6.4 タイムマシンはルーム式
同じ景色、同じ時間。
何千回と繰り返したシーンをまた目にしている。
「私はタイムリーパー。ヒロ君とこの夏を突破すべく、何度も今日を繰り返してきた時間跳躍者」
椎野が律儀に喋るその台詞を何度耳にしたのか、俺には見当もつかない。
しかし、俺の中の揺ぎ無い意志が途方もない時間の積み重ねを物語っている。
「もう百回か二百回は言ってるんだよ? ヒーロー候補さん?」
「……いいや、数千回は言ってくれたはずだ。タイムリーパーさん」
繰り返すたびに積み上げられたヒーローの意識が、ここでようやく芽吹いた。
「ありがとう、期待通りだね」
「待たせて悪いな」
「いいよ、ヒーローは遅れてやってくるもんだしね」
さぁ、ここからが今日の始まりだ。
+ + +
「と、意気込んだはいいものの、何をどうすればいいかはわからないんだよなぁ」
「ちょっとちょっと、格好つけておいてそれはないんじゃない?」
「椎野はすっかり俺に協力してくれるのな」
「まぁ、もういい加減に飽きたし、ヒロ君とクリスマスデートもしたいしね」
好意を隠す気などさらさらない様子の椎野は、俺の腕を取るとぎゅっと抱き寄せた。
俺はそれを丁重に引き剥がし、嬉しそうな椎野に言い聞かせる。
「この真夏の炎天下でやることじゃないし、対応に困るのでやめてくれ」
「うん、わかった! えへへ、このドン引きでもパニックでもない、ちょっと余裕を残してるけど、ドキドキが隠せないいじらしさが萌えるよねー」
「本人への萌えポイントの解説も困るのでやめて下さい」
明らかにテンション高めの椎野を連れて向かうのは、サトーの本拠地だ。
俺はこれまでのループ現象をすべて記憶しているわけではない。あくまでループをしているんだ、という認識と印象的だった出来事だけを思い出として覚えているだけだ。
その中であまりにも不自然に触れてこなかった人物がいる。
野々宮とサトーである。
俺と関わりが深い二人なのに、一度もその姿を見せないというのはおかしい。
確かに野々宮には余計な心配や負担をかけたくはないし、サトーに相談するのは何となく最後の手段にしておきたい気持ちがある。
とは言え、ここで意地張って無限ループに陥るわけにはいかない。覚醒した以上、無理にでも展開をこじ開けてやる。
「椎野はサトーに会ったことないんだよな?」
「話したことはないね。色々と手助けはしてくれたことあったけど」
「手助け?」
「モルディブ行ったときとか」
そういえば、そんなこともあったな。
「あとは、外宇宙の地球シミュレータを二人で破壊しに行ったときとか」
「知らないぞ!?」
「ホント? 旧支配者たちと戦うヒロ君は格好良かったなぁ」
今後の周回で記憶が維持されたまま、そんな展開に突入されるのは御免だ。
これからの行く末がなるべく平和でありますようにと願っていると、ほどなくしてサトーの家に着いた。
椎野はサトーの家を見るなり「倉庫じゃん」と言い放ったが、外観は倉庫なのでまっとうな感想である。
「まぁ、入れば普通だよ。サトー、来たぞー」
チャイムもインターホンもないので、入り口で声を上げてサトーを呼ぶ。
前もって連絡は入れたし、あいつなら何も言わなくても出るべきときに出る。そういう男だ。
「遅かったじゃないか、昌宏」
「連絡してから五分も経ってないけど」
「いいや、実に三一五六回ぶりの再開だ」
サトーの言葉に驚いたのは俺だけではない。
椎野もまた、隣でぽかんとした表情を浮かべて何も言えないでいる。
そんな俺たちをよそに、サトーは平然とした顔で家の中へと入っていく。
「外は暑いだろう。飲み物を用意するから、中でくつろいでいるといい」
そのまま引っ込むサトーを追うようにして、俺たちは家へと上がり込んだ。
しばらく待っていると麦茶が出されたので、ごくっと一気に飲み干した。
「知ってたのかよ!」
一息ついたところでツッコミを入れると、サトーはうむと頷いた。
「正確には気付いたのだ。世界の管理値がバグったのかと思うほど膨れ上がっていたのでな」
「何だそれ」
「未来での記録上の数値だ。元の世界がゼロと規定し、そこから変化した数を加算している。例えば、ヒーロープロジェクトを行う前がゼロで、行った後が一みたいなものだ」
「それ変えちゃっていいものなのか?」
「あくまで管理番号に過ぎん……それが一万を超えるとなっては無視できないがな」
「一万!?」
「ああ、記録では今日が一万回目の八月三十一日だ」
実数値を出されると実感がなくても驚愕の域である。
そんな想像も及ばない数の一日を繰り返して、世界や椎野は大丈夫なのだろうか。
「サトー、今はどういう状況なんだ? ヤバイのか?」
「実を言うと、あんまりヤバくはない。世界は平和そのもので、安定している。昌宏のヒーロー補正がかかりにくかったのも、それが原因だろう」
「いやいや、一万回も日にちが進まないのは十分にまずいだろ?」
「世界が破綻せず、崩壊もしないで永遠を繰り返す。ある意味、恒久的な平和と言えよう」
「サトー!」
「無論、世界レベルでの話だ。個人的に言えば、こんな状態が続くのはいかんともしがたい。協力は惜しまないつもりだが――」
サトーは真っ直ぐな視線を椎野に向けると、問い詰めるように切り出した。
「椎野華子」
「あっ、はい。何?」
「君が昌宏を巻き込み、ループを繰り返したことを反省しない限り、全面的な協力はできない」
「おい、サトー。椎野だって巻き込まれてるんだ、そんな言い方はないだろ」
サトーの珍しく批判的な言葉に俺が反発すると、諭すような口調で返された。
「……昌宏はつい数時間前まで、野々宮千恵に会う明日を楽しみにしていたはずだろう。その機会を何度も奪われたことに憤りはないのか?」
「そんなの、だって、仕方ないだろう?」
「仕方ない、だと?」
「そうだ。ループの原因が椎野で、解決方法が椎野を好きになることだとしても、それを否定し続けたのは俺だし、椎野だって強制終了できる力なんてないんだ」
どうしようもないことを後悔したところで、何の解決にもならない。
そう思ったのだが、サトーは厳しい表情のまま、再び椎野に問いかけた。
「君は……覚えている限りでいい。昌宏が野々宮千恵に向ける信頼を考えたことはあるか? 昌宏への罪悪感をどれだけ持っている? 反省の念は本当にないのか?」
同じような問いかけではあったが、先程よりは丁寧に訊ねる姿勢に、俺は一旦様子を見ることにした。
椎野は眉を寄せて考えているように見せてはいたが、あまり何も思いつかなかったらしく、諦めたようにいつもの調子で言った。
「私はヒロ君が好きだし、そればっかりで他のことは気にしないことにしてた。でも、流石に新しく何かがないと駄目だって思うし、このままじゃ駄目だとも思ってる」
「……それは、昌宏のことを考えているということか?」
「……ん? ヒロ君のことを考えるのは当たり前じゃん」
あっけらかんと答える椎野に、サトーは少しだけ肩の力を抜いたようだった。
「君は時間に関する概念が薄い。それ故に無限ループにも耐える精神構造を持つのだろう。だから、はっきりと言っておく、矛盾や後悔に直面したとき、過去に逃げるのではなく、考えてほしい」
「……わかった、心得ておくよ」
その言葉にサトーはようやく普段の雰囲気を取り戻して、俺たちに一つの鍵を手渡した。
「これは奥にある部屋の鍵だ。このループ現象を根本から解決する、文字通りの鍵となるだろう」
「そういうのはいいから、その部屋に何があるんだ?」
フッと小さく笑ったサトーは、堂々とそのワードを言い放った。
「タイムマシンだ」
「タイムマシン?」
現実離れした言葉に思わずオウム返しで答えてしまう。
ピンと来ない俺に対して、椎野はすぐに思い当たる何かがあったように口を開く。
「もしかして、無理やり九月一日にワープするつもり?」
その発想はなかった、と感心するが、サトーは即座にそれを否定した。
「いや、それではループ現象自体の解決にはならない。ループが起こった以上、条件を満たして終了させるか、ループ突入を回避するしかない」
「条件を満たすって……椎野を好きになるってことだよな?」
「私はそれでもいいよ」
「よくない。もう一つの突入を回避するってのは、どういうことなんだ?」
「ループ発生自体を起こさなければいい。自然発生したものではない以上、その原因を取り除けばいいだけだ」
サトーは何処からかホワイトボードを取り出すと、矢印を描いて説明を始めた。
「この大きな下向きの矢印が時間の流れだ。ここで八月三十一日が繰り返している」
大きな矢印の中ほどに、八月三十一日と書いて、横にぐるぐると渦巻きを書く。
「だから、そのループを抜ける方法を探してるんだろ?」
「ここでタイムマシンがあれば、こういうことができる」
渦巻きが発生するより上の位置に、分岐した線を書き足す。
そして、そのまま下方向へと矢印を伸ばし、最後に九月一日と締めくくる。
「ループ条件が達成できないのであれば、分岐すればいい」
「……お、おお! サトー、ありがとう!」
「何、手段を示したに過ぎん」
そういうサトーは渋い顔をしていて、一瞬、何かに迷いながらも忠告をした。
「……昌宏、これは諸刃の刃だ。時は残酷なほどに規律正しく、格好つける隙すら無いかもしれない。例え、己の望まぬ結末に突き進んでいたとしても、決して諦めてはいけない」
「何言ってんだよ。俺ほど奇跡や魔法を信じてきた奴もいないぞ?」
「……そうだな。それでいい、絶対に忘れないでくれ。いついかなる時も、俺は昌宏の味方だ」
「ああ、わかってる」
少し過剰とも思える心配の仕方だったが、サトーが言うことは大体合ってる。
絶対に忘れないし、肝にもたくさん銘じておいてやる。
サトーがくれた希望だ。これでシナリオは加速する。
無限にも似た時間を駆け抜けていこう。終着地点までぶっ飛ばしてやろう。
これからは忘れない。幾らでも付き合ってやる。
そう、これからは忘れられない。幾らでも付き合わされるのだ。
+ + +
タイムマシンの部屋の鍵を回すと、大層な部屋のわりにいとも簡単に開いた。
中には装置の類は一切なく、狭苦しいロッカールームのような空間があるだけだった。
「なんか……思ってたのと違う」
「サトー、これのどこがタイムマシンなんだよ」
「この部屋自体が、だ」
サトーは俺たちにもう少し進むようにと促すと、振り向いてドアの内側を指差した。
「これが操作パネルだ。時間を入力すれば、設定した時間のここにつながる」
「ここって……この家か?」
「そうだ。どんな時間軸の俺も、昌宏に協力することを約束しよう」
「俺と知り合う前のサトーでもか?」
「勿論だ。ただ、この家に常駐しているわけではないので、いなければいないで気にせずに使ってくれ。特に昌宏と知り合う前はいないことが多い」
頼もしいことだが、何とも胡散臭い話だ。
しかし、サトーやヒーロープロジェクトに関するあれこれは既に気にしないことにしてるので、今はいい。
俺はタッチ式の操作パネルに触れて、数字を何となく入力する。
「……あんまり大昔にはいけないんだな」
「影響範囲を考慮して、プロテクトがかかっている。今回の件に関しては、二人の出生日時より前に行く必要はないだろうから、問題ないだろう」
「いや、流石に俺の生まれた日に行く気はないけど」
とりあえず、八月三十日を設定してみる。
「まずは試してみないとな、過去に行けなかったら元も子もないし」
「それもいいが、昌宏。あまり猶予はないぞ」
真剣な顔でサトーが言う。
「何でだよ。何回だってループするんだから、諦めない限りは永遠だろ?」
「時間的なことではない、精神的なことだ。ヒーロー補正だって無限ではない。むしろ、疲弊して擦り切れる前に何とかするんだ」
「わ、わかったよ」
悪戯にループを繰り返してスペースオペラや恐怖怪奇なルートに入ったら嫌だし、早めに何とかしよう。
「昌宏、後はしっかりな」
「ああ、ありがとう」
サトーが部屋を後にして、俺はタイムマシンを起動する。
一瞬、部屋全体が揺れたような気がして、すぐにパネルの現在時刻が八月三十日に変化した。
「あっという間だったね」
「ああ、本当に移動できたのか?」
恐る恐る部屋を出ると、そこには半袖半ズボンで冷却シートをおでこに貼ったサトーがいた。
「……サトー?」
「なっ、昌宏!? 何故その部屋から……いや、説明の前に着替えさせてくれ。見苦しいところを見せたな!」
「見苦しいっつーか、暑苦しいよ」
つい数秒前まで格好よく見えた男がこうなるとは、時間って残酷だな、と思った。




