7.7 聖剣伝説7 ~黒き英雄の復讐~
夜の街を二人で駆ける。
誰にも会わず、信号にもかからず、不自然なほどに一直線だった。
一体全体、どこに向かって一直線だというのか。
まるで決められたレールに沿って走っているような、ヒーロー補正にも似た感覚。
しかし、前を走っているのはリュミエールだ。俺は彼女を追っているに過ぎない。
単なる勘違い。ただの思い過ごしかもしれない。
だが、そうではないとすれば。
リュミエールにも俺と同じく、勇者の補正のようなものがかかるとすれば、この先に待ち受けるのは勇者としての運命――
「リュミエール、止まれっ!」
全力で走りながらも声を振り絞る。
古今東西、この呼びかけで止まる奴を俺は見たことがないが、それでも追う立場となると言わずにいられなかった。
いい加減に喉が痛い、肺が痛い、脚が痛い。
そんな泣き言は情けなくなるし格好悪いので言えるはずもないが、どうにも限界は近いようだ。
「リュミエールっ!」
顔も見えないまま追いかけ続けるのも限界だと思ってきた頃、ようやく前を行く人影が止まった。
息を切らして立ち尽くすような格好でこちらを振り向くリュミエール。
どうやら限界は俺だけではなかったようだ。
「はぁ、はぁっ……思ったより頑張りますね……!」
「……ったく、何だよもう。ちょっと走ってスッキリした顔してんじゃないよ」
リュミエールは健闘を称えるアスリートのように健やかな笑顔を見せた。
俺はその光景に乾いた笑いを浮かべながら、ほっと胸をなで下ろす。
そのまま崩れるように座り込み、辺りを見回す。
市内で一番大きな公園だった。ほどよく緑があり、芝生や遊具も備えている。
その公園の中心に位置する広場には円形に縁取られたゾーンがあり、夏の時期だけ噴水になる。
今は乾燥したコンクリートの床であり、リュミエールも観念したように腰を下ろした。
「よいしょ、っと」
「ふぅ……」
お互いに息を整えたところで、話が始まるかというと、そんな単純な話じゃない。
リュミエールは言ってしまえば気まずさから逃げ出したのであって、話を切り出すのはとてもじゃないが勇気がいる。
一方、俺としても勝手に夢を覗いたわけだから気まずさにおいては負けていない。
しかし、この場で二人して夜空を眺めていても仕方ないし、はるか後方で遅れているだろう野々宮に言い訳も立たないので俺がやるしかない。
「あー、その……悪かったよ。人の事情を覗くような真似をして」
「……いいえ、すべて吐き出しもせずに事が成せるはずなかったのです」
自嘲気味に笑みをこぼすリュミエールは、柔らかな表情を浮かべて自分の手をさすった。
「まさか村でろくに農具も振るわなかったこの手が、一年も経たずに武器を持ち、実の兄を手にかけてしまうなんて……」
「そんなこと……」
「ええ、そんなこと……そんな伝説、誰が信じると言うのでしょうね?」
酷い与太話があったものです、と繰り返し悲しげに微笑むリュミエールを見て、俺は語気を荒げた。
「聖剣が暴走するのはリュミエールのせいじゃない! それを気に病む必要はないだろ?」
「……自分のせいではないとしたら、何が原因でしょう」
兄を殺してしまった原因を作ったのは、あの魔物だ。
魔物がリュミエールの兄を操ったことで、敵と判断されて殺してしまった。
それを一瞬の迷いも見せずに切り捨てたのはリュミエール自身である。
しかし、それを止める手立てはなく、彼女の意識も介在していなかった。
自責の念に駆られるのはわかるが、決してリュミエールのせいじゃない。
「それは、その剣のせいだ」
「私も、そう思うしかなかった。だから、聖剣を壊したいと願ったのです。魔王にすがってでも」
リュミエールは一息ついて語り出す。
「意識を取り戻した後、私は聖剣を塔から落としました。
しかし、聖剣には傷一つなく、あてつけるように大地に突き刺さっていたのです。
次は置き去りにして手放そうと思いました。
しかし、聖剣から離れようとするたびに魔物が現れ、生き延びるためには聖剣に頼るほかありませんでした。
更に、自らの腕を切り落とそうとさえ考えました。
しかし、聖剣の治癒能力なのか。単純な物理ダメージでは回復力が勝る結果となりました」
話を聞く限りでは聖剣というより呪われた魔剣である。
勇者に所有され、魔王を討ち果たす目的のために存在するその一振りの剣は破格の性能を有しているようだった。
ゲーム的には大事なもの扱いの武器で、攻撃力最強、自動回復付き、敵相手にはオート戦闘といったところだ。
壊れることなく、捨てることはできず、死ぬこともない。
何故だろう。ゲームでは嬉しかったはずの性能が、酷く呪われているように感じる。
「……あぁ」
混乱した仲間を容赦なく殺す武器となれば、厄介さも理解できる。
聖剣を装備している限り、勇者はパーティーを維持できない。
「私は各地を転々としながら、あてもなく旅を続けることになりました。
一人旅になってからは、魔物に支配された町を解放したり、大神殿に巣くう悪竜を討伐したりして感謝されたものです。
そのたびに仲間にしてほしいという方が現れましたが、そんなことはできません。
逃げるようにして立ち去ったのをよく覚えています」
悪を討ち滅ぼし、颯爽と消える勇者。
伝説映えしそうな一連の流れに薄ら寒ささえ感じる。
これまでも数々の逸話の裏に、聖剣によるどうしようもできない宿命の力があったのだと予想される。
「……あなたなら、どうしますか?」
突然投げかけられた重すぎる質問に、胃の奥が痛くなるような思いがした。
「……何もかも忘れて故郷に戻るとか」
「宿命や伝説の筋書きで昔馴染みを失いかねません」
「……一人で、旅を続けるしかないか」
「ですが、戦いに身を置き続けるには聖剣の力は大きすぎて身体が持ちません」
拙い回答をリュミエールはスパッと両断した。
「何より虚しくて寂しくて、心が持たなかった」
勇者、それはあまりに孤高すぎる職業。
一人の人間に背負わせるにはあまりに激しい重圧。
これが本当にゲームだったら電源を切って、つまらないと不貞寝すればいい。
しかし、彼女は当事者だ。投げ出すことは許されない。
ならば取れる手段は一つだ。
「だから、魔王を倒すことにしたのか……?」
「はい。元々、そのために旅立ったのですから」
リュミエールの語り口も佳境へと入り、言葉に熱を帯びる。
「そして、私は魔王の城の近くまで辿り着きました。
達成感も何もありません。
あるのはただ、孤独感と空虚な使命感。
――ああ、勇者だから私はここにいて、魔王を倒さなきゃいけないんだ、と」
『自分は勇者だ。だから、魔王を倒さなきゃいけないんだ』
ただの村娘だったリュミエールが、己の宿命を覚悟し、勇者としての自覚とともに決意をする感動の台詞。
嘘偽りない言葉だというのに脚色されたように思えてしまうのは何故だろう。
「あとは既に話した通り、魔王と戦い、勝利したのです」
俺は気付いた。そのとき、リュミエールは更なる試練を与えられたはずだ。
一体、これ以上何を悲惨なことがあるのかと目を覆いたくなるかもしれないが、そんなグロテスクな話じゃない。
あくまで単純な、事実でしかない正論である。
だが、そういった事実や真実といったものは、致命的な凶器にもなる。
知れたこと、ゲームはクリアすれば終わりだが、リュミエールの世界はゲームじゃない。
だから、魔王を倒しても終わらないんだ。
「……その後、どうしたんだ」
俺の質問が耳に届いていないのか、リュミエールはぽかんとした顔で首を傾げた。
「魔王を倒した後、何があったんだよ」
「別に、何もありませんでしたよ。ええ、何もなかった」
「なーんにもなかったんですよ! 勝者を称える声も! 健闘を褒める仲間もね!! なんでだと思います? 私が殺したからですよ!!」
聖剣よりもはるか前に、リュミエールは壊れていた。
堰を切ったように言葉と感情が溢れ出し、その勢いのまま掴みかかってきた。
倒れた俺を押さえつけるように喉元に手をかけている。息が苦しい。
「りゅ、っ、くっ……!」
「勇者であれと、聖剣が私に命じるんですよ! そいつは敵だと頭の中で声がするんです!」
「やめ、ろ……」
「私が頼んだから聖剣を壊そうとしてるのに、あなたさえ敵に見えるんですよ! 今の私は!」
そう訴えるリュミエールの目には涙がにじんでいたが、好きにさせてはおけない。
俺が抵抗しようと上半身に力を込めて起き上がると、意外なほどあっさりと形勢は逆転した。
「……ふぅ、まだヒーローらしい能力なんて使ってないぞ?」
つまりは勇者相手に男子高校生の力のみで攻勢に立てたということである。
世界の移動で衰え、聖剣を手放したリュミエールは華奢な村娘に過ぎない。
リュミエールはパクパクと口を開閉していたが、やがて脱力して目を閉じた。
「……ごめんなさい」
「あぁ、いいさ」
最後にありがとうと言ってくれたらな。
俺は慎重にリュミエールの身体から手をどけると、そのまま隣に並んだ。
「話が途中だったな」
何も無かったという風に再開した俺に困惑しながらも、さっきまでより確実に柔和な表情になったリュミエールが話を始める。
「……魔王を倒した後、でしたね。
私に残されていたのは、勇者としての運命が憎い、聖剣が憎いという感情だけでした」
「それで聖剣を壊したいと魔王に持ちかけたのか」
「ええ、魔王ならば人知を超えた策があるかもしれない。それに最初から敵ですから、そばに置くことに抵抗はありません」
「意外としたたかな考えをするんだな」
からかい気味の余計な茶々に、リュミエールが律義な苦笑で返す。
そして、スッと表情を切り替えた。
「魔王を倒してから聖剣の支配力が薄れたように感じました。
一度、伝説を達成したということで力を失ったのかもしれません。
わざわざ伝説のない異世界にも来ましたしね」
「その魔王の話では、まだ聖剣はリュミエールに干渉しようとしてるらしいぞ」
「……それも感じています、今このときも」
俺のことが敵に見えていると暗に言っているようで、再び緊張感が走る。
しかし、逃げ出すことも構えることもしたくはない。
勇者に対してそんな動きをしては本当に敵ではないか。
俺がなりたいのは何だ。ヒーローたちのヒーローだろう。
「たとえ敵に見えたとしても、隣に並び立ってやる。ヒーローは最後に笑うものだからな」
「最後に笑うのは敵側っぽくないですか?」
「ひ、ヒーローも笑うんだよ」
格好つけておきながら慌てる俺が面白かったのか、リュミエールが思わず吹き出した。
「ふふっ、私もヒーローになりたかったなぁ……勇者になんて、ならなければよかった」
うつむき加減で呟くリュミエールは、心底から吐き出すようにそう言った。
それを聞いた俺は、勇者やヒーロー肯定派として一言物申すことにした。
「待った。ヒーロー肯定派としてこれだけは言わせてもらうが、勇者もヒーローもやらされてなるもんじゃない。自分でなるもんだ。
だから、後悔するようだったらやめればいい」
俺のあまりに乱暴な持論は、リュミエールには幼稚に聞こえたらしい。
少しムッとした目つきを見せたが、それを隠すように平静に反論する。
「簡単に言いますが、やめたくてやめられたら世の中は遊び人だらけになってしまいます」
「それは生活もあるし、世間の目ってのもあるしな。でも今のリュミエールに咎める奴はいないんだから、やめてもいいんじゃないか?」
リュミエールは何を言ってるのかというように眉根を寄せたが、湿っぽい空気に戻るよりはマシだと思ったのか、話に乗ってきた。
「確かに今となっては勇者の名乗りも意味を成さないでしょうが……では何になれば?」
「うーん、村娘?」
「いやそんな」
「何が悪いってんだ?」
「だって、実兄を手にかけたり、魔王を倒したりする村娘がいますか?」
「それなら勇者を名乗り続けるしかないさ。伝説の勇者か、村娘か、だ」
複雑な顔で悩んでいたリュミエールは、何ともしがたい様子で唸った。
「うぅ……やはり私に勇者は荷が重かったようですが、それでも今更ただの村娘には戻れません。
誰しもが一度は耳にした伝説の勇者に憧れがなかったわけではないですし」
「そうなのか?」
「はい、だからこそ、こんな復讐のようならしくない感情に囚われたくはなかったですね」
「復讐か……」
野々宮にも問われた、ヒーローの復讐は成立するのかという問題。
復讐する時点でヒーローとしての資格を失うならば答えは否だ。
勇者も同様に、聖剣を破壊するような勇者は勇者に相応しくないので否となる。
でも勇者の資格ってなんだ。伝説や宿命に相応しい振る舞いのことか。
それが聖剣を持つことで発生する暴走状態なのであれば、そのようにカビの生えてそうなモノサシで定義される勇者の資格などクソ喰らえだ。
「リュミエールにとって、勇者ってなんだ?」
俺の唐突な問いかけに少し間が空いたが、納得する答えを見つけたように頷きながら答える。
「……私の勇者は、兄でした。
強く、格好良く、頼もしい。その姿こそ、理想の勇者像です」
「お兄さんは復讐を望むと思うか?」
それは使い古されすぎて陳腐になりつつある、復讐に対しての反論。
故人の思いなど知るよしもなければ、それで心が満たされるわけもない。
リュミエールも定型句のように答えるしかなく、声に無機質な感情が含まれていた。
「……思いません。
兄が今ここにいれば、穏やかに暮らしてくれと言うでしょう。
――だからと言って、抑えきれるものでは!」
「なら、リュミエールの信じていた勇者は変わらないよ」
堪えきれずに当然の反応をしていたリュミエールに、優しく、確かに教えた。
「その聖剣がある限り穏やかに暮らしてなんかいけないだろ?
じゃあ、壊すしかないさ。それだけのこと、お兄さんの望むとおりだ」
え、え、と言葉に詰まりながら、困惑気味に俺の言ったことを咀嚼するリュミエール。
しかし、何も言いようがないようで呆れかえるほど、とぼけた声を出した。
「それだけ?」
「そう、それだけのこと。わざわざ復讐なんて言葉のトゲで飾らなくていいんだ」
事実は時として残酷だ。
魔王を倒しても終わることのない宿命は、リュミエールに終わらない虚無感と復讐心を植えつけた。
それと同じくらい、事実は時として慈悲深い。
開き直るしかないほどの安直な安堵感は、苦しみや悲しみの連鎖を容赦なく断ち切る。
そして、勇気をくれる。
「ヒーローも勇者も復讐心はある。それは後悔から生まれる過去を正したいという気持ちだ。
そんな改めたいという感情は決して悪いものじゃないし、むしろ人として健全だ」
「……あはは、なんだ。そうだったんですね」
「それがまた誰かを傷つける結果になるなら留まるべきで、そこからがヒーローとしての見せ所じゃないかな」
復讐心という感情の発露自体は人として当然で、そこにヒーローも何もない。
これが今できるヒーローとしての回答だ。
リュミエールの場合は宿敵が聖剣である。聖剣に親類縁者はいないし、復讐の連鎖も生まれないはずだ。
それならなおのこと悪いことなんてない。
「古臭い伝説の勇者じゃなくて、自分の中の勇者を信じてくれ」
野々宮に聞かせられなかったのが残念だと、俺は妙にすっきりした気持ちで思った。
+ + +
ところでいい加減に野々宮が遅すぎる。迷子になっているのではないかと心配になる。
そうして気を揉んでいると、夜空しかないはずの上空から鋭い怒声が突き刺さった。
「下だっ!」
声が飛ぶのとほぼ同時に、地中でカチッと音がした。
嫌な予感がした俺とリュミエールは、お互い経験で培われた反応速度で真横へと跳んだ。
しかし、寸前のところでリュミエールが苦悶の表情で体勢を崩してしまう。
気付くとリュミエールだけが噴水広場へと取り残されていた。
「何が」
起こったのか。
判断のつかない状況に混乱するところに、再び声が落ちてくる。
「新藤さんっ!」
――野々宮!?
声のした上を仰ぎ見る暇もなく、状況が巡る。
「どうやら私たち、まだ夢から覚めてませんっ!」
そして、季節外れの噴水が噴出し、視界が白に染まった。




