ex1 平和なヒーローの過ごし方
幽霊戦隊バケレンジャーと全霊の支配層を名乗る集団エンドレスの戦いが始まった翌日。
俺は無関係な視聴者として、平和な一日を過ごしていた。
あくまで表面的には穏やかな日であるが、俺の心境は嵐の前の夜の如く、待ちうけるイベントの予感に震えていた。
火曜日。野々宮と勉強会をうちで開こうという約束をした日である。
いっそのこと、今の今まで忘れていて、野々宮に言われて思い出して慌てたかった。
そもそも、野々宮は覚えているのだろうか。あれから会話はしたが、何故か勉強会についてはお互いに触れていない。
俺はどういう振る舞いをすれば正解なのだろう。
野々宮の帰りの支度は俺よりも数分かかる。多く見積もって二分の間に回答を導き出さねばなるまい。
「なぁ、新藤。今日、暇ー?」
「田中と中田か……」
「一人だよ、田中だよ。覚えてないからって二つ言うなよ」
田中、あるいは中田。本人いわく、田中であるようだ。俺の記憶は半分正しかった。的中率五割である。
田中は生まれも育ちもこの町で、誰とでも気さくに話している。
皆が話しかけるというより、本人が物怖じしない性格で皆に話しかけている雰囲気だ。
怖そうな人にも邪険にされず、チャラそうな人にも調子を合わせ、内気な人からも話を引き出し、女子とも良い雰囲気で会話できる。
誰とでも話し、名前を覚えてもらうことが目標だそうで、立派なことである。
俺とよく話をしているのは席が近いというだけではなく、俺の覚えが悪いからなのかもしれない。
俺の友人というより皆の友人のような奴なので、あまり気に障ることは言いたくはないのだが。
「で、暇?」
「そういう誘いをどうして今日初めてするんだ……」
「おぉぅ、何だその声。部活はないはずだろ?」
「……まぁ」
野々宮の帰り支度完了まで残りわずか。採択した作戦ゼロ、立案した作戦もゼロ。
俺はどういう心構えでこれから臨もうかと熟考しており、他のことを考える余裕はない。
しかし、俺の脳は自動的に上手い誘いの断り方を割り出そうとパワーを使う。
なんてこった。ここ数年、誘われたことなどないので思いつかない。
俺の動揺をどう受け取ったのだろう。田中は声をひそめて言った。
「野々宮とデートか?」
「そんなことあるわけ……っ」
慌てて声のボリュームが大きくなり、クラスメイトや野々宮の注目が集まる。
どうやら野々宮は既に支度を終えており、俺と田中の会話が途切れるのを待っているようだ。
俺と田中は教室の後方窓際まで寄って、こそこそと話を始めた。
「大声出すなよ」
「違うからなっ」
「でも断る理由に詰まると、そう邪推しちゃうだろ」
「……わかった。でも、違うんだ」
田中は軽く頷き、少し考えてから口を開く。
「用事があるなら仕方ないか」
「……悪いな、せっかく俺みたいなの誘ってくれたのに」
「そう思うなら教えてくれよ」
あっさりと引いてくれる優しい距離感が話しやすいと思わせているのだろうか。
俺も頑なになりすぎていたと反省し、やましいことではないので隠すこともないと思いなおす。
「何というか、その、勉強会だよ」
「あー、野々宮は頭良さそうだからなぁ……」
それは羨ましいし、ありがたいなぁ、と呟く田中。
彼の野々宮に対するイメージを壊したくない俺はだんまりを決め込む。
実際、野々宮は勉強する暇がないだけで頭は悪くないと思う。
田中は納得するように頷くと、俺の目を真っ直ぐ見て言った。
「それは俺の誘いを断るべきだ。俺はついていくとは言わない。だが、事の顛末には興味ある」
「正直すぎるだろ……」
田中は笑ったが、小さく溜息をついた。
「お前は俺を話しやすい奴だって言ってたけど、俺みたいなタイプからすると、お前はだいぶ話しやすいよ」
「えぇ? 結構、秘密主義だし、ノリ悪いし……」
「度量が大きい秘密主義は、俺みたいな八方美男子の安らぎの場なんだ」
「……あぁ、そういうポジションは覚えがある」
「うん。八方美男子に呆れも笑いもツッコミもしないスルースキルは凄い」
それじゃ、と軽く手を振って、軽そうな鞄を持って教室を出る田中。
俺は色々な思いを後回しにして、野々宮に視線を向けた。野々宮も気付いた。
何も言わずに教室を後にすると、すぐに野々宮が追いつき、隣に並ぶ。
「遊びのお誘いじゃなかったんですか?」
「……勉強会だって言って断った」
「す、すみません。私のために」
野々宮が申し訳なさそうに肩を縮こまらせ、こちらの顔色をうかがう。
「野々宮とだって言ったら、教えるの上手そうで羨ましがってた」
「えっ? あ、そういうイメージなんですね、私」
「今のところはな」
「ちょっとぉ!」
ここまで来れば何を考えようが役に立たないだろう。
普段通りに、なるべく面白おかしく過ごそうじゃないか。
俺は少しだけむすっとしている野々宮を見て、小さく微笑んだ。
+ + +
野々宮は既に家族には言っており、勉強会に参加すると言っただけで快く了承してくれたらしい。
暗くなる前には帰らせるつもりなので、特に危ないこともないだろう。
俺の住んでいる家に着いたとき、野々宮があれ、と呟いた。
「表札が小島なんですけど……」
「お婆ちゃんと二人暮らしなのは言っただろ、母さんの旧姓だ」
「へぇ……あっ、手土産的なもの持ってませんけど、大丈夫ですかね!?」
「いいよ。むしろ、何か出てくるかもしれない。よくわからないけど甘い菓子が出る」
「餡子系ですよね、わかりますよ」
うだうだと話が続き、なかなか家の扉に手をかけることができない。
野々宮が勝手に入ってくれるはずがないので、俺が扉を開けて招くのは当然のことだ。
しかし、祖母に本日の勉強会を言い出せずにいたため、何と説明していいやら。
嫌な顔もされないだろうし、断られることもないだろう。しかし、何だか。
「……新藤さん?」
「行くか」
「ど、どうして家に入るのに意気込むんですか」
「普通に優しいお婆ちゃんだから、心配するなよ!」
「だから、何を躊躇することがあるんですってば」
「ただいまー!」
いつも挨拶は欠かさないが、これだけ大声では何事かと思うだろう。
二階にいた祖母は年齢を感じさせない健脚で、トントンと軽快に降りてきた。
小島芳江、六十六歳。母方の祖母にあたる。細身というには痩せすぎているが、人の良さそうな顔で弱々しい印象はない。
「おかえり、お友達?」
「まぁ、クラスの人」
「の、野々宮千恵です」
「勉強ぉー……教えてもらう約束したんだ」
俺が野々宮の勉強を見るなど不自然極まりない。
野々宮が俺の背中を小突いたが、こう言った方がスムーズに事が運ぶので我慢してほしい。
祖母は特に勘ぐることもなければ、無視するわけでもなかった。
「そうなの。何かお出しする?」
「あるなら今持ってく……けど、先に鞄置いてくる」
そう言って階段を上がる。
野々宮は祖母に丁寧に頭を下げつつ、おずおずといった足取りでついてくる。
二階にある俺の部屋は、引っ越したばかりで自分の物は少ない。
掃除も週末にしっかりとしたので、野々宮を迎えるのに緊張する必要はないはずだ。
「入って、どうぞ」
「何ですか、その倒置法」
野々宮に背中を押されて、自分の部屋に入る。何故。
とりあえず鞄を置いて、制服の上着を脱いでネクタイを外す。白いワイシャツ姿は夏服と変わりないはずなので、これで問題あるまい。
野々宮は真ん中に置いてあるテーブルにつき、きょろきょろと部屋を見回していた。
「ベッドの下には何もないからな」
「本当、スカスカですね」
「見るなよ」
「マジックみたいに鏡が斜めにはまっているとか……」
「ねーよ。何か持ってくるから、大人しく待っててくれ」
一階に下りると祖母はお徳用感丸出しのチョコ菓子とペットボトルのお茶を用意していた。
こう、キッという感じでカッと食べられる奴だ。うちにこんなものあったのか。
「こんなもんでいいかね? 飲み物はノートに零すといけないから、これにしたけど」
「あぁ、うん。ありがと」
「利発そうな娘さんだね、驚いたよ」
「……そういうんじゃないからな」
「そうかい」
別に祖母は何も言っていないのだが、凄まなくても圧倒される雰囲気に呑まれる。
理解してようと、理解できまいと、余計な口出しはしない。優しいのに怖い。
夫。お爺ちゃんを数年前に亡くし、一人暮らしの家に転がり込んだ孫をどう思っているのか。
親族は仲間とは違うのだろう。察することもできなければ、訊ねることもできない。
俺は菓子とお茶を手に部屋へと戻る。
野々宮が低い姿勢で何かを見ていたので、後ろから頭を軽く叩いた。
「あたっ……あはは」
「あはは、じゃない」
野々宮は制服のジャケットのボタンを外していた。
色々と探るのに動きづらかったのだろう。
「このテーブル、コタツなんですね」
「机は勉強机しかなかったもんで、実家に置いたままなんだ。今はこれで代用してる」
「わぁー、使ったことないんですよ。冬に入りに来ていいですか?」
「五月の終わりだぞ、今……」
野々宮は魔法界を守るため、魔法で人助けをして、あと八回のありがとうを集めなければならないはずだ。
五月の初旬に半年が猶予と言っていたので、十月頃までに何とかしなければならない。
こうして毎日のように野々宮を見ていると、危機感がないのが心配になる。
「さて、始めるぞ」
ある意味、野々宮の勉強を見てやることも彼女の負担を減らすことで助けになるだろう。
学業に不安が残っていては魔法少女も安心して活動できない。
俺たちはそれぞれの教科書とノートを広げたが、さっそく問題が発生した。
「……狭いな」
「ちょっと、狭いかもしれませんね」
野々宮はだいぶ気遣った言い方をしたが、二人分のスペースがないことは明らかである。
「盲点だった……床でやるか」
「いえっ、私が床で」
お互いに睨み合いながら、じりじりとノートを床に持っていく。
この遠慮合戦はどちらかが折れなければ、誰も得をしない結果になる。
俺は諭すように野々宮に言った。
「誰のための勉強会だ?」
「うっ、しかし、ここは新藤さんの部屋ですよ。新藤さん優先は当然です」
「お客様優先だ」
「……えっと」
こうなると野々宮は思いのほか強情である。
仕方なく俺は妥協案を探す。
「じゃあ、野々宮は勉強しろ。当初の約束通り、俺は見ることに徹する」
「で、でも教えるのは苦手だって」
「俺の頭じゃ不満か」
「そんなことはないですっ」
そして、ひとまず話がまとまり、野々宮は静かに予習を始める。
予習復習をきちんとすれば、授業は確認の時間になり、必要以上に集中しなくても頭にすっと入ってくる。
期末テストまでに習慣づけるようにすれば、勉強不足に陥ることもないだろう。
「あっ、ここ新藤さん家でやったところだ……ってなるわけですね」
「黙ってやれ。応用問題で詰まるなら、上の文読み直せ。教科書の問題なんてヒント付きのクイズだぞ」
「ちょっと、急に厳しくないですかっ。さっきまで慌てふためいてたのに!」
「野々宮は真面目すぎて効率悪いことがわかった。どうせ、魔法少女の方もそんな感じで上手くいかないんだろう。手伝わせろ、指導してやる」
「ひぃぃ、新藤さんが怖い……」
+ + +
一時間後、俺と野々宮は教科書を片付けて休憩していた。
野々宮が納得いかない顔でお菓子をつまむ。
「ギャップが……」
「キリのいいところまで終わったし、疲れた頭じゃ無駄」
「……時間一杯、頑張ればいいと思ってましたけど」
「あと、お菓子もそこそこ減らせ。あんまり残すとお婆ちゃんに悪い」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
俺は二つほど口に入れたところで甘さが飽和状態になってしまった。
野々宮はわりとぱくぱくと放り込んでいるが、甘いものは別腹ということか。
「こうして二人きりで平和に過ごしてるのって、初めてじゃないですかね?」
野々宮がぽつりと呟く。
俺の腹にどかんと甘いものが落ちてきたが、何とか消化を試みる。
「ヒーロー候補と魔法少女なら、仕方ないと思う」
「ですねぇ」
「そもそも、知り合ってから一ヶ月くらいだろ」
「そうですね。五月病やらバケレンジャーの事件のせいで濃かったように思えますけど」
ずっとクラスにいたはずの野々宮と初めてまともに話した五月病事件。
ほぼやる気だけでもがいていた野々宮を助けるため、俺史上、結構なヒーロー補正がかかっていた事件だ。
俺は自分が何を助けたいのかを再確認できたし、俺自身助けてもらうことは当たり前のことだと知った。
バケレンジャーの事件は実質、俺には無関係な事件だった。
ただ、最終回直前のヒーローたちを好きになり、もっと見たいと我が侭で引っかき回した。
結果的に悪の組織が結成されてしまい、皆が楽しそうに笑うことになった。
「しんどかったなぁ。今までは五月病事件のスケール小さい奴を一人でこなしてただけだったんだけど」
「そのわりに戦い慣れてませんか?」
「たまに面倒な奴もいたけどさ。大体は事件なんてレベルじゃなかったよ」
様々な記憶が蘇るが、どれもはっきりと形になる前に記憶の海に沈んでいく。
ほとんどサトーと二人で作業的にこなしたものばかりで、印象は薄い。
よく覚えているのは最初の頃の苦労した思い出と、中学二年生のとき、クラスメイトを巻き込んだ大事件。
俺は勝手に浮き上がってくる記憶を何も言わずに両手で沈めた。
「まっ、ずっと安定しないヒーロー補正だけでやってきたからな。戦いに慣れないと格好つける余裕もない」
「必殺技もなければ、武器もない。特殊能力もこれといってありませんし……」
「ヒーローとして覚醒すれば、何か一つくらいはマシなことができると思うんだけど」
「うーん……あっ、魔法は覚えないで下さいよ。被りますから」
「お前もビームとか出すなよ。俺の立場がなくなる」
言い合ったところで、気付けばいい時間である。
どちらからともなく部屋を片付け、支度をして、野々宮を外まで連れ出した。
まだ夕方で十分に明るかった。
「途中まで送ろうか?」
「いえ、部活の日と同じくらいの時間ですし、大丈夫ですよ」
「それじゃ」
片手で軽く挨拶したが、野々宮の返事は歯切れが悪い。
「……あ、あの、この勉強会って続きますか?」
「……迷惑だったか」
「いえ、勉強になりましたよ! だから、部活のない木曜もやります?」
指導に熱が入り過ぎて嫌がられたのかと思ったが、意外と熱心である。
俺としては野々宮の成績が上がれば嬉しいし、勉強会も何かのときの言い訳に使えるので今後も続けたい。
「野々宮がやりたいなら構わないが、部活の時間でも見ることはできるよなぁ……青柳部長もいるし」
待て、部活は部活の時間だろう。
それに野々宮の勉強時間を確保することを重視しすぎて、本来の目的であるアリバイ作りになっていない。
野々宮はやんわりと反対意見を述べる。
「言い訳に使うなら頻繁にやらないと。火曜と木曜、土日でも構いません。定期的だと、逆に急な言い訳に使えないので、週ごとに曜日を変えましょう」
否。口調はやんわりとしたものだったが、内容はかっちり具体的である。
「……じゃあ、週に一回は何処かの曜日でやろう」
「はい、そうしましょう。言い訳に使えますからね」
野々宮は話がまとまると、にっこりと笑顔を振りまいて帰っていった。
俺は無性に何か言いたくなったが、夕方の住宅街で俺一人、何も言えるわけがなかった。
すべてを溜息に変換して、重い重い溜息を吐いて、家に帰る。
一階の居間では祖母がテレビを見ていた。
「女の子は帰ったのかい?」
「あぁ、また来るかもしれないけど」
「へぇ……」
祖母は相変わらず感情が顔に現れない。
俺は夕飯までゆっくりしようと、祖母に背を向けた。
「いい子だったね」
思わず振り返ると、祖母は立ち上がって台所に入っていった。
俺は何となく嬉しい気分で階段を上る。
自分の部屋に入ると、ベッドに座り、読みかけの本に手を伸ばす。
「……ふっ」
笑みが零れる。誰も見てないのだから、気にしない。
祖母が野々宮のことを認めたとき。何故だろう、俺も認められたという実感が湧いた。
それが、嬉しかった。
俺と野々宮が勉強会を初開催しただけの、何の事件もない平和な一日だった。




