4.1 期末テスト殺人事件
『期末テストで赤点を取れ、さもなくばコロス』
月曜日の朝。そして、期末テストの一日目でもある。
俺は反応に困るメールを読んで固まってしまい、生徒玄関で呆然と立ち尽くしていた。
何故こんなところでメールを確認しているかというと、テストに備えて携帯電話の電源を切ろうとしたついでである。
野々宮は大抵、学校にいるときは話しかけてくれるし、サトーからの連絡なんてどうだっていい、重要なことじゃない。
両親から連絡が来ることも滅多にないので、三日くらい携帯電話の電源を切りっぱなしでも気にならないくらいだ。
「……泣かない」
とにかく、そういう理由で早めに電源を切っておこうと思っただけなのに、不愉快なメールを開いてしまった。
着信した時間は深夜で、送信者は不明。知らないアドレスなので、悪戯か何かだとは思う。
しかし、不特定多数を騙す迷惑メールにしては、文面が今の俺に対してピンポイントすぎる。
とりあえず、教室に向かいながら考えよう。俺は携帯電話の画面を見ながら歩き出した。
考えられそうなパターンは三つ。一つ目はただの迷惑メール。二つ目は悪意のある悪戯メール。三つ目は厄介な事件の前触れ。
どれも面倒臭いことに変わりはないが、悪戯より事件である方が精神的には楽かもしれない。校内に犯人がいると勘繰るよりは、校外で悪の組織のボスが「フフフ、新藤昌宏をビビらせてやるわ」とメールを送信したと思いたい。
サトーに相談するべきだろうか。非日常的存在の気配もないのに、そういう行動を取るのは早すぎるとも言える。
ここは野々宮に相談しよう。心配されるかもしれないが、お助けしましょうとノリノリで一緒に考えてくれるかもしれない。
「いや、今日から期末テストだし、余計な気苦労はさせたくないなぁ……あれ?」
どうしたものかと考えながら教室まで歩いてきたが、どうにも違和感がある。
俺は自分の席の横に立ったまま、違和感の正体がわからずに辺りを見回していた。
教室の中に妙なところはないように見える。黒板、教壇、机と椅子。どれもが整然としている。
傍から見れば教室内をうろうろとして怪しかったが、早く登校したおかげで誰も見ては――
「貴方、そこで何をしてるの?」
疑うように、問い詰めるように、何者かから厳しい言葉をかけられ、身をすくめて顔を向ける。
教室の外。廊下からこちらを覗いている女子生徒がいた。声をかけたのは彼女らしい。
俺が返事に迷っていると、彼女は教室内を見回しながら近づいてきた。
「新藤昌宏君、よね」
「えっ、どうして俺の名前を……」
「クラスメイトの顔と名前はすべて覚えているわ」
フッ、と笑みを浮かべつつ、人差し指で自分の頭をつんつんと示す。
「明智麻美よ。貴方、困った顔で何をしていたの?」
明智と名乗る彼女はクラスメイトだったようだ。申し訳ないことに、俺は野々宮と田中以外は数秒考えて名字が言えるかな、というレベルである。
改めて明智と対面すると、女子にしては大きい。いや、そこではなく背が高いという意味だ。むしろ、そこは大きくない。
お互いに直立で話している今、目線がほとんど同じだ。俺も背が高くはないけど、特別低くもないはずだ。
こうして名乗られると、明智というクラスメイトを忘れることはないだろう、という程度には印象的な生徒だった。
あまり女子をじろじろと観察するものではない。俺は頭を振って思考をリセットし、質問に答える。
「考え事しながら歩いてたんだけど、教室に違和感があるというか……」
「事件ね」
「えっ、事件ではないぞ」
「新藤君は教室に違和感があると証言しているけど、それが何かはわからない。この謎は私が解いてあげましょう。大工のお爺ちゃんの名にかけて!」
「それお爺ちゃん迷惑じゃないのか」
明智はあまり人の話を聞く性格ではないようで、何やら頷きながら教室内を探り始めた。
まるで探偵の真似事というか、言動から察するに探偵の真似なのだろう。第一印象は不審者だけど。
長身で、顔つきも口調も厳しいが、髪型はショートヘア。そのおかげでだいぶ印象は明るい方へ引っ張られている。
しかし、スタイルが良いと奇行が映えて損だ、と同情する。これが野々宮ならちょこちょこと動き回ってて微笑ましくなるだろうに。
「ふむ、やけに片付いてるわね……」
「そりゃ、清掃月間だからな」
期末テストが終われば、終業式に夏休み。
ほとんどの学校ではその辺りの時間に大清掃といった掃除の時間が挟まるのではないだろうか。
俺も小中学校ではそうだったのだが、この高校は七月中の清掃時間を十分ずつ増やすことで、大清掃を行わないそうだ。
そのおかげで少量ずつ荷物を持ち帰る空気感が出来上がっていて、清々しい気分で夏休みが迎えられそうである。
「清掃月間……本来はあるはずの大清掃の時間帯を使ったアリバイ工作を……」
「その時間は何とかアドバイザーから話を聞くらしいぞ」
つまり、清掃月間とは大清掃の時間を浮かせて、総合学習などに充てようという残念なイベントである。
まとめて掃除しなくていい、というメリットだけを見ることで、生徒たちは怒りと悲しみを抑えている。
「ともかく、教室は綺麗な状態ということね。ますます、違和感の正体が謎だわ」
確かに普段より整理整頓が行き届いた教室内に違和感を及ぼす物体はない。
俺はどうして教室に違和感を覚えているのだろう。
ただ、それが事件の兆候とか、大いなる謎だとは思わない。気のせいだと思う。
「なぁ、俺の気のせいだと思うし、そこまで本気で考えなくても……」
「新藤君」
鋭い口調で名前を呼ばれ、思わず身を引く。
絶対におかしいのは明智という女子生徒の方なのだが、高い目線と自信ありげな口振りに怯んでしまう。
「マグロは泳ぎ続けないと死んでしまうと言うわ……」
「……えっ」
「私は……いえ、探偵という生き物はね。考え続けないと死んでしまうのよ」
ドヤァ、という効果音を背負っているようなポーズだった。
高身長で顔つきが凛々しいから誤魔化されていたが、この人は馬鹿だ。そう、サトーと同じやり口で俺を馬鹿にしている。
そう認識した途端、明智に対する威圧感や恐怖感といったものが一気に失せた。
「じゃあ、好きに考えてくれ」
必要以上に関わらないようにしようと、鞄を降ろして席に座ろうとした。
しかし、今度は声だけではなく腕まで掴まれて、明智が俺の動きを止める。意外と力が強いぞ、こいつ。
「待って、座る前に私の推理を聞いてちょうだい」
「……座って聞いたら駄目なのか」
「ええ、何故なら座る必要がないもの」
妙にもったいぶった言い方が気になってしまい、疑問を顔に浮かべてしまった。
明智は、その表情を待っていた、とばかりにニヤッと笑った。
「では、解決編といきましょう。全員、集まってるわね?」
「二人だが」
「よろしい」
明智はゆっくりとした足取りで教壇に立つ。似合ってることは似合ってる。
「実は新藤君がこの教室にいるのを見つけたとき、既に違和感の正体に気付いていたの」
「じゃあ、何を調べてたんだ」
「ちょっとした確認よ。そのおかげで、謎はすべて解けたわ」
「じゃあ、言えよ」
「急かさない!」
少々、素を露わにしつつ、明智は人差し指をピンと立てる。
「さて、この教室におかしなものは一つもない。他の教室と同じようにね」
「俺の目の前におかしな奴がいる」
「……新藤君が感じた違和感の正体は、ここにはない」
姿勢も表情も崩さない明智。めげずに探偵であろうとする姿は称賛に値する。
何故、そんなにこだわるのかは知らないが、俺も違和感の正体は気になる。
一度くらい付き合ってやるかと、俺は深刻そうに訊ねる。
「では、何処にあると言うんだ」
「……外よ」
明智が人差し指を窓に向ける。それにつられて目線を外にやるが、そこには校外の景色があるだけで何もない。
――いや、違和感が強くなった。何かあるのか。
「外と言われても、おかしなところはないし、何処までの範囲のことを言って……」
「教室から見える景色で十分。いいえ、それこそが違和感の正体」
教室から見える景色はいつもと――違う。見慣れた景色だけど、微妙にずれている。
「……あれ、もしかして」
明智がフッと笑い、俺を指差した。
「そう、ここは隣の教室だったのよ!」
「あ、教室間違えたのか。やっちゃったなぁ……」
「ちょ、ちょ、ちょぉー!」
「明智も同じクラスなら、ここにいたらまずいだろ。バレる前に早く……」
「違うでしょー!? そうじゃないでしょー!?」
疑問解消、事件解決。万歳。これ以上に何があるというのか。
俺は後ろで抗議し続ける明智を無視して、本来の教室に戻るために廊下に出る。
教室を間違えるなんて恥ずかしいミスをしてしまったが、運良くバレずに済んだ。
あのままではおかしいと思いながらも、席に座ってぼけっとしていたに違いない。
そう考えると、回りくどかったが、明智が助けてくれたことは確かだ。
「ありがとな」
「えっ、あぁ、当然よ」
教室に入る前に振り向いて感謝の言葉を伝える。ありがとうは大事である。それに抗議する声がうるさかった。
明智は照れくさそうに微笑んだ。それを見て、少しだけお節介な気持ちが生まれる。
「あの探偵っぷりは自重した方がいいんじゃないか?」
「わ、私だって知らない人にいきなり話しかけたりしないわよ」
一瞬、言葉に詰まる。何処かで知り合っていただろうか。
「悪い。クラスメイトだけど、俺は明智のことよく知らなくて……」
「ええ、話したことはないわね」
「ん? じゃあ」
どうして俺に話しかけたのか、と訊ねようとしたところで、見知った顔が手を振っているのが見えた。
俺が軽く手を上げて挨拶すると、明智が何だろうと振り向く。話し中に悪いことをした。
余計な気を遣わせないように、ちょっとおはようと言うだけにしておこう。
「おは――」
「野々宮さん、おはよう!」
「あれ、明智さん。おはようございます」
これ、違うよな。俺に手を振ってると思って挨拶したら、俺に関係なかったなんてパターンじゃないよな。
だって、野々宮だもん。知り合いだもん。何ならちょっとした知り合いよりは上の関係だと思い上がっちゃうもん。
これ、俺の知ってる野々宮だよな。俺の知らない野々宮じゃないよな。
「の、野々宮……さん?」
恐る恐る声をかけると、野々宮がきょとんとした顔になる。
「どうしたんですか、新藤さん。おはようございます」
「……やっぱり、野々宮だよな。双子の妹とかじゃないよな?」
何故か混乱している俺の問いかけに、困惑してしまう野々宮。そこへ明智が口を挟む。
「双子と言えば、入れ替えトリックや首のすげ替えが考えられるわね……」
「え、えっと、一人っ子ですけど……?」
「では、新藤君が野々宮さんを双子と勘違いする可能性は……」
「黙っててくれ。えっと、野々宮と明智の関係って?」
冷静になれば推測もできるが、こんな簡単な問いかけに推理はいらない。
そう思って訊ねると、野々宮はまるで彼氏を紹介するような勢いではにかんだ。
「そ、その、とも……わ、私が言っちゃっていいのか、わかんないんですけど」
「モナミよ」
「えっ、千恵ですよ?」
「……まぁ、親友ってことよ」
明智がきっぱりと言い切ったのに対し、野々宮は笑いながら照れていた。
何処まで友人と公言していいのか、その範囲がわからない気持ちは共感できる。だが、これだけ親友と断言してくれるのだから、卑下しなくてもいいだろう。
あと、明智が口走ったモナミは、アガサ・クリスティーを読んでいないため、よく知らない。ということで、ツッコまない。
俺は野々宮の今後を考えて、明智との付き合いを考えるように言おうとした。
「野々宮。友達は……」
選んだ方がいい、と言いかけて、様々な思考が巡る。その結果。
「……大切にな」
「はいっ!」
「話に聞いていた通り、新藤君って良い人ね」
俺と野々宮のやり取りを微笑ましく見つめる明智。
随分と余計なエピソードが混じったが、これが俺と探偵との出会いだ。
そして、大工であるという明智のお爺ちゃんの名前などではなく。
俺の命をかけた事件の幕開けだった。




