与える
最近見る夢は、いつも同じ…ドラマの様に続きを見るのが、何となく楽しみになりつつある。
出てくるのは白い獣の俺と、ネコと思われる小さな少女だけだ。
俺は少女に『ナギ』という名を与え、山の上にある住処に連れて行った。
共に生活を始めて気付いた…人間とは存外に手間が掛かる。
水や食料を与えないと倒れてしまうし、濡れたまま放置すると病気になる。
普段はよく喋り、俺にまとわり着いているナギは、具合が悪くなると途端に静かになり、住処の隅で横になったまま動かなくなる。
「お前は何故、助けを求める事をせぬのだ、ナギ?」
「…主様に助けて欲しいと願う人は、沢山居る故…。」
「お前は、厄介な童よのぅ…。」
病魔を食らい、気を満たしてやりながら俺が呟くと、ナギは済まぬと言って笑った。
この少女は、よく笑う…その笑顔を、喜ぶ顔を見たさに、俺はナギの世話を焼く。
「ほれ、こっちに来て休め…そんな所で寝て居ると、又病魔に巣食われる。」
己の躰に添わせる様にナギを寝かせ、大きな尾を被せてやると、ナギは暖かいと笑って穏やかな顔をして寝入る。
時には川に、花園に…ナギを背に乗せて山を飛び越えると、歓声を上げて喜んだ。
「村で、いつも主様が空を駆けているのを見ていた。」
「いつも?」
「空ばかり見上げておった故…だから主様がこんなに大きな方だとは、思うても見なかった。」
そう言ってナギは笑った。
この穏やかな日々が続くといい…俺とナギと、永遠に…。
「やっぱり、アンタ馬鹿でしょ!?」
「何だと?」
「乙女の気持ちを、何も理解して無いって言ってんのよ、朴念仁!!」
仕事の合間に久々に顔を合わせた京子が、ネコの様子を報告した途端に呆れて大声を上げた。
苦虫を噛み潰した様な顔をする俺に、京子は盛大な溜め息を吐く。
「で、どうなのよネコちゃんの様子は?」
「少し…鬱いでる。」
「まぁね、親とも会えない、外に出る事も怯える、頼みのアンタと喧嘩したとあっちゃあねぇ?」
「喧嘩に等、なって無い。」
「でも、大嫌いって言われたんでしょ?」
「そりゃ…まぁ…。」
「気に病んでるじゃ無いの?初めてでしょ、柴に感情ぶつけたの。」
「そうだったかな。」
「とりあえず、これ…頼まれてたネコちゃんの洋服や、必要な物一式ね。」
ガサガサと大量の袋に入った荷物を俺に押しやると、京子は心配そうに尋ねた。
「一緒に暮らす事には、O.K.した訳?」
「…迷ってる風ではあるな。」
「何よ、それ…。」
「だが実際問題、あの状態で一人暮らし等出来ないだろうが?」
「まぁ…そうかもしれないけど。気持ち、納得させてからの方がいいんじゃないの?」
「なら、一先ず俺の家で落ち着いてから、考えればいい。」
そうじゃ無くてと、京子が俺を覗き込む。
「大丈夫なの?そんな状態で、あそこに引き取って?」
「どういう意味だ?」
「だって…下界から隔離されるのよ?柴が仕事してる間は、1人ぼっちでしょうよ?」
「大袈裟だな。」
「やっぱり、わかっちゃいないわ…。」
京子は、呆れて頭を振った。
仕事を終えて病院に向かうと、ネコは病室のテラスに出てぼんやりと月を見上げていた。
「どうした、そんな格好で?風邪を引くぞ?」
「…柴さん、仕事終わったの?」
「あぁ…こんなに冷えて…。」
「平気だよ、この位。」
何となく覇気の無いネコに、自分の上着を脱いで着せると、暖かいと言って薄く笑う。
「何考えてる?」
「別に、何も考えてないよ?」
「嘘付くな…話せよ、なぁ。」
「本当だって…月が綺麗だなって、見てただけだよ。」
疑い深いなぁと言って笑うネコに、何となく釈然としないものを感じながら、俺はネコの肩を抱いて室内に誘った。
「ナースステーションで、言われたぞ。お前、食事殆ど取って無いのか?」
「食欲無かっただけだよ。」
「お前、一体…。」
「柴さん、どうしたの?」
「え?」
ネコは俺を見上げると、少し眉を寄せて尋ねた。
「何かあった?誰かに、何か言われたの?」
「…何故?」
「仕事忙しいの?疲れてる?どこか辛い所有るの?」
「ちょっと待て、どういう事だ?」
「だって…柴さん、少し変だよ…。」
「俺が!?」
「そう…。」
変なのは、俺じゃ無い…ネコの方だ!
何か心に抱え込んだまま、口を閉ざしているのはネコじゃないか!!
「ナオ…まだ、俺の家で暮らすのを渋ってるのか?」
又その話しかと言う様に、ネコは少し剥れた顔をして俺を睨んだ。
「嫌だなんて言ってないもん…ただ、鉄さんの話聞いて、そんな上等な所って住み慣れないから…だから、本当に行かなきゃ駄目って聞いただけだよ。何怒ってるの、柴さん?行くって事になったんでしょ?いいじゃん、それで!!」
「ナオっ!?」
「…行かないって言ったら怒る癖に…何で行くって言っても怒るの?私…どうすればいいのよ…。」
そう言って激しく泣き出したネコを、俺はやんわりと抱き込んだ。
「怒ってる訳じゃ無い。俺は、お前が本当はどうしたいのか知りたいだけだ。住む場所にしたって、あそこが嫌なら他を探したっていい…だが、お前が自分の目で見ない内に嫌がるから…。」
「嫌じゃ無い…柴さんと一緒なら、どこでもいいもん…。」
「最近は、お前を泣かせてばかりだ…折角一緒に住めるのに…。」
何かが違う、何かがおかしい…狂った歯車は、直らないのか…?
元麻布のビルの地下2階にある駐車場に車を停めエントランスに入った途端、その物々しい警備とセキュリティーにネコは怯えた。
無理は無い…此処のセキュリティーは、警視庁を上回る。
連城の弁護士事務所には、政財界の名だたる面々が依頼に来る…特に連城個人への依頼は極秘である事が多いと言うのだから、この警備とセキュリティーは必要だと言う事だろう。
「大丈夫だから…。」
怯えた表情を見せるネコの背中に手を添えてエレベーターの指紋認証を行うと、目を見開いてじっと窺う。
エレベーターに乗り込み、コンソールパネル掌を翳し29階のボタンを押す。
「…何なの…此処…。」
「お前の弁護を引き受けてくれた、連城さんのビルだ。事務所や会社や飲食店なんかが沢山入ってる。俺の事務所も、このビルに入ってるんだが…。」
「此処で仕事してるの?」
「そうだ。仕事場も住居も、このビルに有る。連城さんの家も、このビルに有るからな…弁護士事務所には、偉いさんも沢山来るから、それで警備もセキュリティーも凄いんだ。」
「…何か、怖いね。」
「大丈夫だ。お前の事も守ってくれる。」
「何から?もう、誰も追って来ないんでしょ?」
「そうだな…だが、此処だと不審者も入って来れない。安心だろ?」
29階に到着し廊下を進むと、幾つものドアが並ぶ…その中の一室のドアの前に立ち、ネコに鍵を渡した。
「此処が、俺達の家だ。」
ネコは渡された鍵でドアを開けると、お邪魔しますと中に入った。
2LDKにしてはゆったりとした間取の部屋を珍しげに見て回るネコは、リビングに広がる眼下の景色に驚きの声を上げた。
「…高いねぇ。」
「高い所、好きなんだろ?」
「え?」
「ラピュタ書房の社長に会った。お前が、高い所が好きだと言っていたぞ?」
「ちょっと…高過ぎて怖いよ。こんなに高い所、初めてだもん。」
「東京タワーや都庁は?登った事無いか?」
「無いよ…。」
「昼間よりも、夜が綺麗だ。光の絨毯みたいだぞ。」
「へぇ…窓は…開かないんだ。」
「そうだな…風が強いからだろう?落ち着いたら、上に挨拶に行こう。」
「上?どこ?」
「連城さんの自宅だ。奥方も居る…西嶋画伯の件では、奥方にも世話になった。ちゃんと挨拶するんだぞ?」
「わかった。」
ネコは緊張しながらも、小さく笑った。
「いらっしゃいませ。」
迎え入れた縁無し眼鏡の固い表情の男に、ネコは緊張の色を濃くする。
「ナオ…連城さんの秘書の山崎さんだ。」
「…初めまして。」
「中で、クローネがお待ちかねです。」
「クローネ?」
「側近の人達は、連城さんの事をそう呼ぶんだ。」
「柴さんも?」
少し笑って頷くと、ネコは目を丸くした。
「遅くなりました。」
「あぁ…待ってたぞ。いらっしゃい、躰はどうだ?」
「ありがとうございます。」
ネコは連城に向かって深々と頭を下げ、隣に立ち上がった美しい女性に驚いて少し震えた。
「初めまして…音戸乃良です。この度は色々とお世話になり、ありがとうございました…。」
「いえ、此方こそ。退院した所なのに、躰は辛く無い?大丈夫?」
「はい…ありがとうございます。」
語尾が震えるのを気にしつつ、ネコは左側の髪をしきりに触って傷を隠そうとしていた。
俺達の話している横で、所在無さげに俯き目を泳がせるネコを見て、連城は眉を寄せ俺に囁く。
「対人恐怖症は、治って無い様だな。」
「申し訳ありません…今日は外に出て、知らない人間と顔を合わす事が多かったので、些か緊張が強くて…。」
「無理させるな、抱き込んでやればいい。」
手を差し伸べると、ネコは嫌だと被りを振り、小刻みに震えながら膝の上の手を握り締めた。
「西嶋画伯からの相続の件だが…。」
「その事は…もういいです。…何も…要らない。」
「放棄するのか、全て?絵は?」
「絵も…もういいです。私、相続税なんて払えないし。」
ネコを見詰めていた連城は、視線を俺に移して少し眉を寄せた。
「連城さん…手続きのお金と、連城さんに払うお金……柴さんじゃ無くて、ちゃんと私に請求して下さい。」
「え?」
「だから、ナオ!それは…。」
「嫌だって言った!病院のお金も…ちゃんと払う!連城さんへの支払いも…一気には払えないけど、少しずつちゃんと払います。それでいいですか?」
「…柴、ちょっといいか?」
連城は席を立ち、俺と共に書斎に入った。
「どういう事だ?上手く行ってないのか?」
「申し訳ありません。色々抱え込んで、少し意固地になってます。」
「絵は、いいのか?あんなに頑なに嫌がってたんじゃ無いのか?」
「母親に、相続するには金が掛かると聞いたそうで…諦める様に諭された様です。」
「それで…しかし本心は?まるで、以前の椿みたいな顔をしている…心が壊れそうな。お前も…。」
その時、リビングからガシャンと何かが砕ける音がして、俺達は慌てて戻る。
「大丈夫よ、平気だから…。」
「…ごめんなさい…ごめんなさい…。」
床に砕け散った珈琲カップの欠片を拾い集めるネコと、それを押し留める椿が、共に床に座り込んでいた。
「どうした?」
「乃良さんが、カップを落とされただけです。大事ありません。それより、乃良さんの指が切れています。」
「あら、大変!」
山崎が床に散らばった欠片を掃除し、椿はネコをソファーに座らせ傷の手当てを始めた。
傷を消毒する為に椿に手を取られたネコは、ギョッとした顔を椿に向けると、泣き出しそうな声を上げる。
「…何で…どうして?」
「何?どうかしたの?」
「…貴女みたいに綺麗で…幸せな、恵まれてる生活してる人が…どうして、そんなに薄いの?」
「何の事?」
椿は訳がわからず、ネコの顔を見詰めている。
「連城さんの奥さんなんでしょ?連城さんは、あんなに濃いのに…そんな薄い『気』だと、死んじゃうよ?」
「何だとっ!?」
「…止めろ、ナオ!?」
連城が叫ぶ横で、俺が叫んで止めるのも聞かずに、ネコは椿に抱き付いた。
「…大丈夫、私が分けて上げる…。」
「…あぁ…。」
恍惚とした表情を浮かべる椿の背後から、連城が彼女を抱き込んだ。
「椿っ!?大丈夫か!?」
「…平気ょ、ジン…何か…暖かい物が流れこんで…。」
「ナオ、止めろ!!離れろ!!」
「どういう事だ、柴!?」
「ナオが、椿さんに『気』を送り込んで…このままでは、ナオの命に関わります!!」
思い切りネコの躰を引き剥がした時には、既にネコは喘ぐ様な息遣いでグッタリしていた。
「馬鹿野郎!!無茶な事しやがって!?」
驚く面々の前で、俺はネコに口付けて『気』を送り込む。
山崎に呼び出された七海が、俺に抱かれたネコの脈を取る。
「弱いな…救急車の手配は?」
「必要ありません。今ナオに必要なのは、俺の『気』を注ぎ込む事です!!」
俺はネコを抱き上げ、自分達の家に戻った。