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新宿のネコ  作者: Shellie May
12/32

助ける

榊組長の自宅…広い座敷に上げられた俺と兄貴は、その閑散とした屋敷に息を飲んだ。

広い敷地ではある…建物も古く堂々としているが…。

座敷に向かう廊下を進むと、伸び放題の庭木にジャングルと化した雑草、庭に面した廊下は雨露で腐り落ちている箇所も有り、掃除も行き届いていない有り様で…。

何より驚いたのは、人の気配が感じられない事だ。

案内して来た老女が退室すると、屋敷内を吹き抜ける風の音と鳥のさえずり…遠くから、敷地外で行われている工事の音がする。

「…偉く荒れて…人の気配もねぇな?」

「以前は、こんな事は無かったんだがな。格式の有る…。」

先程の老女が、湯呑み茶碗を運んで来た。

「榊組長は?」

「程無くおみえになりますんで、今しばらくお待ち頂けますかねぇ…。」

少し間延びした話し方でヒョコリと頭を下げると、老女は再び出て行った。

「…お前、榊が来ても…。」

そう兄貴が言い掛けた時、縁側の廊下とは反対側の襖が開いて、1人の老人が入って来た。

土色の顔をし、痩せた頬と窪んだ目…神経質そうな瞳が俺達を睨み付ける。

「お久し振りです、榊さん。お躰の調子は如何です?」

頭も下げずに、兄貴は榊大善に挨拶をした。

「…何、たいした事は無い。貴方の所と違って我々の様な弱小の組は、色々と気苦労も多くてね。」

ピリピリと青筋を立てながら対応する大善は、兄貴から俺に視線を向けた。

「佐久間さんの弟だな?」

「柴健司です。」

「…孫が、世話になったそうだな?」

顔色を窺うように覗き込まれ、口端が引き上げられた。

「榊さん…その事も含めて、アンタに話があって来たんだ。」

兄貴が足を崩して片膝を立てた。

「…沙夜を返して貰おうと思ってな。」

「何だと!?」

「驚く事たぁねぇだろう?沙夜は、今もって俺の婚約者だ。あれから22年…そろそろ嫁に貰ってもいい頃合いだろうが?」

「しかし…あの話は…。」

慌てる大善に、兄貴はくつろぎながらニヤリと笑った。

「解消は、されてねぇよなぁ?そんな話は無かった…だから俺は22年もの間、操を立てて独身を貫いてるんだぜ?」

「だが、沙夜は結婚して…。」

「亡くなったんだってなぁ、気の毒に…アンタの所にいた弁護士、音戸っつったか?まぁ、亭主がいるってんなら仕方ねぇが、亡くなった後アンタの所に引き取ってるんだろう?胸患って、入院してるって言うじゃねぇか?俺は…聞いてねぇよ、榊さん?」

「…佐久間。」

「あの話は、アンタの所から是非にと持って来たんだ。今更反故になんか出来ねぇよなぁ?それに…沙夜が出て行った後、俺に島を半分渡すと手を打った席で、アンタと当時組長だったアンタの息子が言ったんだぜ?」

「…な…何を?」

「沙夜を必ず連れ帰る…そして、俺の所に連れて来ると…煮るなり焼くなり好きにしてくれってな。」

ギラギラとした瞳を投げ掛けて、喉の奥から絞り出す様な声が吐かれた。

「…わかった…沙夜はお宅に渡そう。」

「そうかい…じゃあ、沙夜の娘も返して貰おう。」

「アレは駄目だ!!」

「何言ってる?沙夜の娘だ…俺が連れ帰る。」

「アレは『榊の女』だ!!榊の財産だ!!お前の娘では無いだろう!?」

「あぁ…まだな。だが、沙夜の娘で…結婚すれば俺の娘だ。正統な…正妻の産んだ佐久間の跡取り娘だ。お前達が…こんな今にも潰れそうな組がどうこうしていい女じゃねぇぞ!?」

「断るっ!!」

「極道の理屈は、通用しねぇってか?」

「アレは、榊のモノだ!!」

「仕方ねぇな…。」

兄貴が目配せし、俺は携帯を取り出すと通話ボタンを押して、一言お願いしますと相手に伝えた。

程無くして3人分の足音が廊下に響き、障子が開かれたそこには、老女に案内された沙夜と連城の姿があった。

「沙夜っ!?」

沙夜は何も言わずに兄貴の隣に座り、兄貴は自分の敷いていた座布団をそっと沙夜に押しやった。

「榊大善さんですね?私、弁護士をしております連城仁と申します。」

俺の隣に座った連城は、大善に名刺を差し出しながら話を続ける。

「本日は、そちらの音戸沙夜さんの代理人として、お話をさせて頂く為に参りました。」

「代理人?」

「はい。こちらにいらっしゃる、音戸乃良さんの身柄を引き取りに参りました。」

「何!?」

「未成年である乃良さんを、保護者である沙夜さんが引き取る…何の問題も無いと思いますが?」

「…だが、沙夜は入院中だ。身内である儂が面倒を見ても、不都合は無いと思うが?」

「しかし沙夜さんより、こちらには預けたく無いと…こちらに預けると、乃良さんの身に危害が及ぶとのご心配で、柴健司さんの元で預かって頂きたいというご依頼なのです。」

憎々しげに目の前に座る面々を睨み、青筋を立てた大善が怒りに震えながら言った。

「…全て…お前達の画策か!?」

「何の話だ?」

「6日前、堂本から連絡があった…5日の内に借金を返済出来なければ、屋敷を引き渡せと…これ迄一切催促等して来なかったのに、今更何故と思っていたが…。」

「そんな事は、俺達には関係ねぇ…だがなぁ榊さん、あの折にも言ったが、そろそろ潮時なんじゃねぇか?いつ迄も『榊の女』に頼ってもいられねぇだろ?」

「…乃良さんは、まだ16歳です。わかっておられると思いますが、貴方のなさろうとしている事は、児童虐待になります。」

兄貴の言葉に、連城が追い討ちを掛けると、大善はギリギリと歯を食い縛った。

「お父様…乃良は…。」

「おらんっ!!」

大善の言葉に俺は立ち上がり、屋敷の中を探し回った。

「ネコっ!!どこだ、ネコっ!?」

沙夜が廊下に出ると、無言で俺を導いた。

邸内の奥まった所にある土蔵…変わった造りだ…屋敷の中央に造られた中庭に、かなり大きな土蔵と、それに対になる様に神殿が建てられていた。

「…多分、この中です。」

「此処が、座敷牢なのか?」

「加代…鍵を。」

「いえ、お嬢様…鍵は、旦那様が…。」

いつの間にか沙夜の後ろに控えた老女が、申し訳無さそうに言った。

「ネコっ!?居るのか!?居たら返事しろ!!」

土蔵の入口を叩きながら俺が叫ぶと、背後から冷たい声が掛けられた。

「無駄じゃ…誰もおらん。」

「お父様、鍵を…。」

「鍵は無くした…そこは、お前が出て行ってから、使われておらん。」

「あくまでも、しらを切り通すつもりか!?」

「知らんモノは知らん!!」

「仕方有りませんね。」

俺達の話を聞いていた連城は、そう言うと携帯を取り出してどこかに電話を掛けた。

「…もしもし、私だ…あぁ、仕方無い…裏の方が近いだろう…宜しく頼む。」

そう言いながら、裏の庭の方に歩を進めた途端、屋敷の外から何かが近付いて来る音がする。

「な、何だ!?」

驚く大善が連城の後を追うと、やがて屋敷を囲うの白壁の塀が物凄い音を立てて崩れ去った。

そこに現れたのは、巨大な蟹の爪の様な圧砕機を付けた油圧ショベル…バキバキと容赦無く白壁を壊すと、裏庭にその巨大な車体を現した。

「何なんだ、一体!?人の屋敷に何をしている!?」

青ざめた大善に、連城は胸ポケットから1枚の紙を引き出し大善に渡しながら言った。

「屋敷の解体に付いては、堂本組長より委任状を頂いております。」

「何だと!?」

「因みに…貴方が『榊の女』を提供しようとしていた政界の方々ですが…彼女が未成年と聞いて一様に驚いていらっしゃいましたよ。あの方々には、スキャンダルはご法度ですからね。今後も『榊の女』に頼って来られる方は、皆無かと思います…私が、絡んでしまいましたからね。」

「…。」

「まだ鍵を出して頂けない様なら、このまま建物も解体致しますが?」

「…好きにするといい。」

大善の言葉に、連城と俺は眉を寄せて顔を見合せた。

何か…嫌な予感がする。

直ぐ様指示がなされて、母屋の一部を圧砕機が破壊してゆく…そして、中庭の土蔵の壁に巨大な蟹の爪で穴を開けていった。

人が通れる程の穴が広がった所で、俺は土蔵の中に入り込み、声を限りに叫びながらネコを探した。

2階建ての土蔵には、明かり取りの窓の光しか届かず薄暗い…その1階の半分に太い組み木で牢が拵えられ、中には畳が敷いてあり、箪笥や机等一通りの生活用品が揃えられている様だった。

だが、肝心のネコの姿が見当たらない…何故だ…此処以外に監禁出来る場所は無いと聞いていたのに…。

穴から出て来た俺に、連城と兄貴が不審な目を向けた。

「…中は…蛻の殻だ。」

その言葉を聞いて一番に反応したのは沙夜だった。

青白い顔を余計に青ざめさせ、目を吊り上げて大善に食って掛かった。

「お父様…まさか…まさか、神降ろしをしているのでは無いでしょうね!?」

「神降ろし?何だ、それは!?」

「巫女の躰に…神を…でもあれは、あれは…拷問以外の何物でも無い…恭順させる為だけの拷問に…。」

「何を言う…あれは、神聖な儀式だ。あの娘は気が強い…恐らくは神が…。」

「何日になります!?神室(かみむろ)に入って、何日経つんです!?」

「…今日で5日。」

「そんなに…いけない…狂ってしまう!!」

沙夜は縺れる様な足取りで神殿に入り込み、祭壇裏に回り込んだ。

そして床下の隠し扉を開けると、置いてあった燭台を手に俺に付いて来る様に言った。

「…此処は?」

「神室と申します…先程お話しました、巫女の神降ろしをする場ですが、本来は…歴代の巫女の墓所です。」

「墓なのか?だが…。」

「榊家は代々巫女の家系…『榊の女』が家を守り継いで来たのに…その女達には、戸籍が無いのです。」

「え?」

「表面上は存在してはいけない者…だから、榊の戸籍では代々養子を迎えている事になっているんです。死して尚密葬される。何故だかわかりますか?」

「…いえ。」

「それは『榊の女』の出自が…不明だからです。要は婚外子という事では神聖な巫女には相応しく無いのでしょう。」

「だからですか、貴女方夫婦の婚姻届と、乃良さんの出生届に拘ったのは?」

「乃良が話しましたか?私の戸籍は、主人が手を尽くしてくれました。あの子だけです…生まれながらに戸籍を持つ『榊の女』は…。」

地下に下る階段を下りた所に有る、大きな閂の付いた鉄の扉の前で沙夜は言った。

「中は暗闇で…音も何も無い…1日過ごすだけでも耐えられません。もしかしたら、本当に壊れてしまっているかもしれません。」

「…構いません。」

「音にも光にも、全ての感覚が敏感になります。どうか…優しく呼び掛けてやって下さい。」

「承知しました。」

閂を開けて中に入ると、すえた様なカビ臭い様な何とも言えない籠った空気が流れ出した。

蝋燭の揺らめく光にぼんやりと映し出された部屋は、思いの外広さがあった。

部屋の中に整然と並べられた柩…中には朽ちて中の骨が見えている物もある。

そして棚の様に掘られた壁には、無数の髑髏が並んでいる…中には髪が生えたままの物や、明らかに子供と思われる小さな髑髏が物言わぬ瞳を向けていた。

部屋の入口に水の入ったペットボトルが数本転がっている。

沙夜は、燭台を翳して部屋を照らした…何かが動く気配がして目を凝らす。

「ネコっ!?」

「行ってやって下さい…呉々もそっと…。」

柩の並べられた部屋の隅に、薄汚れた浴衣姿のネコがうずくまっていた。

「…ネコ…大丈夫か?」

そっと声を掛け隣に膝を付いた。

何も反応しないネコの頬をそっと撫でてやると、ピクリと反応し膝に埋めた顔をユルユルと上げた。

「遅くなって済まなかったな…ネコ、俺がわかるか?」

「……し……ば…。」

俺は上着を脱いでネコの躰に掛けてやり、その上からそっと華奢な躰を抱き締めた。

「迎えに来たぞ、ナオ。」

ネコは俺の胸に躰を預けると、大きな息を吐いて意識を飛ばした。

ネコを抱き上げて沙夜と共に神室からでると、大善は憎々しげに俺を睨み付けたが、やがて力尽きた様にその場に崩れ落ちた。

「儂は、諦め切れん…その娘なら…。」

「拉致監禁遺棄も罪状に付けますか?」

連城の冷たい声を、兄貴が遮った。

「なぁ、榊さん…ウチか堂本か、どちらかの傘下に入っちゃくれねぇか?無用な争いをして、互いに傷付くのは得策じゃねぇ。今なら、手下丸ごと引き受けるぜ?」

「…しばらく…考えさせてくれ。」

そう言って項垂れる大善を残し、俺達は榊邸を後にした。


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