5.2 ここが魔法界? ミーとラブと縦ロール
「ここが、魔法界……」
空が白い、というのが第一印象だった。
明け方の薄明るい空に似ているが、突き抜けるような透明感が感じられない。それに雲一つなければ、太陽すらない。まるで病院の天井のような空模様だ。
周囲は草原が広がっていて、なだらかな丘になっている。俺と野々宮はその中腹辺りに立っていた。
遠目に見えるのは、赤い屋根が密集する町らしき風景、黒々とした木が立ち並ぶ深い森。
そして、一際目を引くのが、白い城壁と青い屋根のおとぎ話に出てくるようなお城である。
ここが日本ではないことは確かだし、城や風景は幻想的とも言える。しかし、俺は首を捻ってしまった。
「あまり魔法って感じがしないな」
「そうかもしれません、多分――」
「魔法の力が弱まっているからラブ!」
俺の疑問に答えようとした野々宮の肩に、ポンと丸いものが飛び乗った。え、ラブって何。
一瞬にして魔法界がどうでもよくなるほどの強い疑問が湧きおこる。ねぇ、ラブって何。
固まる俺をよそに、野々宮が驚きながらも嬉しそうな声をあげる。
「ミーラブさん!?」
「チエ……久しぶりラブ!」
どうやらその珍妙な生き物は野々宮の知り合いらしく、ミーラブというらしい。
縦方向に楕円型、いわゆる卵のようなフォルムに小さな耳と短い手足がついている。
俺も非常識な人生を歩んできたし、多少のことはそういうものなんだろうなぁ、と受け入れよう。しかし、俺は問いたい。ラブって何だ。
「あー……」
しかし、何も言えない。
俺はミーラブという生き物の生態、特に語尾について詳しく聞きたかった。
それが黙らざるを得なくなったのは、懐かしそうに柔らかな笑みを浮かべている野々宮がいたからだ。
どうにもふざけた質問ができる雰囲気ではない。いや、本当にラブが気になってはいるのだけど。
野々宮はミーラブを胸に抱きかかえ、紹介するように俺に向き直った。
「新藤さん、ミーラブさんは私と一緒だった妖精なんですよ」
「それって確か……」
魔法の力が弱まって、一年前に消えたという話を聞いたことを思い出す。
俺が言い淀んだ言葉を察するように、野々宮は少し無理やりに笑った。
「ええ、消えた妖精さんです……けど、ここにいるんです! 魔法界に来てほしいって、夢の中で私を呼ぶ声がミーラブさんに似ていたので、もしかしてと思いましたけど、本当に!」
そういう経緯で魔法界に行くことになったのか、と無言で納得する。
このように興奮している野々宮は珍しく、俺は何と言ったものか困ってしまった。そこにミーラブがやれやれという風に口を挟む。
「落ち着くラブ。ミーは人間界にいられなくなっただけで、魔法界で元気に療養してたんだラブ」
「そうだったんですか……あのときはパッといなくなってしまって寂しかったんですよ、それに」
「まぁまぁ、積もる話は後にして、まずはお城で女王様に会うラブよ」
一人称がミーとか、元気に療養とか、いつになったら遠慮なくツッコミができる空気になるのだろう。
意外なことに、現状、最も正常な思考で話ができるのはミーラブのようだ。
言われたとおり、ここで話し込んでいても仕方がないので、俺たちは城に向けて歩き出す。
「ところで、その男は誰ラブ?」
歩き始めて数歩もしないうちに、ミーラブが訊ねる。
俺としては、その前にミーラブのことを詳しく知りたい。今のところ、一人称がミーで、語尾がラブだからミーラブだという推測しかできない。
「えっと、彼は新藤昌宏さん。ヒーロー、候補をやっていて、助けたり助けられたりしてる仲です」
「……よ、よろしくな」
まだミーラブに対して未知の部分が多く、何となく挨拶も硬くなってしまう。
ミーラブはつぶらな瞳で俺をじーっと見つめる。可愛い姿だけど、情報不足から生じる不気味さが拭えない。
ぎこちない対応の俺を訝しむように、ミーラブは不穏な口調で言った。
「こんなところまで一緒に来るなんて、もしかして……」
「えっ、いや、そういう関係じゃ――」
「新しいマスコットラブか?」
「違うよ」
+ + +
城までの道のりを行く間、野々宮とミーラブはすっかり昔話に花を咲かせていた。
無理もない。唐突なお別れをした相棒に再び出会えたのだから、周りが見えなくなるほど楽しくなるのも当然だ。
でもなぁ。はっきりと声にすることなく、溜息のようにして呟く。
俺は野々宮の隣で、疎外感を感じていた。野々宮が楽しそうだから不快ではないのだけど、寂しい。非常に寂しい。会話に加われない父親のような気分だ。
「――今は引っ越して、新藤さんと一緒に頑張ってるんですよ」
「チエも大変だったんだラブね、よくやったラブ!」
「えへへ、ありがとう……」
率直な褒め言葉を素直に受け止める野々宮。微笑ましすぎて、ずっと見ていたくなる。だから、こうしてお付きの人みたいになっているのか、くそぅ。
「また、ミーラブさんにお会いできて、とっても嬉しいです」
「そうラブね、ミーも嬉しいラブよ」
こうして横で話を聞いていると、意外とミーラブは聞き手役といった感じで、自分から話題を振ることは少ない。
野々宮が楽しかったことを話せば、共感するように同意する。辛かったことを話せば、しっかりと励ます。
凄く良い関係だと思う。俺のミーラブに対する抵抗感はすっかりなくなっていた。ミーが何だ、ラブがどうしたってんだ。
それに比べて、俺の相方はどうだ。サトーなんて人型だけど、うるさいし、偉そうだし、わかりづらいし。
「あ、連絡……」
思い出したように携帯電話を取り出すが、圏外だった。これを携帯会社の怠慢と言うのは、流石に酷である。
「どうしました?」
「いや、サトーにな。けど、いいよ、圏外だし」
事後報告で十分だ、と携帯電話を仕舞う。
野々宮の思い出話も一区切りを迎えたらしく、こちらに視線を向けて、納得するように頷く。
「魔法界でケータイは無理ですよねぇ」
「圏外なのは魔法界に携帯電話がないからラブ」
当たり前じゃないか、と言いかけて思考が急停止する。
「……あれ、どういうことだ?」
「ちょっと、わかりにくかったラブか。さっきも風景や空を見て、魔法っぽくないと言ってたけど、それらは全部、この魔法界の成り立ちで説明がつくんだラブ」
「ふーん、野々宮は知ってたのか?」
「えっ!? そ、それはもちろん、聞いたことはあるはずですよ!?」
野々宮の携帯電話は無理という言葉を、ミーラブが暗に否定しているのだから、もう覚えていないのだろう。
ミーラブはやれやれと言った表情で解説を始めた。
「この世界は空想の魔法で成り立っているんだラブ」
「空想? それじゃ、この世界は夢みたいなもんなのか?」
「違うラブ、ちゃんと存在してるラブ。空想というのはイメージとも言い換えられるラブ。魔法界はここに住む皆のイメージで作り上げられた、"想像"が"創造"する魔法によって作られた世界なんだラブ」
「じゃあ、携帯電話が使えないのは?」
「魔法界には携帯電話がないし、人間界との通信も禁止されているから、想像してないんだラブ」
携帯電話を普及させて、人間界につながると皆が思えばつながるのか。そんな馬鹿な。
「いまいちピンと来ないんだけど。例えば、住民が空が赤いって思ったら赤くなるのか?」
「まさしく、その通りラブ。そして、今は魔法界の危機で空なんて見上げる人が少ないラブ。魔法の力が不足していることもあって空は……」
「……真っ白か」
俺も野々宮も何となく空を見上げてしまう。終末が近いわりに、綺麗さっぱりすぎて味気ない空だ。
「空想の魔法なのに、空を想えなくなっているんだラブ」
ミーラブはそれまでと変わらない口調で言ったが、何故かそこだけ寂しく聞こえた。
俺は空想の魔法について思いを巡らせていた。思ったことが本当になるなんて、魔法らしい魔法だ。
ふと、脳裏に危機という言葉がよぎる。
「……待てよ、皆が悲観的になったら、その魔法で成り立ってる魔法界は危ないんじゃないのか!?」
「それが魔法界の終わりを早めた原因の一つラブ。だから、チエを呼ぶことになったラブ」
そういえば、五月頃にあと半年で魔法界は危ないと聞いた。今は八月、予定より早い。
ミーラブの言葉を聞いて、野々宮が不安そうに訊ねる。
「あの、私にできることがあるんですか? 申し訳ないですが、ありがとう集めは終わってませんよ?」
「言っちゃ悪いけど時間切れラブ。それに百個というのは昔のならわしが基準だから、気にしなくていいラブ。チエの集めてくれた感謝の気持ちは十分凄いラブ」
「そうだな、百点満点のテストで九十三点みたいなもんだろ?」
「……何だかなぁ」
野々宮は複雑そうな表情で呟く。今度ばかりは具体的な数値や目標がある分、褒められても素直に喜べないらしい。
「とにかく、チエを呼んだ理由は女王様が直接話してくれるはずラブ」
「あの人ですかぁ……まぁ、もうお城ですし、覚悟を決めますか」
「ん? まだ、結構あるだろ――って、あれ?」
だいぶ先だと思っていた城の城門が目の前にあった。
別に城までの距離を意識しながら歩いていたわけではないが、幾らなんでも唐突すぎる。
「あれ、えっ……もっと遠かったというか、こんなに近かったか?」
「この城は数百年前、人間界で修行したことのある魔法使いたちが建てた魔法の城ラブ。近づくまでは城の全景が綺麗に見れる距離感が保たれるそうラブ」
「……滅茶苦茶だ」
苦い顔をして城門を潜ると、先程まで随分と遠くに見えていた城の主郭がどんとそびえ立っていた。
レンガ造りの城壁はペンキで塗ったかのように真っ白だが、手触りは見た目通りに少しざらついている。
壁伝いに城を見上げていくと、青い屋根と突き出た尖塔が目に入った。囚われのお姫様でもいそうな雰囲気である。
「すげー、何か格好いいなぁ、城っぽくて」
何気なく感想を零すと、野々宮がおかしそうに口元を手で隠した。
「……何だよ」
「いえ、驚いてる新藤さんが子供みたいで可愛いなぁ、と」
くすくす、と笑いが収まらない野々宮。
何だか腹立たしくなって、そっぽを向いてしまう。しかし、これでは。
「ガキじゃねーか……」
溜息をついて、肩を落とす。魔法界という不慣れな場所に来て、余裕が足りなくなっているのかもしれない。
まだ肩を震わせている野々宮の後ろをついて、城内に入る。内装は真っ白な外と比べて暗色というか、薄暗くて不気味である。
柱の装飾は人の顔のようにも見えてくるし、アーチ型の天井はコウモリが潜んでいてもおかしくない。実際はクモの巣一つ張っていないのだから、考えすぎなのだけど。
そういえば、城の雰囲気に気を取られていたが、兵士とかメイドさんがいてもおかしくないのに、一人もすれ違わない。というか、人の気配がない。
「お化けの城ってぐらいに人がいないな」
「全員、避難しているんだラブ。今は女王様だけが残っているラブ」
「えっ、普通は女王様から逃がしてやるべきじゃないのか?」
「それは――」
「女王が城にいることに、何の不自然があるというのかしら?」
カツカツと足音を鳴らして歩いてきたのは、赤と金で彩られた豪華なドレスの女性。
これが女王様なのか、と俺は驚く。確かに不遜な瞳や自信に満ちた笑みは、女王の風格をたっぷりと漂わせている。
「チエ、久しぶり。ミーラブ、ご苦労様。そして、そこの貴方!」
「うわっ」
いきなり眼前に指を突きつけられ、サッと身を引く。
「マサヒロ、と言うそうね。あたくしはルビィ、女王様とお呼び!」
ビシッと高飛車なポーズを決めた女王ルビィは、背丈が俺の胸あたりまでしかなく、顔立ちも幼く、声も態度も高かった。
髪は宝石のように艶やかな紅色。そして、何より印象的なのは頭の左右に揺れるもっさもさの縦ロール。
というか、女王様って――
「ガキじゃねーか……」




