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新宿のネコ  作者: Shellie May
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其奴に声を掛けたのは、ほんの気紛れだった。

思いの外仕事が上手く行って、柄にも無く浮かれていたのかも知れない。

昼過ぎ、仕事に出向く時に見掛けた同じ場所で、夜迄同じ態勢で寝入っている奴が居る…しかも若い…。

「ねぇ、君幾らだい?」

脂下がった男が声を掛けても、全く起きる気配が無い。

「ねぇ、君…3万でどう?一晩なら、5万出すけど…。」

そう言いながら躰を撫で回す男に嫌悪感を感じ、思わず言葉が口を吐いて出る。

「おいっ!何してる!?」

Tシャツの下に手を入れ様としていた気の弱そうなサラリーマンは、ビクリと手を引いた。

「いっ、いやっ、私は何も…。」

「…何してる?」

ポケットに手を入れたままズイと近付くと、サラリーマンは鞄を抱えたままアタフタと駆け出した。

男が去っても尚、ベンチに丸まってスヤスヤと寝続ける其奴に、俺は頭の上から声を掛けた。

「おい…。」

狸寝入りか…それとも、もしかして逝っちまってるんじゃ…。

「おいっ!?」

寝ているベンチを蹴り上げると、ようやく反応して瞼がゆっくりと開いた。

「こんな所で、寝てんじゃねぇよ!!」

「…あんた…誰?」

まだ覚めきっていない瞳で俺を見上げて、気だるそうに尋ねて来る。

「こんな所で寝てると襲われるぞ、お前!?」

「あんた、サツかよ?」

ようやく起き上がり、ガリガリと頭を掻きながら欠伸をすると、もう一度俺を見上げた。

もう11月だというのに、半袖のTシャツにブカブカの薄い綿のジャケットを羽織り、Gパンにスニーカーという薄汚れた出で立ち。

クシャクシャの髪には枯れ葉が絡まり、顔もなんとなく薄汚れて…ドラムバックを胸に抱えていた。

ホームレス…いや、そこまではいかないまでも、家出中なんだろうか?

憮然と見下ろす俺を見上げる顔がニヤリと笑う。

華奢な首に小さな顔…小さな鼻と口に比べ、印象的なアーモンド型の黒目がちな大きな目…何となくアンバランスな…。

「…って訳でも無さそうだな?」

「え?」

「サツじゃ無いんだろ?」

「あぁ。」

「じゃあ、買いたい訳?」

「…お前、ウリ専か?」

「別に…今日寒いし、外で寝るの厳しいかなって思っただけ。」

「…幾ら?」

「買うの?下手だよ…きっと…。」

そう言うと、足を投げ出しケラケラと笑った。

「別に、そういうつもりは無い。」

「そ…じゃあな、オッサン。」

もう一度ウーンと言って伸びをすると、洋服をパンパンと叩き立ち上がる。

その躰が思いの外小柄なのに、俺は驚いた。

「これから、どうする?」

「ん?そうだな…雨降るっぽいしさ、ベンチも木の上も濡れるしね。ビルの駐車場か、非常階段にでも潜るよ。」

「木の上?」

「あぁ、夏は最高に気持ち良いんだ!嫌な奴に襲われる事も無いし…ってか、オッサン何喋らせてんだよ!?」

そう言って、俺を見上げて又ケラケラと笑った。

「お前、幾つだ?」

「…やっぱ、サツなの?」

「違うっつったろ?幾つだ?」

「ん〜18?」

「嘘だろうが!16か?17か?」

「18にしとこうよ…面倒臭いからさ。」

「全く…飯は?」

「はぁ?」

「腹減って無いかって聞いてんだ!」

「…奢ってくれんの?」

「あぁ…ついでに、ねぐらも提供してやる。」

「…何で?」

「何でって…。」

「見返り、何要求すんのさ?上手く無いって言ったろ?」

「ガキに見返り要求する程、落ちぶれてねぇよ!それに、俺はゲイじゃねぇしな。」

「…ふぅん。ま、いっか。奢らせてやるよ、オッサン!」

「違うだろ!?ご馳走して下さいだろうが!?」

「いいじゃん!ご馳走したいんだろ?」

見上げる瞳が悪戯そうな光を放ち、鼻に皺を寄せてクシャリと笑った。

黙って歩き初めた俺の後を、ヒョコヒョコ付いて来るそいつに、俺は尋ねた。

「何食いたい?」

「…温かいのがいいな。」

そう言って、空を見上げて鼻をならした。

「…やっぱ雨降るよ…。」



馴染みのラーメン屋に連れて行き明るい光の下で見るそいつは、色白で…何だか華奢な女子高生の様だった。

「お前、名前は?」

「…人に名前聞く時は、自分から名乗るのが礼儀って、親から教わんなかったのかよ?」

「年上の…しかも今から食事を奢って貰って、ねぐらまで提供してくれる大人に向かって暴言吐く奴に言われたかねぇな。」

「アハハ、全くだ!!」

そうひとしきり笑うと、小首を傾げて俺を上目遣いに見上げた。

「…ネコだよ。」

「何?」

「だからぁ、名前。ネコだよ。」

「本名か?」

「さぁね。オッサンは?」

「…柴だ。柴健司。」

小首を傾げたまま大きく見開かれたアーモンド型の目が、パチクリと瞬き…次の瞬間涙を溜めてプククと笑い出す。

「学生時代の渾名ってさぁ…やっぱり…。」

「あぁ…『柴犬』だよ。」

俺は顔を背けて、げんなりしながら答えた。

名前を告げると何時も同じ反応をされる…全く、親ももう少し考えて名付けてくれれば良いものを…。

最も今じゃ、狂犬になっちまったが…。

「柴犬とネコってさぁ、凄い組み合わせじゃん!」

そう言って笑い続ける俺達の前に、湯気を上げるラーメンが置かれた。

頂きますと手を合わせ、意外と上品に麺を啜り美味いと笑った。

ひとしきり麺を啜りネコが溜め息を吐いた時、俺は尋ねた。

「家出中か?」

「まぁ…そんなとこ。」

「何時から?」

「ん?」

「夏からか?」

「何だよ、身上調査?ウザイの嫌いなんだけど…。」

「お前なぁ。」

「じゃあ、柴さんは?歳幾つ?」

「…32。」

「意外…ホントにオッサンじゃん!」

「うるせぇよ。」

「何してる人?」

「何って…まぁ、色々…。」

「堅気じゃ無いんだろ?ヤの付く職業?」

「何でそう思う?」

「だって…。」

鉢に残ったスープを全て飲み干すと、手を合わせながらネコは言った。

「リーマンって感じじゃねぇもん。何か匂いが違うだろ?」

「そうか…。」

煙草に火を点けると、ネコはあからさまに眉をひそめた。

「嫌いか?」

「いや…基本平気なんだけど、ちょっと風邪気味でさ…。」

ケホケホと乾いた咳をして、ネコは笑った。

「俺の部屋、煙草臭いぞ?」

「そんなの我慢するさ。一晩だけだし。」

「……じゃあ、そろそろ行くぞ。」

俺達が揃ってラーメン屋を出ると、霧雨の様な雨が降っていた。

「走るぞ、ネコ!」

「…近く?」

「あぁ、あの角を曲がったビルの2階だ。」

走り込んだビルの入口で、遅れて付いてきたネコが激しく咳き込む。

「大丈夫か、お前?」

「…風邪気味だって…言ったじゃ…ねぇか…。」

喘ぐ様な息遣いをしながら壁に手を付き、怨めしそうな顔で見上げられ、思わず謝罪の言葉を口にすると、いいよと言ってニヤリと笑われた。

階段を上り入口のドアを開けると、

「何だよ…ココ…。」

と、ネコは目を丸くした。

「俺の自宅兼事務所だ。」

もう一度ドアに書いてある字に目を走らせ、

「柴さん…サラ金屋?」

と、窺う様に尋ねる。

「違う…何でも屋。」

「何でも屋?」

「そう…人探しから素行調査、ボディーガードから交渉事迄、何でもやる。」

「ふぅん…でも…。」

「何だ?」

「やっぱり、『ハッピーライフ』ってさぁ…有り得なくねぇ?」

そう言うと、憮然と睨み付ける俺を尻目に、ネコは腹を抱えて笑いだした。

「…確かに…サラ金と間違って入って来る客もいるが…。」

「ほらぁ、そうだろ?胡散臭いサラ金みたいだもん!」

「?」

何となく違和感を覚えた俺に、ネコは気付いて舌を出し話を続ける。

「横文字にしたかった訳?」

「何となく付けただけだ。」

「『幸せな生活』かぁ…贅沢な名前!でも名前ってさぁ、大切だよ?客の入りに影響するし…。」

「じゃあ、どんなのがいい?」

「自分で考えろよぉ〜!」

入口で言い合う俺の横をすり抜けると、お邪魔しますと言って入り込み、ネコは応接セットのソファーに座った。

「苦手なんだ…こういうの…。考えてくれたら泊めてやる。」

何だよと言いながら空咳をして、テーブルの上に置かれた吸殻が山盛りの灰皿を遠ざける。

余程煙草が嫌いらしい。

「横文字がいいならさぁ、『柴コーポレーション』とか『オフィス柴』とかの方が良くねぇ?」

「何の会社かわかんねぇだろ?」

「あ、それ言う?今だってわかんねぇだろ?それに、仕事内容だってコレって決まって無いんだろ?」

「…そうだな。」

「そうだなって…そんな安直に変えちまって良いのか?」

「別にかまやしない…。」

「ふぅん。」

ネコは立ち上がると、傍に放り投げてあったコンビニの袋に、ゴミを集め出した。

「何だ、掃除してくれんのか?」

「…ゴミ袋出して…後、掃除機か箒!それから、雑巾!」

手際良くゴミを集め窓を開けると、ネコは精力的に働き出し、小一時間もすると部屋は見違える様に綺麗になった。

「掃除してくれる人、居ねぇのかよ?」

「基本1人の事務所なんでな。」

そうじゃなくてさぁと文句を垂れながら、ドッカリとソファーに座り込んだネコにペットボトルの水を放り投げてやると、上手そうに音を立てて飲んだ。

「シャワー使うか?」

「後でね…柴さん、先に入りなよ。」

そう言いながら、自分のバッグを引き寄せ中から透明のボトルを出し、ザラザラと掌に中身を出して口に放り込んだ。

「…お前、ジャンキーか?」

「ジャンキー?…あぁ、違うよ…これ普通の鎮痛剤だし。」

「…それにしちゃ、量凄くねぇか?」

「そう?効かねぇもん…良く寝れるしね。」

「鎮痛剤を、眠剤代わりに使うんじゃねぇよ。それより、どっか悪いのか?」

「風邪気味って言ったろ?頭も痛くなるし、熱も少し出るし…あちこち痛むんだよ。」

「病院は?そもそも、風邪気味なら風邪薬だろ?」

「病院なんて、行けると思う?それに風邪薬よりコッチが効くから、鎮痛剤に頼ってんだって!そうか…依存してるって事は、ジャンキーか…。」

そう言いながら空咳をするネコに、俺は先にシャワーに入る様に命じた。

ハイハイと意外な程素直にシャワー室に続く洗面所に消えたネコに、タオルも何も渡して無い事に気付いて、俺は自分のTシャツとスウェットのパンツ、バスタオル等を持って洗面所のドアを開けた。

「ネコ、これタオルと着替え…。」

そこには、洋服を全て脱ぎ去ったネコが居た。

華奢な肩に腕、細いウエストの上には、少し膨らんだ胸…そして、その下は…。

「…柴さん。」

「…。」

「柴さん。」

「えっ!?」

「洗濯機、使ってもいい?洋服や下着、洗っちゃいたいんだ。」

「あ…あぁ…後で、俺のと一緒に回して置くから…放り込んで置け。」

「わかった。」

ネコは脱ぎ去った洋服や、バッグの中に入っていた汚れ物を洗濯機に放り込み、シャワー室の中に消えて行った。

何なんだ、一体!?

確かに、自分の性別についてネコが語った事は一度も無かったが…それにしても、あの口の悪さは、少年だと思うだろう!?

悶々と思い悩む俺の背中に、再び声が掛かる。

「…柴さん。」

「なっ、何だ!?」

ブカブカのTシャツをワンピースの様に着こなし、洗い髪にバスタオルを掛けたネコが、スウェットのパンツを手に持って戻って来た。

「駄目だよコレ、目一杯絞ってもデカ過ぎて…。」

「あぁ…必要無さそうだな。」

パンツを受け取る俺に、済まなそうな笑みを浮かべると、ネコは静かな声音で尋ねた。

「…出て行った方が良いなら、洗濯物濡れる前に引き上げるけど?」

「別にかまやしない…。」

「…そう。」

俺がシャワーから出た時、ネコは事務所のソファーに自分の薄い綿のジャケットを被り、バッグを枕に寝入ろうとしていた。

「そんな所で寝たら、風邪が悪化するぞ!コッチで布団に入れ。」

「だって、ベッド1つきりじゃねぇか。」

「…お前さへ気にならないなら、一緒に入れてやるから。」

「良いの?…そうか…柴さん、ナイスバティーで乳のデカイ姉ちゃんが好きっぽいもんね。」

「そうだな。」

「じゃあ、遠慮無く…。」

そう言ってネコは、寝室のベッドに潜り込んだ。

ネコの躰を押しやりながら布団に入った俺は、寝る態勢を取る様に蠢くネコに尋ねた。

「お前、本当の名前は?」

「…ネコだよ…ノラ…ネコ…。」

布団の中で丸まりながらスゥと寝入るネコに、俺は溜め息を吐いた。




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