手術する
久々に夢を見た…夢の中で、何故か俺は大きな白い獣で…ある日、人間から供物と共に、貢物として1人の少女を献上された。
白い着物を着せられ祭壇に座らされた少女は、俺の姿を見上げると驚いた様に目を丸くした。
今迄献上されて来た女達は、ここで皆泣き叫び逃げ惑う…だから鬱陶しくて皆食ってやった。
だが少女は違った…『大きい』と言って笑ったのだ。
変な奴だと思ったが、泣き叫ばなかった褒美に、その場に捨て置いた。
しかし2日経っても3日経っても、少女は祭壇の上に座り続けている。
5日目、気になって仕方がない俺は、とうとう堪らずに声を掛けた。
「何をしている?」
「主様を待ってた。」
「何故?」
「主様の所に行けと言われた。」
「何故逃げぬ?折角捨て置いてやったものを…。」
「逃げる場所も、帰る場所も無い。」
「変わった奴め…名は?」
「無い。」
「何だと?」
「私は捨て子故、名を付けてくれる親も無い。籠に乗せられ川に流されたのを拾われた故、村人は皆好きな様に私を呼ぶ。」
ハァと溜め息を吐き、その小さな少女を見下ろした。
ぞんざいな口をきくが、真っ直ぐに俺を見詰める目が気に入った。
「儂と共に来るか?」
「どこに?」
「山の上じゃ。」
「主様の家か?」
「家…とは呼べぬが、住処じゃな。」
「行く!」
そう言って、少女は嬉しそうに笑った。
「それでは、お前に名を付けてやろう。お前の名は…。」
ブラインド越しに射し込む朝の光が、柔らかに病室を照らす。
俺は、腕の中で息衝くネコのしなやかな躰を、今一度抱き込んだ。
どれだけこの時を待ち焦がれただろう…この躰を腕に取り戻す為に、この2年近く悶々とした日を送り続けて来たのだ。
なのに、この小悪魔ときたら…。
昨夜も、あのまま俺の首に腕を回し、艶かしい声を上げ続けて果ててしまった。
その色香たるや…絶対に誰にも見せたく無い。
思い切りこちらを欲情させておいて、満たされてさっさと幸せそうな寝息を立てる。
ネコがキスをしたり、愛撫を施すと眠くなるのは、多分『気』が満たされるからだろう…とすると、これからの生活に支障は無いのか!?
それとも、自覚の問題なのだろうか?
一人前の気配りを見せ、震い付きたくなる様な色香を漂わせる癖に天然で、考えたり行動したりする時には、中学生並みだったりするこのアンバランスな少女に…首ったけなのだからしょうがない。
頬に走る傷痕をネロリと舐めると、夢の中の獣になった様な心地がした。
あの少女はネコだ…あの後、少女と獣はどうなったのだろう?
舌で辿る肌の感覚が心地好い…何となく甘く感じるのは気のせいか?
そういえば、度々結婚を申込んでいるが…昨夜も答えてはくれなかった。
焦り過ぎなのは重々承知しているが、ネコが16歳の時からプロポーズしているのだ。
嬉しいと言いながら引き延ばされ、自殺を考えて断られ、今又受け入れて貰えた気がする…だが、例え断られ様と、今度こそ離す気は無いのだ。
あの楼閣の様なビルは、指紋認証と掌型、静脈認証が無ければ入り込めないし、出る事も不可能だ。
いざとなったら、あのビルの自室に閉じ込めて…。
「…柴さん…くすぐったいよ。」
腕の中で、ネコが肩を竦めてむずがる。
「何してるの?」
「…舐めてた。」
「何で?」
「甘い様な気がして…。」
「変なの…夢の続きだと思ったよ。」
「夢の?」
「…大きな白い…神様に舐めて貰ってる夢…。いつもの夢だよ…。」
「神様?獣か?」
「知ってるの?…あの昔話…悲しいから、あんまり好きじゃ無い。」
「どんな話だ?」
「好きじゃ無いの…馬鹿な女の子の話。ところでさ…此処、どこ?病院…だよね?」
「覚えて無いのか!?」
「何か…ぼんやりして…屋上から、武蔵先生の所に行ったよね?」
「そこから先は?」
「ん…あんまり…でも、駄々漏れしてる柴さんが、山の神様に見えた…だから、あの夢見たんだよ…きっと。」
そう言って、ネコは笑った。
「駄々漏れって、お前…。」
「今も、漏れてるよ…凄いねぇ…。」
そう言いながら、いきなり俺の顎をペロリと舐めると舌舐めずりをする。
全く、コイツは…。
「お前…今の状況、わかっちゃいねぇだろ?」
「何が?」
「俺とお前は、今どういう状況に居る?」
「え?」
「マッパで誘うなっつったろうが!?」
ギョッとして口をへの字に曲げて俺を睨んだネコは、次の瞬間ニヤッと笑い、自分だって舐めてた癖にと俺の胸に抱き付いた。
「今だけ…柴さんの胸で寝るの久し振りだし…柴さん、凄くいい匂いするし…。」
「匂い?」
「うん…何か甘い様な匂い…駄々漏れだから?光ってるし…。」
「『気』が、匂ったり光ったりするのか?」
「わかんないけど…多分。」
スリスリと胸に頬を擦り寄せ、見上げたネコの顎を捉えて口付ける。
歯列をなぞり、口腔内に舌を浸入させると、ネコの小さな舌が俺を迎え入れた。
おずおずと絡める毎に、腕に抱く躰がほんわりと熱を持ち力が抜ける。
腰を強く引寄せると、甘い呻きを漏らすネコの頬に手を触れた時、それは突然に起こった。
いきなり顔を離すと躰を硬直させ、目を見開き酷く怯えた表情を見せ…次の瞬間的目を伏せて視線を泳がせた。
「ナオ…。」
「…何でも無い…。」
熱を孕もうとしていた躰は、冷水を被った様に冷たくなり、緊張を解こうとしない。
堪らずに抱き締める俺に向かって、ネコは儚い抵抗を試みる。
「何でも無いったら!」
「ナオ…武蔵先生のカウンセリングを受けよう。」
「必要無い!」
「心が悲鳴上げてる…わからないか?」
「平気だって言った!」
優しく抱き込み、時間を掛けて髪と背中を撫でてやり、緊張を解く。
「武蔵先生の部屋に行ったら、珈琲飲ませてくれるんだろう?」
「…ん。」
「あの黒い椅子で、風の音聞くの好きだろう?」
「…好き。」
「じゃあ、ナオの好きな事だけすればいい…話したく無ければ、話さなくていいんだ。」
「…ん、わかった。」
撫でられて、幾分トロンとしたネコの頬を舐めてやると、ネコは嫌がる素振りも見せず、ゆっくりと目を閉じた。
「手術だけは、受けろよ、ナオ。」
「…手術?左手の?…私、別に…。」
「受けろ…受けてくれ、手術。俺の為に、受けてくれないか?」
「柴さん…又舐めてる。」
「あぁ…舐めるのは、怖くないんだろ?」
「…うん。」
「元々は動物は、舐める事で愛情表現を行って来たからな…人間が撫でるのと、同じ行為だから…。」
「…そっか……そう…だね。」
「ナオ…それより。」
「わかった…受けるよ、手術。」
「やっと同意してくれたんだ、良かったよ。」
朝の回診時にネコの荷物を持って来た武蔵は、引き続きこの部屋を使う様に言った。
何でもネコの使っていた相部屋のベッドは、新たな入院患者で埋まってしまったそうだ。
病院側の都合だから個室料は必要無いと言う武蔵に、ネコは何度も何度も念を押して確認していた。
手術の同意書にサインをさせてナースステーションに提出すると、訪れていた武蔵が笑顔を見せた。
「さっき、音戸沙夜さんの所に行って来たよ。佐久間さん…君のお兄さんにも会った。」
「来てたんですか。」
「そっくりだね…まるで、君達を見てるみたいだったよ。」
「それは…。」
「しばらく、乃良ちゃんに会うのは控えてくれと頼んだら、泣かれてね…佐久間さんが居てくれて助かった。」
「そうですか…。」
「佐久間さんが、全て心得たと…此方から用が有る時には、弟に連絡を入れる旨伝えて欲しいって言われたよ。沙夜さんの事は心配するなって…素敵な人だね。」
「極道ですがね。」
「いや…何か、大人の器の大きさを見せ付けられたっていうか…正直そういう職業の人は、もっと横柄だと思ってたから。沙夜さんに対しても、細やかというか…。」
「昔から艶福家で、女の扱いには慣れてますし…それに、ベタ惚れしてますからね。」
「やっぱり似てる!」
武蔵はゲラゲラと笑い、羨ましいと散々冷やかした。
「乃良ちゃんの担当医は替えたから、安心して手術に臨んで下さいって伝えて上げて。そうだ…事前の検査で撮ったレントゲン見たんだけど、やっぱり何か握ってるね。」
「何でした?」
「わからない…何か細長い様な不規則な形の物だね。検査の度に、綺麗に取り出して欲しいって…自分の手よりも、そっちを優先して欲しい旨要望が出てるんだよ。何だかわかるかい?」
「いえ…。」
3日後、ネコの手術は行われた。
傷付けられた時の再現にならない様な配慮から、特別に全身麻酔で手術は行われた。
手術中、心配して手術室の前で待機していた沙夜は、無事に成功した事に安堵して、呉々も娘を頼むと言い残し佐久間の家に帰って行った。
麻酔が覚めた後病室に戻り、再び寝入ったネコの枕元には、先程形成外科の医師が持参したガーゼにくるまれた物が置いて有る。
「癒着も少なくて、無事に取り出す事が出来ました。少し腐蝕してますが、彼女との約束を果たせて良かった。しかし、何故こんな物を握っていたのでしょうね?」
そう言いながらいぶかしむ医師の後ろで、武蔵が眉を寄せた。
形成外科の医師が退室した後、俺の顔色を窺いながら武蔵はガーゼにくるまれた金属を見詰めて言った。
「乃良ちゃんが拘った心当たり…有るんだね?」
「…これは、ナオの携帯に付けてあった物です。」
「あぁ…金具も無くて、何かと思っていたんだけど…そうか、ストラップだったのか。」
「多分、手を焼かれた時に握っていたのでしょう。」
「携帯を…取られまいとしたんだね。」
「それに…。」
顔を歪める俺に、武蔵が眉を寄せた。
「何だい?」
俺は黙って自分の携帯を見せると、武蔵は合点がいった様に溜め息を吐いた。
「そうか…女の子なんだなぁ。君との絆を、ずっと握り締めてたんだね…。」
病室のドアを閉めると、ネコの腕に手を添えて目覚めるのを待つ。
そっと左手に触れると熱を孕み、頬も幾分赤味が強い…熱が出て来たのだろうか?
少し呻くネコの額に口付けると、俺の名を呼びゆっくりと瞼を開いた。
「大丈夫か?辛く無いか?」
「平気…少し痛いけど…お水飲んでもいいのかな?」
抱き起こしペットボトルを渡してやると、音を立てて一気に飲み干す。
「…さっき、先生が持って来た。」
ガーゼに包まれたままのストラップを渡してやると、ネコは嬉しそうに受け取ってそっと撫でる。
「ずっと…握ってたのか?」
「…うん。携帯は取られちゃったけどね…油垂らされても離さないからって、火付けられちゃった。」
自虐的な笑いを浮かべるネコに、俺は思わず声を荒げた。
「何で!?そんな物の為に!?」
「そんな…物?」
「そうだ!!離しさえすれば、手を…手を焼かれるなんて事は無かったんだぞっ!?」
何も言わずに黙ってストラップを撫でていたネコが、顔を上げずに静かに言った。
「…柴さん、もう帰っていいよ。」
「えっ?」
「帰って…明日も仕事でしょ?忙しいんだから、毎日来なくても大丈夫だし…。」
「ナオ?」
「帰って!!」
ストラップを握り締めるネコが、肩を震わせ大粒の涙を溢す。
慌ててベッドに上がり抱き寄せると、ネコは腕の中で何も言わずに泣きじゃくった。
「悪い…傷付けたか?」
「手術なんて…するんじゃ無かった…。」
「何言ってる!?何だ…何を傷付けた?言ってくれ、ナオ…。」
被りを振り続けるネコに、俺は焦りを覚えて言った。
「なぁ、ナオ…心の中の物、吐いちまえよ…我慢するなって言ったろう?」
しばらくすると、ネコは大声を上げて泣き始めた。
「……宝物だったのに…このストラップがあったから、我慢して来れたのにぃ……柴さんの馬鹿ぁ!!」
ネコはオンオンと泣きながら、俺の胸を叩き続ける。
「悪かった、そんなつもりで言ったんじゃ無いんだ…だかな、ナオ。例えそれがお前の心の支えでも、お前の身を傷付ける物なら、俺は排除しようとするし、疎ましく思ってしまう。それは、仕方無いだろう?」
「…。」
「お前が大事だ、何よりも…物には代わりが利くが、お前の代わりは誰もいないんだ。大事にしろ…身も、心も…。」
涙の跡を舐めてやりながら、俺は黙ってネコを撫で続けた。




