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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
3. ヒーロー候補と黒染仮面
25/100

3.4 玉虫色の一撃

 総合的に評価すれば素晴らしい日曜日だったと言えるだろう。

 俺はようやく土地勘のある我が町に帰ってきて、適当なことを考えながら歩いていた。

 考え事しながら歩ける道というのはいいものだ。引っ越してから数ヶ月なのに、俺はこの町に慣れていた。


「こんな時間に帰ってきちゃいましたね」

「いや、暗くなる前に帰るべきだ……って、さっき思った」

「そういえば、そうですね」


 野々宮はすっかり怪物のことを忘れていたらしい。何で俺がついてきたと思ってるんだ。

 とにかく防衛的観点で考えれば、無事にお出かけを遂行できた。

 午後二時。昼下がりの住宅街に人気はなく、道に立っているのは俺と野々宮と電信柱くらいのものだった。

 ――しかし、寝転んでいる奴なら他にもいた。


「……まだ、日曜日の評価を下すには早かったな」

「えっ、あ……あれ、寝てます?」


 黒猫を五倍程度に膨らませ、羽根や尻尾をごてごてさせた怪物が寝そべっていた。

 前回の醜い怪物よりは整った見た目ではあるが、それでも地上の生き物ではない。キメラか鵺に近いだろう。

 眠る黒猫を不用意に起こすことはない。遠回りしてでも他の道を通った方がいい。

 しかし、そんな俺の考えを読み取ったのか、黒猫が目を覚ました。青い瞳が俺を捉え、あくびのような声を上げる。


「ギャァーオゥ……」

「あ、あの猫? 例の怪物の仲間でしょうか」

「猫って鳴き声じゃないな。荷物持って下がれ」


 俺は荷物を全部手放して、ヒーローらしく戦うことに集中する。

 サトーに言われた補正のかけ方という奴はまだわからないが、思うところはある。

 自覚だ。野々宮を守っているという自覚さえあれば、少しはヒーロー補正も働くだろう。

 何故なら、女の子を命懸けで守る男が格好悪いはずがない、と思うからだ。


「新藤さんっ、ここは逃げるべきでは……」

「どう考えても速そうだろ、あいつ。それに黒染仮面が現れるまでは何とか――」


 俺の言葉は飛びかかる黒猫の前脚によって、中断を余儀なくされた。

 遠くからの攻撃だったのでかわせたが、この位置だと俺も野々宮も黒猫に近すぎる。


「こっちだ!」


 大声を張り上げて駆け出し、黒猫を野々宮から引き離そうとする。

 黒猫は俺と野々宮を数回交互に見ると、俺に向かって一気に距離を詰めてきた。

 予想通りのスピードだが、予想できたところでかわせるかどうかは別だ。

 身をよじって黒猫の攻撃をかわすも、一瞬のミスで当たりそうな避け具合だった。

 それも黒猫との距離が数メートルある前提でのことだ。近距離からでは確実に仕留められるだろう。


「来いよっ」


 そのため、俺は声を上げながら全速力で逃げるしかなかった。

 黒猫の攻撃後の隙に距離を取り、攻撃され、また距離を取るの繰り返し。

 昼時の住宅街で巨大な猫と人間が追いかけっこしてるというのに、誰も気付かないのだろうか。

 気付かれたところで見間違いと思われるか、無視されるか、警察に通報しても警察が無視するだろうけど。


「猫ぉ!」


 いつの間にか野々宮の姿が見えないが、自然に戦闘から逃がせたことは上出来だ。

 もし二匹いたら死ぬほど後悔するだろうけど、どうせ二匹もいたら後悔する前に死ぬことになる。


「……ああっ!」


 黒猫との一方的な攻防戦が数十回を超えた。

 もう挑発的な呼びかけでなくとも黒猫は俺しか見ていない。明らかに興奮している。

 飛びかかるときの狙いも徐々に中心を外れている。しかし、速度は増していた。

 息が限界だ。どれほど限界かというと。


「あっ」


 意地で足を動かすどころか、コケるくらい限界だった。


「っつぅ……」


 痛みを堪えて振り返れば、黒猫は距離を詰めながら、いつでも飛びかかれる姿勢で俺を狙っていた。

 立ち上がろうとすれば前脚の爪が身体に喰い込むだろう。俺を殺すならそれで十分だ。

 俺は覚悟を決めて、拳を固めた。逃げるか、殴るか、死ぬか。俺に許された選択肢は少ない。

 黒猫の青い目を睨みつけながら、ゆっくりと立ち上がる。奴も俺が逃げないとわかるのか、動かない。

 ヒーローらしい力の発現方法。答えは出ていないが、要は格好よく殴ればいいのだろう。


「候補のくせにヒーロー名乗って恥ずかしいかもしれないけど」


 握り拳を武器に前に出る。黒猫も同様。このまま衝突すれば、俺が吹っ飛ばされるのは自明だ。

 その常識に補正をかけろ。ヒーローらしさで塗り潰せ。意識で俺の拳は凡人のそれではなく――


「この一撃は、ヒーローの一撃だと思い知れッ!」


 黒猫に俺の拳が触れて、俺は後ろへと吹き飛んだ――――だが、黒猫も同様だった。

 強いと思い込んだ一撃は、黒猫の怪物と引き分ける程度には強力だったということだ。

 しかし、俺の拳は痺れていて、さっきのように殴れそうにはない。

 それに対して黒猫は倒れた身体を起こして、今にも飛びかかろうとしている。


「……まだ左腕に、足だって残ってんだぞ」


 負け惜しみを言い終えると、黒猫が後ろ脚で地面を蹴った。悪魔のような黒い爪が迫る。


 グシャァッ!


 何処かで聞いた怪物を踏み潰す音が目の前で聞こえた。

 ピンポイントで黒猫の脳天に一撃。本当に一度で十分な一撃。

 動かなくなった怪物の上で、黒染仮面が黒包帯のマフラーをなびかせていた。


「……またお前か」


 サングラス越しに顔を見られていることがわかり、思わず怯む。

 しかし、このまま黙っているわけにはいかない。


「俺も怪物と戦うことにした。何か文句あるか」

「……ない。勝手に戦場に飛び込んで、勝手に死ねばいい」


 どうせ協力を申し出たところで断られると思って言わなかったが、ここまで邪険にされる覚えはない。

 俺が憤慨していると、黒染仮面は冷たい声で言った。


「少しは戦えるらしいが、下手な好奇心は猫に殺される」

「上手いこと言えば黙らされると思うなよ」

「散々逃げ回ったあげく、一発殴って終わりか。じっとしてれば二分は早く終わった」

「助けてくれて感謝はするが、じっとしてたら二分は早く死んでた」


 俺も大概そうではあるが、黒染仮面はいちいち嫌味を言わなければ気が済まないのか。

 怪物は倒れたのに妙な緊張感が場に居座っている。


「……だが、はっきりした。狙われてるのはお前だ」

「俺?」

「奴が人間に従うと思うか? あの女とお前では、お前の優先順位が高かったんだ」


 俺は大声で呼び寄せることで、野々宮から怪物を引き離したと思っていたが、最初から怪物は俺を狙っていたらしい。

 野々宮の魔法少女という要素は怪物たちの基準に触れないのか、それとも魔法少女という要素自体が感知されないほど薄まっているのか。

 とにかく、野々宮に危害が及ばないのであれば一安心だった。


「まぁ、野々宮が狙われてないなら……」

「馬鹿か。お前が狙われているということは、彼女に近づけば彼女が危ないということだ」

「……近づかなきゃいいんだろ?」

「……ちっ、顔の良い奴ってのは、性格も良ければ諦めも良いのか?」


 何を言ってるんだこいつは。


「顔って、俺は……」

「普通とか言うんだろ、鏡見ろ。甘ったるい優しさが透けて見える。下手にイケメン気取ってない分、気取ってる奴らよりイケメンだ、畜生」


 初めて黒染仮面と遭遇したとき、一言で彼のイメージががらりと変わった。

 そして、また、たった一言で彼のイメージががらりと変わった。


「……いや、お前の方が強いし、格好いいけど」

「俺が顔を隠しているのは、誰もブサイクに助けられたくないからだ」


 いよいよ、俺はこいつを黒染仮面と呼びたくなくなってきた。黒染でいいよ。


「はぁ? 助けてくれる相手の顔なんて関係ないだろ」

「ある。お前はイケメンとブサメン、どっちに助けられたい」

「そんなのどっちでもいいだろ。その場にブ……後者しかいなかったらどうするんだよ」

「ブサイクに助けられるくらいなら死ぬ」

「ひでぇ」


 黒染仮面。否、黒染がジャンプして塀の上に立った。


「二度も狙われるなら偶然ではない。話せる範囲でお前の情報を教えろ。そうすれば彼女と離れる必要もないし、毎日ぼけっとしてていい」

「もしかして彼女ってそういう意味か!? 違うからな!」

「黙れ。俺に一生縁のない世界の話はいい」


 ただでさえ腹に据えかねる言動が目立つが、塀の上から見下されているので、なお気分が悪い。

 しかし、俺のことを話せというのは、俺を守ってくれるということだろうか。

 上手くすれば怪物や組織の情報も引き出せるかもしれないし、ここは話しておくべきだろう。

 それに取っつきにくいことは確かだが、黒染は力のあるヒーローだと思う。


「俺は新藤昌宏。ヒーロー候補ってのをしていて……」


 俺の特殊な状況と野々宮のことも軽く触れておいた。サトーのことはいいだろう。

 行動範囲は家と高校の行き来が基本で、休日に出歩くことは少ない。

 そして、ヒーロー活動として怪物と戦うことを宣言しておく。


「ま、こんなところだ」

「わかった。四六時中、監視するようなことはないが、あまり馬鹿を晒すなよ。見苦しい」

「何だかんだ言いつつ、助けてはくれるんだな」

「お前は囮だ。怪物を倒すためのな」


 黒染はもう言うことはないと、顔を背けて屋根に飛び移る。

 意外と人間臭いところがある奴だった、というより人間臭さの塊のような奴だった。


「ありがとな、黒染」


 独り言のつもりだったのだが、屋根の上にいた黒染が怪訝そうに振り返った。

 黒染などと気軽に呼びかけたことが気に障ったのだろうか。

 しかし、黒染は予想外な台詞を吐いた。


「精々、気をつけることだな」

「……ああ、ありがとう!」

「どうせ、気をつける以上のことはできない」


 黒染は家の屋根を身軽に飛び越して姿を消した。

 一言で俺のテンションを下げることにかけては、黒染の右に出る者はいないだろう。

 悪い奴ではないのはわかったが、好意的に接するには難がありすぎる。


「そうだ、野々宮……」


 ポケットに入れていた携帯電話は、あれほど転げ回っても壊れていなかった。感心。

 野々宮に電話をかけると、ワンコールもしないうちに出た。


「無事ですか!?」

「無事だから電話してる。そっちは怪物が行ったりしてないか?」

「……っ、新藤さんの馬鹿っ!」


 ガチャン、ツーツーツー。と虚しい音のコンボが耳を貫く。

 しばらく呆然としていたが、何も考えずに歩き出し、黒猫から離れる。

 このまま家に帰りたいけど、野々宮を放っておくわけにはいかない。しかし、何処にいるのかわからない。

 もう一度、すぐにかけ直してもいいのか。俺にはわからない。


「……なんて日曜だ」

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