4.3 見立て探偵と本格事件
サトーは言った。
「すまん、今日は用事がある」
パソコン室を後にして、教室へ歩いていた俺たちの空気は重かった。
サトーは珍しく都合が悪いらしく、申し訳なさそうに外出中だと言った。夕方には帰るだろうということで、それまで待ってくれ、とのことだ。
俺は構わないのだが、非常にタイミングが悪かった。
「……で、新藤君。他にあては?」
「ない」
俺のメールアドレスを知っていそうな人が早くも途絶えてしまった。
現在時刻は二時半。夕方というには日が高く、今からサトーの家に向かうよりは学校で時間を潰したい。
俺は図書室で勉強することを提案したのだが、明智に却下されてしまった。
とりあえず、知り合いでも何でもいいから話を聞くことになったのだが。
「よく話す奴なんて、田中くらいだぞ」
しかし、無駄話ばかりでメールアドレスを交換した覚えはない。
気さくで話しやすくはあるが、田中は俺には一線を引いているように思う。
「田中君かぁ……確か、携帯電話を複数持っていたはずよ」
「えっ、どうしてそんな面倒臭い」
「何か目的があって使い分けているのでしょうけど。今回の場合、怪しいわね……」
田中は知人、友人を増やしていくことが趣味らしい。冗談めかして言っていたが、本気なのかもしれない。
そういう男なので携帯電話を複数使い分ける、というのも不思議ではない。使い分ける理由は想像もつかないけど。
だが、田中がどれだけ怪しかろうと、下の名前が覚えにくかろうと、重要なポイントがある。
「田中にアドレス教えた覚えないけど」
「彼なら裏的なルートで知ることも可能じゃないかと推理するわ」
「それは推測だ」
「だって、交友関係の広い情報屋は個人情報を握ってるものじゃないの?」
「それは偏見だ」
幅広い付き合いをしている田中だが、何でも知っているわけではない。
実際、グループから外れ気味の俺や野々宮のことは詳しくないらしく、どうなった、どうなった、とたびたび聞いてくる。
まぁ、そこで俺が言わなければ、次の日に引きずらないのが田中の良いところである。
「一応、話は聞いておきましょう……あー、でも帰ってそうねぇ」
「そういう奴だからな」
テスト期間は皆がすぐ帰るから田中も帰る。文化祭の準備期間なら、きっと放課後ギリギリまで学校に残っているだろう。
そんなことを話しているうちに教室に到着したが、残っている生徒は少ない。
もちろん、田中の姿はなかった。
「いないな……あれ、野々宮?」
近くに野々宮の姿がないので辺りを見回すと、だいぶ離れたところを歩いていた。
俺が野々宮を探していることに気付いたのだろう。小走りで俺に駆け寄る。
「新藤さん、何かご用ですか?」
「……いや、何でもないよ」
何となく罪悪感に近い反省の意を感じる。
恐らく、話しているうちに明智の歩くペースに合わせてしまい、野々宮を置いていってしまったのだろう。
サトーのタイミングの悪さと、明智の当てずっぽうすぎる推理に視野が狭くなっていたようだ。
今日はここまでかと思い、これからどうするかと悩んでいる明智に強めに声をかける。
「次は図書室に行く」
「まさか、何かに気付いたの?」
「違う。勉強しに行くんだ」
明智が不満そうに目を細める。
「新藤君は命を狙われているのよ、そんな呑気な……」
「このまま三人で赤点取ったらどうするんだ。犯人の思うつぼだぞ」
「だ、だって、探偵に協力してくれるんじゃないの?」
普段の明智、いわゆる探偵モードの明智は、サトーのように根拠のない自信に満ち溢れており、尊大な態度で面倒臭い。
サトーと違うところは、本気で小突けばボロが出るところか。そう考えると、サトーの厄介さが際立つ。
明智には悪いが、学生の本分をないがしろにしてまで探偵はできない。
「こじつけで捜査するぐらいなら、勉強しようってことだ。サトーには会うんだし、探偵は明日またやればいい」
「そんなの……まるでお遊びみたいじゃない」
メールは悪戯の可能性が高いし、本物だとしても対処できないわけではない。
それに既に期末テストは四教科済ませており、それらで赤点を取ったつもりはない。
切羽詰まった状況ではなく、もはや犯人の要求を無視している、手遅れだ。
何より明智の推理は行き当たりばったりの総当たりで、真剣さを感じない。
「明智は予告メールが本物でも、探偵として依頼を受けたのか?」
そうよ、と即答されてもとやかく言うつもりはなかったが、明智は黙っていた。
正直、言い訳っぽくても反論されると思っていたので、俺も何と言えばいいのか困ってしまう。
野々宮と目を合わせ、互いにどうすればいいのかわからず目を伏せる。
「まぁ、とりあえず行こうか」
何となく図書館へ歩き始めてしまったが、野々宮も明智もついてきた。
遅々として進まぬ捜査はミステリにありがちだけど、今回は誰も死んでないし、死ぬ予定もない。
焦る必要はないのだから、のんびりやってもいいじゃないか。という方向に持っていくつもりだった。
ここまでへこまれると、俺が悪いような気がしてくる。しかし、埒の明かない捜査を続けるよりは、勉強した方が建設的だ。
思わず溜息がこぼれる。癖のようなものだけど、この状況ではこれ見よがしだったかもしれない。
「……ねぇ」
「あぁ」
俺たちは何も言えなかったのに、明智から声をかけてきた。
情けない思いを隠しつつ、厳しさを感じさせない程度に短く返答する。
「最初から本物だとわかってたら、素人が手出しするものじゃない……と、思うわ」
最後の一言は明智なりの足掻きなのだろう。俺は素直に頷く。
「今回のことは本格的なごっこ遊びかもしれないけど、全部が冗談のつもりでもないのよ?」
「わかってる。俺が言い過ぎた」
「……そう」
俺が素直に謝ると、野々宮がつんつんと俺を突いて、目で違うと言ってきた。
何が違うのかは目だけでは伝えきれず、俺は自分で考えなければならなかった。
それで思いついたのは、俺が謝るべきタイミングは、明智が言いたいことを全部言った後だったのではないかということだ。
後悔は尽きないけど、この判断が即座に出せるなら人付き合いに苦労はしてない。
今、思わずつきそうになった溜息を堪えただけでも、人間関係の赤点は免れたと思うのは楽観的だろうか。
+ + +
テスト期間の図書室は普段より生徒が多い、のかもしれない。
断言できないのは俺自身、図書室など滅多に来るタイプではないからだ。
放課後は部活、あるいは帰宅だ。図書室の空気は嫌いではないが、高校生になってから来る機会はなかった。
何故だろうかと考え、野々宮の姿が目に入る。だからか。
「ここまで来たら仕方ない、参考書を探してくるわね」
そう言いつつ文学のコーナーへ歩いていく明智は、恐らくミステリ小説を探しに行くのだろう。
引き止めたいが、気軽なツッコミがしづらい距離感である。そして、ツッコミは間を逃すと手遅れだ。
我慢していたわけではないが、解放されたように重い溜息をついた。
「……野々宮、誠意が足りなかったのはどっちだと思う?」
自分でこんなことを言うのは卑怯かもしれないが、問いかけずにはいられなかった。
「……誰も本気ではなかったと思います。だけど、探偵に憧れてる明智さんにあんまりなことを言うのは、ちょっと」
「野々宮もごっこ遊びだと思ってるのかよ?」
「あら、そこでムッとくるんですね、新藤さん」
知らずのうちに険を含んだ口調になっていたことに気付き、口をつぐむ。
野々宮が少し悩みながら続ける。
「例えば、お嫁さんになりたい女の子とおままごとしてるのに、好きでもないのに夫婦だとか、ご飯が泥団子だとか、けちをつけるでしょう?」
「でしょう? って、そんなこと……」
やりそうだ。ヒーロー的な正義感というのは、ツッコミ気質と切っても切れない関係にある。
これでもだいぶ世間に揉まれて、言わなくていいことは黙れるようになったつもりだ。
ただ先程の余計な一言を思い出す限り、思い上がりだったようだけど。
「まぁ、怒ったということは、新藤さんも事件にノリノリみたいですね」
「そんなわけあるか。一応、命狙われてんだぞ」
「ずるいんですよね」
思わず呆然。予想外の言葉が野々宮から飛び出し、面喰って言葉が出ない。
野々宮の表情が俺を責めるというより、何故か拗ねたようだったので、辛うじて訊ねられた。
「ど、どういう……」
「明智さんは冗談と常識を捨てきれないのに、憧れだけで探偵になろうとして、新藤さんに依頼人らしくしてほしいと思ってます」
「……そこまで言うか?」
「新藤さんは逆に冗談っぽく見せつつ、本気を捨てきれてません。明智さんを事件に深入りさせず、何かあれば自分で、なんて何処かで思ってませんか?」
野々宮に言われた内容もショックだったが、野々宮がそんなこと言うのもショックだった。
冷静に考えれば、否定や非難というわけではない。ただ、俺の心境を言い当てただけだ。
心境をわかりやすく突きつけられるのは、こんなにきついのか。
俺は先程、それを明智にしてしまったのか。
「ごめんなさい、新藤さん」
不意に野々宮に謝られ、反射的に首を振る。
「いや、ありがとう。考えが甘かった」
「いえ、その……おかしいんです、私が……」
「――確かにおかしいな」
突如、別の方向から刺々しい声がした。
声の方向に顔を向けると、一目で苛立っているのがわかる男子生徒がいた。
短く切り揃えた髪、面長の顔。何より特徴的なのは、神経質に細められた目から向けられる鋭い眼光。
図書室でお喋りが過ぎたのが悪いとはすぐに気付いたが、注意する言葉におかしいというのは不適切だと思う。
それでも不用意な言葉が危ういことを理解したばかりなので、腹が立つのを何とか堪える。
「うるさくして、ごめん」
「……事件だ探偵だと教室で騒いでいるのも迷惑だが、図書室まで来て邪魔しないでほしい」
クラスメイトだったらしいが、こんな奴のことを覚えているはずがない。
男子生徒は俺が何も言い返さないのを見ると、野々宮に視線を向けた。
「まぁ、静かに勉強するなら歓迎だ。君には必要だろうからな?」
「あ、はは……すみませんでした」
野々宮は笑っているし、特別悪意のある言葉を言われたとも思えない。
しかし、俺は何も考えずに一歩前に出てしまっていた。
「待って」
その一言がなければ俺は何をしようと思ったのか。
両手が塞がるほどミステリ小説を抱えている明智が現れ、俺と男子生徒の間に割って入る。
「私のことは知ってる? 久我君と呼んでもいいかしら」
久我は明智の登場にますます目を細め、不愉快そうに鼻を鳴らした。
「僕は君と同じ中学だったから、君の名前が明智だということも、探偵にかぶれていたことも知っている」
「それなら思う存分、外でお話ができるわね」
あからさまな挑発。
久我は図書室を見回して、不服そうに立ち上がる。
俺は振り上げてもいない拳を何処に引っ込めたものかと、複雑な気持ちで廊下に出た。
全員が図書室の外に集まり、明智と久我が睨み合う形になる。
「事件だ探偵だと騒いでいたのは私よ、二人は関係ないわ」
不遜な態度で久我を呼びつけてながら、明智は俺たちをかばい、自分の非を認めていた。
俺はだいぶ冷静さを取り戻し、明智の対応に感心していた。
しかし、久我は苦々しげな表情をしている。
「君は相変わらず探偵の真似事で才能と時間を潰してるんだな」
明智が眉をひそめるが、すぐに口を開いた。
「……悪いけど、今回は真似じゃないわ。新藤君に危害を加えるというメールが届いて、送信者を探しているのよ」
「ふん、どうせ悪戯だろう。それがわかっているから、君たちも付き合ってるんだろ?」
そう言って久我は俺を一瞥し、すぐに明智に視線を戻す。
「そこの二人の話し声が耳障りだったのは事実だが、僕の注意が厳しすぎたのも事実。悪かった、これでいいかい?」
「……ええ、邪魔して悪かったわね」
久我は図書室に戻るらしく、空気的に俺たちは帰るしかない。
釈然としないものを胸に抱えつつ、何か捨て台詞でも吐いてやりたいと名残惜しげに久我を見る。
しかし、明智がまとめてくれたものを混ぜ返すわけにもいかない。諦めて帰ろうとしたところに、久我が独り言のように呟く。
「探偵ごっこで時間を無駄にするなんて、今回のテストは僕の勝ちだな」
何か言い返してやろうと思ったが、一瞬の間もなく図書室のドアが閉められた。
俺は溜息をつき、文句を言うタイミングを逃して良かったのだと思い直す。
人間関係の難しさを知るたびに、田中って凄いなぁ、と思うのだった。




