7.9 聖剣伝説9 ~ヒーローの新説~
「何が聖剣だ、何が伝説だ。こっちはヒーローだぞ、ふざけんな」
俺の中のヒーロー補正が唸りを上げている。
ラストバトルの予感に打ち震えながら、全身をアツい血流が駆け巡っている。
相手は勇者。伝説に謳われた魔王を滅ぼす聖剣を持った何者にも負けない勇者だ。
その伝説に書かれていたか、今ここで確かめてやる――!
――魔王を倒せる勇者が、果たしてヒーローにも勝てるのか、を。
戦闘開始の合図は一瞬だった。
ヒーローである俺を迷いもなく排除すべき存在と断定したらしい聖剣は、凄まじい速度で俺のいた空間を貫いた。
そうなることは想定内であり、相手の攻撃態勢を視認する前に下がることで危なげなく回避した。
だが俺は、たった一撃のこの刺突で冷や汗をかかされる。
速く、鋭い。
これまでの何よりも超越する圧倒的な実力差に現実と異世界のレベルの違いを思い知らされる。
散々、現実離れしたパンチだとかレーザーだとか魔法攻撃だとかされてきたが、あんなのは現実の範疇であったと認めざるを得ない。
異世界の基準に簡単についていけるほうがおかしいのだ。
こんな攻撃、意識的にかわせないぞ。
先程のように予め攻撃を予測しておかなければ、到底かわしようのない攻撃速度なのである。
「どうした英雄、避けるので精一杯か」
「なんでこっち側から煽られなきゃいけないんだよ」
どうやらドラゲーアは素直に引き下がるつもりはないらしい。
邪魔だとでも言うように俺を払いのけて前に出ようとする。
しかし、その腕の力はあまりにも心許なく、意地を張っているのは明らかだった。
「もう戦える状態じゃないだろ、下がってろよ」
「そんな指図を受ける筋合いはないッ!」
俺を差し置いてドラゲーアが再びリュミエールへと挑みかかる。
格好つけて登場したヒーローが台無しじゃないか、と溜息が出そうだ。
愚直に飛び出した形のドラゲーアだが、その拳は意外にもリュミエールを捉えていた。
伊達に死闘を繰り広げてきたわけではない。
勇者と魔王という両者の戦いは目を見張るものがあり、紙一重の攻防はどちらに軍配が上がってもおかしくはないと思える。
だが、拮抗する実力を崩すかのように運命が嘲笑う。
もはや感覚でしか感じ取れない領域で、勇者の攻撃は見事に決まり、魔王の攻撃は届かない。
理屈ではないのだ。
あの聖剣が勇者と魔王の伝説を成し遂げようとする限り、世界はそうやって調整されていく。
抗いきれない運命という鎖がドラゲーアを、そして、リュミエールを縛りつけているのだ。
「……はぁ、はぁ……ぐっ」
ドラゲーアが地に膝をつけた。
このままではやられる、そう思った俺は追い討ちをかけようと斬りかかるリュミエールの前に飛び出して――
――なんと、勢いに任せて聖剣を弾き返した!
「えっ!?」
俺自身、何が何だかわからなかった。
クリーンヒットした一撃で窮地を脱し、ドラゲーアを無理にでも後方へと下がらせる。
「何が起きた?」
「知るか……」
苦しそうに全身で息をするドラゲーアは、捨て鉢に吐き捨てた。
「力を使い果たしたおかげで、元の世界へ戻るつながりも絶たれた……勝とうが負けようが、世界征服も魔族の繁栄もない……」
深くうなだれたまま起き上がろうとしないドラゲーアが、とうとう愚痴をこぼすのを目の当たりにして、俺は妙な引っかかりを覚えた。
「戻れないなら、勇者が勝って魔王が負けたら、あの聖剣はどうなるんだ?」
「……伝説の勇者と魔王が現れるまで、この地で眠ることになるだろうな」
「そんなの現れるのか?」
「……この世界に聖剣の伝説が残れば、いずれ生まれるかもしれない」
元々そういう伝説が残っていた異世界であれば、数年単位で生まれていたのだろう。
しかし、現代日本で勇者と魔王が生まれてくるのは、いくら伝説に残ってようと無理がある。
ヒーローですら未来の、そのまた未来の、ずーっと先の未来にようやく出現するという話だ。
――もしかして、もう詰んでるんじゃないか?
この世界で聖剣伝説を成り立たせるには、現実的な常識と魔力不足が邪魔をする。
勇者と魔王が実在することと、魔法少女の魔力で辛うじて繋ぎ止めているだけ――そんな感じがするのだ。
先程の反撃が通じたのは、魔王が維持していた異世界とのリンクが途切れたことによるものではないだろうか。
臨戦態勢を解いてはいないものの、こうして考え事をしている間もリュミエールは積極的に深追いをしてこない。
違う、できないのだ。
聖剣は自己保存と魔王特効に魔力を費やすあまり、本来の性能を発揮しきれていない。
皮肉なことに魔王を追い詰めたことで聖剣の伝説達成は破綻しかけている。
それでもなお止まらないのは、アレが思考や感情を持たないシステムに過ぎないからなのだろう。
冷徹で非情に見えた数々の運命的な仕打ちも、聖剣がそういう風に作られているからそうなったのだろう。
それは聖剣そのものすら、伝説に囚われていると言えなくもない。
「何だよ……とっくに壊れてるじゃんか」
このまま行く末を放っておけば、魔王は倒され、勇者は姿を消し、聖剣は眠りにつくのだろう。
野々宮も解放されて、世界は平和になるかもしれない。
しかし、俺は世界を救おうとしているわけじゃない。
ヒーローを救いたいのだ。
それなら、リュミエールの希望通りに聖剣を壊してやらなきゃならない。
既にシステム的に壊れていたとしても、もっとわかりやすく、物理的な意味で。
「ドラゲーア」
「……何だ」
「もうどうでもいいって言うなら、俺に魔王の座をくれ」
「――は?」
「すぐ引退するけどな、ヒーローと兼任なんて無理だ」
ドラゲーアは驚きの表情のまま固まると、やがて投げやりに言った。
「勝手にしろ……!」
「ああ、これでお前は元魔族のおっさんだ」
「そんな年齢ではない」
抗議の声を聞き流しつつ、俺はリュミエールに向かって駆け出した。
聖剣を構えて反撃の体勢を取るリュミエール。
俺はなりふり構わず正面から真っ向勝負を仕掛け、強大な剣圧をものともせずに突き進む。
斬撃の嵐が身を襲うが、どれ一つとして当たる気がしない。
リュミエールの懐まで辿り着いて、腕を掴んで引き倒――そうとするが、さすがに抵抗されて力比べとなる。
「――――っ!? 私は、また――」
この状況でリュミエールの意識を制御する魔力も尽きたらしく、瞳に色が戻った。
それでも肉体は支配されたままのようで、俺を押し戻そうとする力は弱まる気配を見せない。
「すみませんっ! 身体が――!」
「いいさ! それより、もう終わりだ」
「えっ?」
あとひと押し。
現代でのこの戦いも、昔から続く因縁も、何もかも最後にする。
「もう魔王はいない! 俺が後を継いで、さっき引退した!」
「えぇっ!? どういうことですか!?」
「こうなったら勇者でいても意味なんかない! リュミエールは村娘に戻るしかないな!」
「待って、理解が追いつきません!」
魔王は否定した。勇者も否定した。
悲劇や惨劇に彩られた伝説を倣う必要はない。
「もう元の世界へは戻れない! シナリオは破綻した――この伝説は詰みだ!!」
この一言が決定打となるフラグだった。
リュミエールは全身の緊張が解けたかのように脱力し、俺は慌てて身体を支える。
握り締めていた聖剣も手から零れ落ちて、そのまま地面へと吸い寄せられ――
――ガツン、と世界を揺さぶるような音とともに、真っ二つに折れた。
古の伝説は、今ここで途切れたのである。
+ + +
「……終わったのですね」
折れた聖剣を前に呆然とするリュミエール。
その目には喜びも驚きもなく、ただ事実のみを受け入れた静謐な眼差しがあった。
ドラゲーアは少し離れたところから、憮然とした面持ちでこちらを見つめている。
まだ座り込んだままで立ち上がる気力もないようだが、視線の鋭さは元魔王に相応しい威圧感を取り戻していた。
「どうするつもりだ、これから」
「……これから?」
リュミエールは怪訝な顔で眉をひそめたが、すぐに困惑の色を浮かべた。
聖剣を壊した後のことなんか考えてなかったのかもしれない。
返答に迷っているリュミエールに対して、ドラゲーアが嘲るように言った。
「もう元の世界に戻る術はないぞ。もし、力を取り戻せたとしても、だ」
元の世界とのつながりが絶たれたと言っていたが、一度切れたら戻せないらしい。
そこまで精根尽き果てたということでもあり、ドラゲーア自身もだいぶダメージがあるだろう。
それなのに、リュミエールを煽ることをやめない。
「貴様は故郷と断絶されたこの場所で、天涯孤独の身の上で、何の力も、何のしがらみもなく、ただ平凡に生きていくしかないのだ」
リュミエールの話では、元の世界にも家族はもういない。
そして、勇者の名声も、力も、彼女にとっては何の意味もない。
ドラゲーアは何が言いたいのかと首を傾げていると、トドメを刺すかのように残忍な笑い声をあげた。
「人類唯一の希望である聖剣も破壊され、貴様には何も残されてはいない――これが俺の復讐だ」
復讐、と言われてリュミエールはきょとんとした表情を返し、思わず吹き出した。
そのままひとしきり腹を抱えて笑い、両目から涙すら溢れて止まらなかった。
ドラゲーアはその態度が理解できず、ただ笑顔になったリュミエールを見て苦虫を噛み潰したように顔を歪めるのだった。
リュミエールは何も言わなかったけど、少しなら笑った理由がわかるような気がする。
彼女は聖剣を破壊したことで兄を手にかけたことや己の運命への復讐を果たした。
しかし、その途端ドラゲーアに復讐されてしまった。
よくある復讐の連鎖である。
だが、これほどまで清々しい気持ちで迎え入れられる復讐が他にあるだろうか。
勇者も魔王も、聖剣も復讐も、言葉の表面だけでは読み取れない中身がある。
その濃さや複雑さは一概にして言い表せるものでは到底ないからこそ、残酷な聖剣や、幸福な復讐なんてものも存在する。
イメージと同じように事が運ぶことなんか滅多になくて、思いもよらないことはいくらでもある。
型通りの伝説にあてはめようとしたって無駄なのだ。
時代は常に変わっており、かつての伝説はアップデートされていく。
聖剣を作った昔の人はそれがわからない時代の人だった。
これはそれだけのお話。
運命で決定づけられたお話など、どこにも有りはしない。
「ふふっ、参りました」
笑顔のリュミエールが潔い敗北宣言をする。
元勇者と元魔王ではあるが、ここに初めての魔王の勝利という結末で幕を閉じるのであった。
「こんなお話、伝説には残せませんね」
「伝説は伝説。絶対じゃないんだよ」
そうじゃないと、新しい伝説だって生まれっこないだろ?
+ + +
戦いを終えて酷く疲れていた俺たちは、誰も立ち上がれずにその場で伏せるように眠った。
夢の中とはいえ外で眠るのは不自然だったが、そんなことを言い出すような輩はいない。
目が覚めると夜の公園――ではなく、野々宮家の居間のソファーにいた。
当然、野々宮が隣にいるわけで、この家には彼女の両親も住んでいるわけで、このままではいけないわけで。
しかし、安らかな顔で俺の全身にしがみついている野々宮を引き剥がして起きることはできなかった。
男として様々な葛藤に悩まされつつも、目下のところ一番の懸念は俺の理性がオーバーヒートするか否かではなく、野々宮の両親がこの光景を目撃するか否かである。
十六の娘が同じクラスの男子を連れ込んで、堂々と居間で一緒に寝ているなんて出来事、朝から処理できる事案ではない。
首を回して見える範囲では時計が見当たらず、窓の外の様子を見るに空が明け始めた午前五時過ぎといったところ。
寝起きの良い両親ならば、いつ起きてもおかしくはないし、朝の支度もあるだろう。
「――んん、ううん……」
寝息まじりのかすかな唸り声ですら、今の俺には爆弾のタイマーに聞こえる。
「野々宮……なぁ、起きてくれ、たのむ、はやく……!」
必死に耳元で囁くのだが、野々宮は嬉しそうに微笑むばかりで目覚める様子がなく、――――
その日は後に、俺史上、伝説に残る緊迫の三十分間になったという。




