8.5 孤独なヒーローと人気者のメアリースー
メアリースーファンクラブ会則
第一条(名称)
本ファンクラブはメアリースーファンクラブと称する(以下、本クラブという)。
第二条(目的)
本クラブの目的は以下の通りである。
・メアリースーを応援すること。
・メアリースーと会員の間に相互理解の精神を育み、発展させること。
・メアリースーの健全な生活を脅かす要因に全力で対処すること。
第三条(会員)
本クラブの会員は、メアリースーを応援する生徒及び教員をもって構成される。
また、会員は下記の条件を遵守すること。
・会員登録に必要な項目に虚偽がないこと。
・校則及び法律に違反するような行為をしないこと。
・学業や成績に著しい影響を及ぼす活動は控えること。
・メアリースーの個人情報をむやみに詮索しないこと。
・メアリースーの承諾を得ることなく、写真、動画等を撮影、録音、録画しないこと。
・メアリースーを利用した営利活動及びこれに準ずる行為をしないこと。
・メアリースーの情報を無断複製、改ざん、転載及び再配布しないこと。
・メアリースーに対する付きまとい、誹謗中傷等をしないこと。
・メアリースーに――
・メアリースー――
・メアリースー――
「……これらに該当する行為によりメアリースーが損害を被った場合は、当該会員は賠償、責任を負った上で会員資格を喪失する」
会則はひたすらメアリーに対する過度な干渉を制限し、陰ながら見守り、愛し、敬おうとする意味合いのことをつらつらと並べ立てていた。
途中で読むまでもないと判断した俺は最後まで一気に読みとばし、必死に会則を読み込んでいた野々宮に返した。
「これをテスト前に暗記することはないんじゃないか……?」
「ですが、メアリーさんのファンクラブがこうしてできている以上、個人的な付き合いのある私としては見過ごすことはできません」
「お遊びみたいなもんだろ?」
「こんな熱量あふれるファンクラブがお遊びに見えますか!?」
野々宮にそう言い寄られては反論しづらい。
確かにメアリースーにはいつの間にか熱心なファンができており、抜け駆けを許さないとでも言うような強固な会則によるメアリー包囲網ができていた。
期末テスト前の張り詰めた緊張感は今や、水面下でメアリーと仲良くなりたい過激派と見守ることで貢献したい過激派の対立という構図に置き換わっている。
あれ、過激派しかいねぇぞ、この学校。
「野々宮はどうするつもりなんだ?」
「お友達のメアリーさんが困ってるのに放ってはおけません。
単純な対立構造は争いの火種になりますから、教師を巻き込んだ穏健派として第三の勢力を組織しようかと」
「……誰のアドバイスだ?」
「青柳部長に相談しました」
めまいがしそうだ。
きっと相談に乗ってくれただけなんだろうが、まったく余計なことを。
「メアリー本人はどうなんだよ」
「目の届く範囲で管理してみるそうです。解散を求めたところで地下に隠れてしまうだけだと……」
「マフィアか宗教みたいになってきたな」
頭を抱えたくなる展開に辟易するが、それ以上に悩ましいのはメアリー本人がどう思っているかどうかだ。
あれからサトーを通じてメアリーの様子をたずねたところ、今回は協力できることはないとにべもなく言われてしまった。
メアリーを調べた結果も、あの後どうなったかも教えてはくれず、やけに突き放された態度をとられている。
なんだか、納得がいかなかった。
サトーの態度も野々宮の熱意もメアリーに関係したことでそうなったというのなら、なんだか気に入らない。
しかし、そんな感情論で片付けられる問題ではないし、ヒーローとしてどうかと思う。
「あの……メアリーさんとケンカでもしましたか?」
「えっ、なんで」
野々宮が知ってるんだ、と続けそうになって口をつぐむ。
俺の様子を見て、半眼気味にジトーっと軽く睨みつけるような目で野々宮が責める。
「今日、ここには来れないって言ったんですよ。なんでかな、って思ってたんですけど」
恒例のパソコン室での勉強会。
実際は二人とも勉強など手についてないのだけど、そこは置いといて。
「そんなこと言ってたのか」
「何があったんです?」
俺は少し迷いながらも昨日あったことを正直に話した。
格好悪い部分も――というか、ほとんど格好悪い部分ではあったが、それもすべて包み隠さずに話した。
そうすることで慰めや許しをもらいたかったのかもしれない。
野々宮は表情を崩さずに話を聞き終えて、簡潔に言った。
「――あんまり、聞きたくはなかったですね」
ズシン、と心が潰れるような音がした。
そして、どうして野々宮相手に格好悪いところをわざわざ見せたのだろうと思った。
普段なら無理してでも格好つけたはずだ。少なくとも格好悪いままで終わらせなかったはずだ。
後悔が押し寄せる中、野々宮が唇をむずむずと震わせて、慎重に言葉を紡いだ。
「新藤さんがメアリーさんをどう思おうと仕方のないことです。
ですが、困っている人を見過ごすようなことはしない人だと思ってます」
「と、当然だ……それは、俺も思ってる」
「……じゃあ、まだ終わりじゃないんです。新藤さんはクライマックスでこそ輝く人ですから」
そう言いながら野々宮がそそくさと支度を始め、荷物をまとめて立ち上がる。
放課後になってから一時間も経っていなかった。
「もう帰るのか?」
「はい、なんだか今の新藤さんと一緒にいるともやもやします。
今回はすみませんが一人で頑張ってください。
――私は、この気持ちの正体を知りたくないです」
逃げるように小走りで部屋を出る野々宮。
俺は呆気にとられて反応できず、挨拶もできなかったことにしばらく経ってから気付いた。
「……なんで」
どうしてこんなことになっているんだ。
俺がメアリースーを疑っているから天罰でも下ったのか。
しかし、この状況はどう考えてもメアリースーが影響してるとしか思えない。
だけど、それを疑い始めるとヒーローらしくもないし、みんなから失望されるし――
「あぁ、くそっ!」
このままでいいはずがない。
元凶に直接聞いてみるしかない、それが一番早い。
サトーも野々宮も頼れないとなると、俺に頼れる手立てはあまりない。
孤独なヒーロー、響きだけは格好いいが、実際はかなり格好悪かった。
メアリーは今や校内の有名人である。
探すのも話しかけるのも容易なことだと思っていたが――
「どんな用事ですか? 事と次第によっては、あなたを通せません」
「えぇー……」
多目的室で勉強会をしているらしいと知って訪れると、部屋の前で止められたあげく、メアリーとの関係と用件を問われた。
相手はメアリーファンクラブの腕章を身につけており、キリッとした表情からして歓迎されてはいないようだ。
制服からすると一年生の男子のようだが、クラスが違うので名前まではわからなかった。
「知り合いなんだ。話したいことがあって来た」
「面会を希望する場合はファンクラブに登録してから一ヶ月以上かつメアリー様と十回以上の会話記録がある方のみとなっております」
「メアリー様!?」
「……なにか、おかしなことでも?」
「い、いや、なんでもない」
まさか様付けしないのか、と圧をかけるような瞳で睨まれたため、とっさに抵抗の意思がないことを示す。
おそらくファンクラブ会員であろう彼は、雰囲気からして規則遵守の鬼といった面持ちであり、門番としては申し分ない働きをしている。
どうしたものかと困っていると、部屋の中から別の生徒が顔を出した。
「こら、あまり騒がないで。中では勉強会をしているのよ?」
「あ、すみません」
三年生だったこともあって素直に頭を下げる。
隣の門番くんは腰より低く頭を下げており、最敬礼どころじゃない。
「わかればいいのよ。あなたも役目に忠実なのは結構だけど、余計な面倒を起こしてはメアリーちゃんの迷惑になるでしょう?」
「は、はっ! 失礼しましたっ!」
優しそうな笑みを浮かべる三年女子の先輩は、俺に向かってたずねる。
「それで?」
「えっ」
「用事があるんでしょう? 伝えてあげるわ」
「あ、ありがとうございます。じゃあ――」
俺は昨日のことを謝りたい。そして話がしたい、と伝言を頼んだ。
先輩は任せてと笑顔で引っ込み、数十秒もしないうちに笑顔のまま出てきた。
「どうでした?」
「ごめんね、昌宏くんを特別扱いするとみんなに悪いから今日は話せない。
いずれ私から話をするからおとなしく待っててね。
とりあえず今は勉強でもしてたほうがいいよ――と、仰っていたわ」
「いや、昨日は――」
「ていうか、メアリー様から名指しで三文以上もいただくなんてどういうつもり!?」
「うわっ!」
ドンと胸を押されて後ずさる。
さすがにたいして怪我にもならないが、先輩の豹変した態度に驚いて反応できなかった。
「知り合いっぽいから伝言のお役目をしてあげたのに、メアリー様と全然話せなかったじゃない!」
「そ、そんなこと言われても!」
「あー、損した……でも、なんか話があるのは本当みたいね。教えてくれたら話をまとめてあげてもいいけど?」
「……いや、結構ですっ」
「あ、待ちなさいっ」
ころころと表情の移り変わる先輩に妙な寒気を感じ、その場から駆け出した。
なんだあの人は、頑なな一年生門番のほうがまだマシだったぞ!?
廊下の曲がり角で息を潜めて様子をうかがう。
誰も追ってはこないようだったが、あまりに異質な空気に呑まれそうで逃げ出してしまった。
とりあえず何事もないようで一息つくと、周囲の視線を集めていることに気付く。
校内を全力疾走したせいかと思ったが、どうもそうではないらしい。
「あの子が噂の……」
「メアリー様に楯突いたっていう?」
「なにそれ信じらんない」
「なんで走ってるの……まさか何かして逃げてきたんじゃ」
俺は堪えきれずに早足でその場を立ち去った。
メアリーに話を聞きたかったし、野々宮を探して誤解を解きたかったけど、これ以上ここにはいられないと思った。
俺がおかしいのか、周りがおかしいのか。
周りがおかしいのだと思うのだが、そう思うのは俺がそう思っているだけなんじゃないか。
俺がそう思うからそう思っているだけで、実はそう思っているのは俺だけなんじゃ――
「昌宏くん」
ハッとして顔を上げると、心配したような顔でメアリーが俺を覗き込んでいた。
後ろには先程の三年女子のほかにも二人、知らない生徒を引き連れている。
「なんだか伝言がちゃんと伝わらなかったようでごめんね?
あんまり君を困らせたいわけじゃないんだ。
ただ昨日のこともあるし、すぐにわだかまりは解けないと思うってだけで……」
「あ、あぁ、いや、なんかこっちこそ悪いな」
「べつにいいよ、もう」
普段と変わらない表情で話すメアリーは驚くほどあっけらかんとしていた。
「だから、時間を置こうと思ったんだ。
昨日の今日で話したって解決しないと思ったから、それなのに昌宏くんったら――」
メアリーは周囲に聞こえないように小声で、そっと囁いた。
「――野々宮さんにフラれでもしたの?」
「なっ!?」
ある意味、図星をつかれたようで動揺してしまい最高に情けない反応をしてしまった。
メアリーは馬鹿にするようなことはなく、爽やかに微笑んでいた。
「あははっ、格好悪いからじゃない?」
「お前言っていい冗談と悪い冗談があるぞ」
俺も少し気が抜けたところに、メアリーは追撃のように笑顔を浮かべた。
「ねぇ、それが私のせいかもしれないって言ったら、昌宏くんは私をどうする?」
変わらない声のトーンがやけに耳に響いた。
「……悪い冗談だろ?」
「さぁ? じゃあね、また」
メアリーはもう話すことはないとばかりに生徒たちを引き連れて歩いていった。
俺は一人残された形になり、昨日と同じく無力な孤独感を味わわされていた。
こんなとき、どうしたらいいんだろう。
いつも助言をくれていたサトーも、背中を押して励ましてくれた野々宮もいない。
校内のメアリー心酔度はいよいよ危険な高まりを見せ始めている。
ピンチだ。ものすっごくピンチかもしれない。
俺の脳がほぼ自動的に深刻な思い詰め方をしようとしだしたそのとき――
「ヒロくん今帰り? 一人?」
「椎野……」
停滞しかけた歯車は強引に回すタイプの少女が俺に声をかける。
椎野はしょぼくれた俺の様子に少しだけ真剣な表情を見せると、すぐに妖艶で隙のない笑みを浮かべた。
「もしかして、今チャンスだったりする?」




