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新宿のネコ  作者: Shellie May
15/32

聞く

「何やってるんだ、お前はっ!?」

曖昧な笑みを浮かべるネコを見下ろし、俺は真剣に怒っていた。

「大丈夫だって…心配無いよ。私、若いしぃ。」

「そういう事言ってっから…。」

「…平気だって。」

エヘヘと笑いながら見上げたネコの目の下には隈が出来、足元もおぼつかない。

明け方の5時に帰宅したネコをアパートの前で捕まえて、強引に部屋の玄関を開けると、部屋のムッとした空気がドアから溢れた。

「お前…今、バイト幾つ掛け持ちしてる?」

ネコが何も答えずに窓を開けると、明るくなって来た空の光と幾分涼しい空気が部屋に流込んだ。

「…幾つだ?」

「…4つ。」

「何だとっ!?」

「柴さん、声大っきいよ。」

「お前がデカくさせてんだろうがっ!?」

怒りの治まらない俺に、ネコはごめんなさいと言いながら項垂れた。

「何やってんだよ、お前…躰壊しちまうだろうが?」

「大丈夫、寝る時間も小まめに取ってるし…。」

「小まめにって…どんなスケジュールで…。」

ネコの部屋には、カラーボックスと鉄也が家から持って来た折り畳み式のテーブル、それにへたれたクッションが1つきり…。

折角買った布団も、母親が来た時に使わせようと、布団袋に入ったままだ。

本人はクッションを枕代わりに雑魚寝でしか眠らない…先日訪ねた折りには、靴も脱がずに玄関で倒れ込む様に寝ていた。

「…昼前から昼過ぎ迄お蕎麦屋さんでしょ?それから夕方迄がコンビニで…夜中迄、ビルの掃除してぇ…朝迄が朝刊の広告差し込み…。」

「頼むから…ネコ…。」

「え?」

目の前で正座しながら指折り数える手をグイと引き寄せ、驚いた様に目を見開くネコの唇を奪う。

「…何…。」

突然の事に驚くネコが抵抗を見せるのを、俺は力付くで押さえ付けながら尚も唇を重ねる。

口腔内で絡める舌迄逃げようとするネコに、俺は思わず舌打ちをした。

「…嫌ぁ…柴さん…。」

「うるさいっ!!」

半泣きのネコを押し倒し、足を絡め上から覆い被さる。

抱き締めた躰は痩せ細り、肋が浮き出ているのがわかる…何故そんな無茶な生活をするのか…。

「…馬鹿野郎が…。」

啜り泣き始めたネコの首筋に悪態を吐き、顔を埋める…苛ついているのだ…俺は…。

ネコの無茶なバイトと俺自身の仕事のサイクルが合わず、なかなか会う時間が取れない…俺が明け方に待ち構えて捕まえない限り、顔を見る事も出来ずにいた。

そして…どんなに誘っても、ネコは事務所に顔を出さなくなってしまったのだ。

真夏の暑さと湿度の高さ…昼間に照り付ける太陽で煮えた屋根のせいで、閉め切っていた部屋は、窓を開けてもサウナの様だ。

俺に組み敷かれ、とうとうしゃくりあげ始めたネコに、ぐったりとのし掛かり俺は言った。

「…事務所に戻ろう、ネコ…暑くて死にそうだ…。」

泣いていたネコは、慌てて躰の下から抜け出すと、台所の流しで勢いよく水を流し始め、しばらくすると濡れタオルを2本持って戻って来た。

「大丈夫、柴さん!?」

「…あぁ。」

ゴロリと仰向けになった俺の額にタオルを乗せると、ネコは細い指で俺のシャツのボタンを外し始めた。

「どうするんだ?」

「ん…ちょっと顎上げて。」

言われた通りに顎を上げると、ヒヤリとした感触が首筋を覆う…そのまま項、胸とネコは丹念に俺の躰をタオルで拭いていく。

「…気持ちいい。」

「そう?良かった…。」

だが本当に気持ちいいのは、タオルを持つ反対のヒヤリとした手が、俺の素肌を撫でる様に異動する事だ。

堪らずその手を引き寄せると、今度は抵抗せずに俺の胸に躰を預けた。

「暑いって言った癖に…。」

「なぁ…夜と明け方のバイトだけでも、辞めれないか?」

「何で?時給いいんだよ?」

「…会えないだろうが。」

「そうだけど…。」

「俺は、当たり前に夕飯を共にして、夜お前を腕の中に抱いて寝たいだけだ。」

「暑いって…。」

「夏の間だけでも、事務所に戻って来い…此処じゃ熱中症になっちまう。」

「…。」

「お前、何で事務所に来るの嫌がるんだ?誰かに、何か言われたか?」

「…そんな事無いよ。」

眉の間を指で撫でてやりながら問うと、ネコは眠そうな声で答える。

「…事務所帰るぞ…今日は、抱いてでも連れ帰る!」

「何でぇ?今日に限って…。」

「昼の便で九州に飛ぶ。1週間程出張だって、この前話したろ?」

ネコは観念した様に、わかったと言って戸締まりをした。

事務所迄の短い道程を、腕を絡めて嬉しそうに甘えるネコに目を細めながら、入口の鍵を開ける。

途端に寝室から白いモノが飛び出して来て、俺の胸に抱き付いて来た。

「やぁっと帰って来たぁ!!健司ぃ、お帰りぃ〜!!」

虚を付かれ、立ち竦む俺に対し、ネコは絡めた腕を振りほどき後ろに下がった。

「あれぇ〜、ネコちゃん居たのぉ?何してんのよぉ、そんな所で!?」

咎める様な口調の女に、ネコは何も言わずに俯いた。

「…何なんだ、お前?」

やっとの思いで言葉を発した俺に、女は己が身を俺に悩ましく擦り寄せる。

「もぅ、やぁだぁ〜健司ったら…自分が待ってろって言ったんじゃん!ねぇ…さっきの続きぃ、早くしてよぅ…私もう焦れちゃって待ちきれないよぉ〜。もっ回してくれるんでしょ〜?」

素肌に俺のYシャツだけをまとった姿でしなだれ掛かる女を見て、背後でボソリとネコが呟く。

「……何だ…そういう事か…。」

「えっ!?」

「…人が悪いなぁ、柴さん……それならそうと…言ってくれたら…。」

スルリと入口のドアをすり抜けるネコの後を、胸の女を引き剥がして追う。

「ナオっ!?待てっ、ナオっ!!」

階段の踊り場で追い付いて肩に手を置いた途端、ネコの躰が硬直し小刻みに震えているのが伝わる。

「……この為に…わざわざ事務所に呼んだの?」

「お前、何言ってる!?」

「こんな…見せ付ける様な事しなくても……一言……終りだって…言って……くれたら…。」

「いい加減にしろよ、お前っ!?俺の事が信じられねぇのかっ!?」

下から上がって来る足音が止まり、不意に呼び掛けられる。

「総長?」

「鉄っ!!事務所の中の女、何とかしろっ!!」

鉄也は顔を歪めて、事務所に駆け上がった。

俺はネコの肩を引き振り向かせると、俯く顔を覗き込む様にして問い掛けた。

「答えろ!俺の事が、信じられないか!?」

「……。」

「答えろ、ナオ!?」

俯いたまま肩を震わせて大粒の涙を流すネコを、覆い被さる様にして抱き締める。

「…答えろよ…ナオ…。」

「……信じたい。」

「なら、俺の言葉だけ信じてろ…他に耳傾けてんじゃねぇよ…。」

鉄也に連れ出された女が、悪態を吐きながら階段を下りて来る。

「全く!!何なのよ!?拾われた捨て猫の癖して、いつまでも甘えてんじゃ無いわよっ!!」

何も言わずに俺のシャツを握り締めるネコを庇う様に女から距離を置くと、鉄也に引き摺られながら尚も女は捲し立てた。

「アンタとなんかじゃ、釣り合わないんだからっ!!とっとと、目の前から消えて無くなっちまえばいいのよっ!!いつまでも目の前うろついてたら、新宿の街に沈めるわよっ!?」

「…テメェ…いい加減にしろよ!?誰が、新宿の街に沈めるだとっ!?」

ネコを抱く手を離し、闘志を剥き出しにして女に掴み掛かろうとするのを、鉄也とネコが必死で止める。

「止めて、柴さん!もういいから…。」

「総長、相手は女です!!」

「…テメェ…そのツラ、俺の前に二度と見せんじゃねぇぞっ!?」

「何よ、いい子ぶって…覚えてなさいよっ!?」

捨て台詞を吐きながら階段を下りて行く女を憎々しげに見下ろし、俺の腹に腕を回して背中に縋り付くネコの手をギュッと握った。

「…心配すんな。」

「…ウン。柴さん…私、帰る。」

「寄って行かないか?」

「今…事務所行きたくない。」

腕を解き歩き始めるネコの躰が、いつもより一回り小さく心許なく見える。

「ナオ…帰ったら引越すぞ。」

「え?」

「引越しだ…2人で暮らせる部屋に引越す…いいな?」

「柴…さん…?」

「アルバイトも…やりたかったら昼間だけに絞れ。わかったか?」

「だって…事務所から離れたら…柴さんだって、みんなだって不便になるよ?」

「みんなって誰の事だ!?鉄か!?自警団の奴等か!?」

「…みんな…仲間の人達の迷惑に…なりたく無いよ。私は平気だって…今迄通りでいいよ…。」

寂しさを堪えた様な笑顔を見せるネコの躰を、今一度覆う様にして抱き締める。

「…俺が堪らない…俺が我慢出来ない…わかれよ…それ位…。」



「で…誰なんだ、あの女!?」

「アキって娘で…俺達の次の代のヘッドの…自警団の取りまとめをさせてますが、妹です。昔から我儘で…仲間の事も顎で使うんで困って…。」

「何で、そんな奴に入り込まれてる!?」

「…父親が…佐久間のお身内なんです…ご存知ありませんでしたか?」

「知るか、そんな事!!」

鉄也は、やっぱりと溜め息を吐いた。

「ネコちゃん、半年程前から嫌がらせ受けていた様で…まぁ、あの娘に限った事ではありませんが…。」

「嫌がらせ?」

「俺も気を付けていたんですが、結構激しかったみたいで…ネコちゃんが引越しを決めたのも、1つにはそれが要因だったと思われます。」

「何だと!?何故言わなかった!?」

「絶対知らせ無いでくれと…泣かれました。仲間の結束を壊したく無いと…自分はよそ者として疎まれるのは慣れていると…。佐久間にいらっしゃる、母親の事も気にしてまして…。」

「何だって…そんな事に…。」

「ネコちゃんの事件の折り、総長が掛かりきりになっていた事に…不満を持つ仲間の居た事が発端でしょうが、女柄みになって来て…何というか俺達では踏み込めない雰囲気になってきまして…。」

「はぁ!?」

「そもそも…総長のお相手は、お京姐さんだと誰もが思っていた訳で…。」

「お京とは、そんな仲じゃねぇって、散々言って来たろうが!?」

「しかし、一番身近な女性だった事は事実ですよね?」

「まぁ…そうだが…。」

「そのお京姐さん公認で、しかも一緒に暮らし始めた…ネコちゃんが子供だという事もあって、最初はただ面倒見ているのかと…誰もが思ってました。」

「…。」

「その内に、総長の態度で、総長の女だと皆が気付いた。面白く無いと思っていた女達は多かったと思いますよ。お京姐さんには怖くて手を出せないが、ネコちゃんは子供で…しかも総長に告げ口する様な子では無かった。」

「そんなに…酷かったのか?」

「アパートに引越して治まると思ってたんですが…アパートやバイト先にも嫌がらせされてたみたいで、何度かバイト先に迷惑を掛けられてクビになってる筈です。」

「アイツ…一言もそんな事…。」

「言えなかったんだと思います…子供の様で、気配りの出来る子ですから…。」

「鉄、出張している間…宜しく頼む。」

「ですが、自分も明日から東京を離れます。」

「いつまでだ?」

「今の所、5日間の予定です。」

「帰りは同じ頃か…仕方ないな。鉄、帰ったら俺は引越すから、そのつもりでいてくれ。」

「わかりました。必要なら、俺が事務所に引越しますが?」

「それも含めて、帰ったら話し合おう。じゃあ、そろそろ行って来る。」

「お気を付けて。」

事務所を出た俺は、そのまま機上の人間になった。

まさか…そのままネコに会えなくなる等と…この時は微塵も考え無かったのだ。



「いつから連絡が付かなくなったんですか?」

「5日前だ…電話にもメールにも反応しない!!」

鉄も仕事で東京を離れ、京子も大きな事件で手が離せない状態が続き、俺が事務所に帰ると時を同じくして戻った鉄也と2人で、ネコのアパートに向かった。

妙な胸騒ぎと嫌な予感…何かがあったと、刑事の頃の勘がピリピリと耳を襲う。

鍵穴に鍵を入れた途端、フッと手応えの軽いノブにゾワリと悪寒が走る。

「総長?」

ポケットからハンカチを出してノブを握る俺を、鉄也が訝しむ。

ドアを開けた途端に流れ出す、凄まじい臭気…。

「鉄…お前、下でパトカー来るの待っとけ。」

「総長!?」

「行けっ!!」

転がる様に駆け出す鉄也を見送り、俺は携帯を取り出した。

「お京、俺だ。今すぐ鑑識連れて、ネコの部屋迄来てくれ。」

「何かあったの!?」

「まだ確認して無いが…凄まじい腐敗臭がする。」

「わかった、直ぐに行くわ!!」


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