対峙する
翌日から、ネコは昏々と眠り続けた。
熱が高い訳でも、『気』が足りていない訳でも無い様だが、起きていても躰に力が入らないらしい。
七海に診察を受けても、特に問題は無いという事だった。
「内科的な疾患では無く、精神的な疾患なんじゃないかな?武蔵先生に、相談した方がいいかもしれないね。」
「本人が嫌がりまして…。」
「そっか…直ぐにどうこうなる様な状態では無いけど…うん、少し様子を見るのもいいかもね。」
12月に入り誕生日が来ても、ネコの状況は変わらない。
穏やかな顔をして寝入るネコの髪を撫で、その唇にそっと口付けると、ゆっくりと瞼を開けた。
「…おはよう、お姫様。」
「…おはよ…どうしたの、柴さん?」
照れた様に顔を赤らめるネコに、尚も口付けながら俺は言った。
「今日は、姫の誕生日だからな…やっと一緒に誕生日を祝える。」
「…あぁ…そうだね…でも、いいよ…別に。誕生日なんて祝って貰った事無いし…。」
「…無いのか?一度も?」
ネコは、天井を見上げて記憶を辿っている。
「ん…無いんじゃないかなぁ…子供の頃は、お父さんが『おめでとう』って言ってくれて…プリン買って来てくれたよ!あれは嬉しかったなぁ…。」
「ナオ…体調は?良ければ食事に行かないか?」
「ごめん、柴さん…まだ出れそうに無いし、それに今日は平日だよ?仕事でしょ?」
「有給貯まってるんだ…。」
「仕事して下さい!私、出れそうに無いし。」
アハハとネコは、久し振りに笑い声を上げた。
「何か、食べたい物有るか?帰りに買って来てやる。」
「じゃあねぇ〜、プリン食べたい!」
嬉しそうにねだるネコの頭を撫でてやり、俺はポケットから小さな機械を取り出した。
「…プレゼントだ。」
「なぁに?」
イヤホンを片耳だけ填めてやりボタンを押すと、サワサワという音が流れる。
「音楽プレイヤー…どんな曲が好きなのかわからなかったからな。武蔵先生の所で使ってる風の音のCDを教えて貰って、ダウンロードしたんだ。」
ネコは瞳を潤ませて、両手で俺の首に抱き付いた。
「…嬉しい…ありがとう、柴さん!!」
それからは、昼間ずっとプレイヤーで風の音を聞いていたらしい。
ようやく体調が戻り、ビル内にあるイタリアンレストランへ繰越していた誕生日ディナーに連れて行くと、ネコは喜んではしゃいだ。
「結局、体調が悪かった原因って、何だったんだろうな?」
テーブルに置かれたパスタを取り分けてやりながら尋ねると、ネコは曖昧な笑みを溢した。
「多分だけどさ…『気』が乱れてたんだと思うよ?人のは直ぐにわかるけど、自分のはさ…てんでわかんないんだもん。嫌になっちゃうよねぇ?」
ネコは、皿に盛られたサラダを食べながら、コレも美味しいと言って喜ぶ。
「あの時、沙夜さんに施術したからか?」
「バレてた?そうかな…多分、違うと思うよ?」
「もう、本当に大丈夫なんだな!?」
「本当に心配性なんだから、柴さんは…。」
ウフフと笑いながら、ジュースの入ったグラスを口に付けるネコを見てドキリとする。
相変わらず小柄だが、時折見せる表情が随分と大人びて来た…そういえば体型も少し女らしくなって来たか?
だが、普段はまるっきり幼い中学生のままなのだ…相変わらずアンバランスな奴め!
そういえばあの日、時が満ちたと感じた…ネコも受け入れてくれたと思ったのだが…。
「…柴さん?聞いてる?」
「ん?ごめん、何だ?」
「…私、そろそろ外に出掛けてもいい?」
「一人でか?」
「そう。昼間、スーパーに買い物に行ったり、公園行ったり…図書館も行ってみたい。」
「…まだ、バイトするつもりなのか?」
「何れはね…まだ駄目?監禁続行する?それならそれで、構わないけど…。」
「いや…外出は構わない。だが、バイトにはまだ早い。もっとちゃんと体調が戻ってから、俺も納得する所でじゃ無いと駄目だ。」
「…相変わらず過保護だね、柴さん。私もう、18になったんだよ?」
「お前は、直ぐに無茶をし出すから…以前の様に、事務所で働くならいいが…。」
「柴さんの所じゃ、給料出ないじゃん!?」
「なぁ…俺が連城さんに一旦支払って、お前は俺に支払って行くってのじゃ駄目なのか?」
「嫌だよ…なぁなぁにするつもりなの、見え見えだし。」
「頑固者!」
「お互い様でしょ?はい、アーン…。」
ネコは自分の口をポッカリと開けたまま、俺に長いグリッシーニを差し出す……全く…自覚の無い色気を垂れ流しやがって…。
ガブリとかぶり付き、ガリガリと噛み砕きながら俺は言った。
「バイトの件はお預けだ!その前に、お前の情報を認証システムに登録しなきゃならない。」
少し眉を寄せる俺の顔を見て、カリカリと半分になったグリッシーニをがじっていたネコは、不思議そうに尋ねる。
「何か…あったんでしょ?」
「少しな…大丈夫、俺も一緒に行くから。」
翌日、俺とネコは連城の個人事務所の所長室に座っていた。
認証システムの登録が済むと、連城は俺では無くネコに笑いながら話し掛けた。
「もう体調は良いのか?」
「はい…もう平気…です。」
「緊張しなくてもいい。佐伯に話す様に、普通に喋っていいから。」
「…わかった。」
「相続の件、そろそろタイムリミットなんだが…本当に、絵も放棄していいのか?」
「構わないよ。払えないって、この前も話したでしょ?」
「…乃良、俺と取引きしないか?」
連城がニヤリと笑いながら、俺を横目で窺った。
「何を?」
「ん…その前に、説明して欲しい事が有る。」
「説明?何の?」
「椿の事だ。お前、この間ウチに来た時、椿の事を死んでしまうと言ったろ?」
「…連城さん、怒ってるの?」
「いや…どういう事なのか、説明して欲しいだけだ。」
連城の厳しい表情に怯えたのか、ネコは隣に座る俺のスーツの上着を握り締めた。
俺はその手を自分の膝に乗せて握り込み、大丈夫だとネコに頷いて見せた。
「『気』がね…物凄く薄くて、びっくりしたの。だから、私のを分けて上げたんだよ。」
「…薄いと…駄目なのか?」
「躰、弱く無い?疲れやすいとか…気力が出ないとか…。病院に行っても治らないと思うよ?」
「治るのかっ!?どうすればいいっ!?」
「クローネ、落ち着いて下さい!!」
物凄い形相と勢いに、俺の方が慌てて止めに入る…だが、ネコは黙って連城を見据えて言った。
「治るか、治らないか…ちゃんと診てないし…やってみないと、わかんないよ。」
「治せるのか!?」
「ナオっ!?」
「わかんない…多分『気』を補充して、流れを正常にしてやれば大丈夫だと思うよ?後ねぇ…此所に住むのは、ちょっとね…。」
「この場所に、何か問題が有るのか?」
「場所…ん〜、場所はいいんだよねぇ。たださぁ…高過ぎるんだよ。」
「高さに…問題が有るのか!?」
「高過ぎて、地の『気』がね…上がって来れないんだと思うよ?お姉さん、何年此所に住んでるの?」
「1年半程になる…。」
「ふぅん…それ迄は?」
「芝浦に住んでいた。」
「芝浦?」
「芝浦埠頭だ。」
後ろに控えていた山崎が、スッと東京都の地図を差し出した。
連城が芝浦周辺のページを出して指差すと、ネコは俺に視線を向けて尋ねる。
「此所って、昔から有る所?」
「埠頭だからな…港はあったかもしれないが…。」
「地面は?」
「え?地面?」
「それは…埋め立て地かという事でしょうか?そういう事なら、答えはノーですが。」
「そう…なんだ。ちゃんと、地面の上に住んだ方がいいよ…あのお姉さん。」
「だが、俺は長年此所に住んでいるが、何とも無いぞ?」
「そりゃあ…連城さんは…。」
そう言って、急にネコはゲラゲラと笑い出した。
「柴さんもさぁ、駄々漏れしてるけど…連城さんは、噴火してるもん!」
「何の話だ?」
連城がいぶかしむのを、俺は補足して説明する。
「『気』が…溢れていると言っています。」
「金色でねぇ、凄く濃くて…ハチミツみたい。飛び散ってるよ、ほら…。」
そう言ってネコは指で掬う仕草をすると、ペロリと舐めて甘いと笑った。
「だから、不思議なんだよね…連城さんこんなに濃くて噴火してるのに、何でお姉さんあんなに薄いんだろ?仲いいんだよねぇ?」
「…それはもう。」
連城の背後から、山崎が答える。
「やっぱり、診てみないとわかんない。本当は、連城さんの『気』を分けて上げるのが一番いいんだよ…好きな人のが、一番元気になると思うよ?」
「椿を…治してやってくれないか?」
「…お断りします、クローネ!!佐伯さんから、お聞きになっていらっしるでしょう!?」
「柴…お前が乃良を大事に思う様に、俺にとっても椿は掛け替えの無い存在だ。だから…取引きしようと言っている。」
「クローネ!?」
「乃良…西嶋画伯の絵…相続税は、全て俺が持っていい。何なら、あの別荘も手に入れてやる。だから…椿を…治してやってくれないか?頼む…この通りだ。」
床に跪く連城を、ネコは醒めた瞳で見詰め、硬い表情を見せた。
「…私…要らないって言わなかったっけ?絵も放棄するって…況してや別荘なんて、端から相続する事なんて考えて無いしっ!!」
「…ナオ?」
「金持ちって、だから嫌いっ!!何でもお金積めば、思い通りになると思ってっ!!連城さんも、あの男達と一緒じゃん!?自分の欲望の為にお金積んで…『榊の女』を買いに来た奴等と一緒だ!!」
「落ち着け、ナオ!」
俺はネコを抱き込むと、興奮して泣きじゃくる小さな躰をそっと撫で続け、大丈夫だと諭した。
「クローネ…俺だって…貴方に金を借りて、絵を手に入れる事も考えた。だけどナオが止めたんです!貴方と仕事がしづらくなると考えて、ナオは…俺と貴方が対等で居られる様に…。」
「…済まない…だが、どんなに罵られ様が、蔑まされ様が…俺は椿を治してやりたい!その方法が有るなら…どんな汚い事だろうがやって退けるだろう…。」
啜り上げながら俺の胸に縋り付いていたネコは、視線だけを連城に投げ掛けて言った。
「…なら、何で取引きなんて言うの?何で、命をお金で買うみたいな事言うのよ?」
「それは…。」
「私…お医者さんじゃ無いし…治せるかどうかも、わかんない…。」
「それでも…可能性が有るなら、どんな事でも試したい!!」
「なら…頼めばいいじゃん。」
「え?」
「一言、診てやって欲しいって…言えばいいじゃん!?」
「ナオっ!?それは…。」
俺は慌ててネコを連城から隠す様に抱き込もうとしたが、ネコはその腕を解いて涙を拭い、居住まいを正して連城と対峙した。
「知り合い…って言うより、友達としてなら…私は連城さんのお願い、聞いて上げてもいいよ?」
「本当かっ!?」
「但し…私一人では無理。」
「どういう事だ?」
「私一人の力じゃ無理なんだよ…柴さんの協力が無いと…無理だと思う。私の『気』が持たないから。」
連城は、ネコから俺に視線を移し懇願した。
「頼む、柴…椿を…救ってやってくれ!その為なら…。」
「嫌だよ、連城さん!」
ネコは、再びピシャリと連城の言葉を遮った。
「私…柴さんの『気』を、売る様な事したくない!!お金に代えられる物なんかじゃ無い!!」
「そうだったな…。改めて、柴。頼めないだろうか?」
「…ナオ…大丈夫なのか?」
「治せるか?やってみないと…。」
「違うっ!!お前自身の事だ!!この前みたいに…人の役に立てるなら死んでもいいなんて…考えてるんじゃねぇだろうな!?」
連城がギョッとした顔で俺達を見詰める中、ネコはフワリと俺に笑顔を見せた。
「柴さん…。」
「許さねぇからな…そんな事考えてるんなら…。」
「違うよ、柴さん。大丈夫…。大事な人の為に…出来る事をやりたいだけだよ。でも、柴さんの力に頼らなきゃ、私何も出来ないからさぁ…柴さんが駄目だって言うなら、止めるよ?」
「……お前は…ズルいな?」
「何で?」
「俺が…お前に惚れてて…断れない事、わかってるだろうが?」
「そんな事無いよ…柴さん、頑固だもん!!」
アハハと笑うネコに根負けし、俺は連城に向き合った。
「承知致しました。但し、ナオの躰を優先させて頂きます。宜しいですね?」
「承知した…宜しくお願いします。」
連城は俺達に深々と頭を垂れ…ネコはニッコリと俺に笑い掛けた。




