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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
3. ヒーロー候補と黒染仮面
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3.7 響く言葉の思案

 俺は着ていた制服の上着を黒染に渡し、黒染も何も言わずにそれを被った。

 消耗している黒染の手を引いて、廃工場を離れる。まるで連行だ。

 人目のないところを探し歩き、砂利を敷き詰めた駐車場に停められていた廃車同然の車の影に座り込む。

 最近、車が動かされた様子はない。人家も少なく、身を隠すにはちょうどいい。

 サトーに連絡しておきたいが、残念なことに携帯電話は鞄の中だった。


「……サトーなら探してくれるか」


 やることを終えて一息ついてしまうと、気まずさに耐えかねて声が出た。

 黒染は上着を被ったまま、下を向いて何も喋ろうとしない。


「……なぁ、黒染」

「何も言わないでくれ、雨の音すら耳に痛いんだ」


 悲痛な声。包帯越しではない黒染の声は、いつもより高めに聞こえた。

 俺は言われたとおり、黙ることにした。

 一度、目をそらした俺に何が言えるだろう。綺麗事にしかならないし、それは凄く汚く思える。


「雨音がうるさいから喋る。相槌はいらない」


 俺は無言で頷いたが、黒染には見えないはずだ。

 しかし、黒染は俺がちょうど聞く体勢になったところで話し始めた。


「俺は醜い。改造の傷も正視に堪えないが、元からこんなものだった」


 黒染の顔は傷跡や変色が酷かったが、それがなくとも整っているとは言い難かった。

 何が悪いのか原因は指摘できない。下がった眉、潰れた鼻、厚い唇、青い瞳。

 一つ一つのパーツに分解すれば許容できなくもないのに、それらをすべて備えてしまった顔。


「馬鹿にされるのは平気……いや、慣れた。辛かったのは、俺に関わりたくなさそうな人といるときだ。学校生活なら組を作れと言われることもあれば、部活や委員会もあるだろう」


 そういう話は俺も胸がチクチクする。

 俺なんかと一緒だということが申し訳ないという、自虐的な気遣いをしてしまう。


「ある教師に言われた。人に好かれるには、まず自分を好きになることだって。俺は別に他人が嫌いなわけじゃなかった。嫌な部分は少なからずあっても、俺に比べれば皆、素敵な人間だった」

「そんなこと――」

「俺は! 自分のことが嫌いだったから、人が好きだった。奴らのためになればと、何でも言うことを聞いた」


 思わず否定しかけた俺の言葉を遮るように、黒染が声を張り上げる。


「でも、そういうんじゃないんだ。俺はしたかったのは。俺は堂々と、胸を張って、誰かのためになることを……」


 声が震えていた。黒染は涙を流していたかもしれないが、雨でわからない。


「消しゴムを拾って嫌な顔をされるのは、もう嫌なんだ……」


 その一言は俺の正義感を貫いた。

 俺は他人の落とした消しゴムをすぐには拾わないだろう。拾えない。睨まれそうで怖いから。

 どうして黒染は、そこまで純粋に誰かのためになることができるんだ。

 何が原動力なんだ。何がそこまで、黒染をヒーローたらしめるというのだ。


「もう黙れない。黒染は格好いい」


 しばらく無言が続いた後、黒染が舌打ちする音が聞こえた。


「……正体を隠せば嫌な顔はされないが、できる人助けは怪物退治くらいしか残らなかった。この姿で年寄りの荷物が持てるか、道案内できるか」

「黒染は怪物を事件ではなく噂話にした。お前にしかできないよ」

「褒めすぎだ。逆に冷める」

「……悪い、そんなつもりじゃ」


 黒染は呆れたように溜息をつく。


「狙いが俺だとわかった以上、お前と仲良くする理由はもうない」

「……あんまり仲良くされた覚えもないけど」

「俺は狼男を探し出して倒す。お前はどうする?」

「引っ込む理由はないな」


 黒染が急に立ち上がって、上着を取って俺の頭に被せる。

 何も見えない。取り払いたいが、黒染が頭を手で押さえつけたまま離さない。


「利口な犬が言ってたことだが、人生は配られたカードで勝負するしかないそうだ」

「はぁ、何だそれ」

「結構好きな台詞なんだ。だけど、思うことがある。俺のカードじゃ、堂々と人助けもできないのか、ってな」


 何が言いたいのかわからないが、俺は反論すべきだと思った。


「別にカードなんてなくたって……」

「だから、綺麗な言葉で納得させてくれ。格好つけるのは得意なんだろう?」

「……得意じゃないから、苦労してるんだ」

「じゃあ、次に会うときまでに考えておけ」


 フッと頭が軽くなり、押さえつけていた手が離れたのがわかった。

 立ち上がって被らされていた上着を取ると、辺りは暗闇しかなかった。

 いつの間にか、雨はぱらぱらと降る小雨程度になっている。


「いたっ、いました! 新藤さん!」

「あ……野々宮」


 ビニール傘を差した野々宮が俺に向かって手を振っていた。

 かくれんぼで見つかった気分で、のそのそと出ていく。

 湿っている上着を羽織り、盛大に溜息を零した。


「あぁー、しんどかったぁ……」

「だれる前に何があったのか教えて下さい」

「サトーは?」

「この辺りで新藤さんを探してますよ。向こうに車が停めてありますから、連絡して待ってましょう」


 野々宮も安心した様子で携帯電話を取り出す。


「あっ、お婆様には私から勉強会で遅くなると言っておきましたから」

「……俺が遅くなるって連絡を野々宮が何でするんだよ」

「でも、疑ってはなかったみたいですし……もしもし、サトーさん?」


 野々宮がサトーと二言、三言の会話をして、電話を切る。


「はぁ、新藤さんが無事でよかったです」

「悪いな、いきなり鞄と傘預けて」

「……はぁーあ、鞄は車に置いてありますから」


 二度目の溜息はわざとらしかった。荷物を預けたことより、謝るべきことがあるからだろう。

 それは後で謝るとして、少し野々宮に訊ねたいことがある。


「なぁ、野々宮」

「何ですか?」

「配られたカードが弱かったら……いや、弱くないな、強いんだけど、堂々と使えなくて」

「はい?」

「……いいや、自分で考える」


 野々宮は首を傾げつつも頷くが、しばらくの間、律義にうーんと唸っていた。


   + + +


 サトーが運転する車の中。後部座席に俺と野々宮は座っていた。

 別に指定されたわけではないが、荷物が助手席に置いてあるので、自然とこういう位置になった。

 暗所で閉所な車内は、こんな状況でなければもう少しドキドキできたかもしれない。もちろん、そんな場合ではない。

 俺は組織の狙いが黒染だったことや、姿を消した狼男、何とか発動した必殺技のことを話した。

 黒染の顔のことや、交わした会話については黙っていた。言わなくていいことだと思う。


「廃工場は本丸ではなかったようだ……すまん」


 サトーはハンドルを握ったまま、こちらに顔を向けずに話す。当たり前だ。


「別にサトーは悪くないだろ」

「怪物の出入りを確認しただけで、確定した情報のように言ったのは迂闊だった」


 後悔するような物言いに、俺は少し不満を覚える。

 俺への情報提供には、手心を加えないといけないみたいに聞こえる。

 必殺技のヒントももったいぶった上に、言った後で悩んでいたことを思い出す。

 サトーに限って俺を信用してないということはないだろうが、未熟と言うか、馬鹿な子と思われている気がする。


「どうしたんですか?」


 野々宮が心配そうに訊ねる。

 そのままサトーへの不平を口にするのは憚られたので、何か他の言葉を探す。

 そして、俺が口にしたことは。


「……ヒーローパンチはないよなぁ」


 自虐的な思考に入り込むと、まず頭に浮かぶのはそこである。

 吹っ飛び効果はともかく、あのネーミングセンスは我ながらどうかと思う。

 しかし、サトーも野々宮もそんなことはないと力説する。


「ヒーロー補正が具体化した技としては、上出来なスタートだと思うぞ?」

「そうですよ! ネーミングはともかく、効果的で使いどころもありそうです!」


 少々、引っかかる言い方だったものの、俺も使えない技だと思ってはいない。

 ただ、雑魚ならともかく、あの狼男には通用しないだろう。吹っ飛ばすだけでは倒せない。

 黒染は堂々と人助けできないと嘆くが、俺は人助けすることすら危ういと嘆きたい。


「技も思考も未熟なんだよなぁ……」

「昌宏はそれでいい」


 未熟を肯定されて悲しくなるが、反論しがたい妙な雰囲気だった。

 まるで息子か弟か後輩に向かって。そんな諭すような、言い聞かせるような声だ。


「非の打ちどころのないヒーローがいたとして、彼は誰を助けられるだろうか」


 黒染といい、サトーといい、わかりにくい謎かけが好きな奴ばかりだ。

 俺はすっかり考える気を失くしていたが、野々宮は真面目に考えていた。


「誰でも助けられるのではないでしょうか?」

「そうかもしれないが、助けを求めてない人を助けても良い顔はされない」

「そういう人を助ける必要は……結構、ありますね」


 野々宮も長年、魔法少女をやってきたのだ。思い当たることがあるのだろう。

 助けたい人が助けを求めてるとは限らない。求めていたとして、それが自分だとも限らない。

 黒染はそれを人一倍感じていたのかもしれない。


「感謝されようがされまいが助けるのが基本だが、そういうのが続くと、助けてくれてありがとうと言わざるを得ない状況しか助けたくなくなるというものだ」

「難儀なものですね」

「彼らは手を伸ばしていない。だから、手を引っ張ってもらうことを望んでいない」


 俺はサトーの謎かけは考えていなかったが、サトーのことは考えていた。

 ヒーロープロジェクトの監察官なんてものをしているからには、正義感は強いのだろう。付き合いも長いし、それはわかる。

 しかし、サトーのアドバイスはやけに実感が込められているというか、彼自身の言葉という印象がある。

 青いスーツに赤いマントを着たサトーが空を飛びまわる想像をしていると、サトーに声をかけられた。


「昌宏はヒーローではなく、ヒーロー候補だ。手を引っ張るほどの力はないかもしれん」

「えっ、あぁ……そうかもな」

「しかし、一緒に歩いたり、走ったりできる。一般人の速度で、だ」

「……は?」

「昌宏のようにヒーローに片足を置きながら、一般的な感覚を残す存在というのは、そばにいても苦にならない。まぁ、これは多少の贔屓目はあるか」


 サトーの褒め言葉らしきものを、どう受け取っていいか困っていると、野々宮が助け船を出す。


「ヒーローと一般人のハイブリッドってことですね」

「……それっていいものか? 中途半端じゃないのか?」


 身の丈に合わない褒められ方をしているという居心地の悪さもあるが、ヒーロー候補であることを褒められるという困惑もあった。

 サトーはヒーロー候補である俺を曲がりなりにもヒーローにするのが仕事ではないのか。

 だが、サトーは鼓舞するように力強く言葉を述べる。


「どれだけ非常識が横行しようと世界は平凡だ。平凡な世界に暮らす者は、ヒーローよりも身近な誰かに助けてほしいもので、ヒーローはあくまで最終手段でしかない」


 サトーはヒーローよりも俺みたいな未熟者の方が人を助けられると言う。

 しかし、黒染はヒーローになったから、堂々と人を助けられるようになった。

 どちらも正しいように思える。身も蓋もないことを言えば、場合によるのだろう。


「……ヒーローの必殺技に悩むわけだよなぁ」

「まぁ、抽象的な話をしてしまったな。とりあえず、今後も調査は続けよう」


 窓の外の景色がゆっくりと止まっていく。いつの間にか、野々宮の家の前だった。


「では、新藤さん、サトーさん。また、明日」

「ああ、また……」


 野々宮を車内から見送って、サトーが再び車を発進させる。次は俺の家だろう。


「なぁ、サトー。ヒーローを言葉にするのは難しすぎるよ」

「うむ。幸いなことに、ヒーローは言葉にしなくても行動で伝わる職業だ。安心しろ」

「だけどさ、必殺技は言葉にしなくちゃいけないし……ちょっと、相談したいんだけどさ」


 俺は言葉について悩んでいた。

 そして、その相談すら、どのように言えばいいのか悩む。


「……捻くれ者にも響くような綺麗な言葉で、人助けは誰でもできるってことを、どう伝えればいいのかな」


 バックミラーに映るサトーの目が細くなる。


「そうだな……例え話にした方が聞こえはいいかもしれない。だが、言葉だけで伝えるのは難しいだろう」

「具体的なアドバイスくれよ。はっきり言うけど、未熟者に曖昧なこと言ったって何にもわかんないからな」

「そんな卑下しながら威張らなくともいいだろう」


 サトーが軽く笑いながらブレーキをかけた。もう家の前だった。

 俺はこれでも必死に黒染の期待に応えようと、ヒントをかき集めているつもりである。

 黒染が好みそうな皮肉めいた言葉遊びは、無駄に説得力だけはあるサトーに聞くのが一番のはずだ。


「なぁ、黒染に何て言えばいいと思う?」

「黒染仮面に人助けは誰でもできる、と上手く伝えたいのだな」


 つい黒染の名前を出してしまったが、取り消すこともできないので頷く。


「それなら、昌宏が黒染仮面を助けた後に言えばいいのではないか?」


 流石、大人の皮肉は一味違う。

 俺は車を降りると、気持ち強めにドアをバタンと閉めた。


「ありがとよ!」

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