4.6 新藤昌宏の告白
「大丈夫か、野々宮?」
俺は突き飛ばした位置でへたり込んだままの野々宮に手を差し伸べる。
野々宮は曖昧に微笑みながら、俺の手を掴む。そのまま引っ張り上げるようにして立たせると、野々宮が疲れている様子がわかった。
「ちょっと驚いちゃって……あの、あれは?」
「……何だろうな」
野々宮が俺を凄く見ている。これでもかと凝視している。
無表情で目をそらすと、握ったままだった野々宮の手が向こうから離された。
その動作があまりにも寂しくて、根負けして野々宮の顔を見る。悲しげな目をしていた。
「今疲れているのも、昨日疲れたのも……あれが私の魔法だから、ですね」
昨日、野々宮は記憶にない魔法の疲労感を覚えていたのだろう。
謝罪するようにますます顔を伏せ、溜息混じりに淡々と言葉を吐き捨てる。
「昨日も襲われたんですね? どうして言ってくれなかったんですか?」
「いや、その……」
「もしかして、メールに書いてあったんですか? それなら申し訳ありません」
そんな内容は書いていなかったけど、それを言うと余計に失望されそうな気がして言えなかった。
怒られた子供のような顔をしていたと思う。こうなるなら話しておけばよかったと。
野々宮は怒るというより悲しそうに、むしろ自分を責めているような表情だった。
「今回は私の責任です。魔法が原因なら、明智さんに真相を伝えれば……」
「待て! ……それで明智は名探偵になれるのか?」
「えっ、でも」
「明智が名探偵にならなければ魔法は終わらないんだ」
野々宮は言葉に詰まり、焦るような目を明智に向ける。
明智と久我は俺たちを不思議そうな表情で見つめていた。そこに恐怖の色がなかったことに安堵する。
俺は何と声をかけていいものか考え、まずは礼を言っておくことにした。
「明智、助けてくれてありがとな」
「えっ!? それはこっちの台詞よ。私のは素人の蹴りが上手く入っただけだもの」
その素人の蹴りは、数年間もヒーローらしさを磨いてきた俺よりも格好良かった。何とも情けない話である。
俺が才能ないのか、明智に格闘の才能があるのか。つくづく、探偵には向かない女である。
明智はわりと平静を保っていたので、直立不動で考え込んでいる久我に話しかける。
「久我、今見たことは……」
「わかっている! あんな影のような人間に理屈をつける方が常識を冒涜している!」
意外なほど冷静に物事を見ていたが、それを認めたくない様子だ。
「えっと、他の人には秘密にしてくれるんだよな?」
「言えるか!」
久我は態度こそ荒っぽいものの、理解ができずに取り乱してはいないようだった。
ひとまず、誰も怪我することなく今日のピンチを乗り切ることができた。
野々宮を早いところ休める場所に連れて行きたい。
「あれは俺を狙ってる犯人だから、他の人が襲われることはないと思う。今後は俺から離れていれば安全だ」
「……あれが、犯人?」
明智の呟きに明確な回答を与えていいものか戸惑う。
もはや犯人も目撃し、俺と野々宮の会話から大体の事情も伝わったはずだ。
とりあえず、今日の襲撃が終わったということは、明日まで時間があるということだ。それまでには推理もまとまるだろう。
「明智、今は野々宮を保健室……いや、家まで連れて行くの手伝ってくれないか」
「いいけど……」
明智が野々宮に肩を貸す。かなりふらついている。あんな状態で昨日は一人で帰ったのだろうか。
俺は急がなければならないと思い、困惑した顔つきで立っていた久我に軽く頭を下げた。
「悪い、色々と話すことはあると思うけど……」
「……いや、僕も話さなくてはいけないことがある。だけど、今は、その、彼女を優先するべきだ」
俺は久我に深く頭を下げて、その場を後にした。
+ + +
野々宮を家まで送り届けた後、俺と明智は二人でサトーの家に向かっていた。
家に着く頃には顔色もだいぶ良くなっていたので、野々宮の母親が不審がっている様子はなかった。「大丈夫なの?」と一言、娘の体調を案ずる言葉があっただけだ。
明智が野々宮の母と話している間、俺は後ろで待っていた。
クラスの男子生徒が必要以上に娘を心配することを、どう思われるか不安だったこともある。しかし、それよりも逃げているという意識が強くあった。
焦り、心配、葛藤。様々な感情が目まぐるしく頭を巡るが、その軸はすべて野々宮である。
「新藤君、野々宮さんは大丈夫なのかしら……?」
「野々宮は魔法を使うと疲れるんだよ。その魔法で人を助けて、ありがとうって感謝されると回復するんだけど」
「そう……」
――あれ? 思考が一気に引き戻される。
野々宮への心配を共有してほしいあまりに、俺はあまりにも非日常な設定をべらべら言わなかっただろうか。
もしかして勘違いだったのかと明智に目を向けるが、平然とした顔で歩いている。
「……なぁ、野々宮が」
「魔法少女なんでしょう。知ってた」
「……あ、あぁ、うん」
「そして新藤君はヒーロー、当たってる?」
ふわっと微笑みながら訊ねる明智。
残念ながら、俺はそこまで格好いいものじゃない。
「ハズレ。ヒーロー候補だ」
「……その正解はずるいわ」
「信じるのか、こんな話」
犯人の影を見たから信じざるを得ないだけだと思うが、聞かずにはいられなかった。
明智は何か問題でもあるのかと、澄ました顔をしている。
「疑わしい情報を捨てているようでは、名探偵にはなれないわ」
「……ありがとな」
「まぁ、友達補正もあるけどね」
明智はいけないと頭を振り、キッと鋭い目線を前方に向けた。
「あんな犯人がいるなら、私は名探偵にならなくちゃ……いつもの冗談を本気にしないと」
「そんな気負わなくても」
「……あのね、探偵かぶれの素人女子高生が名探偵にならざるを得ないのに、水をさすようなこと言わないでよ」
「あ、あぁ、ごめん」
そう言われて気付いたが、俺もヒーロー補正を発動させるときは自分を奮い立たせようと恥ずかしい台詞を吐きまくるのだ。
今、俺に求められているのは普段の野々宮のような応援ではないだろうか。
「が、頑張れよ、明智!」
「……はぁ」
駄目だ、俺には助手の才能がない。
「悪い、俺は野々宮みたいに背中を押して人助けするようなタイプじゃないんだよ」
「野々宮さんも意外と力押しだと思うわよ?」
「あんな女の子みたいな身体で力押しされると、見てられないんだよなぁ……」
「野々宮さんは女の子よ」
妙にもどかしい気持ちになるのは、今回、俺はヒーローらしくないからだろう。
単なる被害者で依頼人。誰かを颯爽と助けるような立場でなく、助けられる側だ。
野々宮が辛そうなのに俺の努力では解決できない状況、それが非常に息苦しい。
「何でこうなったんだろうなぁ……」
「メールが来たから?」
「いや、きっかけを論じたいんじゃなくて。本来なら期末テストに集中してるはずだろ」
「嫌なこと思い出させないでよ」
ずーん、と肩を落とす明智。
それでも俺は言っておきたいことがある。
「探偵もヒーローも魔法少女も学生である以上、友達は欲しいし、テストで良い点取りたいんだ」
「……そういえば、野々宮さんってどうなの?」
明智は控えめに頭を指差す。言いたいことはわかるが、失礼な質問だった。
「別に野々宮は悪くない。魔法少女で忙しいし、疲れてるせいだ」
「新藤君は両立してるのねぇ……偉いわ」
「俺は中学で痛いほどわかったからな。だから、野々宮には日常を大事にしてほしいし、俺のことで面倒かけたくないし、テストも良い点取ってほしい」
正直、言っている途中で明智がにやにやし始めたので自覚はしていたが、口が止まらなかった。
俺がすべて言い終えると、パチパチとやる気のない拍手が起こる。
「新藤君は野々宮さんのことばかりね」
「……色んなことを理解してから、初めてできた友達というか」
明智は何も言わずに瞳をそらす。
そんな風にされると、ここで台詞を切ることができない。卑怯だ。
しかし、ある程度は気持ちをはっきりさせておきたかったし、それを言えるのは今くらいしかない気がした。
「野々宮とは事件の最中に仲良くなったようなもんだし、よく話をする女子なんて野々宮だけなんだよな」
「それで?」
「俺がどう思おうと、それは俺の勝手でしかないんだ。野々宮は何も思ってないかもしれないし、思ってくれてるかもしれないし」
「新藤君の勝手でいいじゃない。ここで言う分には」
「……そうか、わかった」
何一つわかっちゃいないのだけど、きっとそうだろうという思いを込めて。
「……多分、野々宮のこと好きなんだろうな」
とにかく、俺よりも野々宮をどうにかしてほしい。
事件解決へのモチベーションはそれ一色に染まっていて、犯人の襲撃なんて忘却の彼方だった。
しかし、俺はこんなことを言ってどうしたいのだろう。後悔より疑問が湧く。
「で、それを聞かされた私はどうすればいいのかしらね」
言わせておきながらこいつは、と溜息をこぼす。
明智が中途半端に首を突っ込んでは、処理に困るタイプなのは何となくわかっていた。
「事件が解決しても、野々宮と友達でいてくれればいいよ」
「……何だ、そういうことだったのね」
「謎が解けたみたいなノリだな」
「まぁね、単純なことほどわかってても言いたくないのよね……野々宮さんが好きだとか」
「やめろよ」
+ + +
サトーの家に入るときに思い出して、何となくこうなることは予想していた。
「安楽椅子だわ! 本物の安楽椅子よ!」
物が少ない部屋の中、最初に目に入ったのだろう。サトーの挨拶もお構いなしに、明智は安楽椅子へと飛びついた。
嬉しそうにはしゃぎながら、安楽椅子を撫でたり、おおーと感嘆の声を上げながら持ち上げたりしている。座れよ。
「昌宏、彼女が明智麻美か?」
「……一応」
今の姿が明智のすべてだと思われては可哀想なので、言葉を濁す。
サトーは一切動じている様子はなく、いつもの無駄に自信に満ちた声で明智に問いかける。
「単刀直入に聞くが、事件の見当はついているだろうか?」
「えっ、あ……流石に私も大筋は読めたつもりです」
「ふむ、それでは明日の放課後までには解けるな」
サトーは安心した様子で頷くが、明智は少しだけ顔を曇らせる。
「ただ、私の考える推理が真実だったとして、堂々と言ってもいいのかな、と」
「納得が足りないか? それとも舞台が整っていないか?」
「……心の準備が」
「演出か。ならば、協力する余地はあるな」
首を傾げる明智。俺も意味がわからずに眉を寄せる。
サトーは明智に歩み寄り、ぽんぽんと安楽椅子を叩いた。
「謎解きの際には、この椅子を使うといい」
「サトーさん!」
はっはっは、と気前のいい笑いをするサトー。感激している明智には悪いが、こんな調子で大丈夫なのだろうか。
俺は指先をくいくいとさせて、サトーを呼ぶ。
「冗談じゃなくて、本気で考えてくれよ」
「至って本気だ。昌宏と同じことだぞ? 演出を整えて、格好つけなければ名探偵などやってられないだろう」
それを言われると黙るしかない。サトーは更に言葉を続ける。
「事件自体はそれほど複雑なものではなかったのだろう。難しいのは常識と良識を捨てて、真実を指摘することだ」
「よくわからないんだけど」
「名探偵は非情な役割ということだ」
非情。それなら明智に才能がないのも仕方がないかもしれない。安楽椅子に頬ずりしそうな勢いの明智を見て、少し笑う。
子供の頃に抱いた探偵への憧れも、夢と現実を彷徨い身に付けた常識も、何一つ捨てられなかった明智。
彼女のいまいち役になりきれない中途半端さは、きっと同じようなところで困っている人を助けるのにちょうどいいはずだ。
ヒーロー候補に向いてそうだが、明智がなりたいのは名探偵である。
「明智には向かない職業だよなぁ……」




