4.2 犯人は特定少数
俺は犯行予告が書かれたメールを野々宮に見せて、相談することにした。
もちろん、明智が自分の席についたのを見計らったタイミングである。短い付き合いだが、彼女が何と言うか想像に易い。
野々宮はメールの文面に顔をしかめて、しばらく考えた後、心配と安心を半々にしたような表情で唸った。
「うーん……誰かの悪戯だとしても、新藤さんなら大丈夫ですよね?」
そう言われると自分の能力は一般的ではないのだと自覚する。
俺はヒーロー補正という、ヒーローらしく格好つけることで強くなれる能力を持っている。
発動条件が不安定ではあるが、最近、確実に発動できる必殺技を習得した。
メールの送信者が脅しだろうと本気だろうと、容易く殺されはしない自信がある。
「野々宮の言うとおり、心配する必要はないか」
「そうですよ。ただ、せっかくなので明智さんに相談してみませんか?」
気負う必要はないと言ってくれた野々宮が不可解なことを言う。
野々宮も自分の言っていることが唐突すぎるとわかっているのか、その笑顔は硬い。
「その、明智さんに、相談を……」
「説明しろ」
「は、はい。実は明智さんと知り合ったのは、彼女の悩みを魔法で助けてあげようとしたときなんです」
ほう、と感心した声が出る。
野々宮も俺の知らないところで魔法少女活動を頑張っているということだ。
それは結構なことだが、不安なのは助けてあげようとした、という表現である。
「……助けたんだよな?」
「えっとぉ……」
言い難そうに語尾を伸ばし、目をきょろきょろさせる野々宮。
教室を見回したところで、テスト前に少しでも知識を詰め込もうとしているクラスメイトしかいない。
むしろ、俺たちのように話しているのは少数派だ。こういうとき、日頃の勉強量がものを言うのである。
「明智さんの悩みは名探偵になりたい、ということで。魔法でどうにかしてみようと思ったのですが」
「結果を言ってくれ」
「ハンチング帽が出てきました。プレゼントしました」
「良かったな、探偵物語みたいな帽子じゃなくて」
明智の趣味はハードボイルドな熱血探偵より、すべてを見透かすようなスマートでキザな探偵だろう。
野々宮は思い出し落ち込み、という器用な真似をして溜息をついた。
そして、少し小声でささやく。
「魔法の失敗だけならともかく、魔法少女だとバレてしまって」
「ペナルティとかないのか?」
「魔法の素質があれば、特例として認められることもあるそうです。実際、前まではそういうポジションの友達がいました」
野々宮がバリバリと魔法少女として活動していた頃の話だろう。
そうなると、明智は不思議な力を持っているということになるのか。
「つまり、明智は……」
「いいえ、一般人です。魔法の素質はありません」
「えっ、それじゃあ?」
「今の魔法界にはペナルティを与える余裕もないのでしょう。自己判断でセーフです」
アウトだろう。魔法界は大丈夫なのか。ギャグとシリアス両極端なツッコミが頭を駆け巡る。
言いたいことは色々あったが、ここはグッと呑み込んだ。
「俺のことは……」
「言ってませんよ。それにバレたといっても、あからさまに指摘されたわけでもありません。バレてるだろうなぁ、という程度です」
明智もああ見えて空気が読めるらしい。
俺は一安心して、何気なく明智の席に視線をやり、誰も座っていないことに気付く。
嫌な予感がした。
「ねぇ、そのメール」
ハッと振り返ると、背後に明智が立っていた。俺は座っているので、見下されているような気分だ。
明智は神妙な顔つきだった。興奮しているでもなく、強張っているでもない。
俺は明智が何処から聞いていたのだろうかと焦った。
「明智、今の話を」
「知らないわ。それよりも殺人予告なんて、大変な事件じゃない!」
メールに気を取られて俺たちの話を聞いていなかったのか。それとも、知らないということにしてあげる、ということか。
どちらにしろ、話がそらせるのであれば構わない。俺は明智の話に乗っかる。
「ただの悪戯だよ、誰がこんなメールを送るって言うんだ?」
典型的なフーダニット。誰が俺を狙う犯人なのか。
明智は少しだけ頬を緩めたが、すぐにキッと引き締め直した。
殺害予告をされてる俺だが、別に気にしてはいない。悪戯メールだと言うのであれば、遊び倒してやろうじゃないか。
もし、本当に誰かが俺を狙っていて、犯人が近くにいるというのなら、こちらには名探偵になりたい女子高生がいるのだ。
「ふふっ、安心して新藤君。この事件、私が解決してあげましょう。明智麻美の名にかけて!」
ある意味、その名にかけるのは正しいかもしれない。名付け親は探偵が好きだったのだろうか。
そのとき、チャイムが鳴った。そう、俺の事件よりも期末テストを優先しなければ。
「話は後だ。まずはテストに集中しよう」
野々宮は頷いて席に戻ったが、明智は真剣な顔で言った。
「赤点を取らなければ殺す、ね。新藤君の身の安全のためにも、ここは赤点を……」
「今、何て言った?」
俺は笑っていた。あくまで笑っていた。
「……な、何でもないわ。私が犯人を見つけてあげるから、テスト頑張ってね」
冗談じゃねぇ。どれだけ勉強してきたと思っているんだ。
そう考えると、一見馬鹿らしい殺害の動機だが、巧妙な一文である。赤点と命、どちらが大事か。
「……まずはテストだ」
犯人に踊らされている思考を消し去り、期末テスト一日目に臨むべく、気合を入れた。
+ + +
放課後。
一日目は相性のいい教科に恵まれ、結果に期待が持てる手応えだった。
俺は晴れやかな気分で帰宅しようと生徒玄関に足を向けたが、廊下には立ちはだかるように明智がいた。
横には野々宮を従えており、対比効果でより大きく見える。それに何だか野々宮を取られたみたいで悔しい。
「新藤君、捜査開始よ」
「その前に野々宮を解放しろ」
「人質みたいに言わないでちょうだい。彼女は助手よ?」
野々宮はあははと複雑そうな笑みを浮かべている。
「野々宮はそれでいいのか?」
「明智さんが名探偵には助手が必須だと言うので……私で務まるなら、と」
仕方なく、とは明智の手前、はっきりとは言えないのだろう。
ただし、本気で助手を嫌がっているわけではなく、補佐役として活躍できるか不安だと見える。
俺は野々宮を安心させようと助言する。
「いいか、助手に求められるのはサポートじゃなくて、的外れな推理だ」
「ま、的外れですかっ?」
「ああ、むしろ探偵より鋭い指摘をしてはいけない。アホになるんだ!」
「あ、あほに……」
野々宮はぼそぼそと何か呟きながら打ちひしがれていた。
言い方を間違えたかと後悔していると、明智が任せて、と目で合図をした。
「野々宮さんはアホになる必要はないわ」
「あ、明智さん……」
キラキラとした少女たちの空間。見つめ合う目と目の距離が、そのまま心の距離となる。
明智はフッと優しい微笑みで言った。
「貴方は笑顔で応援してくれれば、それでいいのよ」
「おぉ、それだ。それでいいんだ、野々宮」
俺と明智は、野々宮に対する見解がある程度一致しているらしい。
実際、野々宮がいるおかげで格好つけられる場面は多く、俺のヒーローらしさは野々宮が支えていると言っても過言ではない。
そういう意味で明智の言葉に同意したのだが、野々宮はしゅんとしていた。
「……敵がいないときくらい、活躍したいなー、なんて」
「何を言ってるの、敵は犯人よ?」
「……そうですね」
野々宮は現在の立ち位置に思うところがあるらしい。不憫に思うが、安全第一である。
俺が今できることは明智の探偵ごっこに協力し、野々宮の未完成な魔法を強引に成就させてやることだけだ。
それで明智からありがとうを引き出せれば儲けものだ。カウントされるかはともかくとして。
「何から調べるんだ?」
「そうね、まずは新藤君のメールアドレスを知ってる人に話を聞きましょう」
明智が指示するようにアイコンタクト、というか睨んでくる。
俺は素直に携帯電話を取り出し、アドレス帳に登録されている相手を見せる。
「野々宮、サトー、父親、母親の……四人だ」
「……他には?」
「いない」
明智が目を閉じて考えるような素振りを見せているが、恐らくは絶句しているだけだろう。
野々宮が良きタイミングで肩を叩き、明智が復活する。いいコンビだ。
「幸運なことに、新藤君の交友関係の狭さで犯人が絞られたわ」
「放っといてくれ」
「それでも一つずつ可能性を潰しましょう。野々宮さん」
尋問の矛先を向けられて、野々宮がビクッと肩を震わせる。だが、すぐに気を取り直した。
「私がメールを送ったら、私の名前で届きますよね?」
「そりゃ、そうだ。アドレス帳に登録されてる時点で犯人じゃない」
「簡単に犯人から除外してはいけないわ、ご両親は?」
俺がすぐに結論を出したというのに、明智はしつこい。
「離れて暮らしてるんだ。それに親が赤点を取れ、なんて言うと思うか?」
「確かに動機と結びつかないわね。では、サトーという人物は何者?」
口調でわかる。最初から明智はサトーを疑っていたようだ。
こうして字面で見ると、カタカナでサトーと名字部分だけ記載されているというのは怪しい。
知らない人が見れば一発で偽名だと思うし、実際に本名というわけではなかったと思う。この世界で暮らすために使っている名前だった気がする。
とにかく、サトーが疑われるのは仕方ないが、サトーが犯人という線は薄い。
「サトーは、俺が参加している課外活動の責任者だよ」
嘘は言っていない。ヒーロープロジェクトのヒーロー監察官という特殊な立場を一般的な言葉で説明し直しただけだ。
それでも明智の疑念は拭いきれないらしく、眉をひそめたまま難しい顔をしている。
「伊藤、斎藤の可能性も考慮しておきましょう」
「明智って、実は何も考えてないだろ」
「とにかく、サトーという人は要チェックよ。後で会うことはできる?」
「別にいいけど……」
そうなるとサトーに予告メールの件を説明しなければならず、面倒なことになりそうで気が重い。
どうせ、サトーなんていつでも会えるだろうから、なるべく先延ばしにしたいところだ。
「サトーは逃げないから、先に校内で手をつけられるところから始めないか?」
「そうね。この場合、新藤君のアドレスを知っていて、アドレス帳に登録されていない人が怪しいわ!」
ミステリを読まない人でも三秒考えれば到達する結論を、決め台詞のように叫ぶのはやめてほしい。
明智は探偵より助手の才能があるのではないか、と溜息をつくと、野々宮がぽつりと言った。
「ところで、新藤さんのメールアドレスを知る人って、誰がいるんですか?」
+ + +
現住所や電話番号は、これまでに提出してきたプリントに何度も書いた記憶がある。
しかし、メールアドレスとなると記載した場面も教えた場面もすぐには思い出せなかった。
とりあえず、直近では入部届けの連絡先に記入したような気がする。
そんなあやふやな手がかりを頼りに、俺たちはパソコン室の前に来ていた。
「大丈夫なの? テストで部活動は休みでしょ?」
「溜まり場だから、そうとも限らない」
それなりに確信を持ちつつ、ドアをノックする。
中からは青柳部長の声で返事がしたので、安心してドアを開けた。
「やぁ、期末テスト初日だというのに余裕だね」
「部長もそうでしょう」
「僕は違うよ。家で勉強すると同居人がうるさくてさ、ここの方が静かなんだ」
言葉の通り、青柳部長は教科書やノートを持ち込んで勉強していた。
明智がいるので姿を見せないのだろうけど、他の二人は今もいるのだろうか。そんなことを思っていると、明智が口を開いた。
「個人的な理由でパソコン室の鍵を借りることが可能なのでしょうか?」
「君は……」
「明智麻美です。新藤君たちと同じクラスで、陸上部です」
探偵らしさの欠片もないなぁ、とは言わない。
「じゃあ、新入部員ってわけじゃないのか、残念」
「頼まれて入ってるだけですけど。それよりも質問に答えて下さい」
「褒められた方法じゃないけど、中から開けてもらったんだ」
「誰に?」
「コヨミ、って言っても知らないよね」
青柳部長が意味ありげに明智さんの背後に視線を向ける。
俺がそっと顔を向けると、いつの間にか現れていたコヨミさんが明智の背後を取っていた。いや、ピースしてる場合じゃないですよ、コヨミさん。
明智はまったく気付かずに青柳部長に質問を続けている。
「それでは新藤君にメールを送ったことはありますか?」
「えっ、そういえばないね。わりと部活に来てくれるし。いい機会だから交換しておこうか」
「あ、どうも……俺のアドレスって、入部するときの紙に書いてませんでしたっけ」
「あれはすぐに提出しちゃったから、覚えてないなぁ」
そういうことらしいので、俺と青柳部長はお互いの電話番号とメールアドレスを教え合うことにした。
明智の無駄足としか言いようのない捜査のおかげで、俺の電話帳やアドレス帳が埋まっていく。
命を狙われるって役得だなぁ、と思っていると、青柳部長が真剣さを含んだ声で訊ねてくる。
「何かあったの?」
「あぁ、実は……」
俺はかいつまんで事情を話す。
すると、青柳部長の表情は和らぎ、何やら納得したように頷いた。
「あまり危険はなさそうでよかったよ」
「すみません、ご迷惑かけて」
「メールの犯行予告かぁ……犯人に殺意なんてあるのかな?」
青柳部長がぼんやりと口にした言葉に、俺は首を傾げる。
俺が問いかけないと独り言で終わりそうだったので、少し遅れて訊ねる。
「あの、どういうことですか」
「遠隔操作でメール、なんてことしなくても、他人を操る術って幾らでもあるからさ」
「操る……ですか?」
「うん、僕はネクロとの戦いでそれを実感してるよ……うんざり」
最後のうんざり、だけ青柳部長の黒い部分が濃縮されていたように感じた。
それはともかく、犯人がメールを送信した理由、言い換えれば動機は殺意に限らないということか。
誰かに命じられて、ということになれば送信者を犯人とするのは可哀想かもしれない。
「あくまで考え方の一つだからね」
「はい、ありがとうございました」
ありがたいアドバイスだった。明智も参考になっただろうか、と振り向く。
「な、なんかっ、今、女の人の声がっ!?」
「明智さん、落ち着いてっ」
明智は心霊現象に振り回されていたらしく、野々宮になだめられていた。
彼女を名探偵に仕立てるというのは、このメール事件よりも難問なのではないだろうか。
俺は溜息をつきながら、そんなことを考えていた。




