謀る
「再三の面会申し込みにも、病気を理由に蹴りやがる…全くあの強突く爺ぃ!?下手に出てやりゃあいい気になりやがって!!」
「困りましたね…『榊の女』っていうのはタブーらしくて…上の方でも存在は知っていても、おいそれと手を出してはならない物らしくて…。」
「政治家なんかが絡む話だからな…今迄奴等がやって来た事をバラされてみろ…世の中ひっくり返っちまう。」
兄貴と京子が眉を寄せ合うのを見て、俺は堪らず声を上げた。
「じゃあ、どうしろってんだ!?」
「…潰すしかねぇだろうな。」
「潰すって…榊をか!?新宿の街の中で、抗争するっていうのか!?」
「じゃあどうする!沙夜に迄申し込んどいて、仔猫ちゃん諦めるっていうのか?」
「待って下さい!警察としても、抗争は困ります!!」
「…何か…手は?」
「今…知り合いを通して…上に掛け合って貰っています。」
「署長か?」
「うぅん…もっと上に…。」
「誰だ?」
京子は気まずそうに、俺に耳打ちした。
「何だと!?」
「ちょっと…信頼出来る先輩のツテがあってね。」
「…誰だ?」
「アンタも知ってる人…アノ時の…私のバディ。」
「…あぁ。」
恋人が殉職した時、刑事課の刑事だった京子は、連続婦女暴行殺人事件を追っていた。
その時の彼女のバディ…キャリアで躰の大きなギョロ目の先輩は、恐らく事情を察してくれていたのだろう…捜査でも、道場でも、京子が何も考えずに済む位、ヘロヘロになる迄彼女を扱き使った。
その後海外に研修に行き、本店の組対に入り…俺が辞める頃、どこかの署長に納まった筈だ。
「まだ付き合いがあったのか?」
「まぁね…キャリアで気が合うのは、あの人位だもの。」
「で…上手く行きそうなのか?」
「春にあの人が捜査本部長になった事件…新宿署の手柄にしてもらってるけど…裏があってね。署長は大きな借りが有るのよ。」
「春の事件…ヤク絡みのか?」
突然兄貴が話に割り込み、京子は驚いて頷いた。
「確か、ロシアと上海が絡んだ事件だったな…堂本の所が被害にあった…。」
「堂本が?」
「何だ、お前…知らなかったのか?新宿が激震した事件だったんだぞ?確か、堂本の組から逮捕者も出た…ヤク絡みで付き合いのあった会社の社長も逮捕されたろ?」
「あぁ…何か…あったみたいだな。」
「あの頃、アンタ…自分の事で目一杯だったから…。松田の妹の話で出てきた情夫…その時の堂本から逮捕された奴よ。」
「…そうか。」
「…ちょっと待て…そうか…堂本か!?」
兄貴は思い付いた様にニヤニヤと不気味に笑い出した。
「サーペントの…その時の事件に深く関わった人物…面識あるか?」
「誰ですか?」
「Panther…裏の世界でも表の世界でも、ちょっとした有名人な筈なんだが…確か…連城…。」
「連城検事ですか?連城仁?」
「そうそう…堅気だが裏事情にも詳しく、絶対に敵に回したく無い人間だ。」
「昔、担当検事としてお会いした事はありますが…多分あちらは覚えていらっしゃらないと思います。先輩は…知り合いだと思いますが…余り充てにはなりません。当時もかなり険悪でしたから…。」
「そうか…やっぱり堂本に噛ませて引っ張り出すしか無いかな?」
「どういう人物だ?」
「元検事で弁護士で、企業や有名店のオーナーだが…色んな2つ名を持ってる。通り名はPanther…俺もパーティーでチラッと拝んだだけだが…確かに黒豹だな、あれは。」
「検事としても、弁護士としても一流でね…一度も負けた事が無いのよ。」
「一度も?」
「そう…それだけの調査や取り調べをしての結果なんだけど…私達も、何度も納得する迄再調査依頼されて…でも、法廷では必ず勝ってくれる…大変だったけど遣り甲斐の有る仕事だったわ。」
「健司…お前は不満かも知れないが、堂本に協力を願い出るぞ!」
「兄貴!?」
「他人の女房になった昔の女と仔猫ちゃん…どっちが大事だ!?」
通学途中の電車で見掛けるお嬢様校の制服…男子高校生垂涎の高嶺の華…時任しずかと付き合い初めたのは、電車の中の痴漢を撃退した事がきっかけだった。
何の取り柄も無い普通の男子高校生と、光輝く純潔の白百合…名前の通り静かで大人しく、フワリと笑う笑顔が天使の様で…手を触れる事もおこがましく、大事に…本当に大事にしてきたのに…。
そんな彼女に、兄貴の組と対を張る堂本組の息子、堂本清和が目を付けた。
「俺の女になれ!!」
彼女の学校の校門や自宅前、俺と一緒に居る時にも堂々と口説く堂本に、初めしずかは怯えていた。
それが段々と態度が変わって来たのだ。
「思った程、怖い方では無いのかもしれない。」
「私の嫌がる事は、絶対にしない方だから…。」
それを聞いて、迂闊にも少し安心したのだ。
気付いた時、しずかの心は堂本に傾いていた…それは、坂から転がり落ちる様に…止め様が無かった。
何故と問う俺に、しずかはハラハラと涙を溢した。
「私は…誰かに、私の殻を破って欲しかったのかもしれません。」
そして、許して欲しいと何度も何度も詫びた。
堂本とタイマンも張ったが、同じ極道の息子でも跡取りとして育て上げられた堂本と、普通の学生として過ごして来た俺とでは、歴然とした差が有り過ぎた。
「俺は、詫びる気は欠片も無い!!しずかが、俺を選んだ…それだけの話だ!」
悔しくて情けなくて、男としての矜持を取り戻す為に組の連中に喧嘩を教わり、族に入ってがむしゃらに突き進んだ結果、総長に上り詰めてファング等と呼ばれる様になった。
あれから15年以上経つのに、目の前でニヤける優男の顔を見るとムカっ腹が立つ。
神楽坂の料亭の一室…憮然とした俺の隣で、兄貴が堂本と若頭の森田という男に話を進めていた。
「一枚噛む気は無いか、堂本の?」
「ウチに何をさせたいんです、佐久間さん?」
「榊の土地家屋…アンタんとこの抵当に入ってるんだってな?」
「えぇ…正確には、森田の抵当に入ってます。」
「ウチに譲ってはくれねぇか?」
「何の為に?」
「ちょっとな…あの家をぶっ壊して、探したいモノがあってな…。」
「佐久間さん…ウチとの境界線、いや…森田の所が持つ抵当物件って事は、ウチの島ですよね。そんな所で、宝探しでもおっ始めるんですか?」
「それは、Pantherが来てから話そう。」
「もしかして…『榊の女』に絡む話ですか?」
堂本の隣で、森田が静かに尋ねた。
「何か聞いてるか?」
「『榊の女』が帰って来たという噂を、榊は広めている様です。あそこの収入源は、昔から『榊の女』に頼っていますから…ウチの組長にも、榊組長直々に連絡が入ったそうです。」
「成程…差し出して、抵当をチャラにして欲しいってか?」
「何考えてるんだか…出戻りに、そんな価値ありゃしませんよ。」
カラカラと笑う堂本の隣で、森田が眉を寄せた。
「しかし、入院中だと聞いていましたが…確か心臓が悪く『榊の女』としての務めが出来ないという話で…全快したんでしょうか?」
「いや…彼女じゃ無い。」
「は?」
「沙夜じゃねぇ…新しい『榊の女』は、沙夜の娘だ。」
その時、廊下に続く障子がスパンと開け放たれた。
「…その話、詳しく窺おう。」
高級なブリティッシュスーツを着こなした長身の男が、俺達を見下ろしていた。
堂本は片手を上げてヨゥと声を掛け、森田はわざわざ向き直り深々と頭を下げた。
「ご無沙汰致しております、連城さん。この度は、ご婚約おめでとうございます。」
「ありがとう…所で森田さん、お宅の組長に気安く声を掛けるなと伝えてくれないか?」
「申し訳ありません。」
「来月も、呼びもしないのに一家揃って出席すると連絡があった様だが?」
「当たり前だ!黄龍が上海から招待されるのに、何故慎の所に招待状が来ない?漏れている様だから、わざわざこちらから連絡を入れてやっただけだ。」
「…じゃあ、息子だけ寄越せ。」
「馬鹿野郎、4歳の息子だけを結婚式に出席させる親がどこにいる?当然俺達も出席する!」
「…好きにしろ。」
用意された席に座ると、連城は兄貴に名刺を差し出した。
「失礼致しました…弁護士の連城です。」
「佐久間組の佐久間です。こちらは、私の弟で柴健司です。」
そう紹介され黙って頭を下げる俺に、意外な挨拶が返って来た。
「久し振りだな…柴刑事。」
「は?」
「何だ…覚えて無いか?一度挨拶を受けた…佐伯の所の女刑事と、よく連んでただろう?」
「…幸村を、覚えていると?」
「当たり前だ。共に事件を追った仲間を、忘れる筈無いだろう…それにお前達は、異色で結構有名だったからな。」
「異色で有名なのは、お前だろうPanther?俺の友人の中でも、3本の指に入る。」
「黙れ、堂本…お前に友人呼ばわりされる覚えは無い。」
「じゃあ、何でお前この場に来たんだよ?」
苦笑する森田の隣で、口を尖らせて子供の様に拗ねる堂本に、連城はサラリと言った。
「佐伯から連絡があったからに決まっているだろう?だから、弁護士としてやって来たんだ。」
「話の内容は?」
「佐伯から、概ねは…『榊の女』の救出と、榊組の壊滅が望みだと?」
「そうなのか!?佐久間さん、潰すのか?榊を?」
「その積りだと言ったら、どうする…堂本の?」
「佐久間組長、そうなると島の取り合いで互いの上が出て来ます。今の均衡が崩れる恐れが有る…それでも、榊を潰すんですか?」
森田が、思案顔で尋ねて来る。
「互いの上が文句を付けない様に、折半するって事でどうだ?」
「…佐久間さん…ウチはいい。黙って座っていて島が増えるんだからな。だが、それでお宅に何のメリットが有る…『榊の女』か?」
兄貴はニヤリと笑うと、堂本に身を乗り出して声を潜めた。
「沙夜は元々、俺の女房になる筈だった女だからな…娘共々返して貰おうってだけの話だ。」
じっと兄貴を見詰めていた堂本が、ゆっくり俺に視線を向けた。
「柴…お前…何故この場に居る?佐久間組に入った訳じゃねぇだろう?」
「あぁ…俺は、堅気だ。」
「じゃあ何故だ?お前には、関係の無い話だろうが?」
「関係は有る…ナオは…俺の女だ。」
「ナオ?女?誰の事だ?」
「今、榊に囚われている女だ。音戸乃良…俺の女だ。」
「『榊の女』がか!?その為の画策か!?」
「それがどうした?お前達極道の手慰み者や、悪徳政治家の邪な思いの為に利用されていい様な女じゃ無い。あれは…俺の女だ。」
ハッキリと言い切った俺にその場は静まり返り…連城が静かに俺に尋ねる。
「柴刑事…いや、刑事は廃業したんだったな。柴…その娘、歳は幾つだ?」
「…16です。」
「…この話、引き受けよう。佐久間さん、何を計画していますか?」
「堂本の許可があれば…榊の屋敷を解体して、座敷牢から奪還する積りだったんだが…。」
「あーー、好きにしてくれ。俺達は、高みの見物とさせてもらう。」
堂本は立ち上がると、ニヤリと笑った。
「佐久間さん、島の件…後日ゆっくり話し合いましょう。それから、柴…。」
「何だ?」
「手に入れたら会わせろ…しずかとどっちがいい女か、とくと見分してやる!」
「大きなお世話だ!」
馬鹿笑いする堂本と、一礼する森田が退室すると、俺達はその後の計画について話し合った。
「柴…お前、乃良さんを取り戻してどうするつもりだ?」
兄貴を先に帰らせると、差し向かいで杯を上げながら連城が聞いた。
「結婚するつもりです…ナオさへ承知してくれたらですが。」
「組は?跡を継ぐのか?」
「…思案中です。」
「お前には、無理だな。」
「何故ですか?」
「組を束ねるには、もっと狡猾でなければ無理だ。それに、理不尽な上の命令に、お前は耐えられんだろう?」
「…。」
「警察も、指定広域暴力団も…検察の様な組織も…全て伏魔殿だからな。お前には無理だ。」
「そうでしょうか?」
「真っ直ぐ過ぎて傷付きやすい…そんな男には、精々族のヘッドか社長が関の山だ。」
「…。」
「それよりは、惚れた女を守ってやれ…若くして苦労しているなら尚の事だ。己の選択を間違えて、惚れた女を傷付ける様な事はするな。」
「経験者ですか?」
連城は、寂し気に笑って言った。
「あぁ…本当に長く苦労を掛けたが…ようやく贖罪を経て手に入れる。」
杯を見詰める瞳が、優しく瞬いた。




