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新宿のネコ  作者: Shellie May
18/32

鑑賞する

『西嶋康生遺作展』と銘打った展覧会が、有楽町マリオンで開催されたのは、11月手前の土曜日だった。

SPの堀川が運転する連城専用の黒いセンチュリーで、連城と妻の椿と共に会場に赴いた。

「先ずは、一通り見て確認するべきだろう。柴、椿と一緒に回って来るといい。俺は足止めを食うだろうからな。」

「承知致しました。」

俺の前に立っていた薄明るい髪の女性が振り返り、宜しくと微笑んだ。

「連城様、宜しければご案内致しましょうか?」

受付に控えていた、画廊の人間である案内嬢に付いて会場に入る。

入口付近に展示してあるのは、少し前に描かれた作品だそうだ。

秋の紅葉の美しい木立や、凍てつく風の感じられる様な冬の寒村。

「何か物悲しい感じがするわね…。」

「15年前に奥様を亡くされてからの西嶋画伯の画風は、少し寂しいトーンの物が多かったですね。」

次のブースには、優しい雰囲気の女性が微笑みを浮かべこちらを窺う人物画と、穏やかな色合いを好んで使われた風景画が並ぶ。

「こちらが奥様かしら?」

「はい…とてもお優しく、理解の有る方だった様です。まだ無名だった頃の画伯の生活を支えていらしたそうで、その無理が祟って躰を壊されたと窺っています。」

「優しい色に溢れてるわ…幸せな結婚生活をしてらしたのね…。」

絵を見入る椿の横顔に、思わず見とれる。

余り女性の顔をマジマジと見るのは失礼だと思う…初対面でも無いのだが、目を奪わずにいられない美しさ…視線に気付かれ、椿にクスリと笑われた。

「…申し訳ありません。」

「いいの…慣れてるから。」

「絵は、詳しいんですか?」

「私ね、以前広告代理店に勤めてたのよ。専門知識も何も無いんだけど、クリエイターの作る作品は結構見て来たの。絵やデザインを見るのが好きなのは、その影響かしらね?」

歩みを進めながら次のブースに進むと、案内嬢が少し興奮気味に説明する。

「ここから先が、今回初めて発表される、この1年に画伯が描かれた作品です。」

このブースだけ先程迄とは違い、人が溢れていた。

「これが、ポスターやチラシに使われていた絵ね?」

東屋に俯せる女性の30号の絵の回りには、人だかりが出来ていた。

「…綺麗…光が溢れて、浮き上がって来る様だわ…。」

チラシで見た時とは迫力が違う…俺は少し離れた位置で、目を細めた。

「どう、柴さん?」

椿の鳶色の瞳が、俺を窺う。

「…わかりません。少し離れてますし。」

案内嬢が、すかさず声を掛ける。

「あちらに、今回の目玉である連作がございます。100号の大作ですので、こちらよりは鑑賞しやすいと思いますよ。」

「1年で、かなりの作品数を作られたのですね?」

「そうなんです…画伯は最近、年に2作品程度と、なかなか描いて頂けなかったのですが…余程モデルの方が気に入ったんでしょうね。亡くなった時も、絵筆を握ったままだったとか。」

「絵筆を握ったまま?」

「えぇ…連作は本来4枚の予定で、描かれた順に『秋』『冬』『春』となりまして、画伯は最終作『夏』を描かれている時に倒れられたと聞いています。…こちらが、連作『四季』になります。」

描かれた順に秋から春迄の作品が並ぶ。

『秋』は、燃えるような落葉が舞う中を、右手を高く上げながら天を仰ぎ見る、横向きの白いドレスの女性。

『冬』は、白い布を被り、顔を半面だけ出した半透明の女性の後ろに、冬の雪景色が広がる。

『春』は、一面の花畑の中に、半裸の女性が俯せる様な構図で、横向きの顔の視線だけがこちらを窺っていた。

「…凄いわね…今迄と違って、何か不思議な雰囲気。愛情と哀しみと、寂しさと…色んな感情が押し寄せて…胸が痛いわ。ね、柴さん?」

食い入る様に絵を見詰めていた俺は、しばらく椿の呼び掛けに気付かなかった。

「このモデルさんは、プロの方なの?」

椿の質問に、案内嬢がいいえと微笑んだ。

「素人の方だと思いますよ。画廊のオーナーの話では『ある日突然天から舞い降りた』と、画伯が話されていたそうです。たしか、アトリエで一緒に暮らしていらっしゃるとか。」

「何という方かしら?ウチのモデルをお願いしたいのだけど、調べて頂ける?」

「少しお待ち頂けますか?直ぐにお調べ致します。」

「それにしても、1枚も笑っている絵が無いのね?」

「……泣いています…どの絵も…。」

俺がポツリと呟くと、椿がポンポンと俺の腰を叩いた。

「何か、違和感が有るの…気にならない?」

「何がでしょうか?」

「彼女の笑顔が無いのもそうだけど…この構図…ほら、これも…何かしら?」

会場に展示された絵は、小さな物も含めて油絵が6点、その他に風景のスケッチや、女性の全体像のデッサン、各パーツのデッサン等がかなりの数展示されていた。

「意図的…みたいね。」

デッサンも詳しく見ていた椿が、俺に耳打ちした。

「彼女に間違い無い?」

「はい…間違いなく、ナオです。」

「そう…あのね、柴さん…。」

椿がそう言い掛けた時、先程の案内嬢が戻って来た。

「お待たせ致しました。モデルの名前ですが、安寿さんと仰るそうです。」

「安寿?」

「えぇ、画伯はそう呼んでいらしたとか…芸名なのかもしれませんね。」

案内嬢がフフフと笑うのを見て、椿は合点がいった様に頷いた。

「成る程ね、『ある日突然天から舞い降りた』アンジュ…天使の事ね。彼女にコンタクト取れるかしら?」

「ポスターやチラシに掲載された後、問合せが頻りなのだそうですが…画伯と一緒に暮らしていたという以外に、何も情報がありません。マネージメントをされていたご子息の敏文氏か、顧問弁護士の先生にお尋ね頂くのが良いと思いますよ。でも…。」

「何かあったの?」

「こんな事は、申し上げてはいけ無いんですけど…先日からずっと揉めていらして…。」

「あらあら…原因は?」

「何か、今回の遺作展も、顧問弁護士の先生が反対していらした様で。先程、ご主人様とご一緒でしたので、詳しくは直接お尋ね頂けますか?」

「そうね、ありがとう。柴さん…もう少し鑑賞する?」

椿が気遣ったが、俺は襟を正して答えた。

「いえ、もう十分です。」

「なら、連城の所に戻りましょう。その顧問弁護士の先生が、まだいらっしゃるといいんだけど…。」



「こちらが西嶋画伯の顧問弁護士をしていらした、松原弁護士だ。これは妻の椿と、仕事のパートナーの柴健司です。」

互いの挨拶を済ますと、松原は苛ついた様子で連城に話を続けた。

「先程お話しした様に、相続人の許可無く遺作展をする事になってしまって…敏文氏は、当然の様に自分が相続人で有ると主張されるし、遺作展が決まったのは遺言書の公開前だった訳で…。」

訳がわからずに聞いていた椿が、連城を見上げた。

「何の話なの?」

「描かれていた人物は?」

「間違い無く、彼女だそうよ。今は、安寿と呼ばれてるそうだけど…。」

「そうか…柴、今回の遺作展に展示された彼女の絵…油絵もデッサンも、彼女を描いた全ての絵は、モデルである安寿こと、音戸乃良に相続されるらしい。」

「何ですって!?」

俺と松原は、同時に声を上げた。

「彼女の名前、判明したんですか!?間違い無いんでしょうか!?」

「その確認の為にも、彼女に会わせて頂けますか、松原さん?」

「わかりました…敏文氏とも相談し、早々にご返事致します。」

「その折りには、私は彼女の弁護士という立場で立ち会わせて頂きましょう。松原さんも、西嶋画伯の顧問弁護士という立場上、その方が宜しいでしょう?」

「是非、お願い致します。私は西嶋家側の立場ですし、何かと難しくて。彼女の取った行動で、敏文氏も態度を硬化しているのです。」

「ナオが、何かしたんですか?」

「連作である『四季』の最終作…完成間近の『夏』を、彼女は切り裂いたんだそうだ。」

呆気に取られる俺と椿を見て、連城は苦笑いしながら言い、引き続いて松原が説明した。

「勿論、勝手にという訳ではありません。画伯が、自らパレットナイフを彼女に手渡され、『好きにして構わない』と仰ったのです。その場に、私も敏文氏も居りましたので、間違い無いのですが…。」

「何か、問題が!?」

「西嶋画伯の作品といえば、それだけでも凄い価値だ。然も最晩年の作品で連作となれば…少なく見積もっても、億は下らない。」

「画伯は、海外でも高い評価を受けています。現存している作品の取引額を考えると、法外な値が付くでしょう。然も彼女が描かれた作品は皆…画伯の代表作になり得る程の物です!!既に問合せも多数来ているというのに…。」

「彼女は、全て燃やしてしまいたい意向らしいぞ?」

「はぁ!?」

「考えられません…確かに彼女が相続するべき物ですが…あの作品は皆、文化遺産だ…それを…。」

松原は、頭を抱えて溜め息を吐いた。

「松原先生、少しお尋ねしたいのですが…。」

椿が柔らかな笑みを湛えて、松原に話し掛けた。

「モデルの安寿さん、何か…障害が有るのではありませんか?」

途端に、松原の顔が曇る。

「声が出ないのは、承知しています…その他に…何か有るのですか!?」

俺は、松原と椿の顔を見比べた。

「作品の…デッサンも全て…顔の左側半面と、左手首から先だけは、どこを探しても描かれていませんでした。敢えて避けていた…そうですよね?」

椿の言葉に顔を歪める松原を見て、俺は封印してしまいたい記憶を思い出した。

「…傷か…火傷の痕か!?」

観念した様な松原は、目線を斜め下に向けたまま語り出した。

「画伯が彼女を拾ったのは、昨年の夏です。彼女は…画伯の乗っていた車に、文字通り落ちて来たのです。」

「落ちて来た?」

「歩道橋から…飛び降りて。」

「自殺未遂かっ!?」

頷いた松原は、顔を伏せたまま話を続けた。

「その時の怪我は大した事は無い、打ち身と擦り傷だけでした。それでも驚かれた画伯は、気を失った彼女をアトリエに連れて帰られた。目覚めた彼女を見て、画伯は再び驚かれたのです…物言えぬ彼女の左手は…火傷を負って開かれぬ状態でした。それに彼女は左頬に…。」

息を殺して聞き入っていた俺は、堪らずに低く唸る様な声で松原を脅した。

「…どうだというんだ!?」

「…左…頬に……10センチ程の…刃物で切られた傷が…。」

「畜生っ!!」

拳を握り締め、何度も己の足を殴り付ける。

その様子を見て、松原が恐る恐る連城を窺った。

「彼は、そのモデルの安寿…音戸乃良の恋人で…婚約者です。」

目を見張る松原に、連城は言った。

「彼女は未成年で、捜索願いが出されている。西嶋画伯は…彼女を監禁していたのではありませんか?」

「…そうとも言えるでしょうね。捜索願いの件は知りませんでしたが、画伯が彼女の魅力に取り付かれてしまったのは事実です。画伯は…ご自分の寿命をご存知でした。その命の灯の消える間際に、創作意欲を掻き立てるモデルに出会った…だから彼女を安寿と呼んで、命を削って彼女の絵を描き続けたのです。しかし、彼女は嫌がった…アトリエに居る事も…何より自分を描かれる事を極端に嫌がった。結果、彼女は囚われの天使になってしまって…あの作品は、画伯の偏執的な愛の結晶です。だから、画伯は彼女にあの作品達を贈ったのですよ。」

「…そんな…勝手な……そんな理由で、1年以上拘束したというのか!?」

俺がギリギリと奥歯を噛み締めるのを、松原は申し訳なさそうに窺った。

「松原さん、捜索願いが出ている理由は、彼女が家出しているばかりでは無い…彼女が障害事件の被害者だからです。もしこれ以上彼女を拘束したり、彼女の身柄を隠したりした場合、貴方や敏文氏だけでなく、西嶋画伯も事件に関与されたと疑われます。呉々もその事、敏文氏に釘を刺して置いて頂きましょう。」

「わかりました。」

「お伺いする時には、警察関係者も同行させて頂きます。宜しいですね?」

「承知致しました。敏文氏と相談の上、早急にお返事致します。」

松原は俺達に一礼すると、そそくさと会場を後にした。

「良く気付いたな、椿。」

連城が、椿の髪をクシャリと撫でて微笑んだ。

「構図に違和感があったから、確認したの。可哀想に…若い女の子が傷なんて、辛いでしょうに…。」

「柴、幸村刑事に連絡しておけ。」

「了解致しました。」


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