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新宿のネコ  作者: Shellie May
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逃げる

朝、腹と胸の辺りがジンワリと温かい…懐かしい温かさに目が覚めた。

母親が猫好きで、幼い頃から家のそこかしこに猫の居る生活をして来た。

猫を馴れさせるのも飼うのもお手の物だし、未だに外で猫に逢うと必ず向こうから擦り寄って来る。

しかし、人間のネコに迄懐かれるとは思わなかった。

布団の中で丸まりながら寝入るネコは、本物の猫の様だった。

そういえば、顔も猫っぽい。

猫が寝入るのを見るのは昔から好きだ…寝る事がこんなに幸せそうな動物はいない。

寝入るネコの頬を、指の背でそっと撫でる。

朝日で金色に光る産毛の手触りと、まだ10代の肌の張りの心地好さに、そのまま顎の下に指を滑らせ撫でてみる。

流石にゴロゴロと喉を鳴らす事は無いが、ネコは撫でられる程に喉を上げ、手を引こうとするとその手を追って顔を擦り寄せた。

全く猫そのものだな…柔らかい髪をクシャクシャにして頭を撫でながら思っていると、ネコはクシャンと小さくくしゃみをして、続いてケホケホと乾いた咳を繰り返した。

慌てて布団を掛けてやり、ベッドを出て着替えると、俺はネコの耳許で囁いた。

「ネコ…。」

「…ん…。」

「朝飯買って来るから…お前、好きなだけ寝てろ。」

「…んー…。」

微睡むネコの頭をもう一度撫でると、俺は朝飯を調達に出た。



確かに好きなだけ寝てろとは言った…言ったが、昼を過ぎ夕方になっても一向に起きる気配の無いネコに、俺は苛立ちと焦りを感じていた。

度々ベッドの中を覗きに行き声も掛けたが、少し微睡むだけで直ぐに深く寝入ってしまう。

本当は具合が悪いのでは無いかと思ったのは、夜の7時を過ぎてからだった。

寝入るネコの腋に体温計を挟み熱を計ると、38度を越えている。

「ネコ…ネコ…苦しいか?病院連れて行ってやるから、少し待ってろ。」

「……柴…さん…や…だ…。」

咳き込みながらもネコが抵抗するのを見て、俺は苛立ちながらペットボトルの水を与えた。

「全く…具合悪いなら、何でさっさと言わない!?」

ノロノロと起き上がりながらペットボトルの蓋を開け、ゴクリと喉を鳴らしながら水を飲み、バッグを引き寄せながらネコはゴメンと謝った。

「大丈夫だよ…薬飲んだら…落ち着くしさ。そしたら、ちゃんと出て行くから…。」

そう言って、又薬のボトルからザラザラと錠剤を出して口に放り込んだ。

「そういうことを言ってるんじゃねぇ!」

「怒るなよ、柴さん…何熱くなってんだよ?」

そうだ…何を熱くなってる?

「性別、バレちまったから?」

…そうなのか?

「それにさぁ…。」

ケホケホと咳き込みながら、ネコは水を飲み干した。

「病院行っても、言われる事はわかってんだ…。」

「何処が悪い?難しい病気か?」

「別に…風邪だよ。ただの風邪。」

「嘘だろ!?」

「……大丈夫だって、アンタには迷惑掛け無いよ…柴さん。」

ベッドの奥に座ったネコは、妙に醒めた暗い瞳を見せてニヤリと笑った。

「…腹減ったろ?」

「別に…夕べラーメン食わせてくれたじゃん。」

「…待ってろ、粥でも炊いて来るから。後、今夜も雨だ…泊まってけ。」

そう言ってネコの返事を待たずに、俺は寝室を出て行った。

粥なんて久し振りだと喜んだネコは、それでも茶碗の半分も食べきれずにご馳走様と言って再びベッドに潜り込んだ。

息を上げ喘ぎながら丸まって寝ようとするネコに、腕を差し出して声を掛けた。

「ネコ、それじゃ疲れが取れない。手足伸ばして寝るんだ、ほら…。」

腕枕をして体勢を変えてやると、フゥと息を吐きながら潤んだ瞳で見上げられる。

「苦しいんじゃないのか?」

目を閉じるネコに、再び諭した。

「病院行こう、ネコ。医療費の事なんて、心配するな。」

「…やだ…此処がいい…柴さんの所がいい!」

そう言って、細い腕を伸ばして抱き付いて来る。

ネコの躰をそっと抱き込んでやると、小さな躰は俺の腕の中にスッポリと収まった。

「…柴さぁん…。」

と胸の中で呼び掛けられる声が、まるで『ニャーン』と鳴いている様に聞こえる。

胸に顔を擦り寄せて甘えるネコを撫でてやり、此処に居ていいからと言ってやると、やがて安心した様に少し穏やかな息遣いで微睡みだした。

ネコが深く寝入るのを見届けると、俺は携帯を取り出し、知り合いの医者に往診を頼み込んだ。

しばらくして訪ねて来た医者は、ベッドの上のネコを見下ろし、眉をひそめた。

「…この子と、どういう関係だ?」

「…夕べ、公園で拾った。」

「お前なぁ。」

新宿の繁華街の中に診療所を持つこの男は、松田研一。

俺とは、中学からの腐れ縁だ。

「俺…前に診た事があるんだ。」

「ネコをか?」

「そうそう…名前聞いても、野良猫としか答えなくてな。その時も確か…。」

そう言って松田は診察を始め、聴診器を当てると溜め息をついた。

「明らかに悪化してるな。」

「何の病気なんだ?」

「肺炎だ。俺が診たのは夏の終わり…9月の下旬だったかな?男と一緒にやって来て診察を受けた。」

「男?家族か?」

「俺も最初はそう思ったが…客だったみたいだな。病状がわかった途端、捨てられた。」

「捨てられたって、どういう事だ!?」

声を荒げる俺を、松田は事務所の方に引き摺って行った。

「言葉通りだよ。ドロンしたんだ。で、俺はお京に電話して引き取らせた。」

「…そういう事か。」

「お前も直ぐに連絡しろ。あの子は、お京の所の常連らしいからな。」

「なぁ…肺炎って、鎮痛剤で治るのか?」

「はぁ?何を言っている?」

「ネコは、具合が悪くなると掌一杯の鎮痛剤を飲む。」

「あぁ…熱は引くからな…後、胸の痛みも激しいんだろう。」

「そうか…。」

「お京に電話するぞ?入院手続きも取らないと…。」

松田が携帯で電話をし始めると、寝室のドアが開き洋服に着替えたネコが立っていた。

「ネコ、何してる!ちゃんと寝ないと、熱が…。」

「…嘘つき。」

肩で息をしながら壁に寄りかかり、怨めしそうな目だけを此方に向けてネコは言った。

「…ネコ。」

「俺達に否が有るような言い方は、止めてもらおう!」

松田がイライラしてネコに言い放つ。

「何も知らない癖に!」

「所詮親と喧嘩したとか、下らない理由だろ!?とっとと家に帰って、入院させて貰え。」

「…帰れる所なんて…。」

「甘えるな!だったら、大人しく施設に入ってろ!お前みたいな奴が…売りやったり薬やったりする若者が徘徊するから、この街が荒れて行くんだ!」

「松田、言い過ぎだ。」

「…大っ嫌い!!」

「何だと!?」

「大人なんて…みんな大っ嫌い!!」

「ネコ…。」

俺がソファーから立ち上がると、フラフラしながらネコは靴を履き入口に向かった。

「…捨てるなら…優しい言葉なんて掛けるな!」

振り返ったネコの瞳から涙が流れる。

「えっ?」

「餌やったり、構ったりするなよっ!!」

ドアを開けたネコに、松田が静かな声音で言った。

「お前…このままの放って置いたら、確実に死ぬぞ?」

「…放っとけよ!」

ネコは、暗い廊下を駆け出して行った。



「それでぇ?大の大人が2人も居て、そのまま行かせたって訳!?」

来るなり事務所のキッチンで勝手に珈琲を淹れると、幸村京子は遥か上から声を掛けた。

170センチを越える長身のこの女も又、中学からの腐れ縁…若い頃はレディースのヘッドをしていたが、今じゃ新宿署生活安全課少年係の刑事だ。

「お前の所の常連だって?」

「そう…野良猫ネコちゃん。去年の夏頃に初めて会ったの。新宿御苑の木に登ってる子供が居るっていう通報があってね。」

京子はケラケラと笑い、珈琲を口にした。

「柴…あの子は松田の言う様な酷い子じゃ無いわよ。」

「わかってる。」

「名前も住所も、親の事も何も話さない。でも、売りも薬も、グループにも属して無い…ただ街を徘徊してるだけの子供よ。」

「普通補導されたら、ビビって話すだろう?」

「話さないのよ…留置場に泊まらせても、平気で中の掃除する様な子なの。」

「…で、お前が面倒見てるのか?」

「えっ?」

「何度も補導されているなら、身元保証人が居なければ出れないだろ?」

「参ったわね…ネコちゃんには、私の情報屋って事で目溢し願ってるのよ。」

「情報屋?」

「ああいう子達だけのネットワークが有るのよ。その中で、ヤバそうな噂を拾って持って来て貰うの。」

「危険じゃ無いのか!?」

「危険だわよ、当然…でも、児童相談所送りになって養護施設に入っても、直ぐに逃げ出すの…まるで、何かから逃げ出すみたいにね…。」

「…。」

「柴、あの子はちゃんとした家の子よ。親も育児放棄とかしてない…親の事も愛してるし、尊敬もしてる。他の子達とは違うわ。」

「あぁ…。」

「一度だけ話をしてくれたの。父親は亡くなって、母親は多分入院してるだろうって。自分は…。」

「何だ?」

「母親の言い付けを守っていると言ったのよ。」

「…。」

京子は立ち上がると、ガラリと窓を開け放った。

「好きな人が出来たって、喜んでたんだけどね…。」

「好きな人?」

「片思いだって…大きな手の指の長い人だって…何処の誰かもわからないけど、公園で時々見掛ける人が気になって、好きになったって言ってたわ。淡い…初恋なんじゃないかしらねぇ…。」

秋の夜風が部屋の籠った空気を吹き飛ばし、その風の音がニャーンと猫の鳴き声に聞こえた。



翌日から、昔の仲間や街の情報屋を駆使してネコの情報を集めた。

ネコが言った様に、中途半端に手を出すのは間違っているとわかっている…だが、このまま放って置けば確実に命が危ない、それに最後に見せたネコの涙が忘れられそうになかった。

京子にも身元引き受けを条件に、情報を流す様に頼み込んだ。

グループにも属して無い割には、中性的な魅力も有りネコは結構な有名人だった。

「決まったネグラは、持たないみたいですね…お京姐さんの言う様に、ウリもヤクもやらないそうで、それが面白く無いって奴も居るみたいです。」

「主に、新宿と渋谷を徘徊してるみたいっすね…雨の時以外は、殆ど公園に居るって話っす。」

「総長、俺、妙な話を聞きました。」

ネコが出て行って一週間、事務所に昔の仲間が情報を持って集まってくれた。

「どんな噂だ?」

「妙な奴等に追われてたらしいんです…どう見ても、堅気じゃ無い奴等らしいんですが。何かに、巻き込まれてるんじゃないでしょうか?」

「場所は?」

「歌舞伎町の外れ辺りだそうです。」

「何処の組かわかるか?」

「流石にそこまでは…。」

「今の居どころについて、何か情報は?」

「…申し訳ありません。」

「そうか…引き続き、宜しく頼む。」

「あの…総長、そのネコってガキと、どういう…。」

何も答えず、煙草を片手に紫煙を吐きながらひと睨みすると、男達はコソコソと事務所を後にした。

「柴ぁ、アンタ昔に戻ったんじゃ無いの!?」

入口で出て行った男達の背中に手を振っていた京子が、ズカズカと入って来るとドスンとソファーに座った。

「伝説の総長様よりも、私としては食らい付いたら離さない、切れ者の刑事さんの顔の方が良いんだけど?」

「…両方共、昔の話だ。それより、何か情報が入ったのか?」

「渋谷で見掛けたって子が居てね…かなり具合悪そうにしてたって。」

「…そうか。」

「ねぇ、柴。アンタ、ネコちゃん見付けて…その後どうするの?」

「…。」

「松田に散々文句言われたわよ!お前達協力してる様だが、彼奴どうするつもりなんだって…。」

「…そうだな。」

「自己満足の為なら、会わせないわ。」

「…。」

「彼女を、これ以上傷付けたく無いのよ。」

「…あぁ。」

「引き取るの?」

「そのつもりだ。」

「それから?」

「此処に住まわせて、仕事をさせる。」

「それから?」

「それからって…。」

「それから、どうするの!?」

「…。」

「あのね、柴…わかってる?犬猫じゃない、人間なのよ?」

「…。」

「それから先の覚悟が出来たら、連絡して。」

「何か有るのか?」

「3日後に渋谷で一斉取り締まりが有るわ。渋谷に居れば、多分捕まるでしょうね。」

「連絡してくれ!」

「たから、ちゃんと…。」

「あぁ、面倒見るさ。」

そうじゃなくてと、京子は首を振りながら溜め息を吐いた。


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