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新宿のネコ  作者: Shellie May
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カウンセリングルームに戻ると、1人で珈琲を飲んでいた武蔵が俺に向かってカップを上げた。

「飲むかい?」

「ナオは?」

武蔵は珈琲を注ぎながら、黙って奥の部屋の椅子を指差した。

「リラクゼーションチェアでね…風の音を聞いている。」

「風の音?」

「人にはね、それぞれ心地好いと思われる音が有るんだよ。心象風景に繋がりがある場合が多いんだけど、乃良ちゃんの場合は風の音…風が葉を揺らす音が、心地好いと感じるみたいだね。」

「路上で生活していた時も、よく木に登っていたそうですから。」

「成る程ね…この間迄、自然の中で生活していたのも有るのかな?…面白い話をしてくれたよ?」

「何ですか?」

「西嶋画伯の目を、治したって…。」

「えっ!?」

「症状を聞いたら、多分白内障だね。画伯は癌で余命1年だと知っていた様で、死ぬ前に思いきり絵が描きたいと願ったらしい。目を治したら、喜んで彼女を描き始めたらしいんだけど、それは乃良ちゃんには有り難迷惑だったみたいだね。」

「…信じますか?」

「僕も一応医者だから…科学的で無いものは信じない積りなんだけどね。」

そう言って、ニヤリと武蔵が笑う。

「彼女が言ったんだ。『武蔵先生は、どこも悪くないから治せない。』って…それで、慢性の肩凝りを治して貰った。」

「…どうでした?」

「連れて帰りたい位だよ。」

アハハと武蔵は笑い、急に真面目な顔になった。

「無闇矢鱈と人に見せてはいけないと、釘を刺して置いたよ。利用されてしまいかねないからね。」

「…施術は、ナオの命を削る事になりかねません。」

「それは…申し訳無かったかな。疲れてそうだったから、あっちに座らせたんだけどね。」

俺は隣室に置いてある、スピーカーの内蔵された細長く黒い繭の様な椅子に近付いた。

膝の上に置かれた右手に触れ、そのヒヤリとした冷たさに驚く。

「…柴さん?」

薄っすらと目を開けるネコの頬をスルリと撫で、そのまま顎の下を撫でると、ネコは俺の手の甲に頬を寄せながら右手を差し出し、顔を近付けた俺の首に腕を回して引寄せた。

「…柴さんだったんだね…。」

スピーカーから流れる風が葉を揺らす音…どこか懐かしいその音と、ネコの心臓の音が重なり心地好い。

ネコの手がスルスルと首から下りると、俺の背中を優しく撫でる。

「…私の…好きだった公園の人。柴さん、気付いてたんでしょ?」

ドキリとした…だがそれ以上に、その何とも言えない心地好い感覚に蕩けそうになりながら、床に膝を付きネコの腰に腕を回しその華奢な躰に縋った。

「…あぁ。」

「やっぱり馬鹿だね、私…何でもっと早くに気付かなかったのかな…こんなに近くに居たのに…。」

それはしょうがないんだ、ネコ…何でも屋を始めてからは、スーツ等着る機会は殆ど無かったのだから。

「…躰…大事にしてね、柴さん。」

「…ん?」

「煙草…程々にして……お酒も…飲み過ぎちゃ…駄目だ…よ…。」

「え!?」

俺の背中を撫でていた手が、ストンと落ちる。

心なしかゆっくりとなったネコの心臓の音に思わず顔を上げると、浅く喘ぐ様な息をする蒼白い顔…。

「…冗談じゃねぇぞ…おいっ!?ナオっ!?」

抱き起こすと、力を無くしグニャリとなった躰が腕に沿う。

「どうかした?」

武蔵が顔を出し、眉を寄せた。

「ベッド…個室無いか、先生!?今すぐ『気』を送り込んでやらないと、コイツ死んじまう!!」

「『気』を送り込むって…どうやって!?」

「房中術って言うらしいが…抱いてやるのが一番らしい。そこまでじゃ無いにしても、抱き締めてやろうにも、今の相部屋じゃ何も出来ねぇ!!」

「房中術って…。」

驚き目を丸くする武蔵の前で、俺はネコを抱き起こすと唇を覆った。

しかしネコは歯を食い縛ったまま、微かに首を振る。

「受け入れろ、ナオ!?俺の『気』じゃ不満だっていうのか!?」

薄く目を開けると、悲し気な眼差しを送るネコに、俺は叫び続けた。

「許さねぇぞ、ナオ!?…俺が…どんだけ待ったか、お前ちっともわかっちゃいねぇだろ!?2人で暮らすんじゃ無かったのか!なあっ、ナオ!?答えろっ!!」

「…ぃ…ば…。」

喘ぐ様な息を吐き、瞳を潤ませたネコが俺を見上げる。

「許さねぇ…お前は俺のモノだ!!金輪際離さねぇからな!?」

無理矢理顎を抉じ開けて舌を浸入させ、どうすれば良いのかもわからぬままに、想いだけを溢れさせ、まるで蹂躙する様な口付けを与えた。

ネコが白い喉を仰け反らせゴクリと嚥下する毎に、その蒼白い顔色に色が差す。

「…部屋の確保が出来た。連れて来れるかい?」

武蔵が背後から、遠慮がちに声を掛けて来た。

ネコを抱き上げて、本館病棟の最上階、一番奥の『Mルーム』とプレートの掛かる部屋に武蔵と共に入る。

「此処は?」

「あぁ、身内がね…入院する時に使う特別室なんだ。個室は一杯だったし…此処ならベッドも大きいし、2台あるしね…。」

まるでホテルのスイートルームの様なその部屋は、以前沙夜が入っていた部屋とは比べ物にならない位に豪華でゆったりとしていた。

「いいんですか、お身内用でしょう?」

少し臆して尋ねると、武蔵は何を今更と言う様にニヤリと笑った。

ネコをベッドに寝かせると、武蔵は様子を窺う様に脈を取った。

「本当に、大丈夫なんだね?」

「その筈です。」

「確かに、さっきよりは安定してるが…様子がおかしくなったら、直ぐにナースコールするんだよ?それと…此処は病院だって事を忘れない様にね。まぁ…外に音が漏れる心配は無いけど…。」

「ありがとうございます。迷惑掛け序でに、ナオの母親に来て貰えないですかね?」

「止めた方がいい…乃良ちゃんの為にね。」

武蔵は眉を寄せるとネコを見下ろし、溜め息を吐いた。

「この子には、親離れが必要だ…普通の親に依存する様な物じゃなくてね。精神的に…独立した人間としての幸せを歩ませないと…自我って物が無いだろ?」

「人の為にばかり動いてます。自分は何をしたらいいかもわからず、悩んでいたらしいんですが…。」

「じっくり考える時間を与えてやればいい。それまでは、君の庇護の下で甘えさせてやればいいんだ。本来は、甘えん坊なんだと思うよ…時々、凄く人恋しい素振りを見せる。我慢してるんだろうねぇ。」

「…そうですね。」

「明日は9時に回診に来るよ。食事は後で差し入れる。一応人払いさせておくから。」

「申し訳ありません。」

「連城夫妻も、以前この部屋に入院してたんだよ…色々あって、今の幸せを手に入れたんだ、あの2人もね。」

そう言って、武蔵はニンマリと笑った。



「…ナオ…。」

覆い被さる様にして何度口付けても、ネコは眉を寄せながら本気で『気』を受け入れ無い。

浅い息を繰返し、グッタリとするネコを目の前に、このまま『気』を送り込むのが良いのか、医療的な施術を行うべきなのか判断に迷う。

しかし、もし医療的な施術を選べば、俺が直接『気』を注ぎ込むのは難しくなるだろう。

此処は『気』を充満させた上で、医師に引き継ぐべきだ…その為には、可及的速やかに『気』を送り込む必要がある…。

「ナオ…聞いてくれ。今から、お前を抱くから。」

ネコは、ぼんやりと俺を見上げながらも、微かに被りを振った。

「これしか方法が無い!房中術と言って、これがお前に『気』を送り込む一番確実な方法なんだ。本来なら…お前が受け入れる迄待つ積りだったが…。」

そう言いながら俺は自分の上着を脱ぎネクタイを引き抜くと、素早くシャツを脱ぎ捨て、ネコのパジャマを脱がせた。

「…済まない、ナオ…。」

華奢な躰に覆い被さろうとすると、俺の胸に手を付いてネコが抵抗する。

「ナオ…仕方無いんだ、堪えてくれ。」

「…ゃ……ゃ…だ…。」

「ナオ、お前を助ける為だ!」

「…ゃっ…や…やだ。」

「ナオ!?」

ネコの膝に分け入り、自分のベルトに手を掛けると、そのカチャカチャという音に、ネコは全身を震わせて怯えた。

「…ナオ…愛してる。お前の為だ、受け入れてくれ…。」

何も言わずに涙を流し、ただ震えて見上げるネコの瞳を見て、俺は背筋が凍り付く程ゾッとした。

それは、いつも俺を見上げる信頼と愛情を湛えるものでは無く…ただ強姦魔に襲われて、恐怖に怯える少女の瞳だったからだ。

こんな状態で躰を重ねて…本当に房中術が成功するのか?

ネコの信頼を裏切り、二度と触れ合う事も、言葉を交わす事も出来ず、今度こそ本当に姿を消してしまうんじゃ無いのか!?

「畜生っ!!どうすればいいんだっ!?」

俺はネコの胸に崩れ落ち、その身を掻き抱いて叫んだ。

「何故だ!?何故受け取らない!?お前が死んで、誰が喜ぶってんだ…何でそんな風に考える?」

薄い胸が、短く上下しながら震えている。

「お前が死んでも、誰も幸せになんてならない…沙夜さんも…俺も…生きて行けない!!」

言葉尻が震え、思わずネコの胸に顔を押し付ける。

ネコの右手が俺の頭を撫で、指が髪を撫で梳いた。

「俺を置いて行くな!お前は、俺を捨てるのか!?」

「……そんな事。」

「有るだろう?俺はお前を捨てようと思った事等、ただの一度も無いぞ!?捨てるのは…お前だ、ナオ…お前が、いつも俺を置いて行く…。」

髪を撫で梳く指が、ピクリと止まった。

「俺も連れて行け…お前の行く所に…これ以上離れるのは、堪えられ無い…。」

「……泣かないで。」

「…泣いて無い。」

「胸が…熱いよ…濡れてる…。」

物心着いてから泣いた記憶なんて無い…極道の子と揶揄されても、母親の手前泣く事は出来なかった。

父親譲りの体格と強面で恐れられ、肉親の死にすら涙する事を我慢して来たというのに…。

「私…柴さん…苦しめてる?」

「あぁ…凄く苦しい…。」

「ごめんなさい…やっぱり、私…。」

「違う!!俺が苦しいのは、お前が俺から逃げるからだ…何故わからない!?」

「…迷惑掛けたく無い。」

「迷惑なんて思って無い!それに、迷惑を掛けられているのは、お前の方だろう?榊から逃げる事を強要され、俺の事で傷付けられて…。」

「平気だよ、そんな事…。」

くるりと寝返りを打ち、身を丸める様にして横向きに縮こまるネコを、俺は背中から抱き寄せる。

「平気じゃ無い…お前は自覚が無いかもしれないがな、お前はとても傷付き易く弱い…だから、毎回トラブルが有ると逃げ出していたんだろうが?」

腕の中で、ネコが益々身を丸くする。

「弱い癖に我慢して、身も心もボロボロにして壊れちまってる…俺が、放っとけると思ってるのか!?弱い奴はな、ナオ…強い奴に護らせろ!!俺が護る…一生護ってやるから。」

俺は、ネコを撫でながら頬に貼られたガーゼに手を翳した。

「…傷、見せろ…ナオ…。」

「…嫌だ。」

「お前、この傷付けられた時、奴等に何か言われたろ?」

ピクリとネコの躰が痙攣する。

「俺から離れろ、新宿から出て行けって言われたのか?」

コクンと頷きブルリと震えながら、ネコはキュッと瞼を閉じた。

「他には?何言われた?」

「……相応しく無いって…こんな醜い傷…もう、柴さん…私の事撫でてくれないって…。」

そっとガーゼを貼ったテープを剥がす…ネコは小刻みに震え、身を固くして俺の腕に爪を立てた。

目尻の下、頬骨辺りから真っ直ぐに下ろされたナイフの痕…10センチは有るその傷は、薄暗い部屋の中でもハッキリとわかる。

既に傷が塞がっているにも係わらず鮮やかで…艶かしい程の紅い傷。

「…良かった…思った程酷く無い…。」

そう言いながら、傷に口付けを降らしながら舐めてやると、薄っすらと目を開けたネコが躰の緊張を解く。

「…ホント?」

「あぁ…それより、ガーゼはもう貼るな…テープの痕が被れてる。」

水蜜桃の様な頬を舐めると、ヒクンと肩が揺れた。

「肌、弱いんだな…敏感で…。」

「…柴さ…ん…駄目ぇ。」

カクカクと震えながら甘い息を上げるネコに、俺は驚いて身を起こした。

「どうした、ナオ!?」

「駄目ぇ…そんな…一気に流し込んだら…。」

「えっ?」

潤んだ瞳で見上げるネコが、恍惚とした表情を浮かべて喘ぐ。

「いやぁ…溢れちゃう…。」

「全く、お前は…反則だって言ったろう!?」

気を許した途端に『気』を受け入れたのか、首に腕を回し艶かしい声を上げ続け、ネコは俺の腕の中で果てた。


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