告る
穏やかに眠るネコの柔らかい唇に、啄む様にしてキスをする…ふっくらとしたその下唇を優しくくわえた時、ネコはうっすらと目を開けて少し眉を寄せた。
「起きたか?」
「…おはよう。」
「違うぞ、今日は…おめでとうだ。」
「…明けましておめでとう、柴さん。」
「あぁ、おめでとう。」
「で…何してるの?」
「お前に、キスしてた。」
ネコが、少し悲し気な表情で俺を見上げるのを見て、俺は苦笑を漏らした。
「正月から、そんな悲しい顔するな。この1年が悲しい年になっちまうぞ?」
「…夕べ言ったよ?」
「だから?」
「前にも…クリスマスの時にも言った…こういう事しちゃうの…駄目だよ…。」
「お前は、嫌じゃ無いんだろう?」
「柴さん…そんなの嫌だよ…。」
「ん?」
「私の為なら…要らないって言ったよ?」
真剣な瞳で詰め寄るネコが可愛くて、つい焦らす様な受け答えをしてしまう…可愛い物を弄ぶ癖は俺にも有るのかもしれない。
「ネコ…俺は、自分のしたい様にしか行動しないと言わなかったか?」
「…言ったけど。」
「お前、俺がキスするのは、お前の為だけだと思ってたのか?」
ネコは再び眉を寄せ、不安な表情を見せる。
「俺がお前を抱き締めるのも、お前を撫でて甘やかすのも、お前にキスをするのも…俺がお前を愛しいと思っているからだとは思わなかったのか?」
「…柴さん…からかってるなら…。」
「ネコは、こんな親父は嫌か?」
「…。」
「俺は、そっちの方が心配だ…お前は、どう思ってる?」
「……好きって…言った…でもっ!」
「でも、何だ?」
話している途中から、ネコの顔中にキスを降らせると、ネコは真っ赤になって反論を試みる。
「柴さん大人だし、モテるしっ!?」
「…お前がいい。」
「乳のデカイ女が好みって…。」
「…言ったか?そんな事?」
「私が聞いたの…そしたら、そうだなって言った…。」
「そんな事…大丈夫だ、今からデカくしてやるから…。」
ネコはワタワタと慌てながら、俺の胸に手を当てて押しやる。
「変な親父に追い掛けられてるんだよ!?」
「…守ってやると言ったろう?」
「…私…犯られちゃった事有るって…。」
「お前が悪い訳じゃ無いって言ったろ!?…それに、俺だって、初めてって訳じゃねぇしな…。」
「…それ、普通だし…。」
「ネーコ、出し切ったか?」
少し笑ったネコに俺が尋ねると、ちょっと真剣な目差しで見詰められた。
「柴さん…私の…どこが好きなの?」
額にキスをして、ネコの視線から逃れる。
「お前はな…いちいち可愛くて仕方無ぇんだ…。」
「え?」
「…やる事なす事…その声も仕草も…すっぽり腕に収まっちまう躰も…その目も…。」
少し躰を離してネコを見下ろすと、口を歪めて笑った。
「可愛い癖に妙に色っぽい…逃げ出した時、俺が何故探し回ったと思ってるんだ、お前は?」
「えぇっ!?」
「…大体…俺の所がいいとか言って抱き付いて来て、先に俺を煽ったのはお前だろうが……あぁっ、もう、畜生っ!!全部寄越しやがれっ!!」
ネコの口唇を奪う様に舌を絡めて貪り、腰を抱いて密着させ、浴衣の上からネコの乳房を手で覆う。
「んんっ!?」
途端にネコの躰が硬直して瞼をきつく結び…唇を離すと、震えて浅い息を繰り返す。
「やっぱりそうか…お前、男に抱かれるのが怖いんだな?」
髪を撫でながら優しい声音で話し掛けると、きつく結ばれた瞼がゆっくりと開いた。
「怖がらせて悪かった…お前の嫌がる事はしないから…。」
「…本当?」
まだ震えながら、潤んだ瞳で見上げるネコの頬と顎を撫でてやる。
「あぁ…諦める気は無いが、少しずつ慣らして…怖く無い様にしてやるから…。」
少し笑うと、ネコは俺の手に顔を擦り寄せた。
「キスは、平気なんだな?」
「うん…でもね…柴さんにキスされると、ドキドキしてフワフワになって…眠くなる。」
「眠くなる?」
「うん…ホワァーっとして眠くなるの…。」
俺は笑いを噛み殺しながら、ネコの躰を懐に抱いた…そうか、まだまだ開発する楽しみが有る様だ。
「…ナオ…俺は、お前に惚れてる…覚えとけよ?」
ネコは俺の胸に縋り付いて、コクンと頷いた。
夕方から行う新年会に参加する様にという兄貴の伝言を受けて、俺はネコを説得して宴会場に向かっていた。
「健司さん。」
突然呼び掛けられて振り返ると、2人の浴衣の男性がにこやかに立っていた。
「いらしてたんですね?気付きませんでした。」
「離れに籠っていたからな…。」
俺と背の高い方の男が話していると、互いの背後で掛け合う声がした。
「リンさんっ!?」
「ネコちゃん!どうしたの、こんな所で!?」
駆け寄り抱擁し合う2人を見て驚いている残された男達を無視し、2人の矢継ぎ早な会話が始まった。
「リンさんっ、リンさんっ、どうしたの?ここの組長さんに捕まったのっ!?酷い事されたり、苛められて無い!?」
「ネコちゃんこそ、どうしてこんな所に居るの!?…あの人に、捕まったの?」
「違うよ…私は、柴さんに拾って貰ったの。リンさん…お店は?」
「あぁ、年末年始で休みなだけ。其より…大丈夫なの!?酷い事はされてない?幸村刑事は知ってるの?」
「大丈夫だよ…柴さんは、京子さんの友達で元々は刑事さんだし…。」
「幸村刑事の友人で、柴さんって…関東連合のファングなんじゃ無いだろうね!?」
「ファング?知らないけど…伝説の総長って言ってたよ?」
「ネコちゃん…君偉い人に拾われて…本当に大丈夫なの!?」
「大丈夫だよ?柴さん優しいしね…病気も治してくれて、住む所も仕事もくれたの。それに、私…柴さんの事、好きだし…。」
「ネコちゃん!?」
「鈴、大丈夫だよ。」
ネコと抱き合う華奢な青年に、俺の隣に立つ学者肌の男が声を掛けた。
「健司さんは、僕の叔父なんだ。大丈夫、心配無いよ。それより…君が、父の言ってた仔猫ちゃんかな?」
「父って…柴さんのお兄さん?」
ネコが、鈴と呼ばれた青年の腕に抱かれたまま、訝しげに窺った。
「そうだよ…君の怪我の原因を作ったね。酷い事されたりしなかった?」
「…あの人…怖い。苛めるんだもん…。」
「そうかぁ…苛めるかぁ…。」
そう笑う男の隣で、俺はネコを呼び寄せた。
「ネコ、此奴は佐久間聡だ。」
ネコがピョコンと頭を下げると、聡の後ろから華奢な青年が挨拶をした。
「先程は失礼しました。僕は新宿で小さなバーを経営してる、伊庭鈴と申します。」
「柴健司だ。ネコと知り合いなのか?」
「そうだよ…リンさんには、いっぱいお世話になったの!!」
「いえ…僕は、逃げ込む場所を提供していただけですよ。」
「そうか…世話になった。」
そう頭を下げると、鈴は目を剥いて頭を振った。
揃って宴会場に行く道々、聡の済まなそうな瞳が寄せられた。
「苛められてるんですね?」
「あぁ…兄貴は可愛い物を見ると、弄くり倒して泣かせるからな。」
「…今日も、覚悟してもらわないといけないかもしれません…。」
「何か有るのか?」
「少しね…父の意に染まない事がありまして…若干フラストレーションが貯まってます。」
聡は後ろの2人を窺い見て、そう言った。
「こっちも…厄介事が発生してる。…ネコには、少し耐えて貰う事になるかもな…。」
既に宴会が始まっている会場に入った途端、上座に座っていた兄貴が立ち上がり、俺達を押し退けてネコを肩に担ぎ上げた。
唖然とする下座の面々を尻目に、嫌だと叫ぶネコをさっさと上座の自分の胡座の中に抱き込んで、こちらに向かって手招きをする。
「止めて下さい、お父さん!嫌がってるじゃないですか!?」
「…俺は、こういう可愛いのが好みだ…。」
「その子は貴方の物じゃ無いでしょう!?」
「こういう、可愛い娘が欲しかったんだ!!」
暴れていたネコが、会話を聞いて幾分落ち着いたのを見て、兄貴の隣に座った俺は苦笑いしながらネコの頭を撫でてやった。
「…鈴だって、十分可愛いと思いますが?」
「俺は、男のケツなんぞ膝に乗せたくねぇぞ!?」
「例え僕に普通の嫁が来ても、貴方の膝なんかには乗せたくありませんよ。それに僕の嫁は、鈴以外に考えられません。」
上目遣いで話を聞いていたネコが、前屈みになって聡の向こう側に座る鈴に声を掛けた。
「リンさん、結婚するのぉ?」
鈴は照れた様に笑い、聡は満面の笑みでネコに話し掛けた。
「そうだよ…鈴と僕は、結婚するんだ。」
下座がどよめき、兄貴の顔が歪む。
ネコは、ふぅんと言って不思議そうに聡に尋ねる。
「男の人同士って、結婚出来るの?」
「普通の婚姻は、無理だね。日本の法律では、まだ許されていないんだ。」
「そうだ!結婚は出来ない!!」
頭の上から吼える兄貴に、ネコは眉を寄せる。
「だから同性同士の結婚は、年長者の籍に養子縁組をして行うんだ。」
「へぇ…そうなんだ…おめでとう、リンさん!!」
「…ありがとう。」
無邪気に喜ぶネコに、兄貴が憮然として言った。
「だが、子供はどうするよ!?女じゃないと、子は産めねぇだろ…。」
「何で?」
不思議そうにネコが兄貴を見上げた。
「何でって…女しか子供は産めねぇだろうよ、仔猫ちゃん?」
「お孫さんが、欲しいの?」
「あぁ欲しい!物凄く欲しいぞ!?」
…ネコが何を言うか…俺は予想が付いて、手で口を覆った。
案の定、ネコは満面の笑みで、無邪気に兄貴に言った。
「じゃあ、良かったじゃない!」
「え?」
「だって、息子さんが養子縁組するって事は、柴さんのお兄さんにお孫さん出来るって事でしょう!?おめでとう、良かったね!!」
一瞬静まり返った次の瞬間、宴会場は爆笑の渦に包まれた。
呆気にとられた兄貴と、何が可笑しいのか理解出来無いネコに、下座の1人が声を掛けた。
「組長…完璧に一本取られましたな。」
「…うるせぇ…あぁ、もうっ!!お前は、可愛いなぁ!?」
そう言ってネコを抱き締めると、今迄大人しくしていたネコが又暴れ出した。
「そろそろ返せ、兄貴…俺の女だ。」
そう言うと、再び座がどよめく。
兄貴からネコの躰を奪い返し、自分の胡座の中に抱き込んでやると、ネコは嬉しそうに収まった。
「チキショー、おいっ、さっきのアレ持って来い!」
兄貴が叫ぶと、手下の1人が紙袋を持って来る。
「聡の結婚、許してやってもいい…。」
「本当ですか!?」
「ただし、仔猫ちゃんが俺の言う事をきいてくれたら…だがな?」
「…何?」
ネコが、俺の袖口を掴んで小さく尋ねると、兄貴は紙袋から出した物をネコの頭に装着した。
「今日1日、仔猫ちゃんがソレを付けてくれるなら、許してやる!」
ネコは頭の上に手をやると、装着したものを触った。
「…猫耳?」
「そうだ、可愛いぞ仔猫ちゃん!!」
ネコは俺を見上げて、小首を傾げる。
黒のタイツに赤いギンガムチェックのホットパンツ、黒のモヘアのセーターを着たネコに、その黒い猫耳は似合い過ぎて…。
「似合う?可笑しく無い、柴さん?付けててもいい?」
口許を押さえたまま、俺は何度も頷いた。
「…いいよ、付けても。嫌いじゃ無いし。」
「決まりだな、今日1日だぞ?」
「寝る迄でいいんでしょ?でも、お風呂の時は外すよ?」
「あぁ…いいなぁ…ニャアって鳴いてみ?」
「…嫌だよ。」
「何だよ…健司には鳴くんだろうが?」
「柴さんが、鳴いてって言ったらね?」
「…ネコ…あっちで、2人に祝いを言って来たらどうだ?」
ウンと、嬉しそうにネコは聡と鈴の元に行った。
「ありゃあ、天然のタラシだな、健司?」
ニヤニヤと兄貴が俺の杯に酒を注ぐ。
「端から許してやるつもりで、ゴネて見せたのか?」
「決めちまったんだろ?彼奴は、俺が反対しても利く様な奴じゃ無い…だが、組にとっちゃあ大問題だ。跡取り息子に子供が出来ねぇってのはな…。」
「方法は…有るだろう?」
「それより、手っ取り早い手が有る。」
何を言うか予想して、俺は眉を寄せた。
「元々聡は、堅気の道を選んでる…やっぱり、お前が継ぐのが一番いいんだよ。」
「俺にその気は無い…知ってるだろうが?」
「仔猫ちゃんの為でも?」
「何だと?」
「榊も、佐久間の次期組長になら、仔猫ちゃんをすんなり渡すかもしれねぇ。」
確かにそうかもしれないが…俺はネコを見詰め、溜め息を吐いた。