③ルイとの約束。
突進するネズミを避けたことで廊下の突き当たりまできてしまい、前にはカギのかかった四畳半、後ろにはネズミの動き回るコートといった状況だ。しつこいほど何度も確認したが、不思議なことに開かずの四畳半の南京錠はきつく閉ざされたままだった。
ここから抜け出すには、家の構造上、この廊下を戻るしかオヅマに残された道はない。
「さて、どうしたものか。今夜は早めに寝ないと、ルイの面談に遅れてしまうし」
翌朝に予定されている児童の面談が気がかりなオヅマは、カーキ色の春コートに意識を向けたまま、何度も玄関へと続く廊下の先をうかがった。廊下の幅は狭い。その上、どこにも行き場のないガスコンロと小さな水場のセットが、窓のないほうの壁際に沿って置かれてあるので、なおさらだ。
大またで行けば、五歩もないほどか。動くなよ、動いたら踏んでしまうからな、と心の中で念じながら、オヅマは左足を踏み出した。
ジリリリリ、ジリリリリリ!
時代遅れの黒電話が、静寂を破った。つま先立ちのオヅマの足が、不安定に揺れる。あれ、と思ったときにはもう、オヅマのひとみには黒ずんだ天井が映り込んでいた。
「うわっ……転……」
往生際悪くあがいたのが原因だろうか、尻ポケットに収めてあったケイタイ電話のストラップが、小さなガスコンロの点火スイッチに引っかかった。そのまま尻餅を付く体勢でひっくり返ったものだから、カチ、という音と共に独特の異臭がオヅマの鼻腔に届いた。
「まずい、火事になるぞ!」
慌てて体をくねらせるが、今度は真下に広がるコートをまともに踏んでしまい、両足を空中に投げ出すかっこうになった。にぶい痛みが後頭部を走り抜け、次いでノド元を締め上げる。息が詰まった。オヅマの体はひっくり返った勢いのまま廊下を滑り……――
なんだ、とオヅマは両目をぎょろりとむき出した。乾いた唇をぺろりとなめ取り、ずきずき痛む後頭部を押さえる。不必要に何度も深呼吸を繰り返し、もう長いこと仰向けに寝転んだままの体勢で高くて遠い天井をにらみ据えていた。
――そう。高くて、遠い。
オヅマは、ふひゅ、と息を吐き出した。ガスコンロに引っかかったあと、コートを踏んだ足が滑り、廊下に頭を打ちつけた。その拍子にオヅマが見たものは、まるで絵本や映画の世界のようなできごとだった。
まず、視界の端にあった電話台が、みるみる大きく膨らんだ。古い床板が、空間を侵食するかのように巨大化していった。天井はどんどん高く昇っていき、オヅマの手の届かないところまで伸びた。
黒電話の呼び出しも、どんどん大きく音を膨らませ、最後には天井が落ちてくるのではないかと心配するほどになった。空気を伝った振動が、グァリリグァリリ、とオヅマを揺らす。