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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
5. ヒーロー候補と魔法の国の女王
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5.6 憎しみの炎、怒りの稲妻

 その瞬間、目を覚ましたのは偶然だった。

 寝ぼけた頭で何も考えずに起き上がろうとして、視界の端に黒い布切れが映っていることに気付いた。視線を上へ滑らしていくにつれて、脳がはっきりと状況を認識していく。

 物静かな城の廊下。まだ眠っているアルバート。起き上がりかけて、動きを止めた自分。

 こちらを見下し、この偶然を呪うように表情を歪めているブラッド。彼は野々宮がいる部屋の前に立っていた。


「……小僧」


 ブラッドの右手には、銀色に光る大振りのナイフが握られていた。

 俺はハッとして低い姿勢のまま飛びかかり、その手からナイフを奪い取る。


「――えっ?」


 思わず声が漏れたのは、すんなりと奪えてしまったからだった。別に失敗を予測して飛び込んだわけではないが、寝起きの判断で軽率だったことは認めざるを得ない。

 言い訳するならば、野々宮が危険だと感じたので、とっさに行動したまでだ。間違いだったとしても、ブラッドが怪しいのが悪い。俺は手元のナイフを見て、混乱している頭を切り替えていく。

 ナイフを奪い返されたりしないように、ブラッドと目を合わせたまま立ち上がる。その間、ブラッドは酷く冷めた表情だった。


「あんた、何のつもりだ」

「一つ、果物でも剥いてやろうと思っただけだ」

「……そんな真顔で冗談つかれても信じられるか」


 そう言うと、ブラッドは初めて笑みのようなものを見せた。


「ふっ、不用意に魔法を使って女王に気付かれまいと思ったが、よもや人間の小僧に気取られるとは……慣れない得物は使うものではないな」

「余計なことは言わなくていい。野々宮に何をしようとした?」


 俺は少し迷いながらも、ブラッドにナイフを向けた。上手く扱う自信はないが、威嚇くらいにはなるだろう。

 問題はすぐそこで眠っているアルバートと野々宮である。俺の心情としては、起こしたくはない。

 しかし、何もわからない俺よりも、二人がブラッドと話した方が事態が解決するかもしれない。いや、余計にこじれるということも。

 判断が定まらず、ナイフがぶれる。このままではいけないと、俺はナイフを下ろした。


「……何か言えよ」

「何故、迷わず私を刺し殺そうとしないのか疑問ではあるが、まずは場所を移さないか?」


 願ってもない申し出ではあるが、あっさりとこの場を離れていいものだろうか。

 悪意が含まれているかは別として、ブラッドには何か目的があるはずだ。それなら場所を変えることにも意味があるのだろう。

 すぐに思い当ることは、アルバートに気付かれたくないから、か。


「何処にする?」

「城の外まで行くとしよう。物陰を作れば、万が一ということもある」


 俺は素直にブラッドについていくことにした。

 野々宮やアルバートに気付かれたくないのは俺も同じだった。嫌なことに関わる人数は少ない方がいい。

 駄目な考えであることは理解しているが、俺が一人で何とかすれば済む話だ。後のことを考えれば、野々宮が怒るであろうことは予想できる。

 だけど、野々宮にこれ以上、余計な心配を抱えてほしくなかった。


   + + +


 城門から壁沿いにぐるりと回り、城の裏側に到着する。シチュエーションは校舎裏に似ているが、白い空と白い城壁が雰囲気を明るくしていた。

 密談には相応しくない空気に、張り詰めていた緊張感が途切れがちになる。


「何処もかしこも朝みたいな景色だ」


 独り言だったので返事を期待してはいなかったが、ブラッドは城を見上げると、律義に言葉を返した。


「この城は魔法界の象徴でもある。女王はそれを理解しているからこそ、城の外観を美しく保っているのだろう」

「意外と立派なんだよなぁ……」

「……どれだけ外観が美しかろうと、中身が伴わなければいずれ瓦解する。城も魔法界も、それは同じことだ」


 ブラッドは呼吸を整え、真っ直ぐ俺を見据えた。顔色はまさに無色という表現がぴったりで、考えを読み取ることはできない。


「魔法の根幹は感情であり、現在の魔法界は感謝――それに付随する喜びや嬉しさで構成されている。故に今の魔法界は『平和な魔法界』という、前提からして平和な世界なのだ」

「いいことじゃないか」

「だが、こうして平和は崩れた。あくまで魔法によって作り上げられた虚構の平和であるからだ。こうなるならば、平和を装うことに労力を費やすより、世界の維持を目指すべきではないのか?」


 ふとした弾みで崩壊する平和のために魔力を使うより、世界の存在を確立するために魔力を使うべきだと、ブラッドは主張している。

 確かに、切羽詰まった状況で最高のクオリティを追求しようというのは、理想論が過ぎるかもしれない。

 つまり、ブラッドは女王の提案した計画を蹴って、野々宮に頼ることなく、確実に世界を救おうとしているのだ。


「世界の維持ってのは、規模を縮小する案のことか?」

「あの案は利害調整が思うように進まず、仮に成立しても禍根を残すだろう。できることなら、魔法界の規模はそのままに危機を乗り越えたいと考えている」


 ブラッドの意見を聞いて、俺は首を捻る。

 野々宮が集めた九十三のありがとうでは完全に魔法界を救えないから、今の魔力で事足りる魔法界を作るか、時間稼ぎをして残り七つを集めきるか、という話だったはずだ。


「どういうことだ? あんたは魔法界をどうしたいんだ?」

「救いたい、確実にな。よって、小娘に綱を渡らせるつもりはない。無論、魔法界を狭めることもしない」

「そんな方法があるなら、そうすればいいだろ。何か問題があるのか?」


 俺が訊ねると、ブラッドは言葉を選ぶように、ゆっくりと声を発した。


「問題は、ない。私にとってはな」

「あんたは良くて、女王は駄目だったのか? 何が食い違ったんだ?」

「他人の価値観、思考、感情……どれもわかりづらいものだ。特に感謝などというものは、ありがとうと言わなければ伝わらない非効率な感情だとは思わんか」


 結論をなかなか言わないブラッドに苛立ち、つい声が大きくなる。


「……だから、何が!」

「それだ。わかりやすいだろう」

「えっ?」

「怒りだ」


 淡々と怒りの感情を指摘され、俺は驚きと恥ずかしさで一杯になり、返答できなかった。

 ブラッドは相変わらずしかめっ面のような無表情だったが、声に興奮が混じっていることはわかった。


「怒り、悲しみ、憎しみ。負の感情を利用すれば、魔力不足も解決するだろう。感謝の感情だけで世界を形作るなど、馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない」

「え、あ……そんな感情で魔法なんて」


 野々宮に聞いたことがある。怒りや悲しみの魔法は、相手を傷つけたり、弱らせたりするので禁止されている、と。

 そのような感情で空想の魔法を使えば、平和な魔法界など成立するはずがない。

 しかし、ブラッドは何も問題はないというように話を続ける。


「先代女王が達成した百のありがとうを集める偉業。そのせいで今の魔法界は成立しているが、これを当然だと思い込み、維持しようなどと……愚の骨頂である」

「ま、待てよ。思い込むとかじゃなくて、平和を守ろうってのは当然だろ!」

「ああ。だが、守れなくなったではないか――もう理想の時代は終わりだ」

「だからって、そんな」


 ブラッドは正しいことを言っているかもしれない。だけど、それは認めがたい正しさだ。

 ここは否定して、より良い方策を探るべきだ。しかし、そのための言葉が出てこない。

 俺は何も言えず、ブラッドは語り続ける。


「怒りや悲しみで世界を成立させれば、大きな争いも起こるやもしれん。それは嘆くべきことであり、怒るべきことであろう。だが、それすらも世界の糧となり、魔力は循環するのだ」

「……世界は終わらないけど、争いも終わらないんじゃないのか?」


 ブラッドは真剣な瞳はそのままに、口の端を歪めた。


「それこそ、また一つの理想だ。争いが続く限り、世界も続く」

「駄目だっ! そんな世界が続いたところで何になる!?」

「世界まるごと、強制的にハッピーエンドを迎えるよりマシだと思うがな」


 俺は言葉を詰まらせる。

 ブラッドの計画は間違っている、と俺は思う。思っているのに、否定ができなかった。

 恐らく、この計画の間違いは道徳的な部分にあり、方法自体はある意味正しいのだろう。

 だからといって、正しいと認めるわけにはいかない。これを認めるということは、俺のヒーローらしく生きた人生を否定し、野々宮が魔法少女として生きた人生を否定することになる。


「野々宮は、助けるって言ったんだ。終わらせるつもりなんてない」

「人間の少女が必死に世界を救ったところで、また理想の限界が来るだろう。その時代に、あの少女は生きてはいない。そのたびに、こんな馬鹿な綱渡りを繰り返すのか?」

「だからって、わざわざ悲しい世界にしなくたって」

「今までのツケを払うだけだ。理想のツケを」

「そんな勝手な――」

「小僧」


 ブラッドは大声で叫んだわけでも、特別に強い口調で言ったわけでもない。しかし、俺は妙な気迫に押されて、素直に黙ってしまった。

 ブラッドは自らを落ち着かせるように息をつくと、諭すように言った。


「理想の影で、誰が犠牲になったと思っている。誰が辛酸をなめてきたと思っているのだ?」

「だ、誰って……」

「揺るがぬ理想を己に強いて、意地っ張りにならざるを得なかった女王と、理想を支えるための辛く苦しい裏方を一手に引き受けた魔法少女だ」


 野々宮が犠牲になっている。

 そう言われて、俺は自然と二つを天秤にかけていた。野々宮と魔法界、どちらを救うべきか。

 女王も犠牲になっているというのか、あの高慢そうに見えて意外と深慮な女王が。嘘だろ。

 どうすればいい。俺は何をすればいい。流石にここまで来て、やることがないと嘆いてはいられない。

 俺は右手に握られたナイフを見る。


「……そうだ、このナイフ。どんなに大層なことを考えていようが、野々宮を傷つけようって言うのなら、俺は止めるからな」

「目先の少女を救うことで、世界の存在に不安を残すことになってもか」

「俺は世界を救うヒーローじゃない。そういうヒーローたちを助けるヒーローだ。世界はきっと野々宮が救うさ」

「人間の小僧が何を……まぁ、いい」


 ブラッドは呆れるように目を伏せた。


「魔法少女を殺すのは上策ではなかろう。あくまで説得するつもりで部屋に行っただけで、ナイフは脅しの道具だ」

「言っておくけど、ナイフを向けたところで野々宮は強情になるだけだぞ」

「ほう……それは刃の矛先が妖精や小僧だとしてもか?」

「えっ?」


 思わずナイフを握る手に力が入る。

 ブラッドは両手に何も持たず、武器を隠し持っている様子もない。お互いの位置は離れており、手足が届くような距離ではない。

 俺が身構えるのを見て、ブラッドは憐れむような笑みを浮かべた。


「安心するがいい。魔法少女が傷つく可能性は低い」

「何を……」

「妖精を殺すと脅し、それでも聞かなければ妖精を殺し、次は小僧を殺すと言う。魔法少女を殺すのは最終手段だ。心配せずとも、その前の段階であの少女は折れるに違いない」

「……俺はそんなの認めない」

「ああ、だから、小僧と私は二人きりで話していたのだ。話はここまでだがな」


 ブラッドは姿勢を正すと、眼光鋭く俺を睨みつける。俺もいつでも動けるように意識を集中させる。

 俺やミーラブを脅迫の材料に使うと、ブラッドは言った。

 そんな立場、ヒーローどころかヒロインである。俺は易々と殺されるつもりはない。


「俺は抵抗するし、ミーラブだって守る。再会したばかりだってのに、あいつらを引き離させてたまるか」


 ブラッドは少し眉を動かし、怪訝そうに目を細める。


「……再会とはまた、感傷的な言い方をしたものだな」

「何がおかしい?」

「ふん、人間の豊かな感情という奴に辟易しただけだ」


 ブラッドは愚痴っぽく吐き捨てると、俺を指差した。


「憎たらしい小僧め。ヒーロー気取りで、一時的な平和を支持する無責任な人間よ。貴様のように理想を唱え、貴様以上に力のある者が、危機を迎えるたびに現れると思うのか?」

「未来が不安だからって今から悲観しなくたって――っ!?」


 刹那、空気が一変した。

 ブラッドの瞳が憎しみに染まり、突き出した右腕が微かに赤みを帯びていく。

 心地よく爽やかに吹いていた風に熱を感じた。


「燃えよ」


 バンッ、と弾ける音がして、とっさに腕でかばった。感じていた熱が炎となって、眼前で爆発したことはわかった。

 熱い。纏わりついて離れない熱さだ。無我夢中で腕を振り回して、炎をふるい落とす。

 無意識にブラッドと距離を取る。何処まで走ればいい、わからない。喉が焼けるように熱かった。


「ごほっ、ほっ……はぁ、はぁ」


 ようやく冷静に状況を見ることができるようになり、俺はナイフを落としたことに気付いた。

 少し離れたところで、ブラッドが悠々とナイフを拾っている。


「驚かされたぞ、小僧。あれほど容易く炎から逃れるとは。ただの人間ではなさそうだ」


 ヒーロー補正が上手いこと働いたようだ。しかし、状況は芳しくない。

 まだ相手の声が届く距離。精一杯走ったつもりだったのに、思ったより距離を離せてはいなかった。

 そもそも、魔法にリーチなど存在しないだろう。むしろ、これでは俺の攻撃が届かなくなっただけだ。


「魔法が効かぬわけではないらしい。辛抱強く炙っていれば焦げ目くらいはつくか?」

「うるさ、げほっ、ごほっ……」

「熱を含んだ空気を吸ったのだろう、無理をするな」

「……うるせぇ」

「やはり、失礼な奴だ。時間をかけるのはやめよう」


 ブラッドが右手を高く掲げるのを見て、俺は駆け出す。ピンポイントで狙われているならば、常に動いていることで急所は外れやすくなるはずだ。

 そう考えて距離を取りながら走っていたのだが――


「いかずちよ」


 バリバリという音が空から聞こえ、何事かと見上げて、つい呆然と足を止めていた。雷撃。それを認識して駄目だと思ったときにはもう遅く、強い光が視界を覆った。


「しまっ――――」


 た。もう駄目だ。スローモーションのように思考が巡る。

 俺が死んだら、誰が悲しむだろう。父さん、母さん、お婆ちゃん。サトーと野々宮はどうだろうか。

 幽霊になったら、バケレンジャーとして活躍させてもらえないだろうか。シルバー枠は埋まったりしてないだろうか。

 走馬灯はまだかと思っていると、野々宮の姿が遠くに浮かんだ。制服でも魔法少女でもなく、白いドレス姿で杖を掲げて――


「止まれぇー!」

「……野々宮っ!?」


 既に死後の世界へと行きかけていた意識が、急に現実へと引き戻される。

 気が付くと、俺の真上には写真で切り取ったかのように静止した稲妻があった。杖を下ろした野々宮がこちらへと走り出す。

 そして、剣を片手に野々宮を追い抜いて駆けてくるアルバートの姿が見えた。


「はぁっ!」


 一閃。

 アルバートが鋭い剣捌きで雷を切り裂くと、まるで魔法のように雷が消え去った。

 俺とブラッドの間に、アルバートが剣を構えて立つ。


「ブラッド、私は怒っているぞ」

「……その怒りが、今の魔法界には何の利益にもならないことが残念でなりませんな」


 アルバートはブラッドに向けていた視線をそのまま俺に向けて。


「……どういう意味だ、マサヒロ」


 重々しい口調で訊ねてきた。少し格好いいと思ったのに。思ったのに、こいつは。


「魔力不足を怒りや悲しみで補填するつもりなんだ。だから、野々宮を必要ないって言ってる」

「何だと!?」

「……必要ないどころか、邪魔と考えておりますが」

「貴様っ……!」


 問答をしているうちに野々宮が隣まで来て、俺の腕を取った。


「大丈夫ですか、新藤さん!?」

「……ああ、大丈夫だ。本当に助かった」


 野々宮には伝えるべきことが山ほどある。しかし、野々宮の潤んだ瞳を見て、俺はそれ以上の言葉が出なかった。

 俺の無事を確認すると、野々宮はブラッドをキッと睨みつけた。


「ブラッドさん。何が目的かはわかりませんが、新藤さんを傷つけたからには、素直にハイとは言いませんよ」

「ふむ、これでは小僧を痛めつけたところで、言うことは聞きそうにないな」

「そんなことはさせません」

「実際に小僧を殺す寸前になっても、その意志を貫けるかは見物だが」

「駄目です」

「……ならば、回りくどいことはせず、貴様を消した方が早かろう。あの女王も魔法少女さえいなくなれば、手段は選べぬ」


 ブラッドは腕を振り上げたが、その腕にアルバートが剣先を突きつける。


「私の剣は魔法を斬れるが、腕も斬れるぞ」

「……王子にその覚悟がおありで?」

「魔法も剣術も、いざというときの心構えもお前から教わった」

「……ならば、斬れますな」


 緊張状態で俺も野々宮も動けなくなり、ブラッドとアルバートは動かなかった。

 腕や喉がひりひりと痛む。魔法の傷跡は確実にダメージとして残っていた。

 参戦したいが、それだけの体力がない。無理をしたとしても、魔法に太刀打ちできない。

 頼るしかないのかと悔しく思っていると、アルバートが口を開いた。


「行けるか、マサヒロ」

「あ、ああ……」

「ならば行け、チエを頼む」


 戦えるかの確認だと思ったが、そうではなかった。逃げろ、と言っているのだ。


「えっ、王子は」

「私はチエの選んだ方につく」


 野々宮に視線を向けると、目が合った。すかさず、野々宮が俺に手を伸ばす。

 俺が戸惑いながらその手を掴むと、ぐいっと引き寄せられた。


「行きますよ」

「え、でも」

「ありがとうございます、アルバート王子!」

「ああ、早く行くといい」


 野々宮に引っ張られて、その場から逃げるように立ち去る。俺は自分で走ろうと、ちゃんと前を向いた。

 最後に見たのは微笑むアルバートと、怒りと憎しみと悲しみ、すべてを表情に浮かべるブラッドの姿だった。

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