3.10 優しいブルーアイズ
「それで、どうやって脱出しようか」
「……俺に聞くな」
狼男を倒したはいいが、ここは深い深い闇の底。
出入口も封鎖されているという地下道で、俺と黒染は途方に暮れる。
一応、遥か高くにぽっかりと開いた穴があることにはあるが。
「もう一回、跳べよ」
「無茶言うな……あっ」
黒染が俺の顔を見て、声を漏らす。
「ん? あ、あれ……目が、目がーっ!」
徐々に視界が狭まり、真っ暗な世界に強制送還される。どうやらヒーロー補正による青い目が元に戻ったらしい。
ずっと碧眼でいるわけにはいかないが、今ここで戻られても困る。
いきなりの暗闇に右も左もわからなくなり、少々パニックに陥る。
「く、黒染、離れるなよ? 勝手に何処かに行くなよっ!?」
「……女は苦手だが、今はお前が女だったらと思う」
「何とでも言え、もう格好つける必要はないんだ。野々宮もいないしな!」
「ああ、お前は今、最高に格好悪い」
不毛な言い争いが続くかと思われたが、幸いなことに終戦の合図は早かった。
「昌宏ー、聞こえるかー!」
「サトー? おーい、サトー!」
拡声器を使っているようなサトーの声が上空から響く。
俺はぶんぶんと手を振って大声で返事をしたが、天井の大穴が遠すぎて、小さな人影がサトーか野々宮かもわからない。
それに夕陽が沈んできたのだろう。大穴から漏れる光も弱々しくなっている。
早く助けてくれないと、俺は黒染に泣きつくことも厭わない。
「すまん、聞こえん! だが、山につながる出入口を開けておく! 向こうに歩け!」
向こうってどっちだ、と思っていると、レーザーポインターのような赤い光が方向を示してくれた。
レーザーの光を向けられるのは、ほんのひと月前の嫌な思い出のせいで抵抗があるのだけど、とにかく助かった。
上ではサトーと野々宮が脱出口の開放に向かっているはずなので、俺たちも歩き出すことにする。
「黒染、手を……」
「断る。これでも持ってろ」
そう言われて掴まされたのは、感触からすると包帯の端っこだった。惨めだ。
黒染が歩き出したので、俺も引っ張られるようにして足を踏み出す。
こんなところに長居したくはないが、少しだけ気になることがあった。
「なぁ、あの狼男……放置して大丈夫か?」
「前に言っただろう。どうせ組織が回収する」
「こんなところまで?」
「知るか」
もやもやした気持ちだった。
結局、組織とやらの尻尾も見せないまま、怪物騒動の幕は下りようとしている。
あの狼男も黒染も、組織に改造された存在に変わりはない。命令されるままの前者と組織に抗う後者、何が違ったのか。
同情するわけではないが、狼男は外見からして、材料に人間が使われていそうだ。
これまでの動物的な怪物を差別するわけではないが、あまりにも後味が悪かった。
「……回収されるのと、このままと、どっちがマシかな?」
「悪いが、俺が助けるのは人間だけだ」
「狼男は半分、人間じゃないのか」
「あれは……組織の犬だ」
「狼だろ」
あれだけ殴っておきながらこういう感情を抱くのは、人の業というやつなのだろう。
割り切れないなぁ、と複雑な思いを暗闇に溶かす。
「ところで」
「何だ」
何となくだが、この機会を逃せば、黒染と無駄話するなんてことはないだろう。
俺はぼんやりと考えていた台詞を思い出す。
「お前のカードは敵を倒せる手札で、人助けしやすい手札じゃないんだよ」
「……あぁ、あの話か」
しばらく反応せずにいた黒染が、今思い出したかのような声を出す。
俺は必死に考えていたというのに、黒染は自分が振った話題を忘れていたらしい。
そう思うと話す気が失せるけど、せっかく考えたのでもったいないと思うことにした。
「敵を倒すには役を揃えなきゃいけないけど、人助けは何もいらない。ワンペアより簡単だ」
「ノーペアか?」
「パスだよ」
「……はぁ?」
前方を歩く黒染の声がこれまでにない呆れようだったので、恥ずかしくなってきた。
カードで人助けを表現してみろ、とけしかけたのはお前だろうと文句を言いたい。
「人助けはパスと同じだ。自分の番を犠牲にして、他人を助ける」
「打算的なパスもあれば、強制的なパスもあるが?」
「正直、人助けの二大理由って打算と強制だと思うけど」
黒染が黙り、俺も何も言えなくなる。
だいぶ歩いたが、まだ出口ではないのだろうか。もう帰りたい。
採点待ちのような気分でいると、黒染が少し笑った。
「カードになぞらえて、必死に用意した言葉がそれか」
「……悪いか。俺なりに考えたんだ」
「ポーカーの例え話にパスを持ちこむのはおかしくないか?」
そう言われると、ポーカーと他のカードゲームをごちゃ混ぜにして考えていたような気がする。
わりと上手くまとめたと思っていたが、例え話は難しい。
どうにか挽回する後付けはないかと頭を働かせる。
「あー……」
「だが、まぁ……妥協してやる」
しかし、黒染としては及第点だったようだ。面倒くさがっているだけのようにも思う。
やはり、誰かを説得したり、納得させる言葉は用意するものじゃない。その場で口をついて出てきたもので十分だ。
それらしい結論に達したところで、文句の一つでもぶつけてみる。
「納得いかなければ野々宮に聞けよ。お前が首を縦に振るまで、助けたいから助けるんですって言い続けるぞ」
「……そうか。なら、お前に聞いてよかったよ」
前方から緑の匂いがした。
外も暗くなっていてわかりづらいが、地下道の出口が見えてきたらしい。
前を歩く黒染のシルエットが、俺にも見えてきたのがその証拠だ。
もう一人で歩けるので、掴んでいた包帯を離す。野々宮に見られたくないし。
「もう平気か?」
「ああ、歩ける」
「じゃあ、先に行く」
黒染は何でもないような口調でそれだけ言い残すと、あっという間に俺を置いて、一足先に地下道を抜けた。
今後、黒染とここまで関わることはないだろう。つまり、今のが別れの挨拶か。薄情な奴だ。
追いかけたいのはやまやまだが、全身の疲労を意識した途端、右腕の痛みもぶり返してきた。
手当てして一晩寝れば何とかなるだろう。そこはヒーロー補正の貴重な良心である。
重い足取りで地下道を抜けると、そこは山の中だった。すっかり日も暮れている。
振り向けば、掘った土を木枠で支えただけの出入口。粉砕された木材と細切れになっている鎖は、ここを開放した残骸か。
ところで、サトーも野々宮も姿が見えない。不安に思って少し歩くと、簡単に見つかった。
「おーい」
「あっ、新藤さん」
野々宮は俺に気付くと、山道のちょっとした斜面を転びそうな危ういステップで駆け寄ってくる。
サトーはゆっくりと歩いていたが、安心したという顔で片手を上げていたので、俺も左手を適当に振り返す。
俺の目の前まで小走りで来た野々宮が、にっこりと優しい笑顔を見せた。
「お疲れさまです」
「あぁ……どうせなら、すぐお迎えが欲しかったな」
野々宮は曖昧に微笑みながら、視線を遠くへ向ける。
「黒染さんが出てくるなり、新藤もすぐ来る……って、それだけ言って帰っちゃって」
「無言で帰らないだけマシだな」
そこにサトーがのんびりとしたペースで、空を見上げながら歩いてくる。
「さて、帰るぞ。昌宏は着替えてからの方がいいかもしれん」
確かにボロボロの格好で帰宅すれば、何事かと思われるだろう。
これだけ遅くなれば、もう少し時間が遅くなろうと同じ事だ。
「あっ、家には勉強会で連絡しておきましたよ」
野々宮が恒例の言い訳でフォローしてくれたようだが、俺は溜息をついた。
言い訳に勉強会を使うたび、俺はそれだけ勉強しているということになる。
実際の勉強量とつじつまを合わせるためにも、本当の勉強会を近々、開かなければならないだろう。
「……期末テスト、頑張らないとなぁ」
+ + +
あれから数日が経ち、もうすぐ七月になる頃。
怪物を見かけたという噂はぴたりと止んだが、黒染仮面の噂は少しだけ残っていた。
しつこいナンパを追い払ったとか、乱暴にされそうになったところを助けられたとか、そういう話は素直に感心する。
ただ、驚くことに丁寧に道案内されたとか、荷物を持ってもらったという話もあった。
その姿を怪しむ者は少なくないが、怪物退治をしていたという下地と地道な人助けにより、印象はそれほど悪くないようだ。一種の都市伝説と化している側面もある。
俺は勉強会の言い訳を取り戻すべく、野々宮とともに勉強に励んでいる。
野々宮はわりと気楽に構えていたらしいのだが、父親から「最近、勉強頑張ってるそうじゃないか」と言われてしまったそうだ。
危機感ハンパないですよ、と落ち込んでいたが、俺は単に娘に話しかけたかった父親の言葉としか思えない。
ともかく、学生が勉強して損することはないのだし、中間テストの結果を挽回する意味でも頑張ってほしい。俺も頑張ろう。
サトーは組織を壊滅まで追い込みたいと息巻いていたが、謎の組織を追う、なんて活動は学生の身では不可能だ。
一応、自由に活動ができるヒーロー候補と監察官に情報を提供するそうだが、サトー曰く、このパターンは未解決で終わりそうだとのこと。
また、必殺技というヒーロー補正に目覚めたことへの注意もあった。
日常での使用制限、という当たり前の注意ではあるが、言葉と行動が発動条件ということで、万が一ということも考えられる。
要は必殺技っぽい言葉を叫びながら、攻撃的な行動を取らなければいい。
そんな風に楽観的に考えていると、サトーが深刻そうな顔で、なんでやねんという言葉と行動の危険性について語り出した。
あれは必殺技じゃないし、ヒーローらしいことでもないので心配ない。と、思いつつ、サトーになんでやねん、とツッコミを入れた。
そういうわけで、黒染仮面と怪物の事件は終わった。
あれから黒染の姿を町で見かけるようなこともなく、それが寂しいなんて思うこともない。
好かない奴だったし、あっさりとした別れでちょうどいい。
まぁ、噂話に耳を傾ける程度の未練はあるけれど――
+ + +
「ねぇ、聞いた? 黒染仮面の噂」
「何かあったの?」
いつの日かと同じく、生徒もまばらな朝の時間。
少し離れたところで話す女子生徒の会話が俺の耳にまで届いた。
噂を持ちかけた活発そうな女子は楽しそうに話しているが、聞いている方は気だるげに長い髪をいじっている。
「黒く染めた包帯を顔や腕に巻きつけて、余った包帯がマフラーみたいに……」
「それ聞いた」
「そうなんだけどさ、サングラス外したらしいよ」
「……うん、知ってる」
「えっ、どうして!?」
「この前、助けてもらったんだよね……」
「嘘ぉ!? いいなぁ、そういや顔気にしてたね、どんなだった?」
「わかるわけないでしょ、包帯ぐるぐる巻きだし」
「それでも少しは感想あるでしょ?」
そう聞かれた女子はうーん、と唸っている。
俺はあえて耳を澄ませることもなく、あくびをしながら空を眺めた。
もうすぐ七月になる空は青く、何処までも晴れ渡っている。夏が近い。
活発な女子が急かし、気だるげな女子がそうねぇ、と言った。
「優しい目をしてたよ」




