助ける
榊組長の自宅…広い座敷に上げられた俺と兄貴は、その閑散とした屋敷に息を飲んだ。
広い敷地ではある…建物も古く堂々としているが…。
座敷に向かう廊下を進むと、伸び放題の庭木にジャングルと化した雑草、庭に面した廊下は雨露で腐り落ちている箇所も有り、掃除も行き届いていない有り様で…。
何より驚いたのは、人の気配が感じられない事だ。
案内して来た老女が退室すると、屋敷内を吹き抜ける風の音と鳥のさえずり…遠くから、敷地外で行われている工事の音がする。
「…偉く荒れて…人の気配もねぇな?」
「以前は、こんな事は無かったんだがな。格式の有る…。」
先程の老女が、湯呑み茶碗を運んで来た。
「榊組長は?」
「程無くおみえになりますんで、今しばらくお待ち頂けますかねぇ…。」
少し間延びした話し方でヒョコリと頭を下げると、老女は再び出て行った。
「…お前、榊が来ても…。」
そう兄貴が言い掛けた時、縁側の廊下とは反対側の襖が開いて、1人の老人が入って来た。
土色の顔をし、痩せた頬と窪んだ目…神経質そうな瞳が俺達を睨み付ける。
「お久し振りです、榊さん。お躰の調子は如何です?」
頭も下げずに、兄貴は榊大善に挨拶をした。
「…何、たいした事は無い。貴方の所と違って我々の様な弱小の組は、色々と気苦労も多くてね。」
ピリピリと青筋を立てながら対応する大善は、兄貴から俺に視線を向けた。
「佐久間さんの弟だな?」
「柴健司です。」
「…孫が、世話になったそうだな?」
顔色を窺うように覗き込まれ、口端が引き上げられた。
「榊さん…その事も含めて、アンタに話があって来たんだ。」
兄貴が足を崩して片膝を立てた。
「…沙夜を返して貰おうと思ってな。」
「何だと!?」
「驚く事たぁねぇだろう?沙夜は、今もって俺の婚約者だ。あれから22年…そろそろ嫁に貰ってもいい頃合いだろうが?」
「しかし…あの話は…。」
慌てる大善に、兄貴はくつろぎながらニヤリと笑った。
「解消は、されてねぇよなぁ?そんな話は無かった…だから俺は22年もの間、操を立てて独身を貫いてるんだぜ?」
「だが、沙夜は結婚して…。」
「亡くなったんだってなぁ、気の毒に…アンタの所にいた弁護士、音戸っつったか?まぁ、亭主がいるってんなら仕方ねぇが、亡くなった後アンタの所に引き取ってるんだろう?胸患って、入院してるって言うじゃねぇか?俺は…聞いてねぇよ、榊さん?」
「…佐久間。」
「あの話は、アンタの所から是非にと持って来たんだ。今更反故になんか出来ねぇよなぁ?それに…沙夜が出て行った後、俺に島を半分渡すと手を打った席で、アンタと当時組長だったアンタの息子が言ったんだぜ?」
「…な…何を?」
「沙夜を必ず連れ帰る…そして、俺の所に連れて来ると…煮るなり焼くなり好きにしてくれってな。」
ギラギラとした瞳を投げ掛けて、喉の奥から絞り出す様な声が吐かれた。
「…わかった…沙夜はお宅に渡そう。」
「そうかい…じゃあ、沙夜の娘も返して貰おう。」
「アレは駄目だ!!」
「何言ってる?沙夜の娘だ…俺が連れ帰る。」
「アレは『榊の女』だ!!榊の財産だ!!お前の娘では無いだろう!?」
「あぁ…まだな。だが、沙夜の娘で…結婚すれば俺の娘だ。正統な…正妻の産んだ佐久間の跡取り娘だ。お前達が…こんな今にも潰れそうな組がどうこうしていい女じゃねぇぞ!?」
「断るっ!!」
「極道の理屈は、通用しねぇってか?」
「アレは、榊のモノだ!!」
「仕方ねぇな…。」
兄貴が目配せし、俺は携帯を取り出すと通話ボタンを押して、一言お願いしますと相手に伝えた。
程無くして3人分の足音が廊下に響き、障子が開かれたそこには、老女に案内された沙夜と連城の姿があった。
「沙夜っ!?」
沙夜は何も言わずに兄貴の隣に座り、兄貴は自分の敷いていた座布団をそっと沙夜に押しやった。
「榊大善さんですね?私、弁護士をしております連城仁と申します。」
俺の隣に座った連城は、大善に名刺を差し出しながら話を続ける。
「本日は、そちらの音戸沙夜さんの代理人として、お話をさせて頂く為に参りました。」
「代理人?」
「はい。こちらにいらっしゃる、音戸乃良さんの身柄を引き取りに参りました。」
「何!?」
「未成年である乃良さんを、保護者である沙夜さんが引き取る…何の問題も無いと思いますが?」
「…だが、沙夜は入院中だ。身内である儂が面倒を見ても、不都合は無いと思うが?」
「しかし沙夜さんより、こちらには預けたく無いと…こちらに預けると、乃良さんの身に危害が及ぶとのご心配で、柴健司さんの元で預かって頂きたいというご依頼なのです。」
憎々しげに目の前に座る面々を睨み、青筋を立てた大善が怒りに震えながら言った。
「…全て…お前達の画策か!?」
「何の話だ?」
「6日前、堂本から連絡があった…5日の内に借金を返済出来なければ、屋敷を引き渡せと…これ迄一切催促等して来なかったのに、今更何故と思っていたが…。」
「そんな事は、俺達には関係ねぇ…だがなぁ榊さん、あの折にも言ったが、そろそろ潮時なんじゃねぇか?いつ迄も『榊の女』に頼ってもいられねぇだろ?」
「…乃良さんは、まだ16歳です。わかっておられると思いますが、貴方のなさろうとしている事は、児童虐待になります。」
兄貴の言葉に、連城が追い討ちを掛けると、大善はギリギリと歯を食い縛った。
「お父様…乃良は…。」
「おらんっ!!」
大善の言葉に俺は立ち上がり、屋敷の中を探し回った。
「ネコっ!!どこだ、ネコっ!?」
沙夜が廊下に出ると、無言で俺を導いた。
邸内の奥まった所にある土蔵…変わった造りだ…屋敷の中央に造られた中庭に、かなり大きな土蔵と、それに対になる様に神殿が建てられていた。
「…多分、この中です。」
「此処が、座敷牢なのか?」
「加代…鍵を。」
「いえ、お嬢様…鍵は、旦那様が…。」
いつの間にか沙夜の後ろに控えた老女が、申し訳無さそうに言った。
「ネコっ!?居るのか!?居たら返事しろ!!」
土蔵の入口を叩きながら俺が叫ぶと、背後から冷たい声が掛けられた。
「無駄じゃ…誰もおらん。」
「お父様、鍵を…。」
「鍵は無くした…そこは、お前が出て行ってから、使われておらん。」
「あくまでも、しらを切り通すつもりか!?」
「知らんモノは知らん!!」
「仕方有りませんね。」
俺達の話を聞いていた連城は、そう言うと携帯を取り出してどこかに電話を掛けた。
「…もしもし、私だ…あぁ、仕方無い…裏の方が近いだろう…宜しく頼む。」
そう言いながら、裏の庭の方に歩を進めた途端、屋敷の外から何かが近付いて来る音がする。
「な、何だ!?」
驚く大善が連城の後を追うと、やがて屋敷を囲うの白壁の塀が物凄い音を立てて崩れ去った。
そこに現れたのは、巨大な蟹の爪の様な圧砕機を付けた油圧ショベル…バキバキと容赦無く白壁を壊すと、裏庭にその巨大な車体を現した。
「何なんだ、一体!?人の屋敷に何をしている!?」
青ざめた大善に、連城は胸ポケットから1枚の紙を引き出し大善に渡しながら言った。
「屋敷の解体に付いては、堂本組長より委任状を頂いております。」
「何だと!?」
「因みに…貴方が『榊の女』を提供しようとしていた政界の方々ですが…彼女が未成年と聞いて一様に驚いていらっしゃいましたよ。あの方々には、スキャンダルはご法度ですからね。今後も『榊の女』に頼って来られる方は、皆無かと思います…私が、絡んでしまいましたからね。」
「…。」
「まだ鍵を出して頂けない様なら、このまま建物も解体致しますが?」
「…好きにするといい。」
大善の言葉に、連城と俺は眉を寄せて顔を見合せた。
何か…嫌な予感がする。
直ぐ様指示がなされて、母屋の一部を圧砕機が破壊してゆく…そして、中庭の土蔵の壁に巨大な蟹の爪で穴を開けていった。
人が通れる程の穴が広がった所で、俺は土蔵の中に入り込み、声を限りに叫びながらネコを探した。
2階建ての土蔵には、明かり取りの窓の光しか届かず薄暗い…その1階の半分に太い組み木で牢が拵えられ、中には畳が敷いてあり、箪笥や机等一通りの生活用品が揃えられている様だった。
だが、肝心のネコの姿が見当たらない…何故だ…此処以外に監禁出来る場所は無いと聞いていたのに…。
穴から出て来た俺に、連城と兄貴が不審な目を向けた。
「…中は…蛻の殻だ。」
その言葉を聞いて一番に反応したのは沙夜だった。
青白い顔を余計に青ざめさせ、目を吊り上げて大善に食って掛かった。
「お父様…まさか…まさか、神降ろしをしているのでは無いでしょうね!?」
「神降ろし?何だ、それは!?」
「巫女の躰に…神を…でもあれは、あれは…拷問以外の何物でも無い…恭順させる為だけの拷問に…。」
「何を言う…あれは、神聖な儀式だ。あの娘は気が強い…恐らくは神が…。」
「何日になります!?神室に入って、何日経つんです!?」
「…今日で5日。」
「そんなに…いけない…狂ってしまう!!」
沙夜は縺れる様な足取りで神殿に入り込み、祭壇裏に回り込んだ。
そして床下の隠し扉を開けると、置いてあった燭台を手に俺に付いて来る様に言った。
「…此処は?」
「神室と申します…先程お話しました、巫女の神降ろしをする場ですが、本来は…歴代の巫女の墓所です。」
「墓なのか?だが…。」
「榊家は代々巫女の家系…『榊の女』が家を守り継いで来たのに…その女達には、戸籍が無いのです。」
「え?」
「表面上は存在してはいけない者…だから、榊の戸籍では代々養子を迎えている事になっているんです。死して尚密葬される。何故だかわかりますか?」
「…いえ。」
「それは『榊の女』の出自が…不明だからです。要は婚外子という事では神聖な巫女には相応しく無いのでしょう。」
「だからですか、貴女方夫婦の婚姻届と、乃良さんの出生届に拘ったのは?」
「乃良が話しましたか?私の戸籍は、主人が手を尽くしてくれました。あの子だけです…生まれながらに戸籍を持つ『榊の女』は…。」
地下に下る階段を下りた所に有る、大きな閂の付いた鉄の扉の前で沙夜は言った。
「中は暗闇で…音も何も無い…1日過ごすだけでも耐えられません。もしかしたら、本当に壊れてしまっているかもしれません。」
「…構いません。」
「音にも光にも、全ての感覚が敏感になります。どうか…優しく呼び掛けてやって下さい。」
「承知しました。」
閂を開けて中に入ると、すえた様なカビ臭い様な何とも言えない籠った空気が流れ出した。
蝋燭の揺らめく光にぼんやりと映し出された部屋は、思いの外広さがあった。
部屋の中に整然と並べられた柩…中には朽ちて中の骨が見えている物もある。
そして棚の様に掘られた壁には、無数の髑髏が並んでいる…中には髪が生えたままの物や、明らかに子供と思われる小さな髑髏が物言わぬ瞳を向けていた。
部屋の入口に水の入ったペットボトルが数本転がっている。
沙夜は、燭台を翳して部屋を照らした…何かが動く気配がして目を凝らす。
「ネコっ!?」
「行ってやって下さい…呉々もそっと…。」
柩の並べられた部屋の隅に、薄汚れた浴衣姿のネコがうずくまっていた。
「…ネコ…大丈夫か?」
そっと声を掛け隣に膝を付いた。
何も反応しないネコの頬をそっと撫でてやると、ピクリと反応し膝に埋めた顔をユルユルと上げた。
「遅くなって済まなかったな…ネコ、俺がわかるか?」
「……し……ば…。」
俺は上着を脱いでネコの躰に掛けてやり、その上からそっと華奢な躰を抱き締めた。
「迎えに来たぞ、ナオ。」
ネコは俺の胸に躰を預けると、大きな息を吐いて意識を飛ばした。
ネコを抱き上げて沙夜と共に神室からでると、大善は憎々しげに俺を睨み付けたが、やがて力尽きた様にその場に崩れ落ちた。
「儂は、諦め切れん…その娘なら…。」
「拉致監禁遺棄も罪状に付けますか?」
連城の冷たい声を、兄貴が遮った。
「なぁ、榊さん…ウチか堂本か、どちらかの傘下に入っちゃくれねぇか?無用な争いをして、互いに傷付くのは得策じゃねぇ。今なら、手下丸ごと引き受けるぜ?」
「…しばらく…考えさせてくれ。」
そう言って項垂れる大善を残し、俺達は榊邸を後にした。




