7.4 聖剣伝説4 ~魔王の野望~
聖剣破壊作戦は振り出しに戻り、日も暮れてきたので本日は一時解散となった。
リュミエールは野々宮の家に泊まることになったが、ドラゲーアは人間の世話にはならないと姿をくらませてしまった。
律儀なことに聖剣も持ち去ってしまったので、今夜はどうすることもできない。
魔王だから何か悪いことを企んでいるのではないかとも思ったが、二人とも力をほぼ失っており、本当に心配はないようだ。
「……無力だなぁ」
力を失ってもないのに、何も出来ないヒーローがここに一人。
たとえシステムだろうと、たとえ暴走しようと、伝説になれるというならばそれもいいかと憧れてしまう。
勿論、そんなことは駄目だと頭ではわかっているのだが。
そのとき、外で甲高い金属音が響いた。
「何だ、この音?」
窓の外を確かめると、聖剣を振るうドラゲーアがそこにいた。
俺は驚いて叫びそうになったが、ここが自宅であることを思い出し、近所迷惑にならないように静かに外へ出る。
ドラゲーアは俺が近づくと素振りをやめた。どうやら、俺の接近に気付いていたらしい。
「この世界の英雄は随分と弱いらしいな」
聖剣を破壊できなかったことを言っているだとすれば、何の反論もできない。
しかし、それだけで皆が弱いと言い切られるのは癪に障った。
「剣を壊せないのはお前も同じだろ」
「……結果だけ見ればな」
感情の読めない仏頂面で呟くドラゲーア。
わざわざ夜中にここを訪れてそんなことを口走っているのだから、気になって問いかけては思うつぼだ。
しかし、無力感に苛まれていた俺は何か事を進めたかった。
慎重に話せば相手のペースにはならないはずだ、と言い訳をしつつ訊ねる。
「……どういうことだよ」
「物理的に剣を壊すだけなら可能ということだ」
俺は呆気にとられて、純粋な疑問だけが口から出た。
「何でそうしないんだ?」
「意味が無いからだ。聖剣を無闇に叩き折ったところで、新たな聖剣伝説の糧にされるだけだ」
呆然としたままの俺を気遣う素振りもなく、ドラゲーアは一方的に続ける。
「魔王が聖剣を壊しても、それは伝説の一部にしかならない。下手に手出しすれば、それがきっかけで聖剣が力を取り戻しかねない」
「ちょ、ちょっと待て。聖剣は今、もうただの頑丈な剣なんだろ!?」
慎重に話を進めるなんて思惑は何処へやら、完全に翻弄されている。
とはいえ、寝耳に水なこの話をスルーできるほど俺は大人ではない。
今もドラゲーアの手に握られている聖剣が不気味なものに思えて、俺はゾッとしていた。
「ただの剣なものか。時空転移のときに適当に放り投げたというのに、俺たちが来た世界に"偶然"あった」
「……わざと、落としたのか」
「それで片付けば話が早かったのだが、そう簡単にはいかないようだな」
ドラゲーアは苛立たしげに剣を強く握り締め、ぞんざいに一振りした。
「こうして今も我が手で封印を施している。勇者へ微弱な魔力を送ろうとするこの剣を戒めるためにな」
「何が目的で……?」
「また、操ろうとしているのかもしれん。不気味だろう?」
「……本当に呪いの剣じゃないか」
捨てられない大事なもので、最終決戦とか大きな戦いになると強制装備されるような剣。
呪われているといえば聞こえは悪いが、今ではそうとしか思えない。
「しかし、この封印も数夜と持つまい」
「何だと!」
「異世界転移で力を失ったのは事実。そのわずかばかりの力を封印に注いできたが、限界はすぐに来よう」
「……悠長なことをしている暇はない、ってことか」
「そういうことだ」
ドラゲーアの目的は聖剣の破壊にリミットがあると知らせること。
それ自体に疑問を挟む余地はないと思うのだが、俺には大きな違和感があった。
「……どうして、魔王がそんなに協力的なんだ」
「やはり信用ならないか」
「目的がわからない魔王相手に協力はしづらいだろ、ヒーロー的に」
俺がそう言うと、ドラゲーアは静かに笑い始めた。
あまりに異様な光景で面食らったが、必死に言葉を絞り出す。
「な、何がおかしい」
「いや、何。久しぶりに魔王らしい愉悦に興じていた……いいだろう、話してやる」
ドラゲーアは地べたに座り込むと、これまでの無口さが嘘のように語り始めた。
「魔族は人間とは違い、歴史や伝説は残らない。長寿が多く、嘘がすぐ露呈するからな。そんな中で語り継がれてきた聖剣の事実は、人間たちの認識とは少し異なる。
――聖剣は歴代の魔王を打ち滅ぼしてきた。仮に勇者を返り討ちにしようとも、次の勇者が聖剣を携え、最後には決着をつけた。必ず激動の時世に生まれ、戦うことになるのが魔王と勇者であった」
「……あんまり人間から見た伝説と変わらなくないか?」
俺が思わず口を挟むと、ドラゲーアは気にした風もなく答えた。
「伝説がそのまま事実ということだろう」
「それじゃ、何が違うってんだよ」
「魔族が負けることへの違和感だ」
頭に疑問符が浮かび返答できずにいると、それを見たドラゲーアが軽く鼻を鳴らした。
「ふっ、圧倒的種族差を持つ魔族が敗北することに強烈な不自然さを感じるということだ」
「それは、人間が諦めずに立ち向かうからで……」
「諦めなければ勇者が途切れることなく生まれ続けるのか?」
「そんなの魔王だって同じだろ!」
「種族の長など自然発生的に生まれるものだ。そこに優劣の差はあれどな」
正義が勝つシナリオにケチをつけられては、ヒーローとしては納得いかない。
しかし、反論しようにも"伝説がそうなってるから"としか言いようがなく、これでは合理性がない。
「……魔族の敗因はわかったのか?」
「当然だ。少し考えられる魔王であれば誰でもそこに行き着く」
「わかってるなら何で負け――」
「伝説が、そうなっているからだ」
そんな身もふたも無いことがあってたまるか、と言いたくなったが、俺自身がつい数秒前にそう思っていた。
「そんなどうしようもないこと言ったら、どうしようもないだろ!」
「何を言ってるんだ貴様は」
「だって……!」
「それを壊そうと言うのだ、あの勇者は」
ドラゲーアはこれまで見せたことがないほど愉快そうに、それでいて嗜虐的な笑みを覗かせた。
「聖剣はそういうものなのだと悲観し、絶望してきた魔王を尻目に、あの勇者はそれを壊したいと言い出した。どういう意味がわかるか?
自ら世界の理を、平和を、調和を崩そうというのだ。勇者自身が」
笑いを噛み殺すように肩を震わせるドラゲーア。
愕然とする俺に畳み掛けるようにして、ドラゲーアは演説のように言葉を続けた。
「勇者が城へ来たとき、奴は一人だった。兄と何処で別れたのか知らないが、何かあったことは確かだ。
聖剣を、己の宿命を恨み、憎んだあの少女は使命を果たすどころか、覆そうとしている。
願ってもない巡り合わせ……ようやく魔王の悲願が、魔族の完全なる勝利が成されるのだ!
……勇者の願いの成就とともに」
ドラゲーアは聖剣を破壊することで、勇者と魔王のしがらみが消滅し、完全勝利できるというのだ。
「お前は復讐のために協力してたのか」
「俺は勇者に負けたのではなく、伝説に負けたのだ。それを正そうとしているに過ぎない」
「そんなの屁理屈だ」
「そもそも、壊すと言い出したのは勇者であるし、魔王が聖剣を破壊したいことはおかしくあるまい」
確かに正論で、魔王としては筋が通っている。
リュミエールは聖剣に少なからず思うところがあり、魔王を活かしてでも壊したいと望んでいる。
勇者としてそれは褒められた選択ではないのかもしれない。
しかし、聖剣がその運命を彼女に強いていたのだとすれば、手放しで責められるようなことでもないはずだ。
問題はその望みを叶えたとして、同時にドラゲーアの野望も叶えることだ。
勇者と魔王の関係性がなくなれば、今度こそドラゲーアはリュミエールを打ち倒そうとするだろう。
負けると決まった話ではないが、聖剣なしで人間が魔王に勝てるのかは正直わからない。
俺が黙り込んだのを見て、ドラゲーアが言った。
「貴様も、勇者も。英雄と謳いながら、魔王に手を貸しているのだ」
そう聞かされては素直に協力することなど出来そうもない。
出来そうもないのだが、協力しないということはリュミエールの願いを聞かないばかりか、いずれ暴走させてしまう可能性がある。
ヒーローとしては苦悩する場面。ただ、俺には一つの確固たる信念があった。
「どうして、そんなこと俺に言うんだ。お前は聖剣を壊してほしいんだろ」
「貴様が悩む姿を見てるのが楽しいからだ」
「悪趣味だな」
「魔王というのはそんなものだ」
あまり好きになれそうにない性格だが、魔王である時点でヒーローとは相容れない存在なのだろう。
わざわざ発破をかけにきてくれたとでも思っておかなければ、単なる嫌なやつになってしまう。
「リュミエールは、それを承知で聖剣を壊したいんだろう?」
ドラゲーアは俺の言葉を聞いて、不可解そうに眉を吊り上げた。
「俺は正義のヒーローじゃない。ヒーローたちのヒーローなんだ。たとえヒーローが正義らしくない願いをしても、それが本当の願いなら、それを手伝う」
これは俺の信念というか、行動原理だ。
誰かを助けるばかりで、誰からも助けてもらえないヒーローたちのヒーローになる。
そのためのヒーロー候補であり、ヒーロー補正である。
「だから、今晩のことは助言としか受け取らない」
そうか、と呟きながら立ち上がる。
勇者といるときは不機嫌そうな顔ばかりのドラゲーアだが、月夜の下では満足気に目を細めていた。
「この世界の英雄は清廉潔白ではないのだな」
「だからこそ、伝説は伝説に過ぎないのさ」
「……いい世界だ、欲しくなった」
「そのときは容赦しないからな」
ドラゲーアは軽く足元の土を払うと、挨拶もすることなく立ち去った。
さて、聖剣の破壊に余裕がないことが判明した。しかし、有効な手段がないことも事実。
頼みの綱のヒーロー補正はクライマックスじゃないと発揮されない。
このままでは状況が打開されずに終わってしまう。
そんなことは許されない。展開しなければ、もっとヒーローらしく。
「格好つけるには、まず相手がいるよな……」
俺にできることなど、がむしゃらにヒーローらしく振舞うことだけだ。
そうすれば展開はついてきてくれる、そう信じて。
そして、それを一番信じてくれる相手と言えば――
「野々宮……」
善は急げ、と言うべきところかは微妙だが、ここで止まるな、明日に回すなとの予感があった。
俺は漠然とした何かに突き動かされるようにして、野々宮の家へと向かうのだった。




