1.6 推進力は義務と責任
目を覚ますと、俺の顔を覗きこんでいた野々宮が声を上げた。
「あっ、起きた。起きましたよ、サトーさん!」
何処だろう。整理された部屋というより物が少ない空家のように見える。
俺が眠っていたベッドすら、この部屋にあることの方が不自然なほど物がない。
野々宮の声に反応して、サトーが奥から現れる。手にはペットボトル。
「ただの水だが」
「……いる」
サトーから水を貰って、ペットボトルのふたを開けようと力を込める。
しかし、何となく面倒くさくなり、飲むのは話の後にしようと手を止めた。
「飲まないのか」
「……あいつが何をしてるのか、わかったんだ」
「説明できるか?」
「最初は意識を奪う攻撃だと思った。疲労感が半端なかったから。だけど、一眠りしてわかった。あいつが奪ったのは、やる気だ」
身体に残る倦怠感。
眠くもないのに起き上がれない休日のように、俺の全身から力が抜けていた。
自分がこうなったことで、あのときの子供の状況に説明をつけられそうだ。
「今、あの常識エラーはチェックできるのか?」
「可能だ」
「今日の昼と三時過ぎの反応を見てほしい」
サトーが立ち上がり、別の部屋へと向かう。
ここまで口を挟まなかった野々宮が、堪え切れないといった様子で声を漏らした。
「あのっ、すみません……私が」
「やめて。情けないから」
「……はい」
ベッドで横になっていたので、俯いた野々宮の表情が見えてしまった。
野々宮に謝らせてやれないのも俺の余裕がないからで、そのことの方が情けない。
顔の筋肉がすべて千切れたのかと思うほど、無表情で天井を見つめる。
「ここは、サトーの?」
「自宅だそうです。私も魔法を使ったら疲れちゃって、ちょっと休ませてもらいました」
「……あれ、何時だ、今」
「午後七時になるかってところですね」
外は暗くなっていた。
俺も祖母が心配しているかもしれないが、女の子である野々宮はそんなことでは済むまい。
「おい、帰った方がいいんじゃないのか?」
「そうですね、もう帰ります。でも、あれの正体も興味あるので、もうちょっとだけ」
「おい」
「家族には連絡してあります。友達の気分が悪くなったので、少し遅くなると」
家族は女友達だと思っているだろうな。突っ込むと話が込み入りそうなのでやめる。
非常に気持ちが乗らない。それでも確認しておきたいことがある。
「野々宮……魔法使えるのか?」
「今更なんです?」
「違う。使って平気なのかと言ってるんだ」
「えぇ、一休みしたので元気です」
「魔法使うたびに一休みする魔法少女が何処にいるんだよ」
俺ほどではないが、野々宮もだいぶ疲労が顔に出ている。
普段ニコニコしているだけあって、弱っている様子がわかりやすい。
「そういえば、言ってなかった。助けてくれて、ありがとう」
野々宮の気力が戻ればと言ってみたが、特に効果はなかったようだ。
「駄目か」
「助けられてませんから……」
「……誰の判断だよ」
俺がどれだけ野々宮の存在に助けられているか、わかってない。
その野々宮の存在は、刻々と薄まっているはずだ。
原因は魔法の源不足。魔法の源は魔法を使えば減るだろう。
野々宮は現在、人を助けるための魔力もろくにないのだ。
ありがとうと言われることで少しは回復するだろうが、言われなければ減る一方である。
「野々宮は俺を助けてちゃ駄目だ。ハイリスクローリターンにもほどがある」
「いいんです。そういうこと考えてたら、人助けはできません」
「……俺は野々宮を助けたいから言ってるんだ」
「私は新藤さんを助けたくて言ってるんです」
「そういうのは、優しさの押し売りって言うんだ」
俺の淡々とした拒否に野々宮が怯んだ。
慌てて別の言葉で野々宮を留めようとするが、言葉が出てこない。
どうして上手く伝えられないんだろうと後悔していると、サトーが俺を睨んでいた。
「目の前で倒れている人間に手を貸すのは優しさでも何でもない。ただの生理的欲求だ」
偽善者と悪人が大爆笑しそうな台詞を、サトーは一息で言った。
そして、何事もなかったように調べてきたことを報告する。
「昌宏。午後一時と三時、例の反応が確認できる」
「……その時間、元気のない子供を見かけた。奴の仕業だと思う」
「五月になる数時間前に現れ、各地で人間のやる気、元気を奪うモノ。軽く調べたが、この現象には名称があるようだな」
「ああ――五月病だ」
正式には適応障害とも言われ、新しい環境に馴染めないことで引き起こされることが多い。
あの名前も知らない子供の生活など知るわけもないが、もしかすると、あの元気さが周囲に馴染めない原因になっているかもしれない。
邪推が過ぎるか。一人で反省しつつ、俺は断言できる推測を口にする。
「野々宮が危ない」
やる気を奪われたはずの俺の声が、自分でも力強く聞こえた。
「……今、野々宮からやる気を奪われたら」
諦めずに足掻こうとしている野々宮の希望が潰える。
どんな絶望的な状況でも、本人が必死でいれば打開できるかもしれない。
しかし、五月病は野々宮の一筋の希望をへし折る気だ。野々宮ごと、まとめて。
「深刻に考えすぎですよ。ほら、私は諦め悪いことには自信がありますから」
「意地でどうにかなるものじゃないことは、今の俺がよくわかる」
「……だけど、五月病ですから。六月になれば」
「今、心折られて立ち直れるか? 例え、六月になって元気になったとして、無駄にした一ヶ月はどうなるんだ!?」
俺の心配して家に帰るのが遅くなるとか有り得ない。野々宮の時間は限られているのだ。
「俺なんか助けてる場合じゃないんだぞ、野々宮」
また言ってしまった。
野々宮も今度ばかりは黙っておらず、耳が痛いほどの声で叫んだ。
「私が助かるために、助けられそうな人だけを助けろと言うんですか!?」
「……ちゃんとした人助けは、野々宮や魔法界が助かってからでも」
「私は魔法少女なんです。皆を助ける魔法少女、それを目指してきたんです。最初は身近な人もろくに助けられなかったけど、少しずつ、色んな人を助けてきたんです。その中には嫌いな人だっていました。でも、困ってた人は全部助けようとしてきたんです」
「野々宮……」
「人助けを我慢することなんて、できませんっ!」
野々宮は部屋を飛び出し、遠くでバタンと乱暴にドアが閉まる音がする。
「野々宮!」
「案ずるな、すぐ追う」
「……俺も行くべきかな」
サトーは珍しく溜息をつき、優しさと厳しさを同居させた声色で、こちらを見ずに言った。
「昌宏には休んでほしいが、ヒーローには追いかけてほしい」
「……ありがとう」
「あの子に言え。無理はするな」
サトーが野々宮の後を追う。ひとまずは安心だろう。
俺はゆっくりと身体を起こし、立ち上がる。
一つ一つの動作が重い。全身が鉛になったような感覚。
急げ、なんて命令はできない。動け、それで精一杯。
「……行かなきゃ」
やる気を失った今の俺にエンジンはかからない。
それでも俺は野々宮を探しに行かなければならない。そう、行かなくてはいけないのだ。
外に出る。何処だここ。そうだ、サトーの家にいたんだ。現在地がわからない。
しかし、野々宮の居場所だってわからない。目的地が不明なら、現在地が不明なところで問題はない。
「……走らなきゃ」
自分に言い聞かせるように、足を前へ、前へと踏み出す。
やる気のない俺がここまで頑張れる理由を、ポジティブな言葉で表現することはできない。
今の俺の原動力は、義務感と責任感。
俺は野々宮を助けるのでもなく、助けたいのでもなく、助けなきゃいけない。
自信も熱意もないヒーローに助けられる野々宮には悪いけど。
「助けたい……違う、助けなきゃいけないんだ!」
誤魔化せ。間違えると動かなくなる。
しばらく走るうちに、見覚えのある建物の並びを見つけた。
ここからなら、自宅と高校と公園までの道がわかる。
考えるまでもなく、公園へと走る。
これが偶然ではなく必然なら、ヒーローとしての道筋なら――いた。
「野々宮っ!」
「……新藤さん?」
野々宮は公園のベンチに座っていた。
こちらを向いてくれなかったので前へと回り込むと、野々宮の顔には目を擦った跡があった。
「起きて大丈夫なんですか?」
「……悪かった」
「……何がです?」
「俺は野々宮に何もさせずに守ろうとしてた。格好つけたかったんだ。けど、格好つけるところを間違えてた」
野々宮は真剣に俺の話を聞いてくれている。
優しく、辛抱強く、魔法少女を続けてきた少女をこんなに怒らせて、心配させて。
俺は世に溢れる熱血ヒーローのように、馬鹿野郎だ。
「野々宮を追いやって。野々宮が見てないところで格好つけようとして、俺は何がしたいんだ」
「ははっ、男の人ってそういうところ、ありますよね」
野々宮の笑顔につられて、俺も思わず吹き出してしまった。
「なぁ、サトーは?」
「えっ、会いませんでしたよ。私も迷って、ここに着いたので」
きょとんとする野々宮。
しかし、すぐに追いかけたサトーと会わずに、ここまで来られるはずがない。
サトーも野々宮を見つけられないはずがない。
やはり、偶然が捻じれている。
「……展開にヒーロー補正がかかり出してる」
「えっ?」
「サトーの家を飛び出したとき、格好つけすぎたか」
こうなったら、俺は舞台を降りることはおろか、休憩すら許されない。
勝利までの一本道を駆け抜けることができなければ、補正なしで戦場に投げ出されることになる。
ヒーロー補正。ヒーローらしく、格好よくあればあるほど、勝利を引き寄せる奇跡の能力。
そんな奇跡の領域へ、自分の格好よさだけで挑むとか。塩ビパイプより無謀だろう。
「気をつけろ、昌宏!」
サトーの声がする方向。
最悪の色合いが夜に紛れて揺らめき、青白い街路灯に照らされている。
まともに立つこともできていないサトー。ここまで来たのは、義務感か、ヒーロー補正の演出か。
とにかく、野々宮を狙い、サトーまで傷つけた敵が目の前にいる。
たかが五月病と誰が言えよう。敵性を持つ五月病は単純な魔物より性質が悪かった。
やりたくない、枯渇したやる気。やらなければならない、溢れる強制的な己への束縛。
俺は一歩、前へと踏み出す。
「野々宮。俺はこれから、精一杯格好つける。援護してくれ!」
「わかりましたっ」
「あと、見とけ!」
「ええ、一番近くで!」
その声援を背中に、俺は駆け出した。