ったとおり、メアリースーは優秀で極端に目立ちすぎるキャラのことを言うようだ。
驚くことに元ネタだと言っていたメアリースーの小説は、そういった目立ちすぎるキャラたちを皮肉るために書かれたものらしかった。
誕生の経緯からしてややこしいやつだ。
これでは万能キャラそのものがメアリーなのか、それを皮肉る存在こそがメアリーなのかわからない。
「全部が全部、メアリースーってわけではないのかもしれないね」
「部長」
「話は聞こえていたよ。悪かったね、僕がおかしなことを言ったせいで」
「そんなことないです! 誰が、って話じゃないんですから」
ふむ、とモニターを見ながら小さく唸る青柳部長。
「僕は明智さんに創作論の一つとしてメアリースーを紹介したのだけど、それはあくまで書き手側が注意するべきこととして言ったつもりなんだ。
受けて側が創作論を持ち出して、メアリースーはよくないと言い出したら、なにがどこまでメアリースーなのかってことになるだろう?
そんなものは主観でしかないんだから、文字通りお話にならない」
「はい……でも、あのメアリーは名前や能力からして、客観的に見たってメアリースーじゃないですか?」
「僕はそう思うけど、それも結局は主観だからね……」
そこで青柳部長は思い出したようにパソコンを操作して別の画面を出す。
「メアリースーテスト、というものがあるんだ」
「テスト……?」
忘れかけていた期末テストが記憶に蘇り、苦い顔で画面を見つめる。
どうやらこのテストはキャラがメアリースーに該当するかどうか、要素を一つ一つ確認して採点してくれるものらしい。
これならば客観的にメアリースーのチェックができるのかと読んでいると、すぐに困惑することになった。
「……部長、これ役に立つんです?
混血とか、魔王の関係者とか、生き別れた双子とか、ありえなさすぎないですか?」
「ありえないからメアリースーなんだと思うけど、これで満点とれるようなメアリースーは珍しいだろうね」
うーん、だけどどこかで見たような設定ばかりである。
満点は難しいだろうけど、すべてを回避することもできないと思われる。
「つまり、イチかゼロかでメアリースーは決められないってことだね」
「それじゃあ、なんなんですか、そのテスト……」
「だけど、メアリースーを調べれば真っ先に目に入るものだし、有名なテストだよ」
あながち間違いではないけど、参考にしかならないってことか――うん?
「部長、メアリースーを調べたら真っ先にわかるんですか、これ」
「僕たちと同じくらいにはすぐわかると思うよ?」
サトーがメアリースーを調べた日、これと同じものをメアリーが目にしたとしたら。
記憶を失った状態で、自分がこのテストにあるような要素を持つ存在かもしれないと思い込んだら。
全部ではないにしろ、ここにあるような能力をメアリーが自覚したら。
いくら想像してみても答えには辿り着けそうもない。
自らの万能さや優秀さ、人に好かれることが設定でしかないと突きつけられた人間の感情なんかわかるはずがなかった。
わからないならどうすればいい、考えることを放棄するのか。
否。
勉強するほかない。わかるまで、理解できるまで問題に向き合うしかないのだ。
俺は画面にあるメアリースーテストの項目一覧を見つめた。
「……これ、あいつと話す前に覚えとかなきゃな」
まったく、テスト範囲が増えちまったじゃないか。
+ + +
昌宏と別れた椎野はぶらぶらと校内を散歩しつつ、メアリーの耳寄りな情報がないかと探っていた。
椎野もメアリー周辺のきな臭い雰囲気は感じ取っているので、あくまで意図を悟られないレベルである。
そのため世間話程度の噂しか集まらないのだが、危険を冒してまで踏み込むのは昌宏に怒られそうでためらわれた。
椎野がサトーや野々宮と違うのはそういうところなのかもしれない。
彼らが昌宏と距離を取らざるを得なかったのに対し、椎野はわりと平気で昌宏に近づくことができた。
ピンチのときにしか現れないお助けキャラといえば聞こえはいいが、どう頑張ってもヒロインにはなれない。
「落ち込むなぁー……」
それを自覚していながら関われない自分にうんざりするが、自業自得のようなものである。
ピンチはチャンス、いつかはなにか起こるかもしれない。自分の時間は動き出しているのだから。
――それより、別れ際のヒロくん、いい顔してたなぁ
椎野が記憶の中の昌宏に思いを馳せていると、不意に印象的な灰色の髪が目に入った。
「メアリー?」
思わず呼びかけると、相手は振り向いて親しげな笑顔を見せた。
珍しく一人きりでなにをしているのかと思ったが、どうやら迷子のようだ。
「ねぇ、職員室ってどっちかな?」
「ここを突き当たりまで行って右だけど」
「ありがとう」
もっと聞き出したいことがあったのだが、有無を言わせない圧迫感があった。
こんなにプレッシャーを放っているような人物だったかと、椎野は不審を覚える。
「ついてこっか?」
「いいよ、僕一人で十分だ」
爽やかに断られて、つかつかと一人で歩いていってしまった。
直接話したことはなかったけど、噂に違わぬ美形だ。灰色の髪とオッドアイも乙女心をくすぐる。
あれに迫られたら昌宏も胸中穏やかではいられまい。
メアリースー云々とかは抜きに、ライバルとして対抗心がむくむくと湧き上がった。
「転校生美少女は僕っ娘だったか……」
昌宏の役に立ちそうな情報は得られなかったな、と椎野は肩をすくめて再び歩き出した。




