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ヒーローたちのヒーロー  作者: にのち
3. ヒーロー候補と黒染仮面
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3.1 黒染仮面、推参

「知ってる? 黒染仮面の噂」

「くろぞめ……? 何、来年はそういうの始まるの?」

「テレビじゃないよ、現実」


 生徒もまばらな朝の時間。

 少し離れたところで話す女子生徒の会話が俺の耳にまで届いた。

 噂を持ちかけた活発そうな女子は楽しそうに話しているが、聞いている方は気だるげに長い髪をいじっている。


「黒く染めた包帯を顔や腕に巻きつけて、余った包帯がマフラーみたいにたなびいてるの」

「変質者じゃん」

「そうなんだけどさ、襲われてるところを助けてくれるらしいよ」

「へぇー、格好いいね。顔は?」

「わかるわけないでしょ、包帯ぐるぐる巻きなんだから。サングラスもかけてるんだって」

「ふーん、これからの季節は暑そうね」

「聞いてないでしょ」


 六月もだいぶ過ぎたが、梅雨を感じさせるほど毎日雨が降ることもなかった。

 ただ晴れ間もなく、曇天が何処までも広がって、ここ数日の空を支配している。

 そんなうんざりした気持ちのところに聞こえてきた噂は面白そうな話だった。


「……はぁ」


 しかし、俺が女子の会話に割り込んでいけるはずがない。

 溜息をついて空を眺める。

 相変わらずの曇り空は日差しを覆い隠してはいたが、雨を降らすでもなく、ひたすら無言で居座っていた。


   + + +


「黒染仮面? なんか白髪染めみたいな名前ですね」


 帰り道の話題にと野々宮に話を振ったのだが、あんまりな返答だった。

 名前の響きと黒染の包帯というスタイルは直感的な格好よさを感じるのだが、男子的な感情なのだろうか。

 特に黒という色は強さ、格好よさに直結した色である。悪役っぽさもあるけど。


「ダークヒーローは好きじゃないけど、ブラックって格好いいと思うんだ」

「しかし、黒染仮面はブラックのようなセンスというより……」

「……何処の誰だか知らないけれど、って奴か?」

「そっちのセンスですよね」


 女性に対して男のロマンはわかるまい、などと言うのは馬鹿だと思っていたが、なるほど、こういう気持ちか。

 やりきれない思いを抱えてしまったが、持ち続けるだけ無駄なので、道端に捨て置く。


「真面目な話、最近は事件が多すぎだし、ヒーローも多すぎなんだよ」

「サトーさんがヒーロー因子が増えれば、ヒーローも増えると言ってましたよね」


 サトーは平たく言えば未来。正確に言えば、ここと時間軸はつながっている世界から訪れた男だ。

 サトーの任務はこの時代でヒーロー候補になり得る者を監視、支援することで、一人前のヒーローにすることである。

 そうすることでヒーローの因子が世界に刻まれ、サトーの世界では最強のヒーローが誕生する、らしい。

 つまり、そのプロジェクトの副作用で小粒なヒーローがポンポン誕生しているというわけなのか。


「迷惑な野郎だな、サトー」

「さ、サトーさんはただの監察官ですから……」

「迷惑を否定しろよ」

「……あれ、否定してほしいんですか?」


 野々宮の笑みに少しだけからかいの色が混じる。

 このまま舌戦を繰り広げても構わないが、サトーは何も悪くないので申し訳ない。

 俺はサトーの名誉を守るために、黙り込む覚悟を決めた。

 決して、何も言えなかったわけではないのである。


「……ぐぬぬ」

「まぁ、ヒーローが増える分には世界が平和になっていいことです」


 野々宮もしつこく攻めるような性格ではないので、すぐに話を戻す。

 そんな優しい野々宮とは裏腹に、俺は野々宮の言葉を突けないかと情けないことを考えていた。


「敵も増えてちゃ意味ないけどな」

「誰が増やすんですか」


 呆れ半分に心配半分といった野々宮の疑問は、俺にも答えられない。


「まぁ……サトーに聞いておくよ」

「そうですね、一応」


 ヒーロー因子を世界に刻むとか、ヒーローの存在可能性の増加などは俺にも理解できない。

 因果関係も理解せず、想像だけで話を広げすぎても仕方がないので、この話題は一旦終了させる。

 そうなると、俺が持っている話題は一つしかない。


「黒染仮面、見てみたいなぁ」

「話、そこまで戻します?」

「何が不満なんだよ」

「別に。ただ、新藤さんって意外とヒーローが好きですよね」


 確かにファンというか、ミーハーというか、マニアというか。

 多感な時期にヒーローの格好よさについて考え、実践してきたのだから、そうなるのも仕方ない。

 しかし、噂話を耳にしただけで盛り上がるのは行き過ぎかもしれない。


「……ヒーローって格好いいものだろ」

「新藤さんもですか?」

「いや、俺もそうなりたいけどさ……」


 なれるかな、と口にするのは簡単だけど、何故か口にできなかった。

 野々宮がなれると言ってくれても信じられないし、なれないと言われたら落ち込む。

 ぼんやりと遠くを見ていると、何か黒い影が近づいてくるのが見えた。

 ――何かがおかしい。


「新藤さんは既にかっ――な、何ですか?」


 言い知れぬ不安を感じて、野々宮をかばうように前に出る。

 黒い影が接近するにつれて、その全貌をあらわにしていく。

 一言で言うならば、醜い。四足歩行の何かだと思っていたそれは、五足で駆けていた。バランスの悪さを補うように、胴体の片方が肥大化している。

 黒々とした体躯を揺らしながら迫る怪物に、俺は心底恐怖していた。


「あれ……何ですか」

「知るか、俺の方が聞きたい」


 幸いなことに顔らしき部分は見当たらず、目の前にいる俺たちに気付いてスピードを上げるような動きもない。

 万が一、嗅覚が鋭い、震動に敏感ということがあるとまずいので、じりじりと壁際に寄る。

 背後の野々宮の緊張が伝わる。

 正直、話の通じそうにない相手というのは戦いづらい。格好つける暇がないからだ。

 基礎的な実力が皆無な俺が怪物と戦うには、それなりに舞台が整わなければならない。

 五月病のときと同じ、不意打ちへの弱さを痛感する。


「静かに。できれば息止めろ」


 声帯を震わせず、息だけで声を発する。

 野々宮が頷いたかは確認できない。一瞬でも奴から目を離すなど、怖くてできない。

 バクバクという心臓の音に重なるようなテンポで、怪物が目の前を通り過ぎていく。

 怪物が最接近するが、こちらに気付いた様子はない。行った、と思った。


 ――ヒュン、と黒い脚が俺の顔に迫る。


「いっ!」


 怪物の異様に細長い後脚が伸びてきて、とっさに顔をかばう。

 右腕をかすめただけだったが、じわりとした痛みに思わず声が出る。

 見れば血が薄らと滲んでいる。たいした傷ではないが、それよりも――


「……こっち、見てるのか?」


 ぶつかったことを謝りたいのであれば立派だが、あの怪物にそれは期待できない。

 俺たちに気付いて足を止めた怪物は、道のど真ん中で方向転換して、こちらににじり寄る。

 こうなっては逃げた方がマシだが、速度的に追いつかれることはわかりきっていた。


「俺が何とかするから、野々宮は……誰か呼んでこいっ!」


 逃げろ、と言って聞くわけがないので、言葉を選ぶ。

 野々宮も体裁よく逃げろと言っていることがわかるのだろう。掲げた右手に、虚空から現れたステッキが握られる。


「魔法少女とヒーローがいるのに、誰を呼べと言うんですか!」

「もっとマシなのだ! バケレンジャーとかいるだろ!」

「学校は黒い奴の向こう側ですし、もう放課後ですよ!」


 人間がヒーローをしている以上、彼らにも生活がある。

 呼べば来てくれるほどヒーローに専念している者がいるかもしれないが、そのヒーローが近くにいるとは限らない。

 何より一般人より少しは戦えるはずの俺がここにいる。それなのに、何だ、この役立たずっぷりは。


「――くそっ!」

「新藤さんっ!」


 破れかぶれに飛び出し、怪物もそれに応じるように俺に飛びかかる。

 必死になれば何か起こるだろう、起こるはず、起これよ、と何度も頭の中で繰り返す。

 しかし、怪物の黒い身体が視界を覆うほどに迫っても、何も起こる気がしない。

 奇跡なんて大層なものは望んでいない。ただ、俺の中のヒーローの目覚めを――


 グシャァッ!


 眼前を埋め尽くす黒を、新たな黒が踏みにじった。

 怪物はひくひくと手足を動かすことに残りの生命を費やし、やがて息絶えた。

 俺はその場に腰をつき、緊張で忘れていた呼吸を取り戻す。


「……黒、染?」


 短く言葉を区切らなければ、声も出なかった。

 噂の通り、真っ黒に染めた包帯を顔や腕に巻きつけ、サングラスをかけている。余った包帯が首から垂れていた。

 薄手のシャツにジャケットを羽織り、ジーンズに靴まで全身が黒。特徴的な服装が噂にならなかったのは、奇抜な黒い包帯の噂だけが先行したのだろう。

 こいつが、こいつこそが。


「黒染仮面」


 俺が絞り出した声に反応し、黒染仮面が表情のない顔をこちらに向ける。

 しかし、怪物とは違う。明らかに見られていることが感じ取れた。

 包帯に隠れて見えない口元が微かに動く。


「……堂々と彼女を守れるのに、弱いとは悲しいことだ」


 ――何だと。

 俺がその言葉の意味を呑み込む前に、黒染仮面は驚異的な跳躍力で近くの屋根に乗った。


「あ、あの、これ……」


 野々宮が動かない怪物を指差し、黒染仮面に声をかける。

 黒染仮面は包帯越しでくぐもった声を大きめに発した。


「警察の手に渡ればいいが、どうせそれを作った組織が回収するだろう」

「あと、ありがとうございましたっ!」

「……奴らは適性のある人間を狙う。何か不思議な力があるなら、気をつけることだ」


 サングラスで隠れた目は野々宮の右手にあるステッキに注がれている。

 俺に対しては最初の一言がすべてだと言うように、一切の興味も向けていない。

 黒染仮面はそれ以上は何も言わず、軽々とした足取りで屋根伝いに去っていった。


「大丈夫ですか、新藤さんっ!」


 まだ座り込んでいた俺に野々宮が駆け寄り、心配するように右腕を取る。

 野々宮はポケットからハンカチを取り出すと、傷口を軽く押さえる。


「この場から離れましょう。被害者だとしても、面倒なことになります」

「ああ……」

「自分で押さえられます? とりあえず、サトーさんのところに……」


 俺が呆然としているのを野々宮は怪物のせいだと思っているかもしれない。

 それは違う。俺は黒染仮面に言われたことを考えて、何も言えないだけだ。

 弱い。自覚している。それなのに怒りが込み上げた。そして、冷静になると無力感が襲ってきた。


「新藤さん……」


 野々宮に声をかけられ、俺は野々宮に体重を預けた姿勢だったことに気付く。


「っ、悪い。自分で歩ける」


 野々宮から離れ、自分で右腕のハンカチを押さえる。洗って返すより、新しいのを買って渡すべきだろうか。

 俺は怪物、黒染仮面、無力感。様々な思いに脳がパンクしそうになっていた。

 しかし、最も心を占めていた感情は。


「あれが黒染仮面、ですよね……確かに格好よかったですね」

「ああ……凄かった」

「新藤さんの言うとおりでしたね」


 俺を励まそうとしてくれたのだろう。

 それなのに俺の感情は、ヒーローにあるまじき一色に染まっていた。


 悔しい。

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