8.4 メアリーはメアリースーを知らない
久しぶりに一人で帰ることになってしまった通学路をぼんやりと歩く。
野々宮たちがいなくなって一人で勉強するのもやる気が起きなかったので、青柳部長に別れを告げて、こうして下校中である。
今頃、三人は駅前のドーナツを食べているのだろうか。
男が単身で合流するなんて暴挙に出るつもりはないが、野々宮と駅前でドーナツを食べて帰るなんて羨ましいにもほどがある。
普段はそんなことはしそうにない野々宮がどうしてドーナツなんて言い出したのかは知らないが、今度は俺も誘ってみよう。
思えば野々宮と話すときは、正義の味方のあるあるトークが一番盛り上がる。
それはそれで楽しいが、貴重な高校生の放課後を消費してまで話すトークテーマだろうか。もっとするべき青春があるのではないだろうか。
「あれ、サトー?」
「昌宏、今日は早いな」
考え事をしながら家の前に着くと、サトーがビニール袋いっぱいの野菜を持って佇んでいた。
「なにしてるんだ、うちの前で」
「昌宏の祖母に挨拶しに伺ったんだ。課外活動でお世話になっている、とな」
「まぁ、嘘じゃないけど……なんで、今更?」
「ヒーロープロジェクトもこの一年でだいぶ活発になった。今後の活動のためにも動きやすくする根回しは必要だろう」
もっともらしいことを言っているが、それならもっと早くしてほしかった。
年末年始の挨拶回りはヒーロー業界や未来でも定番らしい。
「で、その手に持っている荷物はなんだよ?」
「持たされたんだ……断ったのだが、断り切れずにな……」
どこの家のお婆ちゃんも若者には飯を与えたがるものだ。
そんなに食えないと言っても聞かないんだから、まったく祖母にも困ったものである。
サトーが純粋に困っているのは珍しく、少しいい気分になっていると、サトーが表情を引き締める。
「それはともかく、最近周りでおかしなことはないか?」
「なんだいきなり」
「数日前、無視できるレベルで常識エラーが感知されたのだが、いつの間にか消えていてな。
消えたのなら問題はないということになるが、どうも気になっている」
サトーは首を傾げながら小さく唸った。
そんなこと、思い当たる節といえば一つしかない。
「……もしかして、メアリースーの仕業か?」
「メアリースー? なんだそれは」
俺はサトーに、最近現れたメアリースーという少女について話した。
その話を聞いてサトーは興味深げにしていたが、聞き終えると再び首を傾げてしまった。
「話を聞く限りでは、違和感や特殊能力があるのだろう?
現状でエラーが消えてしまったことに対しての疑問は残ったままだ」
そのあたりはなんでもありなメアリースーの能力で説明がつくようにも思う。
サトーに格好つけたり誤魔化しても仕方がないので、素直にメアリースーへの疑いを出してみる。
「世界や常識がメアリースーをおかしいと思ってない、とか」
俺がメアリースーへの疑念を口に出すと、サトーは眉間にしわを寄せて、難しい顔で言った。
「……しれっと言ったが、それはとんでもないことだぞ、昌宏。
聖剣の事件を思い出してほしい。伝説を生み出そうと環境改変を行ったときも、エラーは感知できていたんだ。
椎野華子によるループのときも、記憶は維持されなくとも記録はされていた。
それができないとなると、メアリースーはそれすら凌駕するレベルの改変能力ということになる」
深刻な口調で語るサトーの気迫に押され、思わず黙り込んでしまった。
緊張する俺を見て、サトーは心配するなと励ますようにニカッと笑う。
「たとえ世界がおかしくなろうとも、俺が昌宏の味方をやめることはない」
いつものように根拠のない自信たっぷりの顔をして、サトーは宣言した。
俺もいつものごとく呆れかえってしまうのだが、この顔を見ると自然と力が湧き上がってくるのだった。
「まぁ、期待しないでおくよ」
「期待されずとも救うのがヒーローというものだからな!」
相変わらずのうっとうしいヒーロー格言を飛ばしながら笑うサトー。
こういうやり取りをすると、慣れた日常に安心感を覚える。
ホッとするような気持ちに浸っていると、サトーの顔つきが笑顔からゆっくりと真剣なものへと変わり、訝しむような目つきになった。
俺の後ろを見つめているような視線が気になり振りかえると――
「こんにちは、まだ話してないことがあったから来ちゃった」
さきほど学校で別れたはずのメアリーがそこにいた。
ただの少女だというのに俺の心臓は早鐘を打つようにバクバクと鼓動し始め、まるで怪物と対峙したかのように喉がごくりと鳴った。
「君がメアリースーか?」
「……そうだよ? あなたは?」
「サトーだ。昌宏のサポートをしている」
サトーが力強い口調でメアリーに問いかける。
「昌宏に用があるのなら、俺も同席させてもらうが構わないか?」
「昌宏くんの協力者ってことなら歓迎するよ。私の話を聞いてくれるんでしょう?」
「もちろんだ」
助かった。正直、メアリーと二人きりで話をすることに説明のつかない拒否感を抱いていた。
サトーが横にいるだけで心強い。
俺は話を長引かせたくない一心から、積極的にいくことにした。
「ならここで話を聞く。祖母を巻き込むわけにはいかない」
「べつに危ない話じゃないんだけど、わかった、いいよ」
やりづらそうに苦笑しながら、メアリーは重そうに鞄を担ぎ直した。
「さっきは私のことばかりで、昌宏くんを知ってることについて話してなかったでしょ?」
「そういえばそうだな」
「とは言え、知ってることは名前とヒーローやってることだけで、具体的に何をしてたかまで知らないんだけどさ」
過去の記憶や自分のことすらわからないメアリーが俺のことを知っていることは十分に不可解なことではある。
しかし、知っている以上の何かはない。
俺のことを暴露したいわけでもなさそうだし、敵対心があるということでもないようだ。
いったい、何がしたいというのか。
「それだけなら明日、学校で話してもよかっただろ」
「うん……まぁ、そうなんだけどね」
突き放すような言い方になってしまったが、メアリーはそれでも言い残しがあるように視線を揺らす。
困っている少女なのだ、メアリーは。自分でもこんなにメアリーに対して警戒している理由がわからない。
「今日、実際に会って話してみて、実感したことがあるんだよ」
「俺と話して?」
「うん、こんなことを言うと野々宮さんを刺激しそうだったから、あの場では切り出しづらかったんだけど……」
不意打ちのような告白に思わずたじろぐ。
「し、知ってたのか? その、俺と野々宮が……」
「っていうか、わかるよ。あんな可愛い反応されたら」
野々宮が可愛いことには同意せざるを得ない。
メアリーはこほんとわざとらしい咳払いをすると、はにかみながら言った。
「私、昌宏くんに執着心……みたいなものを感じてる」
構えていたわりに曖昧な表現に、すかされてしまったかのような気分になる。
しかし、ここで「それって俺のこと好きってこと?」なんて台詞が言えるわけない。
何も言えないでいたが、メアリーは気にすることなく言葉を続けた。
「なんていうかな、私ってなんでもできるじゃない?」
あっさりと言うが、すごい台詞だ。
極端なナルシストとも取れるし、浅慮で能天気な阿呆とも取れる発言である。
だが、メアリーはそのどちらでもない。メアリーの万能性は、まぎれもない真実なのだから。
「大抵のことはできて、わりとちやほやされて……いくら能力のおかげとは言っても嬉しいものは嬉しいよね?」
「……まぁ、な」
想像もつかない境遇で共感はしかねるが、とりあえず理解はできる。
「わけのわからない状況なりに、ちょっと浮かれてたのかも。
その中で、記憶に残ってる男の子の名前を聞いた、会えるかもしれない。
そんなの会ってみたいに決まってるよね?」
「お、おう……」
「――だけど、会ってみたらその男の子はやけに私のことを疑ってる」
スン、と怒涛の勢いで話していたメアリーが静かになる。
目つきは鋭いが睨むような感じはなく、むしろ見透かすような、睨まれるよりも嫌な思いがした。
「今、自分がどんな顔で私のことを見てるか、わかる?」
問い詰めるような口調で言われて、恐怖や怯えを感じていた心に鞭が入れられたようにビクンと跳ねる。
「……悪かった、そんなつもりじゃないんだ」
「……私はただ知りたいだけ。唯一覚えていた学校に唯一覚えていた人がいて、その人はヒーローだった。
運命的だよね? 君だけが手がかり、君だけが頼りなんだよ……!」
メアリーが意を決したように俺に近づき、手を取ってグッと寄せる。
「お願い! 私のことを教えてほしい! 自分が何者なのか、知りたい! 昌宏くん、私を、助けてほしい!!」
きっとこれが本音だ。
あからさまに怪しくて、存在自体が意図や理由だらけの少女の本音。
何のために生まれて生きるのか、わからないなんて嫌だと、ヒーローの歌にもあっただろう。
ヒーローたちのヒーローを目指す俺が手を差し伸べてやらなくては誰がやる。
――でも、俺は動けなかった。
メアリーの迫真に染まっていた瞳が揺らぎ、握り締めていた手がそっと離れた。
「そんなに、私のことが信用できない?」
悲しさよりも失望したような口振りに、俺が、俺自身へと失望と絶望を向けた。
俺はこんなに格好悪かっただろうか。ヒーローらしくない振る舞いをするやつだっただろうか。
物語の主役から引きずりおろされた感覚に襲われ、肥大化する自意識が余計に俺を苛む。
「サトー、俺は……」
すがるような声が出て、自分でもびっくりして言葉が止まる。
サトーは硬い表情でまぶたを閉じたまま、どこも見ずに言った。
「昌宏は、なんでもできるヒーローではないはずだ。それがわかっているなら、今は責めるつもりはない」
甘やかすでもなく、厳しくなじるでもない。
このまま終わらせることだけはできないぞ、という確認だけがそこにあった。
サトーは目を開いて、俺のほうは一切見ずにメアリーに目を向けた。
「俺のほうで彼女のことを調べてみよう。協力いただけるだろうか?」
「……それで昌宏くんが納得してくれるなら」
サトーに促され、素直に連れられていくメアリー。
一瞬、俺に手を振りかけたが、少し迷って、その手を下げた。
人通りのない家の前で、俺はしばらく家に入れずに立ち尽くしていた。
+ + +
「あのとき君は無意識かもしれないが、昌宏のヒーロー性を略奪しかけた」
サトーの調査に付き合って、謎の機具を身体中に取り付けられているメアリーが目をぱちくりとさせる。
「だから、君をあの場に留まらせることはできなかった。
こうやって調べてはいるが、きっと何もわからないことを了承してほしい」
「私なにもしたつもりはないんだけど……?」
意味のない調査と聞かされて多少うんざりしたメアリーが、頭の重そうな機械を取り外しながら目を細める。
サトーはメアリーを咎めることもなく、腕を組んで悩むように唸った。
「そうしたくてしてるわけではないのだろう。
君のメアリースーという名前と能力は特別なものらしい」
「……それが昌宏くんが私を嫌う理由になるの?」
「嫌がってはいるようだが、嫌いではないはずだ。単純に相性が悪いんだろう。
――昌宏はヒーローだ。基本的に誰が相手だろうと、困っている人を見過ごせる性質ではない」
「嘘! だってあの顔……!」
サトーはまくしたてるメアリーを真正面から見据えて黙らせた。
「助けたいのに助けられないから、昌宏も困ってるだけなんだ」
「それって、私がメアリースーだから……?」
ヒーローを奪いかけた、というサトーの言葉から推測したのか、メアリーが確信をつくような発言をする。
「……君は答えを見つけることに遠回りをしないのだな」
「えっ?」
いや、とサトーが頭を振って話を続ける。
「俺もメアリースーについて、まだ詳しくは知らない。
だからはっきりとしたことは言えない」
「……私もメアリースーについて知りたい。
なんだか私が私でないような、でも私であるような、不思議な感じがするの。
今もどこかで見られてるみたい」
メアリーはきょろきょろと不安げに周囲を見回す。
もちろん、サトーとメアリーの他には誰もいない。
サトーは気の毒そうに目線を下ろし、誰に言うでもないように言った。
「記憶のない君には酷なことになるかもしれないが、君は知るべきかもしれない。
メアリースーという存在と、その歴史を」




