2.7 少女たちのヒーロー ~マージ・ジルマ・マジヒーロ~
午後九時を過ぎていた。
どうせ言い訳ができないなら、と祖母にはもう少し遅くなると謝りの電話を入れた。
中間テストの点数が思わしくないので、勉強会に参加すると嘘をついた。
勉強会の嘘だけならともかく、どうしてテストの点数まで嘘をつかねばならぬのか。それも悪い方向に。
盛大に溜息をついたが、慰めてくれる人はいない。
夜の旧校舎に一人である。
コヨミさんは家まで送ろうかと言ってくれたが、流石に断った。
襲われたことを割り切りがたいというのも一因ではあるが、何よりも一人で考える時間が欲しかった。
それに女性に見送られるのは夜道ではなく、電車での別れとか、船とか。
「……違う、何を考えてるんだ」
携帯電話の画面を見つめる。
着信。サトーと野々宮からだった。
二秒ほど考えて、野々宮にかけてみる。
「――あっ、新藤さん! 何かあったでしょう!?」
「お、おぅ……どうした?」
「全然電話に出ないので、事件に巻き込まれたのかと場所を魔法で……」
「おい、無駄遣いするなよ」
「ちょびっと! ちょびっとですから! ですが、出てきた答えがサイエンスで、わけがわからなくて!」
理科室がどうしてサイエンスになるのか。
野々宮の魔法の原理がわからない。
「わりと何でもありだよな、魔法」
「え、えぇ、でも、ありがとうパワーを魔力に変換しているので、良いことにしか使えませんし、攻撃的な魔法も使えませんよ」
「……省エネすると役立たずだしな」
「そうですね……でも、今の私は使い放題ってわけにも」
野々宮は魔法少女として魔法界を救うため、ありがとうを百個集めている途中である。
現在、九十一。いや、俺の知らないところで増えているかもしれない。
その貯蓄はほぼ魔法界にあてられているが、それでも魔力不足らしい。魔法界で眠っている先代女王も危ないそうだ。
野々宮に残された魔力と時間は少ない。
本来ならば俺の面倒を見ている場合じゃないと思うけど、その辺りの問題は既に納得済みだから、もういい。
「それで何処にいるんですか?」
「理科室、中学校の旧校舎の」
「……ど、何処ですか」
「まぁ、野々宮もわからんよな……そういや、俺も自力で帰れるんだろうか」
考え事に集中しながらコヨミさんに連れられて、気付いたら到着という感じだった。
すっかり辺りも暗くなっているので、再び迷子になる可能性は高い。
「調べて迎えに行きますから、動かないで下さいよ?」
「いや、野々宮に迷惑だから……」
「新藤さんの居場所を探るために魔法を使いましたし、助ければカウントされるかもしれません」
「あぁ、そう……ありがとうの用意をして待ってる」
そう言って電話を切る。
あとはサトーへの連絡だが、必要だろうか。
ネクロと遭遇し、少しばかり交戦になったと報告しなければならない。嫌だな。
とりあえず、メールをしておこう。
――劇場型失敗、あとは頼む。
「これでよし」
服を軽くはたいて、帰る準備を整える。
思えば下校途中の格好のままで、鞄も持ちっぱなしだった、はず、だが。
「あれ、ないな……」
コヨミさんに連れられているときは持っていたと思う。
理科室に逃げ込むときに持ってはいない。持ってたら邪魔だった。
そうなると、中庭か。
野々宮が来るとしても玄関から入るだろうし、鞄を拾って校舎前で待つことにしよう。
俺は旧校舎の中庭へと向かった。
+ + +
鞄はあった。
しかし、鞄は既に拾われており、他人の手にあった。
それは俺のだと言い、ありがとうと言って受け取ることができない。
俺のコミュニケーション能力云々の問題ではなく。
「……あら、これ貴方の?」
ネクロが俺の鞄を手に首を傾げている。
俺はゆっくりと頷き、恐る恐る手を伸ばす。
俺の態度が気に入らなかったのだろう。ネクロは鞄を抱え込んでジト目でこちらを睨む。
「何なの、人を熊か殺人鬼みたいに……」
「実際、殺されかけたばかりだ」
「生きてたんだからいいじゃない。生きてるって素晴らしいことね」
細腕で俺の鞄を投げる。
距離が足りずに俺の前でぼとりと落ちる。この野郎。否、この小娘。
しかし、今の無力な俺にはネクロを刺激するようなことはできない。
幸いなことに、ネクロも戦闘するつもりはなさそうだ。
「大体、フッと消えたはずじゃないのか……」
「何処に消えろと言うの? ここが私の住処だし、幽霊でもないのに消えることなんてできないわ」
「……幽霊じゃないのか?」
馬鹿を見るような目とは、今のネクロのことを言うのだろう。
ネクロは小さな溜息をついた。
「私は生きてる。死を垣間見たことで死に目覚めたけど、まだ生きてるわ」
「死に目覚めた?」
「平たく言えば霊感。バケレンジャーの青柳もきっと、死にかけたことがあるんだわ」
青柳部長は霊感を生まれついての能力ではないと言っていた。
気にはなるが、直接聞けるようなことではない。
しかし、ネクロであれば聞けるような気がする。そこまでの間柄でもない。
「死にかけたって何で?」
「……聞いたことを後悔しないでね、未遂よ」
ネクロはぼかして答えたが、それも聞いて後悔した。
俺自身、暗い中学生活を思い出し、何度か考えたことがある。
しかし、そのたびにサトーが励ましてくれたし、何だかんだでヒーローは生きがいだった。
「青柳もあんな顔してえげつない作戦立てることあるし、同じような経験したのかしらね?」
「どんな顔して青柳部長に会えばいいんだよ……」
「部長? よく知らないけど、普通にしてればいいじゃない。今は生きてるんだから」
ふと紅蓮に言われたことを思い出す。
青柳部長に何があったとしても、そこは今助けるべきことじゃない。
俺だって中学時代のクラスメイトに今更謝られても、どうでもいいし、むしろ困る。
「死んでるなら死ななきゃ、死んでないなら生きなきゃ。ってクソ真面目な顔で言われたことがあるのよ……あの青いのはね、頭の良い馬鹿よ」
ネクロの言い分だとバケレンジャー全員が馬鹿になってしまう。
俺は一応、正義の味方としてバケレンジャーのフォローを試みる。
「意外とバケレンジャーのこと嫌ってなくないか?」
「嫌い」
「……あぁ、そう」
「でも、ネヴァーも嫌い。拾ってくれたのは感謝してるから、置き土産はしてあげたけど」
「……えっ?」
そういえば、コヨミさんの話によると、ネクロがこんなところにいるはずがないらしい。
そのネクロがここにいるということは、ネヴァーと仲違いでもしたのだろうか。
ややこしいことになってきた。
そうなると、コヨミさんの恐れているゴールがまた近づく。まだ、打開策を考えてる途中なのに。
「なぁ、ネヴァーと何かあったのか」
「言うわけないでしょう。バケシルバーに」
「実はバケシルバーじゃないんだ」
「……馬鹿にしてるの? そんなのわかってるわ」
いちいち、俺をへこませないでほしい。
何を言っても馬鹿にされそうで黙っていると、ネクロがぼそりと呟く。
「……名前は?」
「新藤昌宏、ヒーローやってるのは本当だからな」
「黒崎寧々」
「えっ!?」
「……やっぱ、嘘。ネクロって呼んで」
驚愕のあまりにネクロの本名の真偽が確かめられなかった。
ネクロは場の空気を押し流すように一気に喋り始める。
「私は霊の支配を得意としていて、それが好き。なのに、ネヴァーは暴走してもいいから強い怪人を作れってうるさくて」
「芸術家気質なんだな」
「自分で作って、自分で育てた怪人を言うこと聞くレベルで留めるのが当たり前でしょう? 何処かから強い奴を引っ張ってきたり、言うこと聞かなくなるまで強くしたって楽しくないわ」
「バッジ八つ集めろよ」
「そういう話じゃないのよっ」
つまり、ネクロはネヴァーの方針についていけず、離反したということだった。
この事実を紅蓮に伝えれば、すぐにでも最終決戦を挑むに違いない。
そして、バケレンジャーは解散し、紅蓮は地獄に落とされ、コヨミさんは成仏するだろう。
ネヴァーに負ける可能性なんて考えてすらいなかった。勝つと思うから。
待てよ。
そうなると、ネクロはどうなる。
好き勝手に支配できる霊を作って遊ぶのか、大人しく暮らすのか。
「ネヴァーが倒されたら、どうするんだ?」
「私の置き土産はそう簡単に……」
「どうするんだ」
「え、えっと、どうかしらね。バケレンジャーがいなくなるなら、怪人作っても仕方ないもの……」
「バケレンジャーがいた方がいいのかっ!?」
「張り合いはなくなるわねぇ……」
俺の頭の中であらすじが組まれる。
コヨミさんはヒーローを続けられる。ネヴァーは壊滅する。
紅蓮も、青柳部長も、ネクロも、野々宮も、サトーも、少しだけ俺の茶番に付き合ってほしい。
「お前にも悪くない話があるんだ、聞いてくれ」
「何なの? バケレンジャーじゃないからって、ヒーローの頼みは聞きたくないわ」
「天界と地獄とネヴァーを騙す、現世も常世も巻き込んだ、史上最悪の茶番劇だ」
言い過ぎかもしれない。
しかし、ネクロは悪の幹部に相応しい、悪だくみするような笑みを浮かべた。
「さぁ、洗いざらい白状しなさい」
流石、悪の幹部は偉ぶった言動が様になる。
+ + +
俺が一通りの作戦をネクロに伝えたとき、ネクロが不審げな視線を背後に向けた。
何だろうと思って振り向くと、ビクッとしている野々宮がいた。
「……あっ」
「……その人は?」
野々宮にしては棘のある口調に感じられる。
ネクロだと正直に話していいものだろうか。
野々宮やサトーにはすべてを話して作戦に乗ってもらうべきかもしれない。
ただ、その判断をするにはまだ早い。明日までには考えよう。
この場は誤魔化すことにする。
「寧々ちゃん」
「ネクロよ」
俺の調整は無駄に終わった。
仕方がないので、野々宮をちょいちょいと呼び寄せる。
「ネ、ネクロって悪の幹部じゃあ……」
「野々宮。とりあえず、迎えに来てくれてありがとう」
「あぁ、はい……むっ、カウントされてないみたいですね」
魔法界は死に体のくせに、ありがとうの基準がシビアすぎる。
腹が立つのを抑えつつ、野々宮に軽く事情を話す。
コヨミさんの悩み、ネクロの離反、俺の考えた茶番劇。
野々宮は所々頷きながら最後まで聞いてくれたが、一つだけ質問をした。
「その作戦ってネクロさんに頼るところが大きいですけど、納得してくれてます?」
「えっ、悪い話じゃないし、大丈夫だろ?」
俺は策を思いついた喜びで、演者の意思を確認していなかった。
ある意味、主役にして悪役のネクロにはかなり負担がかかるだろう。
俺もヒーロー役として負担はかかるけど、そんなのはいつものことだ。
ネクロは考え込んでいるような仕草をしている。
「……私は貴方に負けることになるのでしょう?」
「わ、わざと、だぞ! 別にお前の方が強いことには変わりない……」
「それが気に入らないわ。私は人を言いなりにするのは好きだけど、言いなりになるのは嫌い」
「……それじゃ、どうすれば納得してくれるんだよ」
ネクロは嫌らしく笑う。
話を途中から聞いた野々宮でさえ、決まっているじゃないですか、と笑う。
この茶番が成功した暁には、コヨミさんも笑うだろう。
少女たちが笑顔で最終回を迎えるために、俺はヒーローにならなくてはいけない。
「勝てばいいのか?」
ネクロと本気で勝負という条件下で。
俺が自棄になりながら言うと、ネクロは頷いた。
「素晴らしいアドリブを期待しているわ」
ネクロは楽しそうに微笑む。
俺はゾクゾクと震える身体を誤魔化すように、野々宮に突っかかる。
「野々宮が余計なこと言わなければ!」
「だ、だって、ヒーローにしてはやり方が汚いですよ。最低限の筋は通しておきましょうよ」
「今回はヒーロー役で済んだのに……」
そう、今回はヒーロー役を演じればよかっただけなのに、野々宮の一言でヒーローを演じることになってしまった。
いつも通りと言えばいつも通りだけど、何とも面倒なことばかり起きる。
「野々宮の魔法って、本当に面倒くさいよな」
「えっ、まぁ、サイエンスはどうかと思いますけど……」
俺をヒーローにした魔法少女に何も言ってやらないことが、俺のささやかな反抗だった。