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新宿のネコ  作者: Shellie May
5/32

バレる

「凄いよ、柴さん!!露天風呂も有るんだって!?」

小さなロビーに置かれてあるパンフレットを見て歓声を上げるネコを見詰め、連れて来て良かったと安堵する。

昼過ぎに東京を発ち、レンタカーを走らせて南房総の宿に着いたのは、夕方にはまだ早い時間だった。

小さいが設備の整った料理旅館…本館には客室の他、宴会場や大浴場や露天風呂もあり、広い庭に離れも数戸建っている。

「柴様のお部屋は、離れをご用意させて頂いております。」

「そうですか。」

「本日のお食事は、お部屋の方に運ばせて頂きますが、明日からはどういたしましょう?」

「は?」

「明日からは、皆様と一緒に宴会場の方で宜しいですか?」

…なる程、そう言う事か。

「いえ、ずっと部屋の方でお願いします。」

「承知致しました。」

「あの…明日からは、何名来る予定なんでしょうか?」

「佐久間様ですか?約20名と…当日変動が有るかもしれないと言う事で、本日より正月三箇日は、貸し切り頂いておりますから、どうぞごゆっくりお寛ぎ下さい。」

にっこりと笑う支配人に愛想笑いを送ると、仲居が荷物を持って離れまで案内してくれた。

「うわぁ…。」

高級な数寄屋造りの日本家屋に入ると、玄関間に続き12帖の和室、小さな次の間に続いて8帖のベッドルームが有り、洗面所に内風呂の他に広縁の向こう側には専用の露天風呂まで有った。

「…凄いな。」

「いつもは、佐久間様にご利用頂いております。露天風呂、内湯共に、源泉掛け流しの黒湯でございます。」

「黒湯?」

「此処の湯は、ナトリウム炭酸水素塩泉でしてね。コーヒー色の黒湯で、入浴中のトロっとした肌触りと浴後の爽快感が特徴なんですよ。『美肌の湯』として評判が高いんですが、飲めば慢性消化器病、糖尿病、通風、肝臓病などに効果があるんです。飲む温泉は、本館の方にご用意しております。今回は佐久間様より、こちらの奥様がお怪我をなさっているという事でしたので…。」

「おっ、奥様ぁ!?」

「はい…美肌効果の他、保湿効果、冷え性、神経痛、痛風、リウマチ、打ち身、捻挫、筋肉痛、運動麻痺などにも効果的だとお伝え致しましたら、是非にという事でございました。浴衣は、こちらにご用意致しました。女性用の浴衣は、全柄用意せよとのご要望でしたので、10枚ございます。どうぞ、お好きなだけお召しになって下さい。」

「…ありがとうございます。」

「お食事は、何時頃にご用意致しましょう?」

「ネコ、腹減ったか?」

首を振ったネコを見て7時に夕食を頼むと、仲居は承知しましたと退室した。

「露天風呂入るか?」

「…奥様って言った。」

「あぁ…兄貴が、そう説明したんだろ。」

「絶対怪しいと思われてる!」

「何が?」

「だって…。」

ネコは立ち上がり、ベッドルームのドアを開けると、中に置かれてあるキングサイズのベッドを指差した。

「此処、スイートルームって事でしょう!?」

「そうだな。」

「…変だよ、やっぱり。」

何が言いたいのかは、わかるが…此処は納得させて、これから先の事を考えさすチャンスかもしれない。

俺は足を投げ出して座ると、少し涙目になって膨れるネコを呼び寄せた。

「こっち来い、ネコ。」

手を差し伸べてやると、ネコは素直に俺の手を取り股の間に座り込んだ。

自分に背中を預ける様に座らせて腰を抱き込んでやると、クスンと頭をもたげてくる。

「お前が気に入らないのは何だ?」

優しく聞いてやると、ネコはモジモジとして呟いた。

「柴さん…援交親父だと思われてるよ…きっと。」

「そうだな。」

「嫌じゃ無いの!?」

「今更だろう?街で歩いていても、思う奴はそう思う。」

「…嫌だよ…柴さんが、そんな風に思われるの…。」

「俺の事か?」

「…ウン。」

「お前は?」

「私は…そう思われるの慣れてるし…。」

クスリと笑いながら、寂しい瞳でネコは俺を見上げた。

「でも…やっぱり、これは良くない様な気がする…。」

「何が?」

「家で一緒に寝てるから、今迄何とも思わなかったけど…やっぱり変だよね?一緒の部屋に泊まるのも、本当は変なんだよ…。」

「それこそ今更だろ?それとも、別々がいいのか?」

「…。」

「一緒じゃなくていいのか?」

「…一緒が…いいけど…。」

「なら素直に、気持ちのまんま居ればいい。余計な事は気にするな。」

俯いて俺の手を弄びながら頷くネコに、俺は尋ねた。

「お前、これからどうしたい?」

「どうしたいって?」

「これから先の生活も、お前自身の事も…。」

「…わかんない。」

「住む場所と仕事は手に入れた。次は何がしたい?」

「別に無いよ…逃げなくていいって、柴さん言ってくれたから。」

「それだけ?」

見上げたネコが、甘える様に言った。

「柴さんと一緒に居れたら、それでいい。」

…可愛い過ぎるだろう…。

ネコの背中を支える様に抱き、その場に寝かせ、その躰に覆い被さる。

「…もっと望め、ネコ。」

「え?」

「俺は、お前が望む事…何でもしてやるから。」

「私が望む事?」

「そう…お前の望み…欲しい物は何だ?」

「何も無いよ…柴さんに、いっぱい貰ったよ?」

俺はネコの首筋に顔を寄せ、耳許に囁いた。

「…もっと貪欲になれ…ネコ。」

「だって…柴さん、欲しい物も、して欲しい事も…全部くれてるよ?これ以上、何を望むの?」

俺は堪らなくなって耳朶に軽く歯を立てると、ピクリとネコの躰が跳ねる。

そのまま顎のラインに唇を這わせ、ゆっくりと顔を離してネコを見下ろした。

「…お前、俺の事…どう思ってる?」

大きく見開かれた瞳が俺を見上げ、微かに揺れる。

「俺に…どうして欲しい?」

ゆっくりと顔を近付け、唇が触れる瞬間、

「…ナオ…。」

と呼び掛けた。

息が吸い込まれた瞬間、舌を口腔内に侵入させ上顎を擽り舌を絡めて軽く噛む。

息を上げ上気したネコの腰を抱き寄せ、首筋に唇を当てた時、俺の肩口のシャツを握り締め微かに震えていたネコが、小さな掠れた声を上げた。

「…柴さん…胸…。」

「…ん?」

「…胸…苦しい…。」

慌てて身を離すと、喘ぐ様な息をして、震えながらネコが泣いている。

「大丈夫か!?」

浅い息を繰り返し、涙を流すネコを抱え上げてベッドに運び、力を抜く様に諭して鼻を摘まんで口から息を送り込んでやる。

「どこか痺れてるか?」

フルフルと首を振ったネコの額に手を当てて、隣に寝てもいいかと聞くと、コクンと頷いた。

隣に横たわり腕枕をしてやると、いつもの様に懐に潜り込んで来る。

「…話せるか?」

「…ウン。」

「怖かったか?」

ネコはしばらく考えてコクンと頷いて言った。

「…怖くて…胸が痛くて……悲しかった。」

「悲しい?」

「…ウン。」

「何故?」

「…わかんない。」

そう言ってネコは俺の背中に手を回し、胸に顔を擦り寄せて泣き始めた。

そっと背中を撫でてやると、やがてそのまま寝息を立てる。

欲しがっているのは…貪欲なのはネコでは無い…この状況を変えたい、進展させたいと考えているのは、自分なのだ。

ネコは…このままで満足しているというのに…。

怖い思いをさせたにも係わらず、嫌われてはいない様だが…悲しかったとはどういう事か?

何か、悲しませる様な事を言っただろうか?



夕食後に、部屋の露天風呂では無く、わざわざ本館の露天風呂に行ったネコが戻っ来た時、部屋には1人の来客があった。

「帰って来た、帰って来た!」

と喜ぶと、入口で立ち竦むネコを肩に担ぎ膳の前に座ると、そのままネコを自分の胡座の中に座らせた。

「止めろって、兄貴!怯えてるだろうが!?」

怯えて半泣きで逃げようともがくネコを、後ろから抱き締めると、

「やっぱり仔猫ちゃん、抱き心地いいな…。」

そう言って顎を捉えると、顔を引き上げた。

「温泉旅行はどうだ、仔猫ちゃん?」

怯えるネコは、唸り声を上げて兄貴を睨み付ける。

「お礼を貰わなきゃなぁ?」

「兄貴、何を…。」

嫌な予感がして兄貴の隣に歩を進めた時、低い声で兄貴がネコに尋ねた。

「…名前を教えろ、仔猫ちゃん。」

青くなって怯えるネコは、顎を捉えた兄貴の手を引き剥がすと、滅茶苦茶に暴れ出す。

その耳許に顔を近付け、兄貴は静かに言った。

「お前の名前…オトベナオ…っていうのか?」

ビクッと痙攣したネコはガクガクと震え出し、短い息を吐きながら空気を求めて喘ぎ出す。

「ネコっ!?」

兄貴の腕から奪い返し、抱き上げてベッドに運んでやると、腕の中に潜り込んで声を上げて泣き出した。

「心配するな、ネコ…俺が守ってやると言ったろう?」

パニックを起こしたネコは、唸り声を上げては泣き続け、とうとう最後は意識を飛ばした。

「…寝たか?」

「あぁ…どうやって身元を調べた?」

「あの目だ…どこかで見た記憶があってな…昔の写真を引っ張り出して探し出した。」

そう言って、兄貴は懐から一枚の写真を出した。

そこには、どこかのパーティー会場で撮られた女性の姿が写っている…振り袖姿の瓜実顔の美人。

20歳位だろうか…全体的に大人しい和風美人なのだが、目だけは黒目がちのアーモンド型の勝ち気な瞳…。

「誰だ?」

「恐らく、あの子の母親だ。名前を…榊沙夜と言う。」

「榊…って、あの榊組か!?」

「そうだ。沙夜は、榊の娘で…22年前に駆け落ちした。相手は当時榊組の顧問弁護士をしていた、音戸という若いが遣り手の男だった。」

「詳しいな。」

「当時、ちょっと関係があってな…沙夜は、もしかしたら俺の嫁に来ていたかもしれない女だったんだ。」

「どういう事だ?」

「榊組は特殊な理由で、どこの会にも所属していない単体の組だ。元々は神官の家系らしくてな、それが生き残る為に数代前の当主が組を起こした。」

「神官が、ヤクザに?」

「榊は…榊の女は、特別な力があるとされて来た。昔の神託みたいな物が出来るってな…それが時代が変わると、榊の女と交わると…運気が上がるって話になって行った。」

「何だょ、それ!?」

「実際、色々実績が有ったから噂が広まったんだろうが、組を立ち上げる前から、榊の女は特殊な育て方をされて来たらしい。」

「育て方?」

「生まれた時から、逃げ出さない様に座敷牢で育てるんだ。俺も沙夜と最初に会ったのは、座敷牢の牢越しだった。」

「!?」

「その写真は、俺との婚約を祝うパーティーで撮った…恐らく、初めて外に出た時の写真だな。」

「破棄したのか?」

「というか、された側だ。この直後、沙夜は弁護士と逃げ出した。」

「よく抗争にならなかったな?」

「…知ってたからな…このパーティーで沙夜に言われた。自分の事を抱いてもいいと…その代わり、嫁には行けないとな。あの目で言われた…。」

「惚れてたのか?」

「どうかな…印象的ではあったが…。」

「それで?」

「榊とは、島を半分佐久間に貰い受ける事で手打ちをした。元々は、榊が組を存続する為に希望した縁組みだった。佐久間の後ろ楯が欲しい為のな。その後榊の跡取りの長男が病死して、今又先代が組を仕切っている。」

「…。」

「2年程前、沙夜が実家に戻った…未亡人としてな。その頃、今は結構有名になった代議士先生の、妙な噂が流れた。」

「どんな噂だ?」

「自分が代議士になれたのは、榊の女の力があったからだというんだ。」

「!?」

「事の真意はわからない…だが、噂を真に受けた連中も大勢居る。勿論榊は、沙夜が出て行ってからずっと行方を探し続けていた。」

「…。」

「沙夜が娘を産んだらしい事は、部外者の俺の耳にも届いてる。だが2年前に実家に戻ったのは、沙夜1人だ…これは間違い無い。…健司、仔猫ちゃんとどういう経緯で出会った?」

「…ネコは…俺が新宿の公園で拾った。」

「拾った?」

「ネコは、路上生活をしていた。新宿署の少年係の…京子の所の常連で、その縁もあって引き取った。」

「お前の、女なんだな?」

「いや…まだ、そんな関係じゃ無い…。だが、大切な女だ。」

「…ふん。」

兄貴は俺を見詰めて、鼻を鳴らした。

「まぁ…厄介な拾い物をしたもんだが…拾っちまった猫は、野良にはさせれないからな。」

「…兄貴。」

「だが、知らなかったとはいえ、榊の承諾無くあの子を佐久間の身内が囲ってるんだ…これは事だぞ?」



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