2.5 天使、裏切る
――紅蓮の話、断ってくれないかな。
まず、気遣われたのかと思った。
コヨミさんは俺たちを戦いに巻き込まないために、親切心で言っているのだと思った。
しかし、その表情はパソコン室で見た明朗快活な笑顔ではなく、本音も嘘も塗り潰すような無機質な笑みだった。
次に、俺たちの協力は邪魔になるだけだと言いたいのだと思った。
確かに世界の危機に駆り出されるような力もなく、誇れる実績は五年間継続と魔法少女のやる気を守ったことだけ。
しかし、コヨミさんの言葉はその考えを即座に否定した。
「昌宏君だったよね。君が力を貸したら、紅蓮は絶対にネヴァーを倒せると思う」
「……最後まで自分たちの力だけでやりたい、ってことですか?」
「うん」
違う。コヨミさんの目が違うと言っている。
自分でも説得力がないと感じているのか、コヨミさんは溜息をついた。
「納得してないって顔ね」
「そりゃあ、コヨミさんが納得してくれって顔じゃないからですよ」
コヨミさんの重いペースに巻き込まれないよう、軽口で言い返す。
ここで深刻になって誰が得をする。
俺が乗ってこないのを見ると、コヨミさんがはぁ、と一息吐いた。
「わかった。こういうの得意じゃないの。話があるから、ついてきて」
俺の返事も待たず、コヨミさんは歩き出す。
慌てて後を追う。考えがまとまらない。白い羽根を目印にして、歩くことより思考に集中する。
コヨミさんの意図は。悪い人なのか。天界に昇れる人生だった人なのに。
様々な考えが浮かんでは消える。
サトーに、あるいは野々宮でも構わないから、連絡を取りたい。
しかし、コヨミさんに止められたらどうしよう。俺はこの人を信じられなくなる。
「どうしたの?」
前を歩くコヨミさんが振り返る。
考えに熱中しすぎて、だいぶ遅れていた。
「あっ、すみません」
予想外にもほどがある。
これならネクロと遭遇した方がマシだった。
俺は最悪の想定を頭の片隅に置いて、素直に後をついていった。
コヨミさんが敵だったら。
その可能性は俺よりも紅蓮や青柳部長を傷つけるのではないだろうか。
「……いや」
一番傷つくのは俺なんだろうな。
ひたすらに格好いいヒーロー像を磨き上げてきた俺にとって。
ヒーローの悪堕ちだけは、認めがたいものだったから。
+ + +
忘れないように念を押しておくと、俺は春に引っ越してきたばかりである。
もちろん、通っていた中学校は別の町にある。
そのため、一目見て廃校舎だと思った。
「正確には旧校舎。使われていないのは確かだけどね」
「……肝試しには最適でしょうね」
「そうね、やるときは言って。手伝うからさ」
お互いにシリアスを気取るのはとっくにやめている。
だからと言って、楽しい雰囲気になれるかというと、そんなわけがない。
特に何かを隠しているコヨミさんは、声の端々から緊張の色が見られる。いや、聞こえるか。
開けっぱなしの玄関から堂々と侵入し、足音が響く廊下を歩く。
「ここはネクロの根城だったの。今はネヴァーのところにいるはずだから、誰も来ない」
イベントの終わったダンジョンほど虚しいものはあるまい。
周囲に人家はなかった。新校舎とも距離があり、少し騒いだところで気付かないだろう。
どうしてここに連れてきたのか。
不穏な空気を感じ取り、自然と身構える。
「コヨミさん、貴方は……敵、じゃないですよね」
「私はバケイエロー。決してネヴァーの味方じゃないし、それはずっと変わらない」
最も危惧していた展開を否定されて、ホッと胸をなでおろす。
俺は自然と態度を軟化させていた。
「それなら、どうして協力を断れなんて?」
「協力自体が嫌なわけじゃないけど……ううん、やっぱり言えない。言ったら、私は本当にヒーローじゃなくなる」
最悪の展開は避けたが、こうなってくるとコヨミさんの意図がわからない。
俺が特別鈍いだけだとは考えたくないが、これっぽっちも思い当たることがない。
悩みに気付いてさえいれば、それを指摘し、なし崩しに説得まで持っていけるかもしれないのに。
どうにも決まらない自分に呆れていると、コヨミさんは緊張と覚悟の入り混じった瞳で俺を見る。
「ネヴァーもネクロも私たちが倒してみせるから。お願い、身を引いて」
悲壮な決意を秘めた言葉に圧倒され、思わず頷きそうになる。
夕方までに言ってくれれば折れたのに。ヒーローって皆、タイミングが遅い。
「紅蓮、さんに凄まれそうなので嫌です」
「君から言ってくれれば、私もフォローするからっ」
「理由を言ってくれれば考えますけど……多分、引けません」
「……どうして戦う気になれるのよ」
コヨミさんの冷たく低い声に俺は怯みそうになった。
しかし、言葉を呑み込むことはできなかった。だって――
「俺もヒーローの端くれですから」
コヨミさんは俺の言葉を振り切るように、ずんずんと歩く。
そして、コの字型である旧校舎の中庭に着いた。
コヨミさんが振り向く。俺との距離は数メートルしかない。
「紅蓮も昌宏君もヒーローだなぁ」
「コヨミさんもそうでしょう」
コヨミさんは笑う。
そして、フッと視線を俺から外した。
「私がね、貴方たちの戦いを偶然見たんだ。格好よかったよ、君」
「……そうでしたっけ」
コヨミさんは肯定も否定もせず、話し続ける。
「紅蓮と優人にも軽く話したから、パソコン室に来たときに気付いたのよね。紅蓮は君たちのことをそれしか知らない。それで頼んだのはびっくりだけど」
「もしかして、俺を強いと思い込んでるんじゃあ……」
「どうかな。だけど、私は君のことを強いと思うよ」
「えっ」
誤解だと言う前にコヨミさんが先に口を開く。
「君は勝たなきゃいけないときに勝つヒーローだもの……今回は、どうだろ。君が勝ったら、私が間違ってるってことだものね」
そう言いながら、コヨミさんが右腕の変身ブレスを顔の前にかざす。
「ちょっ、嘘だろ、おい!」
「教えて。私が間違ってるなら、勝ってよね? ――変身ッ!」
瞬間。コヨミさんの全身が金色の光に包まれ、気付いたときにはヒーロースーツに変身していた。
白い羽根は何故かそのままだが、そんなことを気にする間にコヨミさんが駆け出す。
繰り出されるパンチを経験と勘だけでかわし、飛びかかられないよう、相手の横に位置をとる。
「俺の力はそういうのじゃなくてっ!」
「本気でやらないと、貴方も本気になれないかな?」
「だから、その前に話を!」
「勝てたら諦めるから、勝ってね」
そんな勝手な。言ってる場合か。
正直、分が悪いなんてものじゃない。
このピンチに少しはヒーロー補正も働くかと思えば、まったく込み上げるものがない。
敵がヒーローだからか。いや、敵ではないからか。
「ちっ」
長く考えてもいられない。
動かない俺に痺れを切らしたコヨミさんは、再び拳を握り締めてこちらへ向かってくる。
軌道は単純だが、受けるわけにはいかない。一発もらえば意識が飛ぶ。
だから、今の俺は回避するしかない。
そのパンチは避けることに成功したが、この成功が失敗だというのはわかりきっていた。
全力で回避したことでバランスを崩す。無理な体勢を必死に立て直したが、遅かった。
俺の額にはエネルギー充填済みのヒューンという音を立てる銃が突きつけられている。
「バケレーザー。この霊装はソードにもなるけど、私はもっぱら遠距離で使ってる」
「近距離じゃないですか」
チェックメイトだ。
中腰のまま動けず、敗北は確定している。
ヒーローならば撃たれずに済むだろうか。撃たれても対処できるのだろうか。
今から格好つけても、ヒーロータイムには間に合うのだろうか。
日曜朝に寝過ごした気分だ。さっさと目を覚ましておけば、ヒーローとして戦えたかもしれない。
――もう遅いか。
俺が諦めたことがコヨミさんにも伝わったのだろう。
引き金にかけた指が微かに動く。
「ヒーローって死ぬと思う?」
「……自分の胸に聞いてみな」
「格好いい台詞、なんて言ったら駄目ね」
コヨミさんの表情はマスクの向こう側。
悲しそうな顔をしてくれているだろう、と思う。
「それに何度も自分に聞いたけど――私、ヒーローじゃなかったみたい」
――――ギュンッ
レーザー音だろうか。ZAAAAP! なんて音がするわけないから、そうなのだろう。
奇妙なことと言えば、レーザー音が聞こえたことと、こうして思考が続いていること。
あと、一つ。確実におかしいのは、レーザーの飛んできた方向。
背後からだった。
「どうして……!」
コヨミさんは俺から銃を離して、背後の誰かに向けていた。
この対応の速さは最初から撃つつもりなどなかった、と好意的な解釈するのは甘過ぎるか。
俺も背後の何かを確認すべく振り返る。咎める者はいなかった。
「……貴方たち、勝手に私の縄張りで遊ばないでくれるかしら」
名前の響きから想像した通りの黒いゴシックドレスを身にまとう少女がそこにいた。
黒い髪に鮮やかな蝶の髪飾り。紅の瞳に病的なほど白い肌。
彼女の左右には赤い火の玉と青い火の玉が浮かんでいる。
俺とは初対面だろうが、俺は彼女の名前が当てられると思う。クイズ形式にされても、ヒントなしでわかる。
「それに貴方は誰? バケイエローは一般人をいたぶる趣味でもあったの?」
「黙れっ! 貴方はネヴァーのところで最強の怪人を作ってるはずじゃないの!?」
「さぁね。それにしても貴方一人とはチャンスだわ。青いのさえいなければ、馬鹿しかいないもの」
酷い言い草だ。それにさりげなく俺が相手にされていない。
俺も完全にうわーと叫びながら逃げ惑う一般人である。モブ補正なら向いているらしい。
戦況が大きく変わったが、俺が有利でないことには変わりがない。
せめて戦場のど真ん中にいるのはやめようと、じりじりと動く。
「逃げないでよ」
「逃げますよ」
小声でコヨミさんが俺を制止しようと無茶なことを言う。
おかしなことになってしまったけど、まだお互いの緊張状態は解けていない。
「あの人は例の幹部ですよね」
「えぇ、こんなところにいるはずないのに……もう、私がこういうことすると、どうして失敗するんだろう」
「向いてないんですね」
「言わせておけばっ」
俺とコヨミさんの中間に、赤と青のレーザーが刺さる。
どうやら相手にされないことに苛立った彼女が攻撃したものらしい。
左右の色違いの火の玉はレーザー射出ユニットになっているみたいで、煌々と輝いている。
幽霊を操る力を持つとの話だが、あの火の玉だけでも十分に脅威である。
「お喋りはそこまでよ。貴方もただの人間じゃないわね」
「そっちも火の玉操ったり、幽霊操ったり、とんでもない奴だな。人間なのか?」
「教えてあげない。けど、少しは私のことを知ってるようね……貴方の名前は?」
だいぶ想定された展開と異なるが、サトーの言っていた台詞は有効だろうか。
「通りすがりのヒーローだ――ネクロ」
悪の幹部、ネクロはあどけない少女の笑みを浮かべた。