1.4 ヒーロー歩けど棒に当たらず
午前九時二分、駆け足で公園まで急ぐと、既にサトーと野々宮が待っていた。
先にサトーが気付いて手を挙げ、続いて野々宮が振り向いて微笑む。
「昌宏が遅刻とは珍しいな。あれか、女子の手前、服選びに時間がかかったのか」
「違うっ。野々宮、ごめん。起きたら十分前だった」
「お、落ち着いて。私も来たばかりですから」
「野々宮女史は八時半には到着していた」
「ごめんっ!」
「本当に大丈夫ですから、サトーさんのお話も楽しかったですし」
普段は祖母から借りているツインベルの目覚ましがジリリリリと鳴るのだが、昨晩はつい準備もせずに眠ってしまった。
学校があれば祖母が心配して起こしてくれるが、休日なので寝かせておいてくれたようだ。
慌てて飛び出してきたので、ろくに準備もしていない。着の身着のままの外出で痛い目を見たばかりなのに。
「ヒーローは遅れてやってくると言いますし」
「……フォローのつもりなら、あんまり嬉しくない」
「す、すみませんっ」
俺が悪いのに野々宮が謝る。世の中の仕組みって不思議。
自分の駄目人間っぷりを痛感しつつ、ため息まじりに訊ねる。
「それで何処行くんだ?」
「手がかりがあるわけではないからな。駅や学校、商店街といった人の集まる場所を回る」
「うーん……」
最寄駅は本当に電車に乗るためだけの施設で、駅ナカのような商業施設はない。
学校も休日なので生徒たちはいないだろうし、商店街も賑わっているとは言い難い。
「バスか電車で二駅くらい行けば、だいぶ人通りあるんじゃないか?」
「いや、反応はこの町周辺に多く見られている。まだ、そこまで範囲を広げなくていいだろう」
サトーの根拠不明なデータをもとに、探索範囲を定められたくはない。
俺だけならまだしも野々宮を引き連れて、ほぼ住宅地を歩き回るプランニングは酷いだろう。
本日の予定を決めかねていると、野々宮がおずおずと意見する。
「まだ初日ですよ。気負わずに、ただ歩くだけでもいいと思います」
「それ無計画に歩き回るってことだろ、いいのか」
「計画的に歩いていたら、逆に何事もなく終わってしまいそうです」
一理ある、ような気がする。
「とりあえず、歩き出しましょう?」
「……そのやる気が呑気なんだよなぁ」
「えぇっ、真剣なつもりですよ!?」
「では、本日は散策に努めることにしよう。気分が悪くなった人は遠慮せずに先生に言うんだぞ」
「誰が先生だって?」
+ + +
サトーが後方を歩き、俺と野々宮はその少し前を並んで歩いている。
しっくりこない、気恥ずかしい。しかし、俺まで歩調を乱すと、縦並びで歩く集団となる。それは怪しい。
気さくな感じで話せればいいのだが、夜の長電話のこともあるので、余計な口出しは慎むべきとも思う。
「新藤さん」
「何かあったか」
「いえ、ただのお話です。お邪魔でしたか?」
これは野々宮に気遣われてしまっただろうか。
「お邪魔なもんか。何でも言ってくれ」
「では、友達ってどうすればできるんでしょうか」
「……いないのか」
「いないんです。話そうと思えば話せますけど、友達らしい会話ではありませんし」
「……悪いけど、俺もいないんだ。ヒーローやってると、友達って減るんだ」
「あぅ……」
野々宮が言葉に詰まる。
ろくに話すこともなく、淡々と歩いているだけも厳しいが、この空気も厳しい。
戯言だと思っていたが、俺も野々宮も実感たっぷりに断言できる。ヒーローは孤独。
「野々宮は引っ越す前はいたんだろ。ヒーロー始めて、皆と疎遠になった俺よりマシだ」
「幼稚園や小学校からの付き合いみたいなもので、卒業してからはメールもないですけど?」
「登録はしてあるんだろ。俺なんて、親とサトーと野々宮しか名前ないからな!」
「……お互いに言葉で殴り合うのやめませんか」
「……そうだな」
不毛な争いに終止符が打たれて、再び静寂が訪れた。
俺と野々宮には、無言か悲しい会話の二択しか用意されていないのか。
「卒業して引っ越して、入学したのが悪かったのかもしれません」
「どうして? 転校は手続きとか面倒そうだし、余計に馴染めなくなりそうだぞ」
「それでも転校生というステータスがあるじゃないですか。今の私は、誰あの人、何処の中学にいたの、状態ですよ」
自嘲気味に笑う野々宮はレアだと思うので、脳裏にクリップしておこう。
野々宮が言う転校生の方がマシという論調は、目立ちたくない俺には同意しがたい。
しかし、入学前に高校から配られた資料に『新一年生の出身校』が記載されていたことを思い出す。
○○中学:62名
□□中学:26名
△△中学:15名
○×中学:1名
■◎中学:1名
あれは思わず二度見した。
今まで忘れていたが、こうして思えば俺と野々宮のことだったのだろう。
学校側はもっと書きようがなかったのか、抗議したい。
保護者向けの資料だったので、生徒全員が読んではいないと思われるのが救いか。
「聞かれたりしなかったのか、その……貴方、誰ですかって」
「そんな失礼な人いませんよ!」
「……その結果がこれだぞ?」
「うう、失礼な人ウェルカムです……」
+ + +
公園から自宅と逆方向に歩き、住宅街を抜けると、田園風景が視界に広がる。
直線に伸びる道路は人よりも車の通りが多く、流石にそろそろ引き返すべきだと思う。
「何処まで行くか、そろそろ考えて歩かないか?」
「そうですね……でも、お腹減りません?」
そう言われて時間を確認すると、正午を過ぎていた。
「所持金は問題ないけど、店がないなぁ」
「いや、こだわりがなければ、この先に店がある。郊外の大型店だ」
「ありましたね。ついでに飲み物買っていきましょう」
「……あったっけ」
祖母と二人暮らしなので、郊外まで食事や買い物など行ったことがない。
辿り着けるか不安だったが、野々宮とサトーが遠目に発見してくれたので、無事に到着した。
広い駐車場を備えた郊外の大型店。主に自動車でアクセスすることを想定された場所に、徒歩でやってきてしまった。
「飯食ったらバスで帰るのはどうだろう」
「昌宏! そんなやる気でヒーローは務まらんぞ!」
「だって、五月だからなぁ」
「何でもいいですから、混む前に入りましょうよ!」
考えてみればゴールデンウィーク初日。十二時過ぎの飲食店が混雑しないはずがない。
野々宮の言うとおり、さっさと決めようと店をざっと見渡す。
「回転寿司、ラーメン、とんかつ、ハンバーガー……どうするよ」
「あー、えーっと……」
「ハンバーガーが時間効率的に良かろう。持ち帰れば歩きながら――」
「黙ってろ。野々宮は何がいい?」
「……じゃあ、ラーメンで」
何が不満なのかと首を傾げるサトーと、財布の事情と乙女心を考慮した野々宮。
せめてファミレスとか無難な店があれば。ファミリーじゃないけど。
チェーン店のラーメン屋に入る。すぐに席は用意されなかったが、数分も待てば空く様子だった。
客待ち名簿に迷いながらも新藤と書いて、素直に待つことにした。
「昌宏。店員から見れば、俺たちは三名の新藤様になるな」
「……その冗談、野々宮にも被害及ぶだろ」
「いえ、私は気にしませんよ?」
「ママはこう言っているが、パパはそれでも嫌か?」
「おい、サトー。今、お前はどのポジションにいるつもりだ」
「息子だ」
「やっぱ、気にします。やめて下さい、サトーさん」
不愉快な談笑に花を咲かせていると、店員に呼ばれ、席に案内される。
それほど迷うことなくメニューを決めて、ラーメンが来るまで再び待つ。
「何かごめんな」
「えっ、どうしてですか?」
「延々と歩いて、ラーメン食って、でかい息子が出来て……」
「まぁ、最後のはともかく、楽しいですよ」
野々宮の表情に嘘はなく、朗らかな笑顔で楽しいと言っていた。
俺の下手くそな気遣いは余計なお世話だったようだ。
そのとき、俺の横を子供が駆け抜ける。別に子供は嫌いではないが、あまり良い印象は受けない。
「元気な子供ですね」
「五月だからなぁ……」
「便利な台詞ですね、それ」
小さく笑いながら、野々宮がふっと目を伏せる。
俺は店内を駆け回る子供を目で追いつつ、何気なく呟いた。
「ヒーローとしては、元気な子供を守りたいものだけどさ」
「……えぇ」
「俺は違うみたいなんだ」
「えっ、違うんですか?」
ぼんやりしていた野々宮が目を見開いて驚く。
俺はフッと思い出したのだ。自分がヒーローになりたがった理由を。
「俺がヒーローになったのは、クラスの人気者を助けたかったからなんだ」
「人気者?」
「普通は弱いものを守るだろ? 俺は人気者だった人を守りたくて、ヒーローになろうとしてたんだ」
「……どうして?」
「誰かを助けてる人を助けたかったんだ。俺が自分で助けるより、いいと思った」
自分を見下してるわけじゃない。
ただ、その方が性に合っている気がした。
野々宮は興味深げに俺の目を見つめ、俺は何だか恥ずかしくて視線をそらした。
「まっ、野々宮みたいに素直に人助けできない男の屁理屈だよ」
「……私は今、人助けというより、自分を助けるので精一杯なんですよね」
「仕方ないさ。ヒーローだって切羽詰まってるときはあるんだから、無理しなくていい」
「無理してでも人を助けるのがヒーローだと思いますけど……」
「じゃあ、そういう奴を助けるのが俺だ」
格好つけすぎたかもしれない。
顔がカッと熱くなってきたような気がして、眠たげなふりをして顔を伏せる。
しかし、追い打ちをかけるように、つんつんと俺の頭を誰かがつつく。サトーじゃねぇだろうな。
少しだけ顔を上げると、野々宮がおかしそうに口元を押さえている。
「ラーメン来ましたから、顔を退けて下さい」
恥ずかしさが留まるところを知らない。こうなれば気の済むまで恥を上塗りしてやる。
「この事件が無事に解決したら、野々宮にありがとうって言ってやる。十回言ってやる」
「ふふ、ありがとうございます。でも、一人一回までですよ」
そして、黙っていたサトーが割り箸を綺麗に割りながら言った。
「アリが十匹でありがとうだな! 十回だけにな!」
「……そうだな」
俺は何も考えず、ラーメンを食べることにした。