5.11 貴方は私の……
崩壊が着々と進む魔法界のお城で、世界を救おうとする両者は戦っていた。
一方は魔法少女、野々宮千恵。理想を信じる純粋な想いを魔法と成す者。
一方は魔法大臣、ブラッド。理想を見限り、純粋な力だけを魔法と成す者。
どちらも世界の危機を解決したいという考えは同じであり、手段も間違いではない。
でも、理想を掲げた方が格好いいじゃないか。
ただそれだけの話。
そう、それだけの愚かしい意地なのかもしれないが、ヒーローの生き様を知った野々宮には、決して諦められない意地だ。
「よく耐える……流石に長年、魔法少女を務めてきただけのことはあるか」
「諦めの悪さには自信がありますからね……」
「しかし、限界だろう」
これまで幾度となく、魔法と魔法のぶつけ合いを繰り返し、お互いに消耗していた。
しかし、元々の基礎魔力が違うのだ。乏しい魔力で戦う野々宮の方が限界の訪れは早かった。
「ここに至っても、諦めないだとか、信じるという言葉で乗り切るつもりか?」
「いけませんか?」
「それで敗北を喫するとしても?」
「負けません」
毅然とした野々宮の態度に、ブラッドは小さく息を吐いた。
「そんな答えは思考停止でしかない」
「自分と違う判断だからって決めつけないで下さい。ちゃんと考えたんです」
野々宮が魔力を溜め始める。そうしなければブラッドの簡単な一撃すら相殺できなかった。
そんな状態でも諦めない彼女をブラッドは哀れに思いながらも、非情な姿勢は崩さない。
「……そろそろ終わりにしてやろう」
「私は……諦めない。諦めちゃいけない。私の中に宿るありがとうと、これまでの魔法少女人生を裏切れないっ!」
「……まるで女王の我が侭を聞いているようだ」
野々宮は杖を構えて防御態勢を取るが、ブラッドはそれを遥かに上回る攻撃魔法を展開した。
「その理想に殉ずる覚悟だけは褒めてやろう。終わりだっ!」
その瞬間、ブラッドの背後から凄まじい勢いで迫り来る気配があった。
振り返ったブラッドは、ギラリと光る剣筋を捉えて、咄嗟に魔力を防御へと費やした。
そして、ようやくその存在の正体に気付いたとき、激しい怒りを覚えた。
「小僧……」
ヒーロー、三度目の参上である。
+ + +
「誰が女王様だ。野々宮は可愛い可愛いお姫様に決まってるだろ」
俺はそんな戯言を口にしながら、野々宮の前へと陣取る。
野々宮は俺の登場に驚いていたが、やがて何かを諦めるように、それでいて安堵するように微笑んだ。
「最後まで一緒にいてくれるんですね」
「当たり前だ……って言う暇すら、くれなかったけどな。我が侭プリンセス」
「わ、私は魔法少女ですってば!」
軽口を叩き合い、少しでも希望を持つように明るく振舞う。
これが俺たちの戦闘スタイル。根が卑屈なところはあるけれど、理想を捨てきれない俺達のヒーロー像。
「……剣まで持ち出して、騎士の真似ごとか?」
「新藤さんは騎士じゃありませんよ」
ブラッドが皮肉るように吐き捨てると、野々宮は溜め続けていた魔力を解放し始めた。
しかし、それは防御魔法でも、攻撃魔法の為でもない。
野々宮の魔法らしい、あやふやなのに何処となく温かみのある、理想の具現化である。
「新藤さんは、私の――王子様ですからっ!」
その台詞とともに弾け出した魔力が、眩い光となって俺を包む。
「……何だ。何をしたと言うのだ」
「さぁ、何をされたんだろうな?」
「……何でも構わん。今更なことだ」
ブラッドはこれまでと同じく、腕を振り上げて魔法の炎を放った。
それは魔法に抗する術を持たない者には絶対不可避の攻撃。現に今までは防ぐことも、避けることもままならなかった。
どんなに諦めずに立ち向かうヒーローでも、魔法なんて概念には敵わない。それが魔法の国であるならば、尚更だ。
だが、今。現実の国のヒーローは、魔法の力を得て、魔法の国のヒーローとなった。
「はぁっ!」
剣を一振りして、炎を切り伏せる。
その結果に俺自身も驚いていたが、ブラッドはそれ以上に驚いていた。
「それは王子の剣術……何故、貴様が……」
その言葉で俺は状況を理解した。
野々宮の魔法により、俺は"王子様"となったのだ。
それはつまり、アルバートが見せた魔法を切り裂く技を手にしたということでもある。
「これで五分五分だなんて思うなよ。既に状況は今更なんだからな!」
「どういう意味だ、それは!」
「今更の方が俺は強いってことだよ!」
燃え盛る炎を、轟く稲妻を、滅多滅多に斬って、斬って、斬り捨てて、勢いを殺さずにブラッドへと突っ込む。
もはや、ブラッドの魔法攻撃は俺の突進を遮る為だけに放たれる壁に過ぎず、それすらも一秒と経たずに無に帰す。
一撃、一撃と魔法を斬るたびにブラッドへと近づく。
物理と魔法。その圧倒的なリーチの差で太刀打ちできずにいたが、接近戦ならば発動の速さでこちらが優位に立てる。
「これで最後だっ!」
目の前の炎を払った一振りは、ブラッドの鼻先を掠めた。
俺は次の攻撃に備えて剣を構え直したが、ブラッドは腕を下ろし、諦めるように唸った。
「……まさか、このような土壇場の力に負けようとはな」
「……本来なら負けるはずないんだ。魔法は何だってできるんだから」
それこそ、良いことも悪いことも、本人の思いの強さ次第で、どんな理想も叶えられるはずなのだ。
「決して、諦めながら使うようなもんじゃないんだ。魔法は」
ブラッドは目を閉じると、深い溜息を吐いた。
「……そうか」
ブラッドはそのまま動きを止めてしまい、俺も剣を構えたまま、どうしていいか困り果てる。
そこに野々宮がふらふらとした足取りで近寄ってきた。
「や、やりましたね……!」
「野々宮……身体は大丈夫なのか?」
先程の魔法の影響で疲れ果てたのだろう。野々宮は杖を頼りに立っていた。
それでも力強さを感じさせる笑顔は絶やしてはいなかった。
「ようやく起き上がれたところですよ……一秒でも早く、言いたくて……」
野々宮が差し出した手を、俺は強く握る。
「ありがとう。貴方は私の――ヒーローです」
そして、野々宮は更に強く握り返した。
「……お姫様と王子様じゃなかったのか?」
「その魔法はもう解けました。私たちはただの、魔法少女とヒーローですよ」
「……ははっ、解けてもそれか」
「ふふっ、そうですね」
そのとき、部屋の外から瓦礫を踏み鳴らしながら歩いてくる者がいた。
サトーとアルバートである。ただ、アルバートはサトーの肩を借りて、どうにか歩いている状態だった。
サトーは満足気な視線を俺に向けていた。アルバートがブラッドのもとへと急ごうとするので、俺には何も言わずに通り過ぎた。
アルバートは、放心した様子のブラッドに声をかけた。
「ブラッド」
「……王子」
「我々には、まだ理想を続ける覚悟があった。何故、一人で結論を急いだ」
その問いかけは感情を押し殺したように単調で、普段のアルバートからは想像もできない声だった。
反面、今まで硬い表情を崩すことのなかったブラッドは、自嘲気味な笑いを含んだ顔をしていた。
「老いたのでしょうなぁ……己の結末を目前にして、理想だけを土台にした世界に不安を感じた」
「それはお前だけの責務ではない。この世界に関わるすべての者が抱えるべき責務だ」
アルバートの声が少し震える。
そして、それに呼応するようにブラッドの声が淡々と、抑揚のないものへとなっていく。
「それこそ……理想です、王子」
「ブラッド!」
アルバートが必死に手を伸ばそうとするが、力が入らないようで上がりきらなかった。
なおも、ブラッドは語る。
「時代は移ろう。理想は揺らぐ。その度に、女王や、魔法少女たちが理想を繋ごうと戦う。
そんな彼女らが理想のシステムの一部だというのならば、この世界を憂う老体も、また理想の欠片でありましょう。
まったく――――若き理想は、眩しくてかなわない」
直後、ブラッドの身体が熱を帯び始める。
しかし、それは攻撃の予兆などではなく、崩壊と終焉の引き金だった。
「何をした、ブラッド!」
「……敗北し、この身が動かなくても城を崩壊させる手段を用意していただけのこと」
「何だと!?」
「さぁ、我が身とともに果てると言うならば、歓迎しようではありませんか!」
そのとき、サトーがアルバートを無理やり抱え込み、駆け出した。
「脱出するぞ、ついてこい!」
俺は疲労困憊の野々宮を背負うと、サトーを追って走り出す。
「魔法少女」
ブラッドの呼び声に一瞬だけ足を止める。しかし、すぐに再び走り出す。
「束の間の平和を――」
部屋から飛び出すと、背後でがらがらと天井の崩れる音がした。
ブラッドが何を言い残そうとしたのかはわからないが、後ろで野々宮が言った。
「――急ぎましょう。ここで立ち止まるわけにはいきません」
「ああ!」
+ + +
瓦礫の山となった城の前で、押し潰されそうなほどに黒く塗られた空を見上げていた。
ブラッドは倒したものの、世界の危機は去っていない。むしろ、とんでもない置き土産を残されてしまった。
「どうしたものか……」
サトーが思案するように呟いていると、魔法の森の方向から、見間違えようのない紅の女王が現れた。
「どうしたもこうしたもないわよ。奇跡でも起きなければお手上げだわ」
「ルビィ女王!」
俺の横で、サトーが「隠れているように言ったのだが……」と溜息を吐いた。女王様が言うこと聞くわけないだろう。
ルビィはつかつかと歩いて、俺たちの様子を見ると、安心したように胸を撫で下ろした。
「まずは皆の無事を祝いましょう。よくやってくれたわ」
ルビィは労いの言葉をかけてくれるが、誰も言葉を次ぐことができない。
どうしたものかと思案していると、ルビィは野々宮の肩に手を置いた。
「……今まで、よく頑張ったわね」
精一杯の優しさを込めた声だった。
ルビィにとって、その素直な言葉を吐き出すまでに葛藤があったのは間違いない。
それでも彼女は、野々宮に純粋な気持ちを伝えたのだ。混じり気のない言葉で。
「貴方は貴重な時間を私たちの為に費やし、たくさんのありがとうをくれたわ。それは到底、言葉だけで感謝できるものではないけれど……それでも、一番初めに言わなければいけなかった――ありがとう」
野々宮は涙をこらえながら、言葉を探していた。
しかし、それが見つかるよりも先に、アルバートが口を開く。
「私も言わなければならないな、ありがとう、と」
「お、王子様……?」
「長い間、告白に付き合わせてしまっただろう? いや、ある意味では付き合えてないのだが……それでも、楽しい日々を過ごさせてもらった」
野々宮は少しだけ困惑しつつも、涙を流しながら笑って頷いた。
「ならば、俺も伝えておこう」
「サトーさんまで!?」
「いい機会だ。君には常日頃から、昌宏を助けてもらって感謝している。ありがとう」
「……あはは、どうもです」
とうとう、満面の笑みでサトーの言葉に答える。
そこに、今にも泣きそうな顔をした魔法少女はもういなかった。
「野々宮。俺からも言うよ、いつもありがとう」
「……新藤さん」
野々宮は小さく息をつくと、杖を強く握った。
「皆さんのありがとうの言葉、確かに受け取りました。百個には届きませんでしたけど、精一杯、やってみます!」
「――ところで、今いくつなのかしら」
ふと、ルビィが訊ねる。
気合を入れ直したところだった野々宮は拍子抜けしつつも、杖に念じて数を確かめている。
そして、あっ、と小さな声を漏らした。
「……九十九個です」
「何だって、あと一個で目標達成じゃないか!」
俺は展開に希望を見出したが、野々宮の表情は明るくならない。
「でも、その一つを言ってくれる人がいません。ここにいる人たちには、言ってもらったばかりですし……」
「そんな……」
俺と野々宮が落胆する中、ルビィがそわそわと森の様子をうかがう。
しかし、すぐに痺れを切らしたように大声で叫んだ。
「もうっ! 先代女王は人生かけて頑張ってる女の子に、ありがとうの一つも言えないのっ!?」
その言葉に誰もが驚き、森の方角へと視線を向ける。
いつの間に顔を出していたのだろう。そこには見覚えのある空色の髪をした、先代女王サフィがいた。
サフィは目を背けながらも、ゆっくりとした足取りで野々宮へと歩み寄る。
「……千恵」
「……サフィ、女王」
お互いの名を呼び合い、サフィは少しだけ寂しそうにしながらも、微笑みを見せた。
「私は、本当に我が侭で臆病になってしまったのね」
「……えっ?」
「かつて、人間界で修行した魔女がいました」
まるで小さな子供に読み聞かせをするように、撫でるような声でサフィは語り出した。
「彼女は見事にたくさんのありがとうの気持ちを集め、魔法界の女王となりました。
彼女は女王として魔法界に貢献しようと頑張りました。しかし、人間たちに比べて、魔法使いたちは淡白でした。
感謝されない日々が続いて、彼女は頑張れなくなりました。
そこで、いつか頑張れる気持ちになれるまで、眠り続けることにしたのです」
そこで挟まれる微かな溜息。
「だけど、眠れなかった。不安だった。頑張っても褒められなかったのに。何も出来ない、何もしないで過ごすなんて、怖くて、怖くて……
そのとき、私と同じことをするって言う女の子がいると聞いたの。
ずーっと見ていた。その子は魔法の才能はなかったけど、頑張り屋だった。
この子なら。この子を助けられたら、きっと、ありがとうをくれるって思った。
――――ずるいね」
おとなしくサフィの言葉に耳を傾けていた野々宮が、不意に彼女の手を掴む。
「貴方の行動は助けたいと思ったから助けた、それだけです。そして、それはとても尊い行為だと思います」
「……そんなこと」
「おかげで私は助かりました。救われました。見守ってくれて、ありがとうございました」
ジッと野々宮を見つめるサフィの瞳が潤む。
「……ずるいよ。先に言っちゃうんだもの」
「寝過ごした罰ですよ」
「そうね、やっと目が覚めた…………ありがとう、千恵」
そのとき、野々宮が握り締めたままの杖が光り輝いた。
その光は春の日差しのように温かく柔らかで、生命的なパワーを感じる光だった。
「さぁ、舞台は整ったわ。やるわよ」
ルビィはぐいっとサフィの手を引き寄せると、重ねた手を杖に添えた。
「や、やるって何をです?」
「魔法界を救うに決まってるでしょう!? ありがとうの力と女王二人がいれば、何とかなるわ!」
「え、待って……寝起きだし、ブランクもあるし、自信ないんだけど……」
「おだまりなさい。先代女王と言えど、現女王に逆らうことは許さないわよ!」
そんなこんなで、野々宮とルビィとサフィの三人は、一本の杖を一緒に握り締め、同時に唱えた。
『魔法界よ、元に戻って!』
+ + +
結果から言えば、魔法界は元に戻った。
むしろ、過程をすっ飛ばして元通りになった。魔法って凄い。
条件さえ揃えば、理想が形になる。それはある意味、俺のヒーロー補正に近いのかもしれない。
「……凄まじい修復速度だったな」
「まぁ、魔法で壊れた世界は魔法で戻るものですよ」
確かに戦闘で壊れた建物って、戦闘が終わるとキラキラした光とともに元に戻るけど。
こんなにあっさりと戻されると、ブラッドも浮かばれないだろう。
俺たちは現実へと戻るため、魔法の馬車に乗っている。
まだまだ復興途中ではあるが、これくらいの見送りならできるようになったらしい。
あるいはルビィ女王の見栄なのかもしれないが、彼女が思う存分、見栄を張っているうちは平和だから安心だ。
「ところで、サトーさんは魔法の馬車まで操れるんですか?」
「まさか、自動操縦だろ」
サトーに御者スキルなんていう謎スキルを追加したくはないので、そう思っておこう。
「野々宮はこれからも魔法少女なんだろ?」
「はいっ! 魔法界の復興に力を貸してくれって。まぁ、やることは一緒なんですけど」
それを聞いて、少し安心した。
魔法少女を辞めても野々宮がいなくなるわけではないが、共通の話題が減るのは寂しい。
これからは時間もノルマも気にせず、のびのびと魔法少女ができることだろう。
「ま、一つ宿題が片付いたな」
「夏休みの宿題はたくさん残ってますけどね」
「……現実は厳しいなぁ」
ここは現実だから、宿題は片付ける間もなく、どんどん圧し掛かってくる。
そういえば、野々宮との関係も曖昧にしたままだ。過程をすっ飛ばして、理想の結果を叶えられたら、と切に願う。
魔法があったら、宿題は全部ゴミ箱に捨てちゃえ――なんて言葉は俺向きではない。
その宿題は捨てられないから、捨てきれないから。
魔法なしで、自力で片付けなければいけないのだろう。しんどいけど。
「どうしたんです?」
「ん、いつか現実の世界で理想を信じきれなくなったら、どうしようかってな……」
「何を言ってるんですか、新藤さん」
思い違いをしていた。
現実にも、ほんの少しの魔法はあったのだ。
「何度でも信じさせてあげますよ。貴方の隣には、魔法少女がいるんですから」




