6.2 八月が永遠に続けば
八月三十一日、午前十一時。
自称タイムリーパーである椎野華子に突如として絡まれ、俺は夏休み最終日を捧げることとなった。
まずは彼女が俺を知ってる風な理由。そして、そもそも何が起こっているのかを詳しく聞きたいのだが――
「教えてあげるとは言ったものの、私だって上手に説明は出来ないんだけどね?」
椎野はごめんねと首をすくめて、両手を合わせる。
俺は親しげな対応に戸惑いつつも、事件解決に気持ちを切り替えようと頭を振った。
「まぁ、俺も上手に理解してやる自信はない。とにかく、暑いから屋根のあるところへ行こう」
「さんせーい!」
再び図書館への道のりを歩き出すと、椎野が少し遅れて動き出し、小走りで追いつく。
「図書館に行くの?」
「あぁ、言ってなかったな。そのつもりだ」
「オッケー、私も図書館ルートは好きだな」
椎野の言葉に不可解なものを感じつつも、そのさらりとした言い草にはつっこむ気が起きなかった。
ただの言葉遣いの乱れとしか思わず、特別な認識は持てなかったのである。
「椎野、って学生だよな。学校で見た覚えはないけど」
「当然だね。引っ越したばかりで、明日から転校生デビューだから」
「じゃあ、どうして制服なんか着てるんだ?」
「だって、服選びがメンドーなんだもん」
たびたび挟まる違和感は、俺と彼女の繰り返してきた日常の差だろうか。
「まぁ、何かあれば聞いてくれ。わかることなら何でも答えるから」
「うーん、頼りにさせてもらうけど……ちょっといい?」
隣を歩く椎野が不満気に声をあげる。
「今から説明することだけど、私は何度も八月三十一日を繰り返してるの。何パターンも、何パターンも……数え切れないくらいにね。だから、自己紹介しなくてもヒロ君のことは結構知ってるし、学校や町のことも知ってるんだよ」
そう言った椎野は寂しそうに目を伏せる。
先程までの明るい第一印象からは想像もつかない表情に罪悪感がこみ上げる。
「何か……悪いな。俺は椎野のこと、わからないのに」
「慣れてるからいいよ。でも、一つだけお願い聞いてくれる?」
「ああ、何だ?」
「名前で呼んでほしいな」
突飛な願いに思考が揺さぶられた。
「……知り合って間もない女の子を名前で呼ぶのは、ちょっと」
なんというヘタレ。少々、自己嫌悪に陥っていると、椎野は小さく笑っている。
「そっかぁ、今回は駄目かぁ」
「……俺が椎野を名前で呼ぶパターンもあるのか?」
「あるよ?」
随分と浮ついた俺もいたものだ。きっと、数千分の一で発生するレアパターンに違いない。
現時点の俺ならば、椎野のことを名前で呼ぶことはありえない。
野々宮でさえ、名前で呼べないというのに。
「他のお願いにしてくれないか?」
「えー、じゃあ、図書館じゃなくてカフェとかがいいな」
「……カフェ?」
「うんっ。おしゃべりするのに図書館は迷惑でしょ?」
カフェなどというオシャレスポットに心当たりはないが、図書館で話をするのは良くないというのは一理ある。
意外、と思うのは失礼だが、椎野の常識的な意見に感心した俺は、悩むことなく彼女のお願いを承諾した。
「わかった。でも、急にカフェなんて言われてもな」
「任せて。この辺りは詳しいから」
「……引っ越したばかりなのにか?」
「だから、ループの中でカフェにも行ったことあるんだってば」
ややこしい話だと困惑しつつも、行き先を椎野に任せて後をついていく。
はたして椎野の説明で理解できるだろうかと不安になる。
時間モノのSFなんて難しい話と関わることになろうとは――
「……いや、サトーがいたか」
俺のそばには胡散臭い未来人代表のような男、サトーがいる。
タイムリーパーのことを相談するにはもってこいの人物と言えなくもないのだが。
すぐ頼る気にならないのは意地というか、何というか、複雑な感情がある。
俺はヒーローを助けるヒーローになる為に頑張っているというのに、サトーに助けられては三重構造になってしまう。
それでは、サトーがヒーローになってしまう上に、重荷を背負わせてしまう。
「ねぇ、変な顔してどうしたの?」
どうやら、難しい顔で考え込んでいたらしい。
椎野がきょとんとした瞳で覗き込みながら訊ねてくる。
「何でもない、早く行こう」
「ふーん、まぁ、いいけどー」
あまり深く気にする様子もなく、椎野は視線を前に戻した。
初対面では馴れ馴れしく、人懐っこい性格かと思ったのだが、結構さっぱりとしたところがある。
どうにも会話のテンポが掴みづらいが、時が進めば印象も変わるだろう。
俺にとって椎野華子は、数十分前に出会ったばかりなのだから。
+ + +
椎野の言うカフェとは、昭和の香り漂うレトロな喫茶店だった。狭いテーブル席が一つとカウンター席が数席並ぶだけの小さな店だ。
妙に甘味のメニューが充実しているのは、店主の趣味だろうか。
「カフェなんて言うから、てっきり……」
「想像と違った?」
「並木通りに面したオープンスペースに、ウッドテーブル、色とりどりのパラソルが並び、出されるメニューはロハスでオシャレな――」
「ヒロ君はこじらせすぎだね」
椎野は目の前にそびえるトロピカルマンゴーパフェをスプーンでつつきながら笑った。
俺はそのパフェのインパクトに慄きながら、アイスコーヒーを口にした。
「それで、何から話してくれるんだ?」
「うんっとねー、まずは現状から話すと、私は八月三十一日という一日を何度も繰り返してるの。わりとシャレにならないくらい、何度もね」
「何回くらいなんだ」
「数えてた記憶が数十年前だからぁ……わかんないや、あはっ」
「……本当にシャレにならないな」
「でしょう?」
同じ日を数十年分も繰り返すなんて、想像を絶する経験だ。
ループ期間が十年間と仮定しても、ざっと三千回を超える日々になる。
それを経て、今こうして話している椎野の心情は一体どうなっているのだろう。
平然としているように見えるが、不安に押し潰されたりしないのだろうか。それとも、そんな感情はとうに過ぎ去ってしまったのだろうか。
「原因、なんて、わかるわけないよな」
「きっかけなんて忘れたよ。だけど、ヒロ君に会う日だもの。君に関係してると思うな」
「俺のせいかよ」
「君のせいだよ」
何故か不敵な笑みを浮かべながら、椎野はパフェを丁寧に崩していく。
「始まりは大体同じで、私がヒロ君に出会って、ループについて話す。そこからはループ解消のために色々と試す。でも、結局は何も変わらずに一日が終わる」
「何か、試してないことはないのか?」
「思いつかないよ。ヒロ君は?」
突然、そんなことを訊ねられても返答に詰まる。
椎野は読めない表情のまま、こちらを見つめている。
「急に言われても困るな……」
「無理に考えなくてもいいけどね」
「えっ、どうして」
椎野の突拍子のない言葉に驚いて、思わずこぼれた間抜けな声が空間に転がる。
どういう意味かと考えている間に、抑揚の乏しい声で解答が加えられた。
「考えてもいいけど、ヒロ君のアイディアがやったことあるやつなら、覚えてる限りで否定していくよ?」
一本調子なその言葉には、淡い期待も感じさせない力強さがこもっている。
同じ一日を無数に繰り返したからこそ、不自然なほど穏やかな無表情で、淡々と微笑むことができるのだろうか。
俺にこのループ現象を解決する手立ては思いつかないし、糸口すら掴めない。
それならば、俺にできる手助けをしよう。この椎野を助けるための精一杯のヒーロー活動をするのだ。
「よしっ、無駄でも何かやってみよう。幸い、時間はたっぷりあるようだからな」
「あと一日だけど?」
「そう考えると急がなきゃいけないな」
繰り返される時間に希望をすり潰されてしまった少女。
その数え切れないほどの中のたった一日だけでも、特別に楽しく過ごせたなら、それは彼女の希望となると信じている。
「椎野は何がしたい? 何でも言ってくれ」
そう言った瞬間。
椎野の目がこれまでと明らかに違う輝きを見せた。
「あーぁ、言っちゃったねぇ、そのワード」
「な、なんだよ……」
妙な気迫に押されて思わず席を立つと、椎野が身体を寄せて、ぐいっと腕を掴んだ。
「海も山も遊園地も行き尽くした私に……何でもいいと、言ったね?」
「おう……」
不用意な発言だったと後悔が押し寄せるが、必死に心の中でなだめる。
相手は膨大な時間を消費したタイムリーパー。退屈が日常と化した存在なのだ。
男が一度、何でもいいと言ったのならば、決して二言は許され――
「私、モルディブ行ってみたい」
許して。
+ + +
数時間後、モルディブの水上コテージにて。
「何でも言ってみるもんだな……」
「ごめんね、ちょっと反省してる」
海上のベランダに並ぶデッキチェアに身体を預けたまま、静かに揺れる海面の月光を眺めていた。
俺たちの行動は迅速かつ全力であった。最早、ループを前提とした経済活動を行い、後先を考えない移動経路で結果を得た。
怒涛の展開をハイテンションで駆け抜けて、何故か心地よい疲労感とともに今こうしてだらけている。
まるで時間が止まったかのように錯覚してしまうが、まもなく一日が終わろうとしていた。
「時差がある場合、一日の終わりっていつ来るんだ?」
「気にしない気にしない。いいようになるんだから」
「おいおい」
「なんてゆーか、タイムリープする側の観測が曖昧なら、パラドックスは発生しないんだよ」
俺のいまいちハッキリしない顔に気付いたのだろう。椎野は少しの間、考える素振りを見せると口を開いた。
「時の流れを感知してるのって私なわけでしょ? その私がパラドックスに気付かなければ、パラドックスにはならないの。そして、私はこういう性格だから、あんまり気にしないの」
「それでも矛盾に気付いたら?」
「あくまで無視。最悪、ロールバックして矛盾を解消するんじゃないかなぁ……きっとね」
「なんか、適当だな」
「人間の感覚でしか観測できない時間が、正確に刻まれてるとは限らないでしょ」
「信頼なくすわ、そんなの」
「あははっ、だねー」
本来はおしゃべりをしている場合ではないのだが、こんなところでは他に何もしようがない。
時間ループの最中とは思えないほど、のんびりとした時間を過ごしてしまった。
ある意味、これ以上にない贅沢な時間の使い方である。
「こんな時間を忘れてしまいそうなロケーションで、時間について話し込むなんてなぁ」
「私は好きだよ、時間談義。時間を無駄にしてる感が特に好き」
そう無駄と言い切られてしまうと、心の中でどうにかしなければという気持ちが湧いてくる。
同時に、どうにでもなれという自棄な気持ちも混在している。
こういった時間に揉まれているような感覚は、正体不明の不安に襲われて好きになれない。
「このまま、こうしていたいね」
ぽつりと、隣からそんな台詞が聞こえた。
「それは困るだろ」
「だよね」
そして、互いに無言になる。
椎野の複雑な感情を、その奇妙な間が物語るようで、俺は不穏なものをそこに感じた。
「時間が止まればいいと思ったことはある?」
「……どうかな」
「私は無いんだ。代わりに、永遠に流れ続ければいいと思ったことはあるよ。
子供の頃、時計の針を眺めるのが好きだったんだけど、お母さんが時間の無駄だって怒るの。
時間が無限にあれば、時計の針を眺めてても怒られないのになぁー、って思ってた」
唐突な思い出話を始める椎野は、ジッとこちらを見つめていた。
星と海しかない景色でもなく、何処か遠い目をするでもなく、隣にいる俺の目をただ見ていた。
「……椎野は、ループを終わらせたいんだよな?」
そんな疑問が口をついて飛び出した。
「いつ、私がそんなこと言ったかな」
そして椎野は当然というように、俺の思っていた前提を覆した。
「ヒロ君が終わらせたがってるから付き合ってるだけで、私はそんなに嫌じゃないよ、これ」
「……そんなわけないだろ。永遠に続く時間なんて、嫌に決まってる」
「言ったじゃない。子供の頃の夢だって。まさか、本当になるとは思ってなかったし、ちょっとは飽きてきたこともあったけど」
椎野はうっとりと見惚れるかのような瞳で、満面の笑顔を俺に向けた。
「あなたが好きだから、いつまでも一緒にいたいから。私はこのままで構わない。
それでもループを終わらせたいというのなら、別にいいよ。だけど」
まくしたてるように椎野は言った。
「きっと、このループはヒロ君が私を好きになってくれるまで終わらない」
暗転。
一日が終わり、世界は繰り返す。




