6.6 魔法少女がいない街
その瞬間は刻一刻と迫っていた。
日付が変わる直前まで、二人は緊張感もなく、他愛もない話を続けていた。
「二人きりのシチュエーションなのに、盛り上がらないね」
「飽きるほど一緒にいたからな」
誰が見ても明らかに無理をしている風だったが、それを指摘する者はいなかった。
そして、そのときは訪れた。
イベントの来ない八月三十一日の末、世界は停止した。
九月になることもなければ、新しい八月末が繰り返されることもなかった。
空間は凍りついたように流れを止め、歯車が軋むが如く鈍い音が辺りに響く。
「これは一体……?」
事情もわからずに初めての展開に困惑していると、隣で起こる異変に気がついた。
「椎野?」
まるでストップモーションのように静止した椎野がそこにいた。
恐る恐る触れてみると、液晶パネルに直接触れたかのように表皮が歪んだ。
何が起こったのか理解できないでいると、今まで何もなかった空間から声をかけられる。
「観測者である私以外、この狭間の世界では動けないんだよ、ヒロ君」
まさに突然としか言いようがなかった。
声とともに出現したもう一人の椎野は、ゆっくりとした動作で近づく。
「だから、君が動けることはイレギュラーだけど、嬉しいな。久しぶりにこうして話せるから」
「……お前は、この事態を説明できる椎野なのか?」
正直、これっぽっちも状況は把握できなかった。
繰り返すでもなく、終わるでもなく、謎の狭間の世界とやらにいる理由が知りたかった。
何よりも目の前に存在する椎野は何者なのか、教えてほしかった。
「まぁ、わかってると思うけど、何もかもの原因は私だよ」
「……そんなあっけらかんと」
緊張で張り詰めた空気が霧散していくようだった。
「すべてのはじまりは、そう――登校初日に寝坊した私は、流石にまずいと思って過去へ飛んだの」
「ちょっと待て、自分の意識で飛べるのか!?」
「そうだよ、本来はね」
明け透けなものの言い方に警戒心が薄れていく。
朝寝坊の為にタイムリープするなんて、なんと下らない理由だろう。
せっかく黒幕の雰囲気を纏って登場したというのに、椎野はどこまでも椎野のままだった。
「だけど、慌ててたものだから一日も前に飛んでしまったの。まぁ、夏休みが一日増えてラッキーと思ってたんだけど……その日を境に次の日へ進めなくなった」
「……どうして?」
「わからない。急激な能力の低下としか考えられないけど、原因不明だった。そんな私を助けてくれたのが、貴方だった」
椎野はふと遠い目をして、何かを思い出すようにしていた。
「ふらふらと生きてきた私が、初めて真剣に、一緒に向き合ったのが君だった。だけど、君には野々宮さんがいた。取り戻せない時間が二人の中にはあった。それが悔しくて、どうしようもならないはずの時間を――取り戻そうとしてしまった」
細く長く息を吐いて後悔するように目を伏せる椎野に、俺は何も言えなかった。
ただただ語られる真実を受け止めるだけで精一杯で、その衝撃は今までのどんな敵よりも重くのしかかった。
「私を好きになるまで世界を回し続けるなんてわがままを、私は外側で眺め続けた。まるで子供の頃、時計の針をずっと眺めていたみたいに素敵な時間だった」
「……止める気はないのか」
ようやく絞り出した言葉に、椎野はぱちくりと目を瞬かせる。
「まだ私に頼もうとするなんて、怒らないの?」
「問答無用で成敗するような柄じゃないんだ」
「ふふっ、君のヒーロー観好きだよ、優しくて。でも、女の子には残酷だね、諦めきれなくって」
くすくすと笑いながら椎野は溜息をついて首を横に振った。
「止められなかったよ。自分で言うのもなんだけど気まぐれな性質だから、後悔してなかったことにしようとしたけど、どうにもならなかった。やり直しがきかないって、こんなに大変なことだったんだぁー、って思った」
「普通はそういうもんだ」
「うん、そうだよね。結局、可能性を夢見て見守ることしかできなかった。何度繰り返しても結果は出なくて、ループ中の私は荒んでったけど」
椎野は停止したままのもう一人の椎野に近づくと、観察するようにじろじろと見回す。
「私と出会わないなんて選択肢があったんだね……それを私自身が選ぶほど、この子は君のことを思っていたんだね」
まるで他人のような口ぶりに違和感を覚える。
しかし、そのことを言及するのは躊躇われた。椎野自身のアイデンティティに傷をつけることになる気がした。
そんな考えを巡らせていると、急に身体が動かなくなった。
あまりに突然なことで驚く暇もなく、ぽかんとした表情のまま固定された。
「まだ私の知らないルートがあった。次なら上手くいくかもしれない」
視線の外で椎野が呟いていた。
俺は椎野が俺の動きを止めたのだと気付き、嫌な予感がした。
「――野々宮さんと出会わなかった、そんなルートなら」
「なっ!? ま、っ」
一瞬だけ身体の感覚を取り戻し、待て、と叫ぼうとしたが叫べなかった。
椎野は驚愕の瞳でこちらを見ていたが、すぐに寂しそうな笑顔を浮かべて言った。
「君の力には本当に驚かされるよ……って、わっ、悪役みたいな台詞だね?」
まぁ、悪役だよね、と零した椎野は真っ直ぐと俺の目を見つめた。
「どうしようもない私だけど、その"私"は嫌わないであげて」
+ + +
私は、戸惑っていた。
飽きるほど繰り返した夏の日がまた訪れて「あぁ、またか」と諦めにも似た感想で昌宏君に会いに行った。
そこには何千回、何万回と同じ姿、同じタイミングで彼がいた。
だけど、何となく違った。それが何か、すぐにはわからなかった。
「どうしたの、ヒロ君?」
「……あの、凄く失礼かもしれないけど、いつどこで会いました?」
記憶喪失。違う、ヒーロー補正喪失、かな。
今回の昌宏君は記憶が維持されておらず、私のことを覚えてはいなかった。
もしかすると、あの一度だけ突破しかけた日の影響かもしれない。
結局、わけもわからないうちに失敗したみたいなのだけど。
「私はタイムリーパー。ヒロ君とこの夏を突破すべく、何度も今日を繰り返してきた時間跳躍者」
私がお決まりの台詞を言うと、昌宏君は面倒な予感がしたのか、困惑気味に眉をひそめた。
何度も見た表情、何度も見た光景。
――また、一緒に繰り返しちゃおうかな。
私は慌てて頭を振って意識をはっきりさせる。
危ない、またぬるま湯に浸って時間を浪費するところだった。
「さぁ、今日こそ九月へ向けてレッツゴーだよ!」
私は無理やりテンションを上げて、説明もなしに昌宏君を引っ張る。
「おい待て、展開についていけないんだが、自己紹介くらい……」
「今更、イヤなの! 椎野華子、ほら覚えて」
「シイノ、カコ……」
「カコちゃんって呼んでねっ!」
このままノリと勢いで面倒な説明をすっ飛ばそうと思っていると、昌宏君が異議を唱えた。
「ちゃん付けは勘弁してくれ」
「じゃあ、呼び捨てでいいよ」
「……華子?」
「えっ」
頑なに私の名前を呼ぼうとしなかった昌宏君が私を名前で呼んだ。
私の中で何かが引っかかったが、そういうことを深く考えるのは得意ではない。
「う、ううん。華子でいいの。いいんだけど」
考えるのは好きじゃない。
流されるまま、気ままに生きて、上手くいかなければやり直して。
それで何となくこれまで来た。それでよかった。
「本当にいいのか?」
彼の問いかけが偶然なのはわかっていた。
それでも追及されているようで、ついつい反発するように口を尖らせた。
「そんなことより、ちゃんと明日が来ないと、また野々宮さんと会えないよ」
「何だ、まだ新しい奴が出てくるのか?」
あれ。
「嘘でしょ、野々宮さん知らないの? 野々宮千恵、魔法少女の!」
「……クラスメイトにそんな名前の子がいたような気はするが、魔法少女?」
昌宏君は嘘をついている様子はなかったし、そんなことをする必要がない。
つまり、野々宮さんのことを忘れている――ううん、知らない世界なんだ、ここ。
それは私にとって最も強力な恋のライバルがいない世界。
「チャンス、でいいのかな」
+ + +
どこか腑に落ちないまま、昌宏君とループ解消のために奔走を始める。
その日々は楽しくて、いつまでも続けていたくて、眩しかったけど、何か違和感があった。
その正体に気付けないまま、私は夜の校舎の屋上で昌宏君に告白していた。
「私、あなたのことが好き」
私は知っていた。
ここで告白したところで、昌宏君には野々宮さんを理由に断られる。
しかし、野々宮さんは彼の記憶の中にいない。
それなら答えは変わるんじゃないか。
「……華子は、俺なんかでいいのか」
「いいに決まってるでしょ。何回、コクったと思ってるの?」
「何でキレ気味なんだよ」
夏の終わりを感じさせる乾いた風が吹いた。
このループ現象が崩壊する予感がした。
私の予感はよく当たる。伊達に感覚だけで生き延びてきてない。
しかし、同時にぞくぞくとした言い知れない感情が湧き上がる。
このまま進むと引き戻せない。それは時間を操り、時間に縛られてきた私特有の感覚。
「待った」
そう、この状況に待ったをかけられるのは、時をかける私だけだ。
考えろ、考えるんだ。流されるままになってはいけない。
本当に昌宏君が好きならば、わけのわからないまま得られたチャンスに乗っかってはいけない。
それは一緒に繰り返して、必死に考え抜いてくれたこれまでの彼を否定することになる。
――いいの?
何が。
――これで、ホントにいいの?
いいよ、両思いじゃん。
――あなたが好きになったのは、ホントにこの人なの?
私が好きなのは、必死に人の為に頑張ってくれるヒーローのような彼。
疲弊して、磨耗して、信念すら消された彼ではない。
だけど、こうでもしなければ彼は振り向いてくれない。
どうすればいいの。
――あなたはヒロ君をどうしたいの?
わかんない、わかんないよ。
こんなに一緒にいたのに、一度も本気で考えてなかった。
――どうして考えなかったの?
だって。
「考えれば考えるほど、ヒロ君は野々宮さんが好きなんだってわかって……」
――ならば、何も考えずに流れるままを受け入れればいいじゃない。
でも。
――ようやく、そういう流れになったんだから。
「でも、相手のことを考えない恋愛って、それもう違うよね。愛じゃない」
――そうかも、しれないね。
答えは簡単だった。考えればわかることだったのに、考えようとしなかった。
このループしている時間の中では、可能性は万に一つも有り得ない。
不確定な未来に進まない限り、真の意味で私の望みは叶わない。
恋は盲目なんて言うけれど、まさか手遅れになる直前まで気付かないなんて。
だから、いつまでものんきに停滞していてはいられない。
未来へ行かなきゃ。格好いいヒーローのヒロ君を連れて!
「ごめん、無し! 今の無し!」
「えっ!?」
「今のヒロ君は答えないで! 明日でならたくさん言って! 好きって言って! きっと、言ってくれないけど!」
「な、何だよそれ」
「いいから、急いで過去に戻ろう。このままだと、不完全な明日が来ちゃう」
「過去? 戻る? 一体何を……」
私は問答無用で昌宏君の手を掴むと、サトーさんのタイムマシン部屋を目指して駆け出した。
昌宏君は難しい顔をしていた。こういうとき、なんて言えばいいんだろう。
ヒロインどころか、悪役になりかけた私にはよくわからないけど。
「ヒーローたるもの、目指すはハッピーエンドだよね?」
この先の展開は私にとってのハッピーではないかもしれないけど、バッドでもないかもしれない。
でも、昌宏君なら、きっと何かしらの形を示してくれると思うから。
私は信じて走り続ける。
そして、その横をスピードを上げた彼が追い抜いた。
「当たり前だろ、"椎野"。それがヒーローってもんだ!」
ああ、私のヒーローが覚醒した。




