7.2 聖剣伝説2 ~勇者の旅路~
その場に留まるのは目立つということで、何かあったときの恒例であるサトーの拠点に移動しての話し合いとなった。
相変わらず質素な部屋の中央で、向かい合うように俺とリュミエールが座り、俺の隣に野々宮が座る。サトーとドラゲーアはそれぞれ壁際で立っていた。
聖剣はお互いの間に置かれ、未だに不思議な存在感を放っている。
「……まずは何からお話するべきでしょう?」
「えーと、そうだな……」
二人の目的、勇者と魔王、聖剣。
何もかも気になることばかりでどこから手をつけていいかわからない。
俺が悩んでいると、サトーが言った。
「まずは互いを知るところから始めたらどうだ?」
「ん、そうだよな。じゃあ、自己紹介」
手始めに俺と野々宮、サトーの順番で素性を説明していく。
ヒーロープロジェクトや魔法少女についても話したが、そもそもヒーローや魔法少女という用語からの説明となってしまった。
すべてを理解してもらえたとは言えないが、俺たちが特殊な人間であることは伝わったようだ。
「――次は私ですね、名前はリュミエール。元の世界では勇者と呼ばれ、魔王討伐の旅をしておりました」
改めて聞くと、とんでもない経歴である。
勇者のイメージと言えば、活発な青少年が魔法使いや僧侶を引き連れているような姿が浮かぶ。
しかし、リュミエールは落ち着きのある理知的な印象で、格好も村娘のような簡素な服を着ている。
勇者というには少しだけ地味な雰囲気は拭えなかった。
「この世界は勇者も魔王もいないようですが、ご存じなのですか?」
「ああ、作り話ではよくある話なんだ。伝説の勇者が魔王を倒すって話は」
「そうですか……こちらにも、そういう伝説はあるのですね……」
声のトーンが下がり、重々しい空気がリュミエールにのしかかる。
「何か問題でも?」
「私たちは聖剣のない世界を望んで来たのです。それが、まさか……」
「ああ、いや、ゲームや小説……とにかく、本当にただの作り話でしかないから実在はしないぞ?」
「全身がゴールドでできたスライムがいる、みたいな?」
「いや、その例えは伝わんないけど」
「有名な迷信で、村人でも倒せなくもないスライムにゴールド種が存在し、倒すと一攫千金という夢のような――」
「おい」
リュミエールが丁寧に解説し始めたところに、ドラゲーアが短い言葉で注意を入れた。
魔王に突っ込まれたことが恥なのか、リュミエールはほんのりと顔を赤く染めて、後ろを一睨みしてから話を再開する。
「えー、ごほん。私は勇者として冒険の末、そこの魔王を倒し、役目を終えた聖剣を破壊するためにやってきたのです」
「正確には倒されてはいない。トドメがまだだったからな」
「……勝ったと言えばよろしいですか?」
「現時点での勝敗にこだわるならば、それでいいだろうさ」
勇者と魔王らしい仲の悪さである。
ここで野々宮が声を上げた。
「あの、聖剣って破壊していいものなんですか?」
「だよな、何かこう……使わないにしても封印しとくとか」
至極真っ当な意見を述べる俺と野々宮に対して、リュミエールは難しそうな顔で唸る。
「その剣は私にとって、魔剣と呼ぶべき代物でしたから……」
リュミエールは苦々しげな表情のまま、とつとつと過去を語り始めた。
+ + +
元々、リュミエールはただの村娘だった。
物心つく前に父親を亡くしてはいたが、優しく働き者の母親と、強くて勇敢な兄とともに三人で仲良く暮らしていた。
自らも率先して二人を手伝い、何一つ不自由など感じない幸せな日々を過ごした。
リュミエールが十五の年になった冬の夜。
いつもより冷え込みがきついので、重ねた毛布に包まって眠っていた晩だった。
ガン、と大きな物音に目を覚まし、急激な寒気を感じて起き上がると、玄関の戸が開いていた。
寒風とともに何かが家に入ってきて、それを認識する間もなく、母親の怒声が耳に刺さる。
「逃げてっ!」
ビクッと身を震わせて、母親の声と反対へ這うように動き出す。
何が起きたのかわからなかったリュミエールは、とにかく事態の説明を母親に求めた。
しかし、緊迫する状況がそれを許さない。黒く不気味な何者かが目の前を通り過ぎ、声を上げた母親に襲い掛かった。
「……勇者の子……必ず、生き……」
母親の言葉はそこで途切れた。
黒い生き物が振り返る。初めてその姿をまじまじと目にして、翼の生えた悪魔のような魔物だとわかった。
恐怖に震えて身動きがとれないでいると、駆けつけてきた兄が一閃の斬撃で魔物を倒した。
兄は動かなくなった母親に目をやり、次に縮こまるリュミエールを見た。
「……逃げるぞ、村が魔物に襲われている」
その日、人類は魔王の到来を思い知った。
各地が魔物に襲われ、人が大勢死んだ。
魔物が組織立った動きで人間たちに戦争を仕掛けてきたとわかったのは、それから数日後のことだった。
リュミエールは兄に連れられて町や村を巡り、日々を生き残るために必死に戦った。
それは魔物に襲われる各地の用心棒という文字通りの戦いであった。
腕の立つ兄の指導もあり、筋の良かったリュミエールはめきめきと力をつけた。
兄妹二人の傷心の旅路ではあったが、どこか充実したものを感じていた。
そんな二人の噂を耳にした国王がリュミエールたちを城へと呼び寄せた。
緊張した空気の中、国王は二人に衝撃の事実を告げる。
「お前たち兄妹は英雄ルクスの子である。ブライト、リュミエール。両名を勇者として、魔王討伐の任を命じたい」
母親が今際に言い残した勇者の子というのは真実だった。
記憶にもない父親。しかし、その剣の才は確かに英雄の血筋を受け継いでいた。
呆気にとられる二人を横目に、国王は一振りの剣を持ってこさせて問う。
「かつて英雄とともに失われたとされた聖剣が、つい先日発見された。魔王が現れるとき、また勇者も現れるということに違いない」
父親の形見とも言えるその剣は、異様な存在感を放っていた。
一種の神々しさ。そのオーラは伝説にある絶対無敵の聖剣、まさしくその証とも思える。
「さあ、聖剣を手にしてみよ。真の勇者であれば、聖剣は光り輝くだろう」
リュミエールは当然とばかりに兄を前に押し出した。
二人とも英雄の子供だが、尊敬する兄が真の勇者であることに疑いはなかった。
兄が聖剣を手にすると、剣は淡い輝きを放った。
それを見た国王は大きく頷くと、二人に支援を約束し、改めて魔王討伐を依頼した。
魔王討伐の旅は一筋縄ではいかなかった。数々の強敵が行く手を阻んだ。
しかし、リュミエールは挫けなかった。
聖剣を手に戦う兄と、旅の途中で仲間になった魔法使い、僧侶が心の支えになっていた。
魔法使いのルミネは朗らかな女性で、リュミエールを妹のように可愛がった。
僧侶のソラは穏やかな男性で、勇ましい兄とは異なるタイプだったが、博識で様々なことを教えてくれた。
何よりも常に前へ出て戦う兄が頼もしかった。
その背中を追うばかりでなく、隣に並び立ちたいと修練に励んだ。
「お前に負けるようなことがあっては、俺が困るな」
兄は剣の腕ばかり磨く妹に、複雑な笑みを向けるばかりだった。
旅立ってから幾つかの年月が過ぎ、魔王の本拠地が近付いた頃。
野宿をした朝のこと。身支度を済ませたリュミエールは、聖剣が不用意に投げ出されているのを見つけた。
眠る前に兄が素振りでもして忘れたのだろうか、と苦笑しながら、何気なく手を触れた。
――瞬間、辺りが光に包まれた。
ハッとして手を離すと、仲間たちがどうしたのかと集まってきた。
リュミエールもよくわからないので濁していると、兄が小声で言った。
「……あの剣には、触れるな」
リュミエールは初めて、兄へ不信を感じた。
兄の言葉の意味を考えて、考えて、一つの結論に辿り着いたとき、リュミエールは驚愕した。
(まさか、真の勇者として聖剣に選ばれているのは私……?)
だとすれば、リュミエールは聖剣の力でもっと活躍ができたはずだ。
兄の役にも立てる。魔王討伐のためにも、真の所有者が力を振るった方がいいに決まっている。
それをしないでいるのは何故だろう。兄もリュミエールが選ばれたことに気付かなかったのか。
以前はそうだったとしても、あの日の時点で剣に触れるなと言ったということは、今は気付いているということだ。
今も聖剣は兄の手にある。あれからリュミエールが剣に触れたことはない。
「どういうことなの……」
尊敬する兄への疑いが胸につかえて、息苦しくて仕方がない。
しばらく思い悩んでいたが、兄も妹も器用な性格ではない武骨者である。
ある晩、リュミエールは兄を問い詰めた。
兄は黙り込んだまま渋い顔で俯いて、やがて口を開いた。
「……ああ、知っていた。父が剣を手にしたとき、あんな淡い光では済まなかったからな」
「では、勇者は……」
「純粋な剣の腕ならともかく、その剣の力を引き出す才能を合わせて考えれば、勇者に相応しいのはお前かもしれない」
「それならば、私が……!」
「駄目だっ! お前に勇者は任せられん!」
「どうして!」
「どうしても、だ!」
それ以上の問答は無駄だった。何度聞いても、駄目だの一点張り。
次第に口数も減り、兄との距離が離れていった。
仲間たちも心配して世話を焼いたが、何をしても兄が折れることはなく、リュミエールも意地になって、関係は悪化するばかりであった。
(そんなに妹に勇者を奪われるのが嫌だというの!?)
兄がそんなちっぽけな人間ではないと信じたかった。
だが、聖剣に触れさせまいと言わんばかりに距離をとる兄の姿に、リュミエールは幻滅した。
(どうして、何で、わからない、どうすればいいの?)
頭の中をぐるぐると渦巻く陰鬱な気持ちは、心にスキマを作り、そこをつけこまれてしまった。
それは凍りついた宮殿の最上階。魔王軍幹部との戦いの最中であった。
敵は強く、仲間たちも私も疲労困憊で、兄だけが必死に立ち向かう状況。
聖剣を手に戦う兄は一方的に押されていた。
キィン!
兄は壁際に追い詰められ、聖剣を弾き飛ばされてしまった。
宙を舞う聖剣は何の因果か、リュミエールの眼前に落ちた。
今まさに、尊敬する兄が殺されようとしている。手の届く距離に聖剣があり、自分にはそれを使う素質がある。
――この窮地を脱するには、私が聖剣を使うしかない!
聖剣はまさしく伝説に残るほどの強大な力を発揮した。
魔王軍幹部はおろか、周囲の魔物という魔物を狩り尽くし、活動停止させるまで止まることはなかった。
聖剣を手に戦った間のことを、リュミエールはよく覚えていない。
気付けば敵は全滅。氷の宮殿は倒壊し、瓦礫の山が広がっていた。
ルミネとソラの姿が見えず、ボロボロになった兄だけがリュミエールを強く抱き締めていた。
「……すまない、俺に力が無いばかりに」
全身が脱力して、兄の支えでようやく立っているという状態のリュミエールの右手には、聖剣がしっかりと握られたままだった。
聖剣は魔物との戦いになると、自動的、強制的に発動した。
そのたびにリュミエールは意識を失い、兄がひたすら目を覚まし続けた。
魔王軍がそれに気付かぬわけもなく、魔物たちは執拗に兄を狙う。
しかし、リュミエールにはそれを止める術はない。魔物が接近すれば、無意識に暴れることしかできないからだ。
強敵との戦いの背後で、仮に兄が危機を迎えていても、それを助けようという発想は浮かばない。
絶望でしかない。
圧倒的な力を持ちながら、大事な人を守ることが許されない。
敵を倒すことのみを強制され、それ以外の一切を捨てなくてはならない。
兄は疲弊していった。
リュミエールは戦場でこそ深手は負わなかったが、恐怖で眠れぬ日々に精神を削られていった。
――次に目を覚ましたとき、傍らに兄はいないかもしれない。
ある晩のこと、見かねた兄が忠告した。
「眠れずとも、目を閉じておけ。休まなければ、元も子もないぞ」
「……怖いのです。目を開けたとき、何もかも、なくなってはしないかと」
頑ななリュミエールを見て、兄が不器用ながらも優しい手つきで頭を撫でた。
「お前は父のことをよく知らないだろう」
「はい、亡くなったとしか……」
「英雄ルクスは先代魔王を討ち果たし、伝説となった――それならば何故、父は帰らなかったと思う?」
「……何か理由が?」
「家族を愛していた人だ。生きていれば帰ってくるはずだ。帰れなかったのは、帰途で不慮の事故が起きたか、あるいは……」
「聖剣の力を恐れて、帰れなかった……?」
兄がリュミエールを撫でる手を止めて言った。
「父は伝説になったが、俺はお前まで伝説にするつもりはない」
+ + +
「この聖剣には正義も道徳もない。ただの暴力装置でしかありません」
リュミエールは聖剣を睨むように一瞥すると、語り疲れた様子で息をこぼした。
野々宮が鞄からペットボトルのお茶を取り出し、リュミエールに手渡す。
「良かったらどうぞ」
「ありがとうございます」
微笑ましいやり取りを横目に、険しい表情のサトーとドラゲーア。
どちらも油断のない気を放っており、話の間も隙を見せることはなかった。
勇者、聖剣、魔王。あまりに常識外れな物語だが、そんなことは慣れっこだ。
俺が考えるべきは、力の暴走に悩み、聖剣を壊したいとまで願った勇者を助けること。
今回もまた厄介なことになりそうだと思っていると、リュミエールがペットボトルのふたをつまみながら小声で言った。
「あの……これ、どうやって開けるんです?」




