5.3 女王様は高らかに笑う
「ガキ、ですって?」
「あ、いや」
つい、口からガキなどという不躾な言葉が飛び出してしまった。
ルビィ女王は腕を組んであごをツンとそらすと、見下すような視線で俺を見る。実際は背丈が足りずに見上げているのだけど。
「失礼ね、ガキからガキ呼ばわりされる覚えはなくってよ?」
なんて言い草。俺も失言したことは反省すべきだが、暴言よりマシだ。
それでも相手は女王様である。野々宮も不安そうな目をしているので、ここはグッと堪えて頭を下げる。
「すみませんでした。ただ、女王様というわりに……お若く見えたものですから」
「お世辞は結構よ。貴方の第一印象が『失礼なガキ』になったことを後悔し、一刻も早く塗り替えられるよう努力することね」
俺はどうすればいいんだ、と野々宮に無言で助けを求める。
野々宮は困った表情のまま曖昧に微笑み、俺に近づいてこそっと耳打ちする。
「女王様は今年で百歳ですよ」
「ええっ!?」
驚きがそのまま声に出てしまい、ルビィが訝しげな視線を向ける。年齢を感じさせない童顔である。いや、外見が子供同然なのに、童顔という表現は正しいのだろうか。
全員が黙り込んで妙な緊張が走る。そのとき、ミーラブが口を開いた。
「女王様、マサヒロは魔法界のことを知らないラブ。もちろん、魔法界の住人と人間は寿命からして違うことも、成長速度が人によってまちまちなことも知らないラブ」
「そんなことも知らずに来たというの?」
「そうラブ。チエが心配ってだけで、何も知らないのに魔法界に来たラブ」
ルビィは俺を値踏みするようにじろじろと見ると、ふんと鼻を鳴らして先程までと変わらぬ口調で言った。
「早く来なさい。貴方たちが遅いものだから、こうして廊下まで迎えに来てしまったのよ? あたくしは女王なのに……そう、女王なのによ!?」
「すみません、急ぎますね」
野々宮が笑顔で返事をすると、ルビィは何か思い出したようにポンと手を叩いた。
「そうだわ、話があることはミーラブから聞いたかしら? それなりに重い話だから、心しておきなさい」
「はい、ありがとうございます」
ルビィは何事もなかったかのようにスタスタと歩き出す。
野々宮は優しく微笑みながら、諭すような口調で言った。
「前に言ったかもしれませんが、魔法界の人々は感情表現が下手なんですよ。人間界に行ったことのない年代の人は、特に」
「俺が想像していたのは、無口だとか、無表情で魔法の研究に没頭しているようなタイプだったんだが」
「そういう人も多いですけどね。女王様はあの通り……女王様みたいな人です」
「もっと言い方はないのか?」
「ま、まぁ、悪い人ではありませんから」
とっつき難そうな人だと思ったが、女王様と話をするのは野々宮であって俺ではない。
俺はミーラブが言うように魔法界のことを知らないし、あまり余計なことはせず、野々宮が困っていそうであれば話を聞いてやるくらいの方がいいのかもしれない。
「でも、女王様がオーホッホッホって笑い始めたらツッコミを入れるからな」
「えっ? よくわかりませんが、そんなことをしていたら話が進みませんよ?」
魔法界って一体。
+ + +
ルビィ女王様が直々に案内された王の間は、煌びやかなシャンデリアがぶら下がり、ピカピカの大理石の床が輝き、馬鹿でかい女王の椅子があった。
それはそれは豪華な部屋だったのだが、何というか――色味が薄い。
全体的にパステルカラーの王の間は、絵本の中のような淡い色調に染まっている。
「……何だ、この違和感だらけの部屋は」
「わ、私もびっくりです。前は普通に豪華な部屋だったんですけど」
ルビィは驚く俺たちをキッと一睨みで黙らせると、優雅な動作で椅子に座った。目に優しい椅子の色合いが何とも言い難い。
「何か文句があって?」
「だって、外はあんなに綺麗なのに、どうして中は色落ちしたジーンズみたいになってるんですかっ」
「ジーンズ? どうでもいいけど、城の内装に気を回したって、誰も見ていないんだから意味がないじゃない。重要なのは外面よ、そ、と、づ、ら!」
まったく意味がわからないのに、言葉の勢いだけで納得してしまいそうになる。
俺は野々宮の肩に乗っているミーラブを突いて、無言でどういうことかと訊ねる。
「魔力や想像力の大半を世界の維持に使っているんだラブ。この城も見た目はレンガの城だけど、狼の一息で吹き飛ばされるほど危険ラブ」
「そんな脆い城なのかよ。というか、想像ってさっき言ってた……」
「そう、空想の魔法の中心が女王様なんだラブ。そもそも、この魔法は女王様がかけるもので、それだけの魔力を持つ者が選ばれるんだラブ」
ミーラブは平然と言うが、それって凄く大変な役目ではないだろうか。
そんな気持ちでルビィに視線を向けると、途端に不機嫌そうに顔を歪めた。
「何よ、その目は」
「べ、別に何でも……」
俺は慌てて否定するが、ルビィは椅子の装飾部分をもぎ取って俺に投げつけた。
「痛っ、つーか、脆っ! その椅子、脆すぎますって!」
「同情は要らないわ。あたくしは平民どものように世界が終わりそうなだけで嘆くような器じゃなくってよ!」
「え、いや、まぁ、この世界の仕組みが女王を軸にしているなら、女王様に嘆かれては困りますけど……」
「常日頃から魔法界全土に響く高笑いを練習している、このあたくしを舐めないでちょうだいっ! オーホホホホホホホ!」
口元に手をあてて、高らかに笑う。想像していたよりも優雅、圧倒的優雅。
でも、高笑いを練習しているのは努力家あるいは暇人だと思う。
整理すると、ルビィは高い魔力を持っているので女王様に選ばれて、空想の魔法の中核を担っているわけか。考えてみれば、魔法界を成り立たせている大事な魔法を住民たちだけに委ねるのもリスクが大きい。
その分、ルビィはひたすらポジティブであることが求められるわけだが、見た限りは問題ないように思う。世襲制でもないのに、女王になるために生まれてきたような人だ。
「ということは、女王って役職であって、結婚してるとか子供がいるってわけじゃないのか」
「見た目でわからないラブか?」
「ミーラブ!」
ルビィの刺すような怒声が飛ぶ。
ミーラブは驚きに身を縮こまらせて、足を滑らせて床に落ちて、ぽよんぽよんと跳ねた。弾力性があるなぁ。
野々宮は肩から落ちたミーラブのバウンドをそっと止めてやると、付け加えるように言った。
「王子はいますけどね」
「えっ、隠し子?」
「違いますよ、王子は生まれたときから王子なんだそうですよ」
「……ど、どういう意味だ。教えてくれ」
「さぁー?」
駄目だ。魔法界はこれっぽっちもわからない。俺は頭を抱えてうずくまる。
「俺はこの世界で何を成すのか……」
「ナス? そういえば魔法ナスが美味しい季節ですね。それより、そろそろお話が気になるんですけど」
野々宮は困惑する俺を放っておくことにしたようだ。何となく冷たい口振りである。
確かに余計な茶々は入れないつもりだったのに、あまりにも魔法界がわからないものだから話をストップさせてしまっていた。
俺は寂しげに転がるミーラブを突いて、より寂しげに転がす遊びを始める。ふふ、楽しいなぁ。
「未だかつて、こんなにも場違いな空気を感じたことがあっただろうか……」
「新藤さん。後で構ってあげますから、静かにしてて下さい」
野々宮の溜息に乗っかるように、ルビィも声を張り上げる。
「そうよ、貴方が失礼だから話が進まないんだわっ! ちょっとミーラブを持って大人しく反省していなさいっ!」
「……何だ、その廊下に立ってろみたいなノリは」
「……ミーをバケツ扱いしないでほしいラブ」
ぶつぶつと文句を言いながらも、ミーラブを抱えて壁際に下がる。
ルビィは一息ついて姿勢を正すと、野々宮に強い視線を向けた。
「さて、貴方を呼んだ理由だけど、もう大体わかっているのかしら?」
「魔法界の崩壊が早まったから、ですか?」
「それは原因ね。チエを呼んだのは、もう待てないからよ。というより、予想外に魔法界が危なくなってしまったの。これまでに集めた魔力で何とかしのぐしかないわね」
「し、しのぐだけですか……?」
「あたくしを誰だと思っているの? ……まぁ、あと半月は心配ないわ」
ルビィは励ますように言ったが、野々宮は不安そうに小さくなっている。
「それって、根本的な解決にはなりませんよね……?」
「ええ、だけど、プランBがあるのよ」
「えっ、何に対してのBなんですか?」
野々宮のもっともな疑問をまるっきり無視して、ルビィは椅子から立ち上がり、腕を組んで不敵な笑みを浮かべた。
「まずは差し迫る危機をひとまず回避っ! すかさず、チエがあたくしとともに華麗に登場し、先代女王が成し遂げた偉業である百のありがとう集めが、あと七つだと宣言するのよ。民衆は希望に湧き返り、明日への活力が生まれ、その隙にチエが残りを集めて、世界が救われて、あたくしの名は永久に魔法界に残るのよっ!」
ごちゃごちゃと計画を述べたようだが、俺が聞き取れたのは自分の名を歴史に残したいという部分だけだった。
野々宮もぽかーんとした顔で反応できずにいるなか、ルビィは満足気に目を閉じた。
「ふっ、決まったわね」
シーンと部屋が静まり返って、うかつに声を発することのできない空気に包まれる。
しばらくして、野々宮が恐る恐る口を開いた。
「つまり、時間稼ぎしている間に、魔法界全体の意識を平和に向けて、私のありがとう集めも終わらせて、確実に世界を安定させようってことですか」
「……まぁ、あたくしの高尚な考えを平たく言えば、そうなるわね」
「意外と堅実ですね」
「そう聞こえたのなら成功したも同然だわ。でも、いいこと?」
ルビィは念を押すように、野々宮の目をジッと睨みながら言った。
「この計画はチエを希望の象徴、救世主として祭り上げることになるわ。そうなれば、ありがとう集めを完遂しないと皆は納得しないでしょうし、してもらわないと魔法界も安泰とまではいかないわ」
「はい、大丈夫ですよ。希望の象徴っていうのは、ちょっと恥ずかしいですけど」
はにかみながらも快諾する野々宮を見て、ルビィは初めて瞳に迷いの色を浮かばせた。
「……簡単に言わないでちょうだい。一応、今ある魔力に見合ったサイズの魔法界を再構成する案もあるのよ」
そのとき、俺の腕の中にいるミーラブが、前にいる二人には聞こえないようにささやく。
「でも、利害関係の調整に手間取ってるラブ。やっぱり、このままの魔法界を維持したいのが本音ラブ」
「……だろうなぁ」
そういう事実を野々宮には伏せて、選択肢として提案するルビィは意外と気遣いができる人物なのかもしれない。
確かにルビィの計画は、看板役も実動役も野々宮の負担するところが大きい。
しかし、野々宮は一切迷いを見せることなく、堂々と言い切った。
「やります。困っているのが女王様だとしても、助けるのが魔法少女でしょう?」
「だから、そう簡単に……」
「簡単に言ってるんじゃありません。なんたって、六年間も魔法少女をやってきたんですから」
野々宮は平然とした口調だったが、その言葉には重みがあった。それは十六歳の少女が六年間の中で得た、魔法少女としての矜持なのだろう。
ルビィは驚いたように目を見開き、口元を手で覆う。やがて、楽しそうに目を細めると、肩を震わせ始めた。
「フ、フフフ……オーホホホホホホホッ! 言ったわね、チエ! いらっしゃい、貴方に似合うドレスを見立ててあげるわっ!」
「えぇっ!? どうしてそうなるんですかっ!?」
一瞬にして決心を崩された野々宮が、顔を困惑に染める。
しかし、ルビィは問答無用で野々宮の腕を掴み、城の廊下へと引っ張っていった。
「ミーラブ、マサヒロを適当な部屋に案内してあげなさいっ」
「わ、わかったラブ!」
ルビィが指示を出した隙をついて、野々宮が必死に抵抗する。
「あっ、あの、待って、困りますって!」
「あたくしの隣に並び立つのに、そんなちんちくりんを引き立てるような衣装では可哀想だわっ。ふわふわのフリフリのキンキラキンじゃないと!」
「そ、それよりスピーチの練習とか、計画の詰め直しを――」
「大声で堂々と繰り返せば、多少の不都合なんて気にならないものよ。さぁ、観念なさいっ!」
「新藤さん、た、助けてー、ぇー、ぇー……」
俺もミーラブも呆気に取られたまま、野々宮が薄暗い城の廊下へと消えていくのを眺めていた。
野々宮の助けを求める声が聞こえなくなった頃、ミーラブが訊ねた。
「マサヒロは、ヒーローをやっているんじゃなかったラブか?」
「……俺にも助けられないと思うことはあるんだ」




