7.8 聖剣伝説8 ~伝説の再来~
辺り一面が噴水の飛沫で霧に包まれたように白く染まった。
公園の管理的に考えてそんな勢いで水が噴出するはずもなく、明らかな異常事態だ。
「気をつけろ!」
――そんなことはわかっている!
警告する声の主を確かめることもできず、噴水に飲み込まれて姿もおぼろげなリュミエールを目で追っている。
うかつに接近するのは危険だと直感が告げていた。
しかし、このまま待ち呆けているのも取り返しのつかない事態が進行しているようでならない。
結局、手をこまねいている間に噴水の奥で何かがキラリと輝き、一瞬のうちに閃光が迸る。
「ちっ、受け取れ小僧!」
閃光を遮るようにしてドラゲーアが眼前へと降り立ち、衝撃波が俺たちを襲った。
そして、続くように視界に現れたのは見慣れた魔法少女服に身を包んだ野々宮で、箒もろとも俺の頭に突っ込んできた。
「うわぁ!」
「きゃっ!」
どうにか野々宮は抱きとめたが勢いまでは受けきれずに背中から転がる。
体勢を整えようと、俺の上に覆いかぶさる野々宮を起こすが、ダメージが大きいようでくらくらしている。
――いや、様子がおかしい。
「どうした、野々宮?」
「あ、あはは……どうやら、ここは夢の中で、まだ魔法の中で、魔力が聖剣に吸われてるらしく……」
どうにも説明が飛躍しすぎてまとまっていない。
まだ目が覚めていない、夢の中にいる。だから、人の気配がなかったのか。
魔法がまだ解けていないというのは何が問題で、どうして魔力が吸われているのか。
それより何より、どうして野々宮がこんなに憔悴してるんだ。
大筋は掴めなくもないが、いまいち腑に落ちないでいるとポケットの中の携帯電話が震えた。
『昌宏!』
「サトーか!?」
相変わらず謎の通信技術で連絡をかけてくるサトーだが、この場においてはありがたい。
「どうなってるんだ一体!?」
理解が追いつかない状況をどうにかしたくて訊ねるが、サトーの反応は少々渋かった。
『こちらも全体的にはわからないのだが……今、昌宏たちは魔法によって夢の中にいる』
「じゃあ、まだ魔法は発動中なのか?」
『そうだ。この魔法による夢というのが厄介で、まったくの非現実というわけではない。
その世界が壊されても現実でどうこうなることはないが、昌宏たちに何かあれば、現実にも影響が発生する』
「影響って何だ!?」
『不明だ。しかし、現に野々宮千恵の本体には異変が起きている』
「何だって!?」
『意識が低下している……おそらくは魔力が急激に減少しているのだろう』
俺の腕に抱かれながら息を整えていた野々宮がこちらの会話に気付き、力無く微笑んだ――思わず携帯電話を強く握り締める。
途中でついてこれなくなったのは、魔力が奪われ始めていたからだったのか。
「どうしてそんな――聖剣か?」
『あくまで憶測だが、聖剣は力を失ってからも勇者に呼びかけ続けていた。
勇者もこの世界を訪れて力を失っていたから、さしたる影響はなかったのだろう。
だが勇者へ魔法による干渉を行ったことにより、魔力の流れがつながってしまった。
――それを利用した、のかもしれない』
「野々宮の魔力を使って力を取り戻そうとしてるってのか!」
『決まったわけではないが、現状はそういうことになる』
なんてことだ、伝説に関係ない野々宮まで巻き込むとは、聖剣もなりふり構っていない様子だ。
あくまで勇者の伝説を成立させるためなら、その過程や手段は問わないということか。
それが後から伝説に仕立て上げられるのだから、当事者としては堪ったものじゃない。
『魔王は異変を察して無理やり夢の中へ侵入したらしいが、あいにく俺にはそのような芸当はすぐにはできん。
魔法少女の治療を試みるが、魔力を回復させるということは、聖剣の補給を続けることにもなりかねない』
「だからって、やらないわけにはいかないだろ!」
『当たり前だ。だから、肝心の場面は昌宏にかかっているということだ』
サトーが現場に来れない以上、直接的なサポートは得られない。
と、なれば俺が。この場にいる俺が、野々宮を助けるために戦わなければならない。
って、つまり――
「そんなの、いつものことだろ?」
『……! 素晴らしいヒーローぶりだ、昌宏!』
「待てよ、ってことは」
聖剣によって戦闘モードと化す勇者リュミエールと、魔王ドラゲーアの戦いが始まろうとしている――!?
というか、既にもう始まっている。
リュミエールは無駄のない足捌きで斬撃を繰り返し、反撃の隙を与えない猛攻で迫る。
一方、ドラゲーアも人間の姿で、人間の腕で攻撃を弾いている。目には見えない防御力というステータスがそれを可能にさせるのか。
傍目には熱戦としか言いようがないほどの攻防を繰り広げていた。
「……ぐっ」
だが、すぐにドラゲーアが防戦一方となった。
激しく能力が減衰している魔王に対して、能力上昇がかかり続けているような勇者。
魔族という異世界における生物の頂点にあろうとも、勇者の伝説には敵わない。
ここに新たな聖剣伝説が紡がれようとしている。
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死闘の末に勝利を掴んだ勇者を己自身もろとも異世界へと飛ばした魔王。
一度は聖剣の力を失った勇者であったが、新たな仲間たちとの出会い、決して諦めない心でもって、再び復活を果たす。
仲間たちの渾身の力を糧に立ち上がる勇者。
迷いは消え、たった一つの信念を貫き通し、今度こそ魔王を滅ぼさんと剣を振るう。
キラリと輝いた一閃が魔王の心臓を捉え――
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「させるかあああぁっ!!」
魔王ドラゲーアの咆哮に意識が持っていかれ、薄暗くなっていた視界がクリアになった。
頭を流れるモノローグが燃え尽きた灰のように吹き流れていく。
「……何だ今の」
既定路線のようにドラゲーアが敗北する未来が見えた。
世界全体の認識を、常識を塗り替えるような大胆なシナリオ改変。
物語の根幹を創世するかの如き所業。
かの伝説の聖剣はそれを成すだけの力を持っているのだ。
現実に支配されたこの世界に、勇者伝説などという荒唐無稽で馬鹿げたお話を一つ成立させ得るほどの力を。
ひやりとした。
今、自然と魔王が負けて当然だと思った。
勇者が魔王を倒すなんて当たり前のことだと認識させられた。
確かに勇者と魔王の戦いなんてありふれた物語だし、大抵は魔王が負けるものだ。
しかし、目の前で繰り広げられる戦いまで過去の戦績に準じる必要はない。
何より魔法少女の犠牲をさらっと加えられたら、ヒーローが黙ってられない。
リュミエールの気持ちが実感としてよくわかった。
勝手に登場人物にされて、聖剣のシナリオ上の都合で勝手に役を振られた気分だ。
それも自分ではなく野々宮が正義の犠牲とされていることが余計に腹立たしい。
「新藤、さん……」
少し意識がはっきりした様子の野々宮が弱々しい声を絞り出した。
「無理するな……ちょっと横になって待っててくれ」
「……やるんですね」
野々宮を戦場から離れたベンチに横たわらせる。
俺は野々宮の問いかけに頷きで返し、安心させるために笑顔を作る。
「大丈夫、余計なこと考えなくていいから」
「……私が犠牲になれば、補給が止まることですか?」
「言ったろ、考えるなって」
「でも……」
この魔法少女は自己犠牲が強すぎる。
そして、変に思い切りがいい。だから、心配してしまう。
「野々宮も……あの聖剣も、最近のトレンドをわかってないな?」
厳しい運命とか、辛い宿命とか。
そういう試練を乗り越えるのもいい。嫌いじゃない。
しかし、ストレスフリーのこの時代、犠牲を出してまで手に入れる平和が流行るだろうか。
そんなのは努力と汗にまみれた過去の産物だ。
常に最前線を行くヒーローの俺が、新しい伝説をあの聖剣に叩きつけてやる。
「世界も救って、仲間も助けて、悪役も改心させて……最後に自分も笑う、それが今のヒーローってこと」
「……はは、ちょっと都合が良すぎませんか?」
今はそれくらいでちょうどいいんだ。
+ + +
執念。
今の己を突き動かしているのは、その一点のみであった。
これまで数多の魔王が勇者に滅ぼされ、そのすべてが伝説として語り継がれた。
幼い頃から魔族として聞かされてきたその物語を疎ましく思いながらも疑いはしなかった。
勇者は魔王に倒されるもの。その認識は魔王でさえも統一されていた。
その真実に気付いたとき、ドラゲーアは衝撃を受けた。あれほどの衝撃は二度とないと思った。
魔王という力の頂点に上り詰めたことが、己の実力ではなく、あろうことか聖剣伝説によるまやかしに過ぎないかもしれない。
戦いに明け暮れたあの高揚感に満ち足りた日々が突如として色褪せて見えた。
「これでもかっ!」
突破口を開こうと力任せに打撃を与えてみるも、その感触は徐々になくなっていく。
勇者は確実に力を増し、魔王は確実に力を失っていった。
魔王は勇者には勝てない、その事実を改めて突きつけられているようだ。
リュミエールに聖剣を破壊したい、と言われたとき、二度とないと思っていたほどの衝撃を受けた。
それは希望という衝撃。勝てるかもしれない、という期待の感情。
己は魔王だ。卑怯も姑息もあるか。勇者に勝てるのであれば、役割など関係なく純粋に果たし合えるのであれば――
そんな希望も今にも潰える。
魔王が期待などと、希望などという戯言をほざいた運命か。
聖剣伝説が世界を超えても揺るがぬというのであれば、もはや取れる手立てはない。
「――っ!」
一瞬の憂いが隙を生み、ドラゲーアに聖剣の切っ先が迫る。
まさに会心の一撃が入ろうとしたそのとき――
「待てっ!」
乱入者によって剣先が狂い、勇者が後方へと身体をかわす。
邪魔してきたのは異世界の英雄と名乗る人間の小童だ。
「何のつもりだ!」
「ヒーローの前でやられそうなやつを見捨てておけるか」
「……魔王の助太刀をする英雄など聞いたことがない」
「今から始める伝説だ。よく聞いて、よく見とけ」
新たな伝説が、今まで聞いたこともないような伝説が紡がれようとしていた。




