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新宿のネコ  作者: Shellie May
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ネコの通帳から足が付き、新宿を徘徊している若者が2名逮捕され、彼等の証言で首謀者の戸越亜季と、自警団の北川悟の名前が上がった。

12日未明からネコが帰るのを待ち構え、帰って鍵を開けた所を4名で進入、猫を殺害し部屋を荒らした後、北川を見張りに出して残りの3名でネコを脅したという。

「戸越亜季も、先日逮捕されたわ。北川は…現在に入院中よ。」

「どこか悪いのか?」

「精神を病んでるんだって。…戸越亜季に言われて、暗証番号の情報を得る為にネコちゃんの携帯を持っていたらしいんだけど、ネコちゃんが持ってるって見せ掛ける為に、電源を切らずに管理してたんだって。…その携帯の、毎日毎日鳴り響くコール音に…堪えられ無かったそうよ。」

京子がチラリと俺を窺い、フンと鼻を鳴らした。

確かに、ネコが携帯を持っているかもしれないという思いから、日に何度も電話を鳴らした…留守録も何度も登録し、メールも何度送ったかしれない。

「鑑識と捜査員が…呆れてたわよ…。」

「見たのか?」

「まぁね…証拠品だし。でも柴の名義で借りてるし、生きてる携帯だから直に帰って来るわ。」

「アキや他の仲間は、犯行を認めたのか?」

「それがね…家宅侵入や器物破損なんかは認めたんだけど、傷害をね…認めないのよ。」

「…誰かの、入知恵か?」

「ご明察。若者の1人が、金持ちの馬鹿息子でね、親が少年法に強い弁護士を雇ったのよ。」

「…肝心の被害者が居ないでは、当然討って来る手だろうな。」

「警察としては、北川に吐かせたいんだけど…話を聞ける状況じゃ無いのよね。」

「…そうか。」

手に持ったグラスが空になり、氷がカランと音を立てた。

「何か、胃に入れるものをご用意致しましょうか?」

鈴が新しいウイスキーの入ったグラスを差し出しながら、心配そうに声を掛けた。

「お願い出来る?この馬鹿男、あれから酒量ばっかり増えちゃって、ネコちゃんが見付かる頃には肝硬変になってないか心配なのよ!」

「かしこまりました。」

北川が事件に関与しているとわかった時点で、俺は自警団と手を切る決心をして事務所も閉鎖した。

今迄見棄て切れずにいた仲間達の中にも、ネコを疎ましく思い、バイト先に乗り込んでいた若い奴等が居る事を鉄也が調べ出してきたからだ。

「今、何してんのよ?」

「新しい事務所の立ち上げ準備だ。」

「今度は、何するの?」

「調査事務所…。」

「探偵?」

「まぁ、そんなもんだ。警察崩れなんて、潰しがきかねぇもんだ。」

「SPの話…断ったの?」

「連城さんの所のか?ガラじゃねぇだろ?SP兼運転手なんて…然も奥方のだぜ!?」

「…アソコなら安定してるのに…。」

「まぁな…暇だろうって、時折呼び出されて運転手してる。アソコの奥方も躰が悪いらしくて、主に病院の送迎だが。」

「物凄い美人だって聞いたわ。」

「確かにな…ハーフだろ、ありゃ。医師免許持ってる秘書が付き添うんだが、そいつじゃ抱いて運べないってんで駆り出されてる。連城さんが居る時は、あの人が抱いて運ぶらしい。」

「…それって、車椅子かストレッチャー替わりって事?」

「そうだな…偏愛してるからな。」

「…理解出来るんだ?」

「……今度の調査事務所も、出資を申し出てくれている。というか、連城さんはアソコの調査部として立ち上げたい意向なんだが…。」

「そうなんだ?イイ話じゃない!?…って、不満なの?」

「あのビルの中で事務所を持って欲しいと言われてな…。」

「問題あるの?」

連城本人に不満は無い…彼の周囲の人間もかなり癖が強いが、連城と強い信頼関係に結ばれているのは、見ていて気持ちがいい。

自分もその仲間に入る事に、憧れは感じるが…それにしても、住む世界が違いすぎる。

話を聞くと、連城は昔施設で育ち、大変な苦労の後に今の生活を手に入れたらしい。

歳の離れた奥方にしても苦労人という事で、金持ち特有の偉ぶった所等微塵も無い人物だ。

だが…あのビルの中は眩しすぎる。

ビルの中にある住居に鉄也と一緒に暮らしていたが、先日鉄也は堪え切れずに引越した。

「で、鉄也との蜜月は、終わりを迎えたって?」

「気色の悪い事言うな!鉄が、堪えられないんだと。」

「あんなセキュリティのビルに、ハンバーガー買って帰れませんって、涙目で訴えてたわ。」

「確かにな…。」

「所でね、さっきの携帯電話だけど…。」

「ネコのか?」

京子は、空になった自分のグラスを鈴に渡しながら、俺に視線を送った。

「アンタ、自分の携帯以外から掛けた事って有る?」

「事務所から数回掛けたかもしれないが…殆ど携帯からだな。それがどうした?」

「ネコちゃんの携帯…最初の頃、公衆電話から数回掛かって来てるのよ。最近は、非通知の番号から時折掛かって来る。アンタの所に居た頃には無かった事だから、少し気になってね。」

「…お京、携帯いつ頃戻って来る?」

「だから直にって…。」

「出来るだけ早く返してくれ!」



「ナオ…ナオ、愛してる…戻って来い、俺の腕に…。」

コツコツと2回、電話口を叩く音がする。

確信があった訳では無い…ただ携帯電話を持つ様になって、人は他人の電話番号を覚えなくなったと依然何かの情報番組で見た事が有った。

しかし、自分の番号だけは他人に尋ねられたり、書類に書く事も多いから覚えるものだ。

ネコの携帯電話が返却され、常に充電をフルの状態にして、その電話が鳴るのをひたすら待った。

初めて掛かって来た時には、興奮の余り捲し立て、電話の向こう側の物言わぬ相手に苛立ったが、最後に聞いた言葉の反応にネコだと確信した。

「……ナオ…ナオなのか?」

そう尋ねた途端、電話はプツリと切られた。

それから俺は、時折掛かって来る電話を待つ様になった。

変わらないのは、相手が一言も喋らない事…それでも俺の声を聞いて啜り泣く様に鼻を鳴らす相手に、ネコだと確信を強くしながら語り掛けた。

犯人が捕まった事、皆が心配している事、事務所を閉鎖し新しい事務所を立ち上げる準備をしている事、それに伴い引越した事…。

一方的な近況報告を、相手は黙って聞いている…そして、堪らずに啜り泣くのだ。

対話をしたいという思いから、イエスなら1回、ノーなら2回、わからなければ3回電話口を叩くという合図を決めて、色々と質問をしてみた。

「ナオ…ナオなんだろ?」

少し躊躇する様な間の後、コツンと1回電話口を叩く音がした。

それから色々と質問を重ねた結果、少しずつではあるがネコの置かれた状況が把握されて来た。

躰は元気だが、声が出ない状態である事、誰かと共に暮らしている事、酷い扱いはされていないが、どこかわからない場所に監禁状態にある事…そして、逃げ出したいと思っているが、俺の元に戻る気が無い事…。

「何故だ?もう俺の事は嫌いになっちまったか?」

コツコツと断続的に2回叩く音が響く。

「なら何故だ?お前を守ってやれなかった事を…仲間達の仕打ちを許せないからか?」

再び、コツコツと2回叩く音がする。

「ナオ…言ったろう?俺がお前と離れる事に堪えられない、我慢出来ないって。必ず見付け出す…だから、俺の元に帰って来い!」

グスグスと鼻を啜りながらコツコツと2回叩かれる。

最後は、いつも同じ様な遣り取りが続くのだ。

「帰れない理由が有るんだな?」

躊躇の末にコツンと1回合図が送られた。

「俺が取り除いてやる!!お前の不安な事、全て取り除いてやるから…ナオ…帰って来るんだ!」

グスグスと鼻を啜りながら、荒い息遣いをするネコに、俺は毎回懇願している。

「ナオ…ナオ…愛してる、結婚しよう…。」

何も合図の無いままに、いつもと同じ様に突然プツリと通話が切れた。



「携帯電話のキー局は青梅方面、奥多摩でしょうね。電波の届かないエリアも有るので、絞り込みが難しですね。」

連城の個人事務所の所長室で、俺は秘書の山崎の報告を受けた。

「ありがとうございます。早速幸村に連絡して、青梅署に捜索の協力を要請して貰います。」

「その辺りで、1年近く監禁出来る施設を所有し、尚且つ監禁している人間に携帯電話を与えるなんていう酔狂な事をやって退ける人物…一体どんな人物なんだかな?」

「興味がお有りですか、クローネ?」

「そうだな…。」

そう言いながら、連城はニヤリと笑って俺を窺う。

「飛んで行きたい所だろうが…範囲が広過ぎて絞り込みが難しいだろう?」

「先ずは、周辺に別荘等を持っている人物、地元で大きな屋敷を持つ人物等の洗い出しを始めようと思っています。」

「そうだな…もうじき1年になるが、焦りは禁物だ。大事な事を見落とさない様に、慎重にな。」

「ありがとうございます、クローネ。」

俺は一礼すると、所長室を出た。



「リストアップは、済んだの?」

「一応はな。付近の聴き込みを掛けている最中だ。」

「そう…その後、電話は掛かって来る?」

「このひと月程、掛かって無い。」

「何かあったのかしらね…。」

溜め息を吐く俺と京子を見て、隣に座った聡が心配そうに窺った。

「溜め息は、吐く程に老け込むそうですよ?」

「アラ、それどういう意味!?私が、老けてるって事!?」

「そんな事は、ありませんよ。京子さんは、いつも溌剌としていてお若いじゃありませんか?」

鈴が、熱り立つ京子をやんわりと宥めた。

「何騒いでるの?」

いつもの様にバックヤードから現れた真が、カウンターに座る面々に挨拶を交わした。

「見て欲しいモノって何なの、真?」

「そうそう、京子さん…西嶋康生って画家、知ってる?」

「ゴメン、そっち方面全く明るく無いのよ。」

「西嶋画伯は洋画家の大家で、若い頃には日展の総理大臣賞を取った程の方ですよ。」

「詳しいのね、リンさん!?」

「鈴は、美大を出てるんですよ。」

聡が、柔らかな笑みを湛えて説明した。

「その西嶋画伯、つい先日亡くなったのよ。で、今度遺作展をするって聞いて、ウチの人間が取材に行ったの。」

「ゲイ雑誌で、美術特集!?」

「あぁ〜、馬鹿にして…ウチは元々はコミュニティ誌作ってたって言ったでしょ!?今も細々と続けてるのよ!」

「ゴメン、ゴメン…。」

「話戻すね!その遺作展に出品される人物画に、今注目が集まってるんだって。」

「人物画?西嶋画伯は、風景画を好んで描かれていた筈ですが?確かに昔は、亡くなった奥様を描いていたと聞いた事がありますが…。」

鈴が不思議そうに、話に加わった。

「そうらしいわね…だから注目されるって事。この1年程、1人の女性をずっと描き続けて来たんだって…中には、連作も有るって話よ。」

「そんなに凄い事なのか?」

真や鈴の興奮する訳がわからず、俺は質問した。

「画家の大家が、今迄のスタイルを変えるっていうのは…普通考えられませんからね。価格的にも法外な値が付くでしょう。然も最晩年の作品となれば…幾ら位の価値が出るのかな?」

聡の説明を聞きながら、全く興味の無い俺はフンと聞き流そうとした。

「西嶋画伯のマネージメントをしていた息子が、画廊と結託して企画した展覧会らしいんだけど…どうも顧問弁護士と揉めてるみたいでさ。」

「何で?」

「それは、わからない。ただ、刷り上がって来たばかりのチラシをウチの人間が持って帰って来たのを見て、驚いて連絡したのよ!」

興奮する真が、俺達の前にチラシを置いた。

「見て、コレ!?」

若葉に埋もれる様な東屋に柔らかな光が降り注ぐ美しい画面に、白いドレスを来た若い女性が床に座り込みベンチに腕を乗せて俯せ、こちらを窺う様に顔を向けている。

その微睡む様な、泣いている様なアンニュイな表情に、瑞々しくもアンバランスな大人の色気を感じる…。

「……ナオ!?」

「やっぱり!?ネコちゃんよね?私もそうじゃないかと思って、連絡入れたの!」

カウンター内で興奮する真に、京子と聡が2人でストップを掛ける。

「ちょっと待って、似てるだけかもしれないでしょ?」

「それに写真じゃ無く油絵ですし、画家の想像の域を出ないのでは?」

その時、少し顔を強張らせた鈴が、俺を窺い静かに言った。

「西嶋画伯は…潔癖な迄の写実主義の画家な筈です。ネコちゃんじゃ無いにしても、そっくりなモデルが居るのは間違い無いでしょう。」



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