5.7 森の中の小さなお家
土地勘のない魔法界を野々宮の先導で駆ける。景色は徐々に色褪せていき、いつの間にかモノトーンカラーの森を走り抜けていた。
心がざわざわする。何処へ行くつもりかと訊ねたかったが、野々宮の目に迷いはない。気がかりは数え切れないほど置いてきたが、口を開く余裕はなさそうだった。
今は余計なことは気にせずに、一刻も早く安全な場所に逃げ込むべきなのだろう。
引き返すなんて考えは一切なかった。アルバートは心配だけど、野々宮を任されたのだから、俺一人で戻るわけにはいかない。
――戻ったところで、俺に何ができる?
その疑問が深みを増すよりも先に、森の途切れ目が見えた。煤けた色の森を抜けると、大小様々な建物が並んでいる広間に出た。それらは奇抜な配色で、白黒に慣れた目には少々きつい。
「ここは?」
「城から一番近くの村です……誰かー! 誰かいませんかー!?」
野々宮が声を張り上げるが、返事はなかった。
自然と歩き出して、村を一巡りし始める。規模としては村というより、キャンプ場のような広さだ。
軽く一通り見て回ったが、人が生活しているような気配はない。表を歩く人間も俺たち以外には誰もいない。
「人がいないな……確か避難してるんじゃなかったか?」
「魔法の森のすぐそばですからね。だけど、一人くらい残ってるかも……」
「魔法の森?」
「あっ、今通ってきた森がそうです。魔力が枯れて、あのような色になったんですよ」
振り向いて、改めて森を観察する。色彩には乏しいが、灰色の濃淡具合だけは豊かな森である。幾何学的模様にも似た、単純で複雑な景色。長く見ていると吸い込まれそうだ。
「よく迷わずに来れたな」
「突っ切るだけなら何とか……あっ、一人で入ったら駄目ですよ、迷子になるので」
「……決めつけるなよ」
「だって、新藤さんは方向音痴じゃないですか」
出会った頃のイメージがそのまま更新されてないのだろう。子供扱いされたようで納得がいかない。
しかし、あのモノクロの森で迷わないという自信もないので、むやみに反論はできなかった。
「これからどうする、野々宮?」
「人の目のある場所に行けば、酷いことにはならないと思ったんですけど……」
野々宮はあてが外れたことを謝るように俯きながら、申し訳なさそうに声を小さくする。
「仕方ないさ。野々宮だって魔法界は数年振りなんだろ?」
「……そうですね。落ち込む前に次に行きましょう! ちょっと遠いですが――」
「そこで何をしている!」
突如、割り込んできた知らない男の呼び声に、野々宮は身体を硬直させて話を止めた。
何者かと注意深く辺りを見回したが、現れたのはローブ姿の男二人だけだった。訝しげに目を細めているものの、敵意は感じられない。
「そのドレス……女王の知り合いか? そうなると、そっちは付き人だな?」
「えっと、私たち――あぅっ!?」
「そんなところです。貴方たちは?」
律義に自己紹介しようとする野々宮を遮って、俺は二人組の男に素性を訊ねる。
「私たちはアルバート様に仕えている者だ。道中の世話と護衛をするため一緒に来た。まぁ、城には同行せずに、ここで待機するように言われてしまったのだが」
「王子の!? じゃあ――」
「王子様と呼べ! ……何かあったのか? ブラッド様がそばにおられるのなら、大事には至ってないだろうが……」
「――あっ、いえ、たいしたことではなかったです」
一瞬、アルバートの味方だという判断が先走ったが、ブラッドの名前で冷静さを取り戻す。よく考えなくても、アルバートの味方はブラッドの味方でもある可能性が高い。
敵味方の定まらない相手に、現在の状況を隠さずに伝えていいものだろうか。
事態が好転するかもしれないし、悪化するかもしれない。決断できずに沈黙が続いてしまい、相手は溜息をついた。
「どうせ、また妙なことを言い出したんだろう。こんなときに魔法少女に会いに行くお方だ」
「ブラッド様も苦労が絶えないなぁ」
「うむ。普段は立派なのだが、昔からあの人間の少女のこととなると……」
「アルバート様も一途だよなぁ。今更、魔法少女なんて……」
煮え切らない俺を無視して、愚痴を零し始める二人。しかし、その内容は少々引っかかる。
詳しく話を聞きたいが、世間話をしている暇はないし、今更という言葉にネガティブな印象を感じて突っ込みづらい。
とりあえず、野々宮の様子をうかがおうと視線を横に向けた。そのとき、野々宮の口が動く。
「――今更、って何ですか」
男たちは唐突に会話に入りこんだ野々宮をぽかんとした目で見つめたが、片方の男が話好きらしく軽い口調で優しく応じる。
「ああ、魔法少女のことだよ。何年か前に、人間が魔法使いになるって話があっただろ? 女王様がいきなり決めたんだよなぁ、驚いたよ。だいぶ前の話だけど、駄目だったんだろうかねぇ」
「だ、駄目って……失敗ってことですか?」
「よくわかんないけどさ。俺もアルバート様が言い出すまで忘れてたから、魔法少女なんて。また来たってことは死んでなかったんだなぁ、よかったよかった」
「あ、はい。よかっ、あっ、えっ……」
笑顔で話を合わせようとした野々宮が言葉を詰まらせる。表情が凍りついたまま、小さく、細い呼吸をしている。
何か声をかけなければ、と思った。しかし、何と言えばいい。数秒にも満たない躊躇の間に、相手の男が野々宮を心配していた。
「おいおい、大丈夫かい? 俺たち、森から離れた向こうの小屋にいるんだけど、ちょっと休む?」
「だ、大丈夫です……」
野々宮は胸を押さえて、必死に何かを堪えていた。
「まぁ、なんだ……」
男は野々宮を気遣い、長話を避けるため、言葉少なに話をまとめようとして――
「ホント、何しに来たんだろうな」
トドメを刺した。悪意はなかった。それでも彼の言葉は野々宮から笑顔を剥ぎ取った。
男たちの顔に困惑が浮かんだ瞬間、俺は何も考えずに野々宮の手を取り、魔法の森へと走り出していた。
「新藤さんっ!?」
「いいから!」
完全に怪しまれてしまっただろうが、そんなことはどうでもよかった。単純に野々宮をこの場から逃がしてやりたい一心だった。
何しに来ただと。助けに来たに決まってるだろうが。野々宮は魔法少女なんだ。六年間も魔法界のために頑張ってきたんだ。
「……――おい、待て!」
一拍おいて、男たちが俺と野々宮を追って森に入る。だが、すぐに立ち止まった。迷いやすく、魔力が枯れた魔法の森に深く入ろうとするのは自殺行為なのだろう。
俺は好機とばかりに森の奥へと野々宮を連れて走る。迷ったって構わない。今はとにかく逃げるしかない。
灰色の木々が何処までも続く、魔力を失った魔法の森。想像力が及ばない白黒の森。
どうして、どうしてなんだ。数ヶ月の付き合いでしかない俺でも、野々宮が頑張ってきた魔法少女の重みは想像できるのに。
何故、ブラッドは魔法少女を否定できるんだ。何故、あいつらは魔法少女を忘却できるんだ。
――野々宮は頑張ったのに、ありがとうの一言もないのかよ。
+ + +
「迷ったな」
「迷いましたね」
息を整えて辺りを見回し、確認し合った。俺たちは迷子だ。
四方八方、同じような景色が広がっている。白黒の森に目印になるようなものはなく、真っ直ぐ歩くことすら難しい。
「魔法で進む方向だけでもわからないか?」
「……本当なら魔法界では、ちょっとした魔法は使い放題なんです。でも、ここは魔力が枯れてますし、私も十分な休息が取れてないので……すみません」
野々宮は小さく呻いてうなだれた。
「すまん。俺が考えなしに行動したせいで……」
「いえ、私のせいですよ。私がしっかりしてれば……」
「野々宮はしっかりしてるよ。これ以上、しっかりしなくていいくらいだ」
「いえいえ、私は駄目です。ちょっとへこんだくらいで大げさに落ち込んでしまって」
「そんなの――」
ふと、城の一室でミーラブと交わした会話を思い出す。――『感謝されようとされまいと、助けるのは当たり前だってことを忘れちゃいけない』
俺が言った言葉だ。俺が背負う覚悟はある。だけど、野々宮まで――
「だから、言ったラブ。感謝されなくても助けるのが当たり前なんて、まだ思ってるラブ?」
「ミーラブさん!?」
野々宮が嬉しそうに声を上げて、辺りをきょろきょろと探す。
俺はちょうどミーラブに言った言葉について考えていたところだったので、何となく素直に助けを求めづらくて、適当に左右を見るだけに留めた。
しかし、急に何かの気配を察知した俺は頭上へと手を伸ばす。
「おおっ」
むぎゅ、という感触とともにミーラブが手の中に収まる。
「ありがとラブ。それで、マサヒロはまだ助けようなんて思ってるラブ?」
「た、助けたくて助けたんじゃない。助けてしまう者がヒーロー」
「何なんだラブ、その屁理屈っぽいのは?」
「ぐっ……俺はまだ」
「そんなことより、ミーラブさん。どうしてここに?」
野々宮がさっさと本題に切り替える。ミーラブは俺の手から、野々宮の肩に飛び移った。
「この森には、ちょうどいい隠れ家があるんだラブ。道案内するラブ」
「えっ、迷わないんですか?」
「大丈夫ラブ」
ミーラブは自信満々に言うと、方向を指示しだした。適当に歩いても仕方ないので、ミーラブに従って森を歩く。
しばらく歩いては、こっちラブ、という声で進む方向を変える。そんなことを繰り返していくうちに、遠くの方に緑が見えた。
「……あそこだけ、変だな」
「あれが普通なんだラブ」
近づくにつれて、色がはっきりとしてくる。木の幹が茶色で、葉が緑色。白黒だらけの森の中で、そこだけが異質であり本質でもあった。
本来の姿を保つ空間の中心には、小さな家が建っていた。煙突のついた森小屋のような外観は、古めかしくも魅力的で魔女でも住んでいそうである。
「ここは……」
独り言のように口から漏れた呟きを、ミーラブが拾った。
「……先代女王の家ラブ」
俺は呆然とした顔で、ここがそうなのか、と一人納得していた。一方、野々宮は困惑して落ち着きがなく、何やら慌てている。
「えっ、えっ? 先代女王の家なんて……初めてですよ私、入れるんですか?」
「おいそれと来る場所じゃないラブ。でも、別に入っちゃ駄目って決まりもないラブ」
「で、でも……」
「いいラブ。どうせ、先代女王は眠ってるラブ。誰も文句は言わないラブ」
ミーラブの言い方は乱暴だが、俺も同感だった。何より、今は野々宮を安全なところで休ませたい。
渋る野々宮を横目に扉を開けようとするも、俺の手を止めるようにして野々宮が両手を被せる。
「何か、恐れ多いですよぉー……」
「平気だ野々宮、皇居に逃げ込むようなもんだって」
「じゃあ、恐れ多いじゃないですかぁー……」
「偉い人は優しいから大丈夫だ」
「ルビィ女王は?」
扉を開けようとする手が止まった。
「先代女王は優しいラブ! 少なくともルビィ女王とは違うラブ!」
「そ、そうか」
ミーラブに急かされながら扉を開ける。
先代女王の家の中は、小さなテーブルと椅子、それから暖炉があるだけのシンプルな部屋だった。
――いや、ベッドを見落としていた。どちらにしろ、生活感の足りない家だ。サトーの倉庫ハウスと似ているかもしれない。
ところで俺はベッドを見落とすなんて過ちをした。普通なら有り得ないことだが、ちゃんとした理由がある。
ベッドの上にあるものに意識が向き過ぎて、それがベッドに置かれているとすぐには気付けなかったのだ。
「新藤さん、この人……」
「……ミーラブ」
訊ねるように呼びかけると、ミーラブは淀みなく答えた。
「そう、その人が先代女王――サフィ、ラブ」
ほんのりと青く、透き通った石の中で、先代女王サフィは眠っていた。




