3.8 ノーカラー・ノーセンス
俺は格好いい台詞と格好いい必殺技を考える日々という、感化された中学生のような生活を送っていた。
ある意味、呑気な日常を過ごしていたのだが、事態というのは俺が何もしなくても時間とともに勝手に進展する。
水曜辺りを境に怪物に襲われる噂話が再発したのである。無論、黒染仮面の噂とセットで。
しかし、土日を挟んだ月曜日。黒染仮面の噂はぴたりと止み、怪物の噂だけが広がっていた。
「……どうしたんでしょうか、黒染さん」
俺はすっかり野々宮と歩く、住宅街ルートの平和な帰路に戻っていた。
そんなところに飛び込んだ不穏な噂話、否、立ち消えた黒染の噂話は気になる。
黒染は狼男と互角に渡り合っていたはずだ。それも亀を相手に犬を蹴散らした後で、狼男ともタイマン勝負ではなかった。
再び敵地へ単身乗り込むようなタイプだとも思えないが、あれで直情的なところもある。
「省エネ魔法で黒染のこと探せないか?」
「いいですよ、あまり期待されても困りますけど……」
野々宮はポンと右手にステッキを出現させると、それを地面に突いた。
「では、黒染仮面の居場所を示して!」
パッとステッキから手を離すと、先端の宝石部分から淡い光を放ち、直立不動で止まった。
「……これは、どういう意味だ?」
「え、えーっと」
野々宮がステッキを軽く押したが、ステッキは地面に固定されたかのように動かない。
種も仕掛けもないのに直立するステッキ。まさにマジックというほかない。
野々宮は予想外だというように苦笑しながら、魔法を解き、ステッキを右手に戻す。
「うーん、黒染さんの方角にステッキが倒れるイメージだったんですけど」
「倒れなかったということは、わからないってことか?」
「い、いえ、解釈次第では……上か下にいると考えられませんか、ね」
野々宮は自信なさげに同意を得ようと目で訴えているが、上下にいると言われても困る。
建物の上層にいるのか、何処かの地下にいるのか。
怪物も黒染も町から出られないという話だが、それでも捜索範囲が広すぎる。
「もうちょっと条件を絞りたいな、まだ魔法いけるか?」
人探し程度なら、と気軽に聞いたのだが、野々宮は一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「え、えぇ、大丈夫ですよ」
二人とも黙ってしまい、妙な間が生まれる。
俺は溜息をついて、笑顔を作った。
「……いや、ありがとな。あとは地道に探そう、サトーも何かわかったかもしれないし」
「わ、私は――」
ギャア、と聞き慣れない鳴き声が近くから聞こえた。
すぐ先の曲がり角から自転車に乗った中学生の男の子が飛び出すのが見えて、すぐに駆けつける。
そこで目にしたのは黒い怪物で、見覚えのある黒犬が一匹だけだった。
「野々宮、後ろ頼む!」
「はいっ!」
逃げている中学生のことや、後ろの安全確認などを一言でまとめて頼んだが、気持ちのいい返事だった。
俺は持っていた鞄を思い切り黒犬に投げつけた。当たらなかったが、黒犬の興味はこちらへ向く。
ギャンギャンと吠えて威勢はいいが、一匹なら相手にできないこともない。
俺は黒犬が噛みつこうと目の前にやって来るのを、拳を構えて待った。
「ここだっ、ヒーローパンチ!」
黒犬の顔面を殴りつける。拳が触れた瞬間、黒犬が吹っ飛ぶので痛くもない。
何だかんだ言いつつも怪物が吹っ飛んでいくさまは見物である。
黒犬は二、三回、道路に身体を打ちつけながら転がる。しかし、すぐに立ち上がって吠えた。
「くそっ、犬すら起き上がるのかよ……」
何も言わずに殴った方がダメージがあるのではないか、と脳裏をよぎる。
しかし、それで効かなくて噛みつかれるようなことになれば、後悔なんてものじゃない。
どうにかダメージを与えられないかと辺りを見回すが、家と塀と電信柱しかない。
「……いや、いけるんじゃないか?」
再度、飛びかかろうと迫ってくる黒犬をギリギリでかわし、横っ腹に拳を入れる。
「ヒーローパンチ!」
黒犬の身体は勢いよくブロック塀に叩きつけられ、ぐったりしたまま起き上がることはなかった。
俺はまともに戦い、まともに勝利した感動に打ち震えつつも、野々宮のもとへ走る。
「さっきの子は?」
「警察呼んできて、と交番に走らせました。怪物騒ぎの噂もありますし、野犬か何かだと思われますよ」
野々宮の手際の良さに感心する。
俺は黒染が現れないかと辺りを見回すが、人の気配すらなかった。
「……黒染は来ないか」
「あと、あの子……廃工場の方から逃げてきたそうです」
「えっ、あそこの怪物は倒したし、他には何も……いや」
俺はそう言いながら、携帯電話を取り出す。
野々宮の魔法で示された黒染の位置。再び廃工場から現れた怪物。それに姿を消した狼男。考えてもみれば、あんなのが何処に消えたというんだ。
すぐにでも向かいたいが、最低限の確認はしなければならない。
「もしもし、サトー。あの廃工場、地下はないのか?」
「昌宏か、いきなり何だ」
「早く! 調べてくれ!」
「ただの部品工場に地下などあるか」
あっさりと否定され、組み上がりかけていたパズルがガラガラと崩れる。
溜息をつき、何事かとはらはらしている野々宮に手を振って、何でもないと示した。
「早合点だった。サトーに連絡して良かったよ」
「待て、地下、地下……あの付近一帯は地下道が通っている。出入口は何十年も前に封鎖されているから、誰も入れないはずだ」
台詞の後半はほとんど聞き流して、無造作に電話を切る。
「野々宮、廃工場に急ぐぞ」
「え、はい! これ、使います?」
まだ事態の急転をわかっていない様子で、野々宮が掲げたのはステッキ。箒のようには飛べないが、ロケットのようには飛べる。
まだ明るいし、怖いし、野々宮に魔法使わせたくないし、怖いし、誰かに見られるかもしれないし、怖いし。
「……頼む」
だが、走ってる暇はなかった。
+ + +
高空に酔いかけたが、吐くことなく廃工場の目の前に降り立つ。
さっそく廃工場の中に飛び込もうとして、慌てて立ち止まった。
入り口から見えるほど大きな穴が床に開いていて、真っ暗な空洞が広がっていた。
これが地下道に繋がっているのだとすれば、黒染も組織のアジトもこの穴の中だろう。
「……下の様子も、深さもわからないな」
「灯りもなければロープもなしで、どうしましょう?」
「いや、いける……高そうだし」
「え……あっ!」
俺は高いところから飛び降りる方法を持っている。
暗闇だろうと、地面が荒れていようと、上手いこと安全に着地できるだろう。
「野々宮はここにいろ、サトーが来ると思うから」
「いえ、あの……はい」
野々宮は酔ってもいなければ気持ち悪そうにもしていなかったが、魔法の使用による疲れが出ていた。
足手まといになりたくないのだろう。素直に頷いてくれた野々宮の頭に手を乗せる。
「野々宮は、俺を美味しい場面まで運んでくれる。悪いな、こんなヒーローで」
「……何がですか?」
「今回のことで力不足を痛感したし、説得力ある言葉も思いつかないし、必殺技のセンスもないことがわかった」
俺は自分のできる範囲で精一杯頑張ろう、とそれなりに良いスタンスでやってきた。それは未熟であることを自覚した懸命なやり方だったと思う。
しかし、黒染の正義の貫き方を目の当たりにして、それを格好いいと思った。
俺にはあんな真似はできないことはわかってる。
だけど、黒染はそんな俺を見て馬鹿にするだろうから、少し意地張って背伸びしたっていいだろう。
格好つけなきゃ、ヒーローになれない俺なんだから。
「色々と格好悪い俺だけどさ。精一杯、格好つけてくる」
「……新藤さんは、既に格好いいですよ?」
疲れた表情を見せず、満面の笑みで野々宮が言ってくれた。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。穴ならすぐそばにある。
正直、こんな底も見えない真っ暗な穴に飛び込むなど、怖くて仕方ないのだけど。
「――とうっ!」
後ろで野々宮が見てるのに、ビビってなんかいられるか。
+ + +
落下を全身で感じながら、闇の中に滑り込んでいく。高所の恐怖より、暗所の恐怖が勝っていた。
まったくと言っていいほど光源がない。黒染も狼男も何も見えないのではないか、とさえ思う。
「おっ、とと……」
無事に着地を決めて、上を見上げると落ちてきた穴だけが見える。むしろ、穴以外に見えるものがない。
この暗さに目が慣れるか不安になりつつ、手探りで歩いてみる。
地面の感触は土で、地下道といっても舗装された感じではない。
何十年前に出入口が封鎖されたと言っていたが、通路として使われていた地下道ではなさそうだ。
「もう少し、サトーに色々聞いとくべきだったな……」
暗闇の不安から独り言が出るが、これは迂闊だったと後悔する。
ここに何者かが潜んでいると思って来たのに、わざわざ暗闇で声を発するのは居場所を知らせるようなものだ。
なるべく黙って歩こう、と思った、そのとき。
「どうして、ここに」
「黒ぞ、むぐ……」
背後から黒染に口を押さえられ、そのまま何処かへ連れて行かれる。
暗闇を人に歩かされるのは怖いのだが、問答無用で引っ張られ、肩を押されて腰を下ろす。
俺はいきなりのことに文句を言いたかったが、大声で抗議するほど愚かではなかった。
それよりも黒染の姿に驚いていた。真っ暗なので他の部分は見えないが、青い目だけが輝いている。
「それ、目……」
「サングラスは外したが、包帯はしている。流石に暗すぎて見えないからな」
「目だけなら、わりと格好いいな」
「そんな場合か。今日は何日だ」
小声で急かすように話しているところからすると、敵はまだいるらしい。
「月曜の」
「わかった。丸二日か……」
黒染の呟きに驚く。
「そんなに戦ってるのか!?」
「静かにしろ。常に戦ってるわけじゃない。俺も、あの狼男も目が届くのは数メートル先までだ。お互いに隠れつつ、隙をうかがってる状態だ」
「ここは……奴らのアジトじゃないのか?」
「それらしい痕跡はない。俺も廃工場を見張っていたが、狼男以外は誰も来なかった」
黒染の現在地の予想は当たったが、組織のアジトという予想は外れた。
それを悔しがっても仕方ない。黒染が無事でいたことを喜ぶほかない。
「じゃあ、ここにいるのは……」
「落ちたに決まってるだろ。お前があの亀をぶっ飛ばしたせいで、脆くなってたに違いない」
「俺のせいにするなよ、地下道があるなんて知らなかったんだ」
「――まずい、話は後だ」
黒染に突き飛ばされ、また完全な暗闇に投げ出される。
すぐに青い目を探すと、黒染の瞳ともう一つ、同じような青い目がそこにいた。
「グルルルル……」
「新鮮な獲物の臭いを嗅ぎつけたか」
俺のせいか。頭を抱えながら立ち上がり、青い目を追う。
激しい格闘の音が聞こえるので、黒染と狼男の位置はすぐにわかる。
問題は止まらない二組の青い目のどちらが黒染で、どちらが狼男か区別がつかないということだ。
「黒染っ、目ぇ閉じろ!」
「馬鹿言うな!」
「俺にも少しは助けさせてくれよ!」
散々、馬鹿にされ、見下されたが、一度として見捨てることなく、何度も助けてくれた。
黒染ならわかってくれるはずだ、助けたいという気持ちを拒まれる辛さが。
そして、わかっているはずだ。どんなに辛かろうと、助けることをやめられない気持ちが。
「ちっ」
舌打ちが聞こえて、暗闇に浮かぶ青い目の片方が消えた。
向こうが狼男だ。闇を突っ切って、狼男に迫る。獣臭。ああ、遠慮はいらない。
「喰らえっ、ヒーローパンチ!」
鈍い音を立てて暗闇へと消えていく狼男。倒れてはいないだろうが、これで距離は取った。
すぐ隣で青い目が開く。こうして近くで見れば、あちらより優しい光だ。
「……何しに来たんだ、お前は」
俺を馬鹿にしたように呆れるその男は、求められなくとも誰かを助けようとしてきたヒーローの完成形。
皮肉屋で、顔に似合わず正義感に溢れ、人を馬鹿にしておきながら、人を助けたくてたまらない。
顔を隠すな、なんて綺麗事は言えないけど。俺は黒尽くめのスタイルではなく、黒染という男の正義のスタイルが格好いいと思う。
俺もその正義に手を貸したいと思うのは、当然で、仕方のないことだ。
「助けに来たに決まってるだろ」




