3.9 白黒つける必殺技
培われてきた経験と勘。青春を犠牲にした刷り込みとも言っていい。
元々、回避能力と格好いい殴り方だけはそこそこ自信があったが、ここ最近の事件続きでそれも洗練されてきたように思う。
そこにヒーロー補正が加われば、黒染にも負けない動きができるはずだった。
いや、動きだけなら負けていないのだが、俺が力を発揮するには絶対的な障害があった。
「……何も見えねぇ」
「退け、邪魔だっ!」
黒染と狼男の戦闘に巻き込まれないよう、研ぎ澄まされた感覚を総動員して回避する。
流れるような一連の動きだったが、真っ暗なので自分でもどのように動いたか、よくわからない。
つまり、暗闇が濃すぎて狼男とまともに戦うことができないのである。
下手に手出しして、黒染を殴ったり、吹っ飛ばすわけにもいかない。こうして戦場にいるだけでも邪魔なのだ。
俺と狼男の一騎討ちに持ち込むことも考えたのだが、どうやら先程のヒーローパンチで学習したらしく、俺が近づくと狼男は目を閉じる。
相手は嗅覚だけでも大体の位置が把握できるようで、そうなると一方的にやられるのは俺だった。
既に胴体に一発もらっている。それを見かねた黒染が、こうして狼男と戦いを続けているわけだ。
俺が狼男の攻撃を受けても倒れなかったのは、ある程度のヒーロー補正がかかっていると見ていいだろう。
しかし、幾ら能力が向上していようと、暗闇には太刀打ちできなかった。
「来い、走るぞ」
「えっ、ちょ、待てっ」
情けない思いをしていた俺の手を掴み、黒染が何処かに向かって走る。
狼男が追いかけてくる気配はなく、どうして逃走したのかが理解できない。
状況がわからないまま静寂へと逃げ込み、ひとまず、戦闘状態は解除された。
「蹴り飛ばしてきた……お前ほど吹っ飛ばせなかったのは癪だが」
「どうして急に距離を取ったんだ?」
黒染の呼吸が荒い。
俺の質問にすぐ答えられなかったのが、答えのようなものだった。
「……もしかして、限界なんじゃないのか?」
「それは奴も同じだ。俺も狼男も極限状態が続いてるからな……」
長時間、暗闇で戦闘を続けていた黒染と狼男は、肉体も精神も限界を迎えつつあるようだった。
俺が来たことにより、両者のギリギリで保たれていた均衡を崩すことになったのかもしれない。それも黒染の不利な方へと。
もう何も見えないからといってジッとしてはいられない。俺は息を整えている黒染から離れようとする。
だが、黒染が鋭い声で制止する。
「一人で何処に行く、何も見えてないくせに」
「そんな身体のくせに人の心配するな。まぐれ当たりするかもしれないだろ」
「お前のヒーロー補正は、まぐれ当たりの勝利で満足できるのか?」
ぐうの音も出ない。確かにまぐれで勝利できれば、苦労はないのだ。
俺が黙っていると、たたみ込むように黒染が言う。
「狼男は粗末な思考力のおかげで精神的圧迫が少ないのか、俺より幾分か体力が残っているらしい……お前じゃ無理だ」
「でも、黒染は……」
「大丈夫だ」
その声は黒染らしくもない、爽やかな声。
「お前が相変わらず馬鹿だから、だいぶ頭がすっきりした。やっぱり、人を助けるために戦うってのは良い気分だ」
「おい!」
「大丈夫。誰かのためなら、俺はまだ戦える」
二日間も暗闇の中で気を張り詰め、狼男と戦い、それでもなお戦おうとする者の言葉にしては、清々しいにもほどがある。
だけど、黒染がそんな綺麗事を言うな。お前は皮肉を言いながら、何だかんだで助けてくれる奴だろ。
言われっぱなしもいい加減に腹が立つ。
「ふざけるなよ」
「……何だと」
「確かに無力だけど、馬鹿だけど、戦えないことはないんだ。少なくとも、黒染に何もかも助けてもらうほど困ってるなんて思いたくない」
「そういうことは――」
「俺は黒染に助けてほしくないし、消しゴムも拾われたくない」
黒染の怯んだ顔が見える。包帯はボロボロだった。
俺はそれがおかしいということに気付かずに、言いたいことを全部ぶつける。
「自分でやりたいだけなんだ。そりゃあ、俺一人でできるなんて思ってない。だから、助けるというよりは……俺の正義に手を貸してくれ」
「お前、その目……」
黒染に指摘されて、ようやく周囲の視界が広がっていることに気付く。
「……目、どうなってる?」
「青い、見えてるのか?」
「見える……戦える、黒染!」
気分が高揚していくにつれて、ヒーロー補正が上方修正されていくのを感じる。
黒染が苦虫を噛み潰したように表情を歪め、憎々しげに言った。
「――新藤、俺に何をしろって言うんだ?」
嬉しい。今なら絶対に戦える。勝てる。
興奮する心を抑えて、息を吐いて、冷静さを失わないようにした。
「一撃でいい。あの跳躍と、落下の必殺技」
黒染が何度も怪物を倒してきた、敵を踏み潰すあの一撃なら狼男も仕留められる。それに、あの攻撃方法なら身体への負担も少ないだろう。
しかし、黒染はすぐには頷かなかった。何が問題だというのか。
「何だよ?」
黒染は腕に残っていた包帯を顔に巻き直しながら、厳しい目をしている。
「……この際、お前が戦うのはいいとして。十分な威力で落下するには、それなりに高く跳ぶ必要がある」
「跳ぶ力も残ってないのか?」
「いや、そうじゃない。高度を取ればとるほど、暗闇で狙いがつけられなくなる」
青い目で視界が広がったとはいえ、数メートル先までという制約は存在する。
この地下道にある灯りは青い目と、上部に開いている穴から注ぐ光だけ。しかし、あの光は底まで届いてはいない。
あくまで地下道の上層、それも穴の周辺を照らしているに過ぎない。
ならば――――あそこまで吹っ飛ばせばいいんじゃないのか?
単純明快。俺がやるべきことは決まった。
「黒染、あそこまで跳べるか?」
俺が天井に開く大穴を指差すと同時に、黒染が顔の包帯を巻き終えて、強く結んだ。
表情は見えなくなったが、きっと、にやりと笑ったに違いない。
「当然だ」
そう言い切った。そう簡単に跳べるなら、自力で穴から出られるだろうに。どうせ、ギリギリなんだろう。でも、心配はしてない。
黒染に頼んだからには、俺も狼男を叩きのめして吹っ飛ばさなければならない。
気合を入れて狼男の気配を探り始めたところに、黒染がぽつりと呟く。
「……消しゴムを拾わせてくれなかった、あの子は」
「ああ、きっと、意地っ張りだったんだ」
そんな想像、気休めでしかないことは互いに承知の上。それでも構わない。
「そうだ、もう一つ相談」
「何だ、いい加減に……」
「パンチの格好いい言い方ってないかな?」
黒染の呆れたような溜息が聞こえたが、あまり考える風でもなく、耳元で。
「――で、どうだ」
「ヒーローパンチよりは格好いいな」
「……ヒーローって単語がダサいんじゃないのか?」
俺の褒め言葉は黒染に伝わらなかったばかりか、酷いことを言われた。
黒染が跳躍姿勢で待機する。
もし、野々宮のところまで跳べたらよろしく頼む。それと――
「ヒーローがダサいわけないだろうが」
捨て台詞のように吐いて、狼男がいるであろう暗闇へと走った。
+ + +
視界良好とまではいかないが、一寸先が闇だった先程に比べれば、数メートルは視界がある。
これで狼男と条件はイーブン。奴が俺の姿を捉えたときが、俺も奴の姿を捉えるときだ。
「……何処から来る」
前方と左右に気を配る。これで迫り来る音がしても視界にいなければ、後ろ蹴り。
ヒーロー補正のかかった今の反応速度なら、狼男のスピードに対応は可能だ。
そして、意外にも狼男は目の前の暗闇から飛び出す。
「ガァァァアア!」
荒々しく振り下ろされる狼男の右腕を避ける。
真っ直ぐ殴るタイミングはなかった。適当な横方向ならまだしも、上方向の狙った位置に吹っ飛ばすとなると、大きな隙が必要だ。
「ヒーローパンチ!」
狼男の攻撃を回避した体勢からの、ほとんど裏拳のようなパンチだったが、きちんと狼男は闇へと吹っ飛ぶ。
パンチという名の通り、拳骨での強打であれば、どのような形でも発動するらしい。
戦闘は長引くかもしれないが、このままヒーローパンチで体力を削って隙を狙えば――
「っ!?」
右肩に衝撃が走る。
闇から襲いかかった獣。四本足の狼男に飛びかかられ、思い切り体勢を崩す。
踏ん張って倒れることは免れたが、その隙を見逃さなかった狼男が口を開いた。
ガブッ、と右腕に鋭い痛み。更にトドメのように牙が喰い込み、全身に苦痛が広がる。
「あ、あぁ……っ、ヒーロー、パンチっ……!」
途切れそうになる思考を必死につなぎ止め、左腕で拳を作って狼男を殴り飛ばす。
一瞬、右腕ごと引っこ抜けるかと思ったが、狼男だけが闇の中へと消えていく。
やばい。これはやばい。痛みで頭がどうにかなりそうだ。
恐らく、二足歩行のスピードではジリ貧だと判断した狼男が、獣らしい四足歩行で闇から俺に飛びかかったのだ。
視界の外から俺を正確に捉えたのは、鼻だ。奴はその嗅覚で、索敵範囲を視界以上に確保しているようだ。
青い目で視界が広がっただけで条件はイーブンなどと、認識が浅いとしか言いようがなかった。
「ガァァ!」
また、獣のように現れた狼男。
視界の外から、この速度。回避しきれず、胴体に頭突きを喰らう。
とっさに腹筋に力を入れたが、それでも内臓を吐き出しそうなほど気持ち悪い。
何より息苦しくて、声が出ない。必殺技が出せない。
「ごほっ、ごほっ……ヒーロー、っ」
言い切る前に狼男の爪が喉を切り裂こうと迫り、後ろへと身を引く。
「ヒーローパンチ!」
追撃をかわしながら繰り出した拳が、狼男の爪先に触れる。
これも殴ったと判定されたらしく、狼男が暗闇へと吹っ飛ぶ。
だが、威力はないに等しい必殺技である。相手はすぐに起き上がり、闇から飛びかかってくるだろう。
これでは居合抜きが得意な相手に、いちいち刀を納めてもらっているようなものだ。
「……別のでいくか」
片膝をついて、狼男を待つ。
殴りやすいように立ちの姿勢で構えていたが、狼男から見れば大きな的だ。そう、見てればの話だ。
狼男は目ではなく鼻で俺の位置を探っている。もしも、的の大小を確かめもせずに飛びかかってくるようなことがあれば――――
「ガァ――ッ!?」
「かかった!」
狼男は俺が立っているものと思い込み、飛びかかるように闇から現れた。
俺は低い姿勢のまま狼男をかわし、攻撃をスカして隙を見せた狼男に拳を振るう。
「ヒーローナックル!」
黒染直伝。パンチより格好いい響きの必殺技。パンチとナックル、どちらが格好いいかの論争は後だ。
ただ、ヒーローナックルは、また吹っ飛ばされると勘違いしていた狼男の身体に、バキバキと嫌な音をさせる程度の威力はあるようだ。
苦渋に顔を歪める狼男。その顎目がけて、殴る。
「ヒーロー、ナックル、ナックル、ナックル!」
パンチとは違う、固めた拳の第二関節がグッとめり込む感触。
狼男の牙を砕き、骨を砕き、とことん打ちのめす。
「ガッ、ガァッ……ガァァアア!」
それでも狼男を気絶させるには至らず、むしろ興奮させ、咆哮させてしまう。
俺としては威力抜群の必殺技が完成したつもりだったが、敵のタフさも半端ではない。
しかし、別にいい。トドメを刺すのは俺じゃない。
雄叫びを上げる狼男は覚束ない足取りで、まだ戦おうとしている。悪いが、俺が相手するのはここまでだ――――
「吹っ飛べ! ヒーローパンチ!」
綺麗なアッパーカットが決まり、狼男が宙へと放り出される。
「今だ、黒染っ!」
俺は声を張り上げて呼びかけたが、頭上を舞う狼男の上には既に黒い影が見えた。
これで終わりだ。格好つけた必殺技ではない、本物の一撃必殺の技。
空中にいる狼男は回避しようがないだろう。黒染が一直線に狼男へと直撃する。
暗闇を切り裂きながら、ぐんぐんと速度を増しながら落下し、やがて――
「シュヴァルツ・ブリッツァー!」
落雷のような衝撃と音が地下道一杯に広がり、すぐに暗黒と静寂に包まれる。
俺は急いで落下地点へと向かった。
暗闇の中に倒れている狼男と、その背中から降りる黒染の姿があった。
「黒染……」
「倒した。これで駄目ならお手上げだ」
「そうじゃなくて、シュヴァ……何だって?」
叫んだのははっきりと聞こえていたが、何のつもりだったのか、意図を訊ねる。
しかし、黒染は舌打ちで答えた。
「ちっ、気まぐれだ。何でもない」
「なぁ、何だったんだよ、なぁ!」
「しつこい!」
俺も面白がっていたことは確かだが、わりと真面目な答えを期待していた。
黒い稲妻。パンチとナックルより格好いいじゃないか、くそう。




