7.3 聖剣伝説3 ~歴戦の英雄たち~
野々宮がペットボトル飲料の飲み方をリュミエールに教えている間、俺は聖剣へと興味を移していた。
この神々しささえ感じさせる聖剣を魔剣とまでこき下ろした勇者の想いはどれほどだろう。
兄を疑い、自分を見失うことになったきっかけの剣。確かに魔剣と言うべき代物かもしれない。
「この剣、今はただの剣なのかな?」
よく調べてみようと手を伸ばして、ふと気がかりになって訊ねてみる。
先程サトーが持っていたときは何事もなかったということは、誰でも暴走するわけではなさそうだ。
「ええ、伝説の力がない以上、ただの剣でしかありません。念のため、私は触れずに魔王に任せていますが」
ペットボトルに興味津々だったリュミエールが律義に答える。
それを聞いた俺は聖剣を手に取ってみる。特に不思議な力のようなものは感じない。
これが本来の聖剣だったとしても、不思議な力を感じることなどできやしないのだけど。
「うーん、普通の剣だな」
「わかるんですか、新藤さん」
「比較対象は王子様の剣だけどな」
「あれは普通の剣じゃないですよ……」
野々宮は呆れ気味に言うが、何も感じることがないのだから、俺にとってはどちらも普通の剣だ。
早くも興味が薄れている聖剣を元に戻し、軽く首を捻りながら提案する。
「普通の剣なら、普通に壊せるんじゃないか?」
何の捻りもない安易なアイディアを場に放り投げると、誰もキャッチすることなく静かな間が生まれた。
ここで突拍子もないことや、たった一つの冴えたやり方を思いつくようならば、俺はヒーロー候補のままではない。
自らの平凡さに天を仰ぎたくなるが、こうして積み重ねていくしかない。ヒーロー候補でも活躍できるような場面が来るまで。
「試してみるのはいいが、誰がやる?」
今まで発言の少なかったドラゲーアが値踏みするような目を俺に向けて言った。
「俺が……と言いたいが、こんな何でもない場所で鉄製の剣をへし折れるかなぁ」
「ちなみにただの鉄ではありません。聖剣は神々よりもたらされた神鉄という素材で出来ています」
リュミエールの補足説明が加わり、聖剣はより一層の強度を増したように思える。
サトーが興味深げに聖剣を調べ始めたので、後で詳しく聞かせてもらうことにしよう。
「あー、野々宮の魔法ではどうだ?」
「基本的に破壊のイメージの魔法は使えませんよ」
野々宮の魔法は感謝や願いといった想いを力の源にしている。
破壊する魔法なんてものは、魔法少女の習得範囲外なのである。
「勇者と魔王の二人は……」
「あいにく、私たちも力のほとんどを失っておりまして……」
初対面ではなかなかの立ち回りを見せていたが、聖剣を壊すとなると力不足らしい。
こうなると最後の頼みの綱は――
「サトー……」
「ふむ、確かにこの世に存在しない物質で作られているな」
「何か方法はあるか?」
「正直わからん。異世界の物を壊すとなれば、並大抵の力では不可能だろう」
その返答にがっくりと肩を落とす。
自分の頼りなさに嫌気がさして難しそうに唸っていると、サトーが沈んでいた俺の肩を掴んで引き上げた。
「シャキッとしろ、昌宏は何者だ、ヒーローだろう。諦めるのか?」
「……俺はあくまでヒーローたちのヒーローだよ、回りくどいんだ」
「ならばその"ヒーローたち"に相談してみてはどうだ?」
ハッとして顔を上げると、いつもの謎の自信に満ちたサトーの顔がそこにあった。
「回ろうと、くどかろうと、ヒーローはヒーローさ」
+ + +
この町には本当かどうか疑わしい噂が幾つか存在する。その一つが黒染仮面の噂だ。
黒く染めた包帯で顔をぐるぐる巻きにした、正体不明のヒーロー。
困っている人のところへふらりと現れては手助けをして去っていく、そんな小さな噂話だ。
そんな奴のことだ。困り果てて助けてほしいとアピールしていれば、程なく現れるだろう。
俺は町の片隅にある廃工場で、リュミエール、ドラゲーアとともに静かに待ち呆けていた。
ちなみに野々宮はバケレンジャーのアポを取るために青柳部長のところへ向かっている。
サトーは別方面から方法がないかと色々調べてくれているようだ。
しばらくぽけーっと待っていると、一陣の風が吹いた。
「どういう真似だ?」
何処からともなく、コツコツと靴音を響かせながら黒染仮面がやってきた。
「黒染! 久しぶりだな」
「……相変わらず厄介ごとに首を突っ込んでるらしいな」
「それが仕事みたいなもんだ」
顔を合わせたそばから、この減らず口。
俺と黒染の関係は友達どころか仲間とも言い難い微妙なものだが、敵では決してない。
話くらいは聞いてくれるだろうと、聖剣について説明する。
黒染はこの状況が呼びつけられたようで気に入らないのか、不遜な態度で話を聞いていた。
やがて話が終わるとつまらなそうに言った。
「つまり、俺にそいつを壊せというんだな」
「話が早くて助かるよ」
「ごねて長引くよりマシだ」
黒染の最大火力は垂直落下式ドロップキックである。
空が飛べるわけではないので、まずは高所に上らなければならない。
壁を蹴って手近な建物へ上がると、そのままテンポ良く廃工場の屋根に飛び移る。
「へぇ、身軽なものですね」
感心した様子のリュミエールとは裏腹に、ドラゲーアは睨むような鋭い目つきで剣を構えていた。
聖剣を破壊するためには、確実に黒染の攻撃を剣にあてなければならない。
地面に置いても良かったのだが、誰かが構えて受けたほうが外れる可能性は少ない。
ドラゲーアは自ら受けることを志願した。リュミエールは剣に触れることを避けているし、俺はそんなこと危なくてできやしないので妥当といえば妥当なのだが。
「おい、本当に大丈夫なんだろうな?」
「……何がだ」
「だから、間違っても黒染に切り返したりはしないよな」
「間違いでなければ良いのか?」
挑発するように口元を歪め、剣を縦にするドラゲーア。
「やめなさい」
短く鋭い制止の言葉を発したリュミエールをちらりと見て、ドラゲーアは剣を平に構え直した。
「ふん、戯れだ」
「あまり度が過ぎると、不信を買います」
「別に信頼を得ようなどと思っちゃいないがな」
その口振りからはドラゲーアが黒染に対して反撃する意思がないことが感じられた。
実際、ここまで素直についてきているし、勇者に協力しているのだから、下手なことはするわけがない。
俺にはどうも魔王ドラゲーアが何を考えて行動しているのか計りかねていた。
ひとまず、黒染もドラゲーアも準備完了した様子である。
「黒染ーっ、いつでもオッケーだぞー!」
遠目に小さく頷くのが見えて、黒染が高くジャンプする。
ぐんぐんと地表から離れていき、一転、凄まじい勢いで空から落ちる。
徐々に速度を増す黒染の姿が明瞭になるにつれて、空気を切り裂く音が耳に突き刺さる。
――――ガキィン!
黒染の脚が聖剣に達した瞬間、鈍い金属音が辺りに響いた。
剣を構えたドラゲーアが踏ん張ったまま後ずさり、わずかに膝を曲げた。
「ほぅ……」
ドラゲーアは満足気に唸るが、肝心の聖剣にはヒビ一つ入っていない。
結果は一目瞭然。作戦は失敗に終わったようだ。
「こうも手応えがないと、いっそ清々しいな」
「あまりすっきりした顔をされても困るのですが……」
リュミエールが苦笑いしながら、黒染に深く頭を下げる。
「ご協力感謝しました」
「……いや、力になれずにすまない」
素直な黒染が見られたのは貴重だが、協力させておいて気まずいことをさせてしまった。
とは言え、ここで俺がそれを指摘するのは嫌がるに決まっている。
「また、何かあったら助けてくれよ」
「……貸しにしといてやる」
そう言い残して黒染は立ち去った。
俺の知り合いで最も物理攻撃力に優れる黒染が駄目となると、選択肢は限られる。
そもそも、知り合いのヒーローなんて数えるほどしかいないのだが。
「この世のものではないオオバケブラスターなら、ぶっ壊せるかもな」
+ + +
結果は期待通りとはいかなかった。
現在の学校から少し離れた旧校舎。その中の薄暗い公会堂は一瞬とてつもない明るさに包まれたが、徐々に元の静けさを取り戻しつつあった。
「傷すらつかねぇとは、聖剣ってのはとんでもねぇな」
頼みの綱であるオオバケブラスターの放射ですら、聖剣はびくともしなかった。
幽霊戦隊バケレンジャーのリーダー、バケレッドである紅蓮は一切の躊躇も見せずに聖剣に手を伸ばした。
ドラゲーアが怪訝そうに身を引いたのでその手は空を切ったが、あまりに大胆な行動である。
「ちょっと、紅蓮。そんなことして聖なる力で成仏したらどうすんの?」
バケイエローであるコヨミさんが苦言を発すると、紅蓮は不満そうに鼻を鳴らして手を引っ込めた。
「それなら死神はっ倒して戻るまでだ」
「無茶言わないでよ」
言い合いをしている二人を横目に、青柳部長は軽く目を伏せて、申し訳なさそうにしていた。
「ごめんね。期待には沿えなかったみたいだ」
「いいえ! 無理言ったのはこっちなんです。協力ありがとうございました」
バケレンジャーの最大火力でも駄目となると、もう頼りになりそうな心当たりはない。
早くも手詰まり感が出てきた状況に何も言えず、それを察してか無言の空気が広がる。
そのとき、突然に窓ガラスが音を立てて破られ、黒紫色をした霧状のもやもやが室内に侵入してきた。
おどろおどろしい雰囲気に包まれてリュミエールとドラゲーアに緊張が走る。
しかし、バケレンジャーは納得済みのような顔で構えており、それを見て俺も何が起こっているのかを理解した。
「ふふっ、お久しぶりねぇ、バケレンジャー諸君と……あら、もっとお久しぶりのヒーローさん?」
見通せないほど濃い靄の中から、暗色で盛られたゴスロリ衣装の怪人ネクロが現れた。
彼女とは茶番の死闘を繰り広げた仲であり、二度と会いたくない敵であり――いや、やっぱり敵である。
「相変わらずさえない魂してるわね」
「顔ですらないのか」
「評価聞きたい?」
「聞きたくない」
「じゃあ言うけど、好みじゃないわ」
ネクロはニヤニヤと楽しそうな笑みを浮かべている。相変わらずいい性格してる。
恐らくバケレンジャーと戦うために訪れたと思われるが、俺たちが居合わせたために興味の矛先が変わったらしい。
値踏みするような視線を送るネクロは、ドラゲーアが手にしている聖剣でニヤニヤ笑いをやめた。
「何だかすごい呪いのアイテム装備してるじゃない」
「呪い? 聖剣だぞ、これ」
「ふーん……私には呪いの剣にしか見えないわ」
素面で語るネクロに、リュミエールが真剣な口調で詰め寄る。
「あの、その呪いについて詳しく聞かせて下さい!」
「何よ。あなたみたいなキラキラしてる子、好きじゃないんだけど……」
「教えてほしいんです、お願いします!」
リュミエールは引き下がることなく、更に詰め寄ってネクロの瞳をジッと見つめた。
あからさまに嫌そうに顔を歪めていたネクロだったが、拒否するほうが面倒臭いと思ったのか、すぐに説明を始めた。
「正確にはわからないけど、積もり積もった執念みたいなものを感じるわね。それこそ因果を歪めてしまいかねないほどの」
「それは必ず悪を打ち滅ぼすという伝説のことを言っているのでしょうか?」
「伝説……そうね、聞こえのいい言い方をすれば伝説級の環境改変能力を持った武器。悪の定義が何だかは知らないけど、定義された何かを削除し尽すまで停止しないシステムとも言えるかもしれない」
「……システム?」
リュミエールが意味をはかりかねているようだったので、俺は少し考えて言葉を補う。
「仕組み、かな。そういう風にできている、ってこと」
「……悪を滅するようにできている剣が、聖剣ってことですか」
リュミエールはそう言うと考え込むように黙り込んでしまった。
「もういいかしら? 何だか興がそがれてしまったし、今日は帰ることにするわ」
「お前、窓ガラス割っといて勝手な……」
「一般常識に囚われなくていいって素晴らしいことね」
ネクロは自由に登場して、自由に帰ろうとしていた。
俺は溜息まじりに言った。
「ったく、悪を倒す剣のどこが呪いのアイテムなんだよ」
ネクロは訪れたときの派手な演出は何処へやら、すたすたと入口へ歩いていくと、捨て台詞にしては小さすぎる声で吐き捨てる。
「勇者を伝説の駒にする剣なんて呪われてるわよ」




