1.1 迷走するヒーローたち
四月、あるいは五月一日の深夜。
俺は寒々しい夜の住宅街を一人で、あてもなく彷徨っていた。
物騒な世の中である。目的の有無に関わらず、夜中の住宅街をうろつく男は怪しまれても仕方がないだろう。
それも薄手のパジャマにコートを羽織っただけの男が、同じような道を徘徊しているとか、超怪しい。
「俺なんだけどさ……」
そんな怪しげな男が寂しさに耐えかねて、独り言を呟きだしたら、小学校のPTA会議の議題になる程度には怪しい。
数日後には『新藤さん家のお孫さん、夜中にぶつぶつ言いながら歩いてたんだって』という噂になるのだ。嫌だ、そんなの。
想像するだけで背筋が寒くなるのは、恐怖や羞恥などではなく、パジャマだからだと思いたい。
溜息をついて、空を見上げる。星一つ見えない曇天。どうせ、星が見えたところで星の名前も方角もわからないけど。
俺が自分の住む町で惨めな思いをしているのには、三つ理由がある。
まず、予定外の外出を強いられているのは、サトーが空気の読めない呼び出しをしたからだった。
非常識存在出現、ただちに公園へ来い、と短い電話。メールで十分伝わることを一方的に連絡され、一方的に通話を切られた。
不愉快だが、放っておくわけにもいかず、祖母と二人暮らしの家から、こっそりと出てきた次第である。
二つ目に、すぐに戻るつもりでいた俺は面倒臭がって、パジャマにコートという格好で外に出てしまった。
思いのほか肌寒く、数十分ならまだしも、一時間歩き回るには向かない服装である。
いや、数十分で帰るつもりだったのだから、想定不足というには酷な話だ。
三つ目の理由が最も単純かつ深刻だったのだろう。俺は方向音痴らしい。
春に引っ越してきたばかりで、自宅と高校と近所のスーパーをつなぐ道しか自信がない。
それなのに公園まで迷わず行けると思った見通しの甘さ。悔やんでも悔やみきれない。
また、夜なので暗いというのも道をあやふやにしている一因だった。
一言にまとめると、俺は迷子になっていた。
「はぁ……」
何度目の溜息だろう。
ひたすら続く後悔、何度も零れる溜息、制御できない独り言。
もはや永遠にこのままなのではないかと思いながら、見覚えのある曲がり角を曲がった。
「わっ!」
「うおっ!」
考え事に没入しすぎて、女の子とぶつかりそうだと認識するまで時間がかかった。
避けるべきタイミングで硬直し、思いっきり衝突した。
しかし、よろけたのは女の子の方だけで、とても申し訳ない気持ちで手を差し出して、思わず手を止めた。
「あ、すみません」
掴まれた。
緑の襟が付いた白ブラウスに青いネクタイリボン。スカートは襟と同じく緑で、ひらひらのフリルをあしらったデザイン。
安物の長靴並に濃色のブーツ。先端に宝石っぽいものがついているステッキ。
本人自体は真面目そうな顔立ちで、少し小柄なお嬢さんという一般的な女の子で、もうこれは何と言うか。
魔法少女。魔法少女だ、これ。
「あのぅ……」
「あ、あぁ、ごめん」
いつの間にか彼女の手を握り締めたまま、服装をまじまじと観察してしまった。
慌てて手を離したが、女性を不躾に観察した気まずさで言葉が出てこない。
彼女も何か言いたそうな顔をしているのだが、ステッキを後ろ手に隠してみたりするところを見るに、格好の不自然さを自覚しているらしかった。
パジャマとコートでも、魔法少女よりマシだと思ったら、少しだけ勇気が湧いた。
「その、考え事してて、ごめん」
「こっちこそ! 考え事してたんです、すみませんでした!」
軽く謝っただけのつもりだったのに、とんでもないことでございますと大仰な身振りで返されてしまった。
良い人だ。この際、彼女の衣装は関係ない。迷ったときは恥ずかしがらず、人に道を訊ねるべきだ。
「こんなときに悪いんだけど、道を教えてもらえないかな」
「こ、困ってるんですか!?」
ずい、と一歩近づかれて、俺は身を引いてしまった。
「あのっ、信じてもらえないかもしれないけど……私、魔法少女です」
「……そうかな、とは思ったけど」
「本当ですか? 嬉しいです!」
外見は魔法少女に見える、という意味だったのだが、彼女が信じてもらえたことにホッとしている様子だったので、黙ることにした。
「私は魔法を使って、困っている人を助けるのが仕事なんです。そこで」
「いや、普通に道案内してもらえればいいよ」
「だ、駄目なんです。魔法を使って人助けしないといけなくて」
「まぁ、助けてもらう立場だし、何でもいいけど……」
「ありがとうございます!」
彼女はステッキを両手に持ち、祈るように前に掲げる。
驚くことにステッキについた宝石が輝き始め、周囲の空気を吸い込むように唸り、響いている。
光と音は徐々に高まり、そろそろ近所迷惑になるのでは、と不安を感じたとき。
「公園までの道しるべよ、出てこいっ!」
彼女の唱えた一言とともに眩しい光が街中を駆け巡り、それまでの光景が嘘のように静かで暗い夜が戻っていた。
確かに魔法らしい煌びやかなひと時だった。最後の雷のような閃光はおもちゃでは再現できまい。
しかし、何が起こったというのだろう。まさか、すっごいピカピカしただけで終わりではないと思うが。
どうしたものかと思っていると、彼女の持っていたステッキの宝石が静かに点滅し始めた。
「わ、わっ」
「……ちょっと貸して」
ステッキを貸してもらい、適当に動かす。右に振れたとき、ステッキの点滅のテンポが速まった。
「あぁ、こういうことだったんですね」
「面倒臭い魔法だなぁ」
「すみません……」
「いや、ありがとう。助かったよ」
下手なお礼を済ませて、ステッキの光を頼りに公園を探す。
光の点滅は公園までの最短距離を示しているらしく、建物に阻まれながら右往左往すること数十分。
ステッキを借りたままなので、居づらそうにもじもじとしている魔法少女を引き連れて、俺はようやく公園の入り口を目に捉えた。
「着いた……ありがと、返すよ」
「はい……こちらこそ」
ステッキを返し、お互いに軽く頭を下げる。
このまま別れても何ら問題はないのだが、彼女が固まったままなので、妙な緊張で俺も動けなかった。
「ほ、本当にありがとな?」
「いいえ、色々と面倒なことに付き合わせてすみません」
こうして自分の面倒事が解決すると、この子がやけに卑屈なことに意識が向く。
魔法少女の格好は不自然だけど、本当に魔法が使えたし、それは素直に信じている。
どうして本物の魔法少女がここまで申し訳なさそうにしているのか、人助けをしているのに。
俺に他人の気持ちはわからないし、余計な首を突っ込むことは好きではない。
だけど、彼女が魔法少女として人助けをしたように、俺もスタンスとして、一言言っておこう。
「何か困っていることがあったら、俺に言ってくれ」
「えっ?」
「俺、ヒーローやってるんだ」
彼女はきょとんとした後、疑わしげに眉をひそめたが、自分の手にあるステッキを見直して、少し笑った。
「いえ、新藤さんに話すようなことではないのですよ」
「そうか……あれ、名前言ったっけ?」
「ま、魔法少女ですから。それじゃ、私はこれで」
彼女は箒で空を飛ぶこともなく、小走りで立ち去った。
俺はヒーローについて言及されなかったことに、安心かつ残念な気持ちを感じていた。
+ + +
公園へ向かうと、サトーが仁王立ちで待ち構えていた。
「昌宏、遅かったではないか」
「色々あったんだよ」
「こんな夜中にか?」
「……こいつ」
こんな夜中に俺を呼び出した、この男の名はサトー。
サトーは未来、あるいは分岐するかもしれない異なる時間軸から訪れたヒーロー監察官である。
俺が小学五年生の頃に現れた男で、そのときからずっと二十歳前後の青年姿のままだ。
姿が変わらないのはこの世界に影響を与えず、また与えられないように自分自身の時間を凍結しているからだそうだ。
未だに詳しく理解してはいないが、そろそろ付き合いも五年近くになるので、今更という感じだ。
「早速ではあるが、時間もないので手短に話すとしよう」
「是非そうしてくれ」
「昨晩、小さな常識エラーを感知した。報告したところ、それの解決が五月分のヒーロープロジェクトになった」
「……電話でよかっただろ、それ」
「試験内容の提示は直に言う規則だ。夜中に昌宏の家に押しかけるわけにもいくまい」
もっと根本的なところを気遣ってくれると嬉しいのだが、サトーだから仕方ない。
あくびを噛み殺しながら、俺は今回の試験は楽に済みそうだと安心していた。
非常識存在は先程の魔法少女のことだろう。話が通じるのだから、どうにかなる。
「心当たりはあるんだ。明日の夜から始めて、明日の夜には終わろう」
「それは頼もしいな。昌宏もヒーローが板についてきたようだ」
「どうかな……」
ヒーロープロジェクト。それはサトーの世界に迫る危機に向けて、ヒーローを育成するプロジェクトである。
育成には時間がかかる。そこで過去に遡り、ヒーローの素養があるものをヒーロー候補として監視、育成する。
実際、この時代で無敵のヒーローは生まれることはない。何故なら、この時代ではそのような常識は通用しないからだ。
しかし、この時代で刻んだヒーローの因子は世界に影響を与え、サトーの世界ではヒーローが大活躍する、らしい。
無敵のヒーローが誕生することはないが、ヒーロー候補というものは非常識な力を持つものだそうだ。
ヒーローらしく空を飛んだり、様々な属性を操ったり、とにかく馬鹿力だったり。
「五年もヒーロー続けて、一度も覚醒してないしさ」
「何を言うか。昌宏のヒーローらしさは唯一無二の力だぞ」
「……まぁ、いいか。高望みしてるわけじゃないし」
今晩はこれでお開きとなり、本格的な行動は明日からとなった。
魔法少女のことにも軽く触れてはおいたが、サトーはいまいち呑みこめていない様子だった。まぁ、放っておいても明日までには理解してくるだろう。
帰ったらすぐに寝よう。明日も夜には動かなければならない。明日こそは支度するぞ。
そんなことを考えながら歩いていると、迷うことなく家の前に着いた。不思議だ。
「……魔法」
便利だろうが不便だろうが、そんなものが使えたら楽しいだろうな。
俺はまだ名前も知らない魔法少女に思いを巡らせながら、そっと帰宅するのだった。