6.3 失恋はデジャヴ
「私はタイムリーパー。ヒロ君とこの夏を突破すべく、何度も今日を繰り返してきた時間跳躍者」
椎野の言葉を咄嗟に理解できなかった俺は、ぽかんとしたまま口を開けずにいた。
「もう大体百回は言ってるんだからね。ヒーロー候補さん」
「……覚えてないな」
椎野は小さく微笑むと、余裕たっぷりの表情を浮かべた。
「いいよ、教えてあげる。忘れんぼうなヒロ君」
+ + +
突然現れた少女、椎野が言うには、この世界は八月三十一日を繰り返し続けているらしい。
それを認識しているのは椎野ただ一人だけで、俺はいまいち実感のない展開に困惑していた。
椎野の案内してくれた古風な喫茶店でループ現象について話し合ったが、やがて話題も尽きて、あてのない会話が続くのだった。
「椎野は原因とか思いつかないのか?」
「うーん、わかんないよ。あんまり考えるの好きじゃないし」
「だからって、このままじゃ駄目だろ」
「……でもさぁ、このままで誰が困るの?」
椎野はわざとらしく腕を組むと、口を尖らせて唸った。
「だってさぁ、世界が繰り返してることに誰も気付かないんだよ? 私が飽きる以外に困る人っている?」
「……気付かなくても、明日が来ないのは嫌だと思うけど」
「だから、そのイヤって気持ちも次の今日には覚えてないじゃん」
一理あるように聞こえるが、問題があることを知らなければ、それは問題にはならない、みたいな考え方は納得がいかない。
何より今の俺は世界がループしていることを知っている。
それならば解決しなければ気持ち悪いというか、ヒーローの性というか。
「知ったからには何とかするさ。それが知らずに過ごした俺たちに対するけじめだと思う」
「知らずに過ごしたヒロ君たちは、君に感謝しないと思うけど」
「感謝してほしくてヒーローやってんじゃないよ」
誰かを助ける存在がゆえに助けてもらえないヒーローたちを救うため、俺はヒーローになりたい。
それなら何度も過ぎ去ってしまった八月三十一日の俺を助けることも、俺の信念に合致するはずだ。
「それに俺は明日が来ないと困る。九月に約束があるんだ」
「偉そうに。女の子とデートに行く約束でしょ、それ」
「なっ……知ってるのか!?」
「いつか聞いたよ。あーぁ、今日は何かつまんないの」
椎野は不満気に机に突っ伏すと、盛大な溜息をついて外に顔を向けた。
俺はというと、過去のうかつな俺に人知れず怒りをぶつけていた。
なんで知り合って間もない女の子に、別の女の子とののろけ話をしているんだ、俺は。
どういう状況だと、そんな展開になるのか教えてほしい。
「今日はこんな感じで終わりだね」
事実、その日は大した成果もなく終わった。
そして、それを知るものはただ一人しかおらず、それを憂うものは一人としていなかった。
+ + +
この真夏の太陽のように眩しい笑顔を向けてくるひまわり娘は、何度も八月三十一日を繰り返しているのだという。
何とか協力してやりたいのだが、俺の知らないところでループしていると言われても対処しようがない。
いや、どうにかなるとすれば、俺のヒーロー補正しかないだろう。
しかし、誰に格好つければ時間が元に戻るというんだ。
「俺の経験則から言うと、こういう展開は謎を解けば脱出できるはずだ」
「ふーん。でも、その謎ってどんなの?」
「例えば、怪しい人物が裏で糸を引いていたり、忘れていたこと、やり残したことを見つけてあげたり……」
椎野は俺の話に相槌を打ちながらも、目線は目の前のイチゴサンデーにがっちりキープしたままで言った。
「実質、会って一日の私たちの敵って誰? やり残したことって何?」
「うっ、それはだな……」
「この繰り返しの中でただの一回も遭遇してないなら、ほぼ無いに等しいよね」
「見てないだけで、無いとは言い切れないじゃないか」
苦し紛れに反論すると、椎名は含みのある笑みを浮かべた。
「まだ、チャンスはあると思う?」
「俺はあると思ってる。でも、椎名にも信じてほしい」
「私に?」
「だって、この世界で唯一チャンスを信じ抜けるのは椎名だけだ」
本人はのほほんとしたものだが、時間ループを解消するには、唯一の観測者である椎野がキーマン――キーウーマンに違いない。
実際、彼女がこのループの鍵を握っているに等しいのだから、もっと本気で考えてほしいものだ。
そう考えての発言だったのだが、椎野はどうも納得のいかない表情だった。
「なんだよ、その顔」
「別に。ヒロ君が信じてるって言うなら、私も信じてみようかな」
椎野は空っぽになったパフェのグラスを指で弾くと、その振動の音に乗せるような声で言った。
「好きです。付き合ってください」
突然すぎて、一瞬、意味がわからなかった。
「えっ、どこからそういう話になるんだよ」
「チャンスはあるかも、って言ったじゃん」
「それは、この事態を解決するチャンスってことで、そういう……ってか、え、俺のこと……」
「好きだよ。面倒だろうけど、ちゃんと答えてほしいな」
その後、俺は好きな奴がいることを話し、自分なりに誠実に断った。
そいつと九月に約束をしているからこそ、ループなんて終わらせたいし、八月を続けるわけにはいかないということも話した。
「やっぱりね」
そして、知った。
椎野が俺のことを好いてくれていて、それを何度も何度も断っているということを。
「何度も同じ理由でフラれるんだもん、滅入っちゃう」
伏し目がちな椎野の瞳は酷く冷め切っていて、淡い期待に応えられない罪悪感を湧かせた。
「それなら、私はこのまま永遠とヒロ君と一緒に繰り返すしかないって思うな」
そして、気付いた。
「だって、このループはヒロ君が私を好きになってくれるまで終わらない」
やっぱり、この展開は俺を中心に回っていて、俺が格好よく決めるしかないのだ。
――どうやって?
「……ごめん」
何度も裏切るような真似をしてごめん。ヒーロー面で偉そうなことを言っといて役立たずでごめん。いつも初対面の俺に付き合ってくれてごめん。大事なことをいつも忘れてごめん。
何より、また今回もループしてしまって、ごめん。
「知ってた」
端的に答えた椎野の顔は、酷く笑顔だった。
+ + +
「私、あなたのことが好き」
夜の校舎の屋上。
月が綺麗だねと呟いた椎野はロマンチックに台詞をつないだ。
せめて、形だけでも学校に通いたいと言った椎野とともに、今日は学校で一日を過ごした。
意外と夏休みでも人はいるもので、興味本位に椎野のことを訊ねられてドキドキさせられたが、単純に明日からの転校生だと説明すればよかっただけだった。
ただ、その説明が素直に受け入れられたか不安である。
無事に明日を迎えられたとき、俺と椎野の関係がややこしいことになってなければいい――なんて思ってたのだが。
「ヒロ君?」
椎野は孤独だ。
数え切れないほどの八月三十一日を繰り返し、過ごし続けて、今もこうしてここにいる。
その心情を理解することはできないだろうし、実際に何を考えているのか読めない性格をしている。
「ヒロ君のこと、好きなんだ。ずっと前から……って言い方はおかしいけど」
彼女が俺に好意を向ける理由がわからなかった。
これは自惚れでも何でもなく、今の俺には理由がわからない。
きっと、これまでの一日のいつかで、俺と椎野に何かがあったのだろう。
その積み重ねた心情の差異が、この告白を受け入れられない一因となっている。
「……嬉しいけど、俺には――」
「野々宮さんがいるんでしょ」
知ってた、と言わんばかりの即応ぶりに面食らってしまう。
きっと、実際に知っていたのだろう。こうして断られたのも、一度や二度ではないはずだ。
「……なんで、椎野は俺に告白してくれるんだ?」
俺が断ることを知っていて、それでもどうして好きと言ってくれるのか。
「自分のことを好きだと言ってくれない人を好きになるのは、いけない?」
「いけなくはない……けど」
断られるかもしれないと思いながら告白してくれる相手を拒否するのは、苦しい。
そこに幾ら誠実さを込めたとしても、相手が乗せる想いは変わらない。
むしろ、はっきりと返せば返すほど、椎野の心を重くするだろう。
それは何となくわかる。でも、これだけは譲れない。
「俺は野々宮がいる限り、その告白は受けない」
「……だよね。でも、可能性は信じてみたいんだ、私」
椎野は遠くの誰かを思い出すかのように、夜空の果ての星を見つめて呟く。
「だって、この世界で唯一チャンスを信じ抜けるのは私だけ……だから」
俺はその台詞に少しだけ照れを感じて、つい目を背けた。
「恥ずかしい台詞だな」
「受け売りだけどね」
それを言ったのは誰だったのか、なんて野暮すぎて聞けなかった。
+ + +
「最近、ヒロ君……焦ってる?」
「え……?」
駅のホームで電車を待ちながら、椎野が何とはなしに訊ねてくる。
俺たちは今、俺のことを好きだという椎野が提案した『カコちゃんの魅力発見ツアー』に出かけている。
正直、椎野のことは嫌いではない。だからといって、彼女が言うような恋仲になることはできない。
この旅もお互いの気持ちの整理や、何かのきっかけが掴めればいいと思って付き合っている。
「最近って何だよ?」
「ああ、ごめんね。ここしばらくのヒロ君は冷めてるっていうか、疲れてる感じがして」
「……疲れるも何もないだろ」
この世界は八月三十一日を繰り返している。
それを知っているのは椎野だけなのだから、俺には疲弊も何もあったもんじゃない。
しかし、ヒーローとしての焦燥感はあるかもしれない。
いい加減に何もできない自分に嫌気が差してきたところだ。
何とかして椎野を救ってやりたいところなのだが――
「なぁ、俺が椎野を好きにならなきゃ、ループは終わらないのか?」
「うん。きっと、そう」
「確証はないんだろ?」
「でも、タイムリーパーの直感が言ってる。それが条件に違いない、って」
どんな条件だ。誰が設定した、そんなの。
「これまでに一度くらい、椎野の告白を受けた俺はいなかったのか?」
「いなかったよ。私が素直に好き好きアピール始めても駄目だった」
「どんだけ強情なんだ、俺」
「じゃあ、私のこと好きになってよ」
「……そういうことじゃないだろ」
「ふっ、これだよ」
呆れ気味に笑う椎野は、手にする缶コーヒーをぐびっと口に運んだ。何か荒んでないか、お前。
「思ったんだけど、嘘でもいいから私と付き合ってみない?」
「はぁ?」
「そこから始まる恋もあるかもよ? 無事にループが終われば、改めて発展させるか考えるってことで」
「そんな世界を騙すみたいなノリは嫌だよ」
「……はぁ、そう言っちゃうヒロ君も嫌いじゃないけどね」
椎野は飲みきったらしい空き缶を捨てに行き、俺の隣に戻るなり言った。
「やっぱり、変わった気がする」
「……何が?」
「私とヒロ君」
ホームにあと数分で電車が到着するというアナウンスが流れる。
俺は椎野の次の台詞を待ったが、なかなか続きが来ないので、自ら切り出した。
「椎野はともかく、俺の何が変わるんだよ」
「うーん、一日の展開が早くなってる気がするんだよね」
「それは椎野が積極的になったからだろ?」
「そういうことじゃないんだよねぇ。確かに私も変わったんだけど」
いまいち納得がいかない様子の椎野。
感覚的な問題でしかなく、俺には何のアドバイスもできそうにない。
「そういえば、私と話すの慣れてきてるよね?」
「そりゃあ、ループだとか、好きだとか、あけすけに言われちゃあな」
「確かに私の言い方でヒロ君の反応も変わるんだろうけどさ」
話が終わらないうちに電車がやってきた。
別に話題を切り上げる必要性はないのだが、この話はここで終わるだろう。
それがお互いに長々と過ごしてきた日々においての暗黙の了解というか、空気感なのである。
――何故だろう。俺も自分に違和感を覚えた。
「あのさぁ」
電車のドアが開く直前、椎野が不意に言った。
「もしかして既視感あるの?」
+ + +
椎野華子。
その名前を知るはずはないのだが、やけに耳に残るその名前に俺は安心感を覚えた。
唐突に切り出されたタイムリープという話もすんなりと入った。
「どうかしたの、ヒロ君」
「いや、何でもない。ちょっと変な感じがしてさ」
「ん、この服おかしい?」
「……まぁ、夏休みに制服って意味で言えばおかしいな」
「じゃあ、似合ってる?」
「まぁ、似合ってるよ」
「えへへー、言うようになったねぇ」
嬉しそうな椎野を横目に、俺は妙な感覚に包まれていた。
繰り返される八月三十一日に対しての理解度や納得感。
これは最早、前提となる下地があったとしか思えない。
度重なるループによって、俺にもとうとう役目が回ってきたのだろうか。
しかし、繰り返される時の中で、俺が積み重ねてきたものは何だ。
「今日のヒロ君、やっぱり変だね」
「椎野」
「ん、なぁに?」
「これまでの俺って何をしてきた?」
「ひたすら私のフラグをへし折ってた」
「ぐっ……」
恨みがましい視線を向けられて思わず怯むが、椎野はすぐに顔を綻ばせる。
「そのくせ、私の好感度は上げまくるし、ポンといい台詞吐いちゃうし――格好よかった、かな」
その言葉で、俺の中の違和感が消え去り、確信が生まれた。
俺は俺すらも知らないうちに格好つけていたのだ。
何度も、何度も繰り返しながら、少しずつヒーローらしさを見せていた。
俺の中のヒーロー補正はいつでも、いつまでも輝きを失わずにいてくれた。
「椎野」
「だから、なぁに?」
「次の俺には期待しててくれ、絶対に裏切るような真似はしない」
俺が断言すると、椎野は驚いたよう目を見張る。
「そんなこと言っていいの?」
「いいさ、ヒーローは期待を裏切らないものだ」
「ふーん……私の告白は裏切るのに」
「そ、それはヒーローとは別カウントだろ!」
とにかく、と前置きして、俺は椎野に宣言した。
「これからは俺も一緒に信じてやるから、一緒に明日を迎えよう」




