7.1 聖剣伝説 ~伝説のはじまり~
聖剣。
伝説に認められた勇者だけが手にできるその一振りの剣は、闇を切り裂き、悪を打ち払う。
人間が魔王に対抗する唯一の術であり、国民ならば村の子供でさえも知っている勇者の証。
魔王という名の歴史の中で幾度となく人類を脅かしてきた強大な敵に、何度も打ち勝ってきた絶対なる救済。
そのような伝説の武器を手にした勇者が魔王と戦ったのだから、敗北するはずがないのだ。
いつの世も、いつの時代も、いつの世界でさえ、人々の希望を受けて立ち上がった正義のヒーローに負けはない。
この魔法が存在する一つの世界も、勇者と魔王によって一時代の終結を迎えていた。
「……はぁ、はぁ……とどめを刺さないのか?」
魔王は肩で息をしながら、立ち上がることも出来ずに視線だけを訝しげに勇者へと向けた。
魔竜族の特徴である硬い鱗は剥がれ落ち、二本あった角は片方が折れている。激闘の傷跡は生々しく残され、今にも倒れる寸前であった。
しかし、魔物とは肉体の損傷だけでは計れない生命力を持つ。
持って生まれた魔力の器が満たされれば、死の淵から蘇ることも不可能とは言い切れない。
それを考えれば絶命させないことは勝者の愉悦でしかなく、勇者がそんなことをするとは魔王は思えなかった。
「……頼みが、ある」
勇者は今にも崩れ落ちそうな身体を必死に支え、声を振り絞っていた。そう、勇者とて無事ではない。
たった一人で魔王に挑んだ勇者の肉体と精神は、限界を超えて弾け飛ぶ寸前だった。
「頼みだと?」
世界の脅威を生かしてまでする取引など、あっていいはずがない。
そもそも、魔王は何を言われようと承諾する筋合いはないし、そのつもりは微塵もなかった。
果てしない死闘の結末に勇者が平和を唱えようものなら、そんな唾棄すべきエンディングは殺されても御免だと思った。
勇者は剣を床に投げ捨て、侮蔑の視線を向けた。
その見下すような目に魔王は苛立ったが、すぐにそれが自分に向けられたものではないと気付いた。
そして、勇者の一言は瀕死寸前の魔王に衝撃を与えた。
「聖剣を破壊したい」
勇者は滅ぼすべき魔王と契約し、聖剣を破壊する為に、この世界と別れを告げた。
数日後、空っぽとなった魔王城が確認され、報告を受けた国は魔王の討伐が成されたと宣言する。
消え去った勇者は伝説通り光とともに旅立ったのだとされ、世界に平和がもたらされた。
勇者の悲痛な願いは、誰も知るよしがなかった。
+ + +
段々と夏の名残も遥か遠くへと過ぎ去り、秋の訪れを如実に感じさせる十月の頃。
過ごしやすくなった季節に身体はのんびりと弛んでいたが、精神は張り詰めっ放しだった。
この一ヶ月の間、俺は椎野華子による『誰にも不満を抱かせないギリギリを攻め続ける好感度獲得大作戦』を実行されていた。
事あるごとに好意を示されるが、あくまで押し付けずに思わせぶりな態度をとり続ける。
事情を知らない並の男子なら瞬く間に陥落しかねない恐ろしい威力であった。
そして、最大の障害である野々宮千恵への融和政策も凄まじいらしい。
「とんでもないですよ、椎野さんは」
隣で愚痴をこぼす野々宮は、珍しく疲れた顔をしていた。
「新藤さんの過去の活躍を知りたいとしつこく言ってきて、私が断り切れずに話してあげると、嬉しそうに聞いてるんです」
「どうしてそこで折れちゃうんだよ」
「一回や二回ならともかく……何も悪くない椎野さんのお願いを何度も断り続けられますか?」
「断り続けて無限ループに陥った男がいることを忘れたか」
「強情ですよねぇ」
「誰の為だと」
少し笑い合いながら、野々宮はまた溜息をつく。
「今日も逃げるように教室を出てきたんですから」
「どうりで姿が見えないと思ったよ」
一緒に帰宅しているのはいつものことだったが、ここ最近は椎野から逃げ回る野々宮を見つけてからの帰宅となっていた。
どうやら俺を攻略するより、野々宮を先に落とそうという腹づもりらしい。将を射んと欲すればまず馬を射よ、ということか。
「それで何度か話してるうちに、椎野さんが嫌いになれなくなっていって」
「まぁ、性格的にそうなるだろうなぁ」
「しかも、椎野さんって憧れちゃうほど素敵なんです。一つ一つの仕草がドキッとするというか、魅力的で、なんかこう……好きになりますよね」
「浮気か?」
「違いますよっ!」
両手をわきわきとさせながら、行き場のない感情を持てあますように告白する。
「新藤さんが困っちゃう気持ちがわかるようで困っちゃいます」
「言っとくけど、俺は野々宮を裏切ることはないからな」
「……夏休みに数日会えないだけで、野々宮分が切れますもんね」
「なっ、どこでそれを――あいつ、てめェ!」
バラしたであろう椎野の顔を思い浮かべると、本人の顔が目の前にはっきりと浮かぶ。
「やっほー、お二人さん」
しかも、幻聴さえ聞こえる。って、そんなわけあるか――
「椎野っ! また、無駄に力使いやがって」
「だってー、ヒロ君もノノちゃんもつれないからー」
華子は寂しいと死んじゃうんだよ、とわざとらしく小首を傾げてみせる椎野は、呆然とする野々宮の頭を撫でながら、愛猫を構う悪の女幹部みたいな笑みを浮かべた。
椎野は事件以降、時間を操る能力を失ったと思われたが、実は二十一秒間の時間停止能力が残っていた。
幼い椎野が能力の発現を抑えたので開花することはなかったようだが、時間を修正した僅かなズレがそのまま能力として椎野に残ったらしい。
悪影響がないのかと心配になったが、椎野本人が大丈夫だと気にしていないので、俺からはそれ以上の追究はしていない。
「二人の恋路の邪魔にしか使わないって約束するし」
「はい、そうですか、ってなるかー!」
俺の怒鳴り声に意識を取り戻したのか、撫でられるがままにされていた野々宮が椎野の手を払いのけた。
「もう、その自由奔放な振る舞いはどうにかできないんですか?」
「ムリかなー。恋敵にリードを奪われてる以上、正攻法は厳しいけど、抜け駆けは立場上苦しいというか、罪悪感があるし……ドン引きされるくらい直球勝負しかないよね」
「何だか、どこかの王子様を思い出して、扱いがぞんざいになってしまうんですよねぇ」
野々宮は言外にアルバート王子の扱いが雑であることを示しながら、やれやれと目を伏せた。
彼女らのやり取りはここ数日でお決まりとなっており、仲良くなるのは喜ばしいことだが、どうにも心が乱されるばかりだ。
特に椎野がこういう態度を取っているのは、俺の態度がはっきりしすぎているせいだろう。
実際に野々宮がいないところで絡んでくる抜け駆け染みたことはしないし、椎野のバランス感覚というか、気遣いには逆に気が滅入る。
「ん、どしたの? ヒロ君」
「何でもない」
椎野華子。
俺にとってはどんな敵より厄介な味方であると言わざるを得ない。
「あのね、古今東西、何でもないって言った人でホントに何でもなかった人はいないんだよ?」
「椎野の未練がましい片思いがやりきれないなんて、本人を前に言えないさ」
「言ってる言ってるぅ! ……やりすぎた?」
ここでブレーキ踏んでくるから、俺も野々宮も突っぱねきれないんじゃないか。
「今更、これくらいで気にするかよ」
「……ありがとっ! また明日ね!」
椎野はぶんぶんと大きく手を振りながら、笑顔で走り去っていく。
やがて姿が見えなくなると、野々宮はふぅと小さく息をついた。
「そのうち、新藤さんが情に絆されないか心配です」
「俺は野々宮が先に陥落しないか心配だ」
それからはお互いにたいした会話もなく、それでいて穏やかな時間が流れた。
ここで別れ道、というところで立ち止まって話し込むのは毎度のお約束で、それもそろそろおしまいの頃、野々宮がふと空を見上げた。
「何だか、平和ですよねぇ」
「いいことじゃないか」
「だけど、新藤さんは何もなさすぎても困るのでは?」
「別に仕事じゃないんだから、なくても死にはしない」
むしろ、ない方が死ぬ可能性が低い。
俺は野々宮に訊ねる。
「どうしてそんなこと聞くんだ?」
「いやぁ、自分の身辺が落ち着いて、改めて新藤さんのヒーロープロジェクトに疑問を持ったっていうか」
「疑問?」
「未来……かどうかもわからない世界を救うヒーローを生み出すため、新藤さんはフラグを立てにヒーローやってるわけじゃないですか」
野々宮の解釈に俺はとりあえず頷く。
そう実績作りのような言い方をされると不服だが、実際にそういうことである。
「しかも、その中でも誰かを助けるヒーローを助ける、なんて面倒臭いことしてるじゃないですか」
「……うん」
「縁の下の力持ちってレベルじゃないですよ! どんだけ縁の下に潜り込めば気が済むんですか!」
「そんなこと言われても」
縁の下の力持ちだって、力持ちでなければ意味がない。
だから、ヒーローに憧れたのであって、主役になりたかったわけではない。
「『実は……』的な隠された血統とか、前世とか、裏設定はないんですか?」
「そんなもの――」
「そんなものなどない!」
俺が否定するより先に何処からか現れたサトーが声高らかに否定した。
「偶然身に付けたヒーロー補正の能力以外は、ただヒーローに強い執着を持った普通の男の子に過ぎん!」
「その通りだけど、お前に言われるとムカつくんだよ――何持ってんだ、お前」
サトーの唐突な登場には慣れっこだが、その手に『剣』が握られてるとあれば話は別だ。
抜き身のまま、切っ先を地面に擦りながらサトーが近づいてくる。腰元まで及ぶ剣の刃渡りは六十から七十センチほどはあるだろう。
刀身は白銀に輝き、柄には紋章のような装飾が施されている。不思議とパワーを感じさせるその剣は独特の存在感を放っていた。
「どうした、それ」
「すぐそこで拾った。昌宏の装備に相応しいと思ったのだが……」
「銃刀法違反で捕まるわ! 元あった場所に戻してこい!」
「なっ、この子に捨て剣になれと言うのか!?」
「捨て猫みたいに言うな!」
俺がサトーと言い合っていると、野々宮が横でぼそっと呟いた。
「でも、こんなの捨てて子供が拾ったりしたら……」
「うっ」
もっともなことを言われて言葉を詰まらせる。
俺は良い案が浮かぶでもなく黙り込んでしまい、サトーはコホンとわざとらしい咳払いをして言った。
「冗談はともかく、こんな物騒な物を放置するわけにもいかん。そもそも、現代日本に剣が落ちているだけでも不自然すぎる」
「そ、そうだな……まずは調べないと――っ!?」
不意に人影が素早い動きで面前を通り過ぎ、サトーの持っている剣を奪い取ろうと突進をかました。
とっさのことで野々宮を庇うのに精一杯だったが、サトーは涼しい顔で一撃をかわし、険しい面持ちで相手を見据えていた。
「何者だ?」
相手はサトーの問いかけに答える素振りを見せず、自らの拳を握っては開いて感触を確かめていた。
「……転移で力を使い果たしたか」
厳つい顔をした四十代くらいの男。黒のレザーコートを羽織り、身のこなしは素早く、重い。
剣を狙う理由も言動も謎だが、明らかにこの世界の常識が通用しない雰囲気だった。
「その聖剣を返せ、下等生物」
「聖剣? そんな綺麗なものの持ち主には見えないが?」
「黙れ。余計なことに首を突っ込むな」
男は話し合いは嫌いらしく、再びサトーへ拳を叩きつけようと身を捻る。
そんな暴挙を見過ごすわけにはいかず、俺は野々宮を遠ざけると、二人の中に割って入った。
ぐっと気合いを込めて、相手のパンチを受け止めて耐えきる。
「俺が相手だ」
「……この世界の人間もなかなかに楽しませてくれる」
格好つけてみたものの、相手は正体不明で敵意剥き出しである。
久しぶりにハードな戦いの予感に気を引き締めていると、視界の奥から全速力で近づいてくる女性が見えた。
「き、さ、まああああああぁぁっ!!」
「ぐおっ!?」
その女性は速度を緩めることなく、勢いのままに男を殴りつけた。
背はすらりと高く、身体は華奢で、顔立ちも可愛いと言うよりは美人で凛々しい。
そんな外見からは予想もつかない会心の一撃は、男を地に伏せさせた。
「転移早々、剣を落としたなどと失態を犯したかと思えば! 何を現地人に接触、あまつさえ戦闘にまで及んでいるんだ!?」
「いや、取られたものを取り返そうとしただけだ」
「拾っていただいただけだろう! 貴様は力で奪うことしか知らないのか!」
「知らん」
男は驚異的な回復力で既に身を起こし、開き直った態度で女性の言葉を聞き流していた。
ひとしきり口論、というより一方的な説教が続いた後、女性がこちらに向き直り、頭を下げる。
「まずは謝罪を。迷惑をかけてすみません」
「……いいけど、結局、何者なんだ? その剣は一体?」
女性はしばらく考え込むように黙っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「私の名はリュミエール、こいつはドラゲーア――いわゆる、勇者と魔王です」




