見付ける
青梅署のパトカーに先導されて、新宿署の京子達の乗った車、連城の車と、3台が連なって青梅街道をひた走る。
「綺麗ですね。やはり、この辺りは下界より時期が早いのかなぁ?」
助手席に座る七海が、のんびりとした声を上げた。
奥多摩に入ると、辺りは色付き始めた紅葉が益々美しさを増して来たが、俺には車窓の景色等を楽しむ余裕は無かった。
「緊張してるのか?」
不意にそう尋ねられ、咄嗟に言葉に詰まる。
「堀川に運転を任せて正解だったな。」
「全くです。柴に任せて、事故でも起こされては堪りません。」
クックッと笑う連城の言葉に、運転中の堀川が憮然と答える。
警視庁警備部出身のこの先輩と仕事を共にしたことは無いが、政府の要人や海外からのVIPの警護を担当し、何度も修羅場を潜り抜けて来たベテランだった筈だ。
「…申し訳ありません。」
「先ずは、本人確認だ。それから、俺を弁護士として承認させなければな…。今、幾つだ?」
「17です…あと数日で、18になります。」
「17歳は…女の厄年なのか?」
「違いますよ、クローネ。女性の厄は、19、33、37歳だった筈ですよ。」
助手席から七海が振り向いて笑った。
「…気にし過ぎです。それより、見えて来ました。あの鉄柵の向こう側が、西嶋画伯のアトリエとして使われている別荘の敷地だそうです。」
先頭のパトカーが、門番の男に話をすると、大きな扉がギギギーという音を立てて開かれた。
「広大な敷地ですね…何でも旧華族の別邸を、そのまま使っているそうですよ。」
吸い込まれた3台の車は、敷地の木立を通り抜け、大きな洋館の前に止まった。
「随分と…先客がいる様ですね。」
屋敷の前にずらりと停められた乗用車を見て、連城は眉を潜めた。
車を降り立った俺に向かい、京子が目配せをする。
「新宿署生活安全課少年係の幸村と申します。西嶋敏文さんは、ご在宅ですか?」
玄関に出て来た使用人に付いて、俺達はゾロゾロと広間に入った。
「又か…お前達は一番最後だ!大人しく待ってろ!!」
「全く…どこから聞き付けて来たんだか…一体何人やって来るんだ!?」
「何の話です?西嶋敏文さん、若しくは松原弁護士はいらっしゃいませんか?」
広間の先客達は、苛立って言葉を返す。
「だから、安寿の所だよ!!お前達も、大人しく順番待ちしてろ!!」
「順番待ち?」
眉間に皺を寄せた連城は、先客に鋭い視線を投げた。
「…だから…彼女の相続する絵を…取引きしようと…。」
踵を返す連城の背中に、広間の男達の声が縋る。
「おっ、おいっ!?」
「警察です。」
京子が男達に警察証を提示すると、男達は目を見張り追撃を止めた。
使用人の案内で彼女の部屋に着くと、連城は俺と2人だけで先に入る許可を京子に取り、ドアをノックし入室した。
「松原さん、これはどういう事です!?」
「…連城さん、いい所に…。」
「誰だ、お前!?」
中に居た男達はベッドを取り囲み、俯せて寝ている女に詰め寄っていた。
「弁護士の連城と申します。」
「あぁ、松原さんの言ってた…。」
「西嶋敏文さんですね?扉の向こうに、刑事が話を窺いたいと来ていますよ。」
「何だ、もう来たのか…面倒だな。」
敏文はそう言って、案外と素直に退室した。
「貴方も出て頂こう!!」
「しかし、私はまだ交渉の最中で…。」
小太りの画商は、汗を拭きながら粘ったが、連城がひと睨みするとコソコソと鼠の様に退散した。
「しばらく、この部屋には誰も近付け無いで下さい。」
「わかりました。」
そう言って松原も退室した後、連城は俺に囁いた。
「1時間で、説得出来るか?」
俺が無言で頷くと、肩を叩いてニヤリと笑った。
「何かあったら、電話しろ。」
背後でパタンとドアの閉まる音がして、俺は静かにベッドに近付いた。
俯せて枕を抱き込む様にして顔を埋める女性の隣に座ると、ベッドの軋む音と共に女性の躰に緊張が走った。
「…ナオ。」
ビクリと彼女の躰が痙攣し、小刻みに震え出す。
緩いウェーブの掛かった柔らかい髪を掻き上げ、クシャリと頭を撫でて遣りながら再び声を掛けた。
「ナオ…迎えに来た。…顔を見せてくれないのか?」
枕に顔を埋めたまま被りを振るネコの肩に手を置き、背中にゆっくりと覆い被さる。
「…ナオ…。」
「……嫌ぁ。」
「お前…話せる様になったのか!?」
「…嫌だぁ…会いたく無いって…合図したのに!」
愚図るネコの背中に腕を回し、やんわりと抱き込む。
「俺の事、嫌いになって無いって…まだ好きだって、合図したろう?」
「でもっ…会いたく無い…。」
「何故?」
「…もう…好きでいて貰えない…。」
「ナオ…。」
「……捨てられるの…やだから……逃げてたのに…。」
「捨てる訳無いだろうが!!惚れてるって、愛してるっつったろう!?」
「もう駄目なんだもんっ!!」
ハッキリと拒否するネコを力一杯抱き締めて、耳許で囁く。
「傷の事なんて…俺は何とも思って無い…。」
途端にガクガクと震え出したネコは、唸り声を上げながら叫び出した。
「ナオ…ナオ…落ち着け、大丈夫だから…。」
「ヤダっ!!ヤダっ!!中も外もグチャグチャで汚くて醜くて…絵と一緒に燃やしちゃえばいいっ!!私もっ、あの絵もっ!!みんな燃えて灰になっちゃえっ!!」
悲痛な叫び声を上げ続けるネコを、無理矢理仰向けにすると、その左頬にはベッタリと布製のガムテープが張られ、左腕には包帯がグルグル巻きにしてある。
「しっかりしろ、ナオ!?」
目の焦点が合わず泣き叫ぶネコに舌打ちをし、強引に唇を合わせると下唇を強かに噛まれた。
暴れるネコを押さえ込み、合わせた唇の鉄の味が口腔内に広がると、ネコはやっと力を抜き始め舌の侵入を許した…ゆっくりと味わい尽くす様に舌を絡めると、怯える様におずおずと応える。
どの位の時間そうやっていたのか…ようやく唇が離れた時、ネコはハゥと溜め息を吐き、毒気を抜かれた様な表情を見せた。
「何だ?キスだけで達っちまったのか?1年3ヶ月ぶりだからな。」
「…柴さん……痩せた?」
トロンとした目を細め、右手で俺の頬を撫でながら尋ねられる。
「…そうかもな。」
「何か…違う人みたい…スーツにネクタイなんて…髪型も…。」
「そうか?お前も…大人になった…。」
「…ごめん、柴さん。」
「全くだ!!どんだけ心配したと思ってる!?」
「…ごめんなさい。」
「約束も破ったろうが!?」
「約束?」
「歩道橋から…飛び降りたって…。」
「何で知って…。」
「約束したろっ!?」
「だって……もう絶対駄目だって思って…何も考えられなかったんだもん。」
再び涙を流してしゃくり上げ出したネコに再び覆い被さり、耳許に馬鹿野郎と囁いた。
「済まない、ナオ…この傷は俺の罪だ。」
「…違うよ、柴さん。」
「俺が、お前に負わせたも一緒なんだ…許してくれ。」
「…柴さん。」
「なぁ…責任取らせろよ…。」
頬に貼られたガムテープの上からキスを落としながら囁くと、
「いいって…傷見て無いからそんな事言えるんだよ。」
と、むすがる。
「こんな物貼ってたら、被れちまうだろうが!?」
「いいよ…どうせグチャグチャになったって、どうって事無い…。」
「お前、いい加減にしろよっ!?」
俺が本気で怒りを表すと、ネコはビクリと固まって怯えた。
「お前…俺が、お前の容姿だけに惚れたと思ってんのか!?馬鹿にするんじゃねぇぞっ!!」
「……だって…。」
「だってもヘチマもねぇ!!それに…全部寄越せっつったろ!?」
「……言った。」
「じゃあ、お前の躰は俺の物だ…粗末に扱うんじゃねぇよ…。」
「…ごめんなさい。」
「わかりゃいい。」
そう言って顔中にキスを降らす。
「少し…熱っぽいな?」
「…そうかも。」
「風邪か?」
「…違うと思う。」
曖昧な笑みを浮かべるネコに、俺は眉を潜めた。
「何だ!?ちゃんと言えよ!」
ネコは黙って、俺に包帯を巻いた左腕を差し出した。
慌てて包帯をほどくと、左手は熱を持ち、腕迄赤黒く腫れ上がっていた。
「医者に診て貰わなかったのか!?」
「診て貰ったけど…手術しなきゃいけないって。画家のおじいさん、時間が無かったんだよ。だから…。」
「クソっ!!」
俺は携帯を取りだし、連城に連絡を入れた。
「あ…。」
ネコは、その携帯に釘付けになり、通話が終わった途端に俺から取り上げた。
「コレ…付けててくれたんだ…。」
嬉しそうにストラップを撫でながら、頬擦りをする。
「あぁ…そういえば、お前の携帯には、付いて無かったな。」
「持ってるよ、ちゃんと。」
ネコが嬉しそうに答えた時、ノックの音がした。
部屋に招き入れた連城と七海の姿を見て、ネコは途端にガクガクと震え出し、その様子を見た連城は眉を潜めた。
「柴、抱いて安心させてやれ。」
連城が声を掛け、俺は慌ててネコの躰を抱き込んで言った。
「安心しろ、この人達はお前を守ってくれる。」
「初めまして、僕は医者の七海です。ちょっと腕を診せて貰うよ?」
震えるネコが頷くのを確認し、七海は左手と腕を診ると、連城に向かって首を振った。
「かなり化膿してますね…フレグモーネです。多分掌の傷から来るんだと思うんですが。」
「フレグモーネ?」
「蜂窩織炎と言って、進展性の化膿性炎症の事です。普通は1、2週間の抗生物質の投与で済むんですが、ここ迄酷いと入院を余儀無くされるでしょうね。掌も…癒着してますし。多分、爪で表皮を傷付けてるんだと思いますよ。痛くて寝れなかったんじゃない?」
ネコは俺の胸に縋り付き、不安気に見上げて言った。
「手、切り取っちゃう?」
「心配するな、手術すれば治るから。」
「治らなくてもいいから…中の物だけ綺麗なままで取れる?」
「お前、又そんな事…。」
「中って?何か握ってるの?」
ネコは何も答えず、照れた様な笑みを見せた。
「ナオ、こちら弁護士の連城さんだ。榊の家からお前を助ける時にもお世話になった。」
「そうなんだ…ありがとうございました。」
「今回も、お前の弁護士としてお願いする事にした。」
「何の?」
「君の相続する、西嶋画伯の遺産について…松原弁護士に聞いた。この屋敷も君の相続に入ってるそうだな?」
「そうなんですか!?」
俺は、驚いてネコを見下ろした。
「松原弁護士に確認した。この広大な別荘の敷地、建物と家財や美術品一切、彼女が描かれている絵とデッサン…一体幾らになるんだか…ざっと見積もっても30億は下らんだろう。」
「それは凄いですね…敏文氏が躍起になるのもわかる。」
七海が感心した様に言うと、ネコは事も無げに言ってのけた。
「いらないよ、こんな家…。」
「放棄するのか?」
連城が方眉を上げてネコに尋ねながら、俺の顔を窺った。
「ナオ、落ち着いて…ゆっくり考えた方がいい。」
「柴さん、欲しい?欲しいなら、柴さんに上げる。」
「そういう問題じゃ無い…。」
困って連城を見上げると、口端を上げて楽しそうに様子を窺っていた。
「君は、借金があったんじゃ無かったか?」
「あ…そう!柴さんのお兄さんに上げたらいい!?」
「ナオ、だから…幾ら何でも払い過ぎだ。」
「直ぐに決める必要は無い…その為に私が居るんだ。」
「わかりました…でも、一つだけお願いしたいです。」
「何かな?」
「絵は…全部欲しいの。全部焼いちゃいたい!!」
「油絵も、デッサンも?」
「下絵も、切り裂いた『夏』も、全部焼きたい!!」
その話を初めて聞いた七海が、驚いて声を上げた。
「凄い価値が有るんだよ?文化遺産なのに…。」
「みんなそう言うの…全国で展示会するとか、海外に持って行くとか。美術館や画商の人達が沢山来て……嫌なの…あんな汚い絵…誰にも見られたくないのに!!」
「…ナオ。」
ネコは俺の胸に縋り付いて、再び泣き始めた。
「クローネ、鷹栖に連れて行った方が宜しいですね?」
「そうだな…連絡してくれ。」
「承知致しました。」
七海が退室すると、連城はベッドの横にしゃがみ込んで、ネコの頭を揉む様に撫でた。
「君の気持ちはわかった。取敢えず、私に任せてくれるか?悪い様にはしないから。」
ネコは、俺の胸に顔を埋めたまま頷いた。
「ナオ…お京も来ている。会えるか?」
やっと顔を上げると、ネコは笑った。




